帰鹿した剣聖と薩国警備 3


 服を洗濯かごに入れ、うすいブルーのブラジャーとパンティだけの姿となった茜。二十歳の引き締まった上半身はさわやかな健康美にあふれるが、どこか未成熟さも感じさせる。胸は大きなほうではないが形が良く、くびれたウエストは高校生の頃からサイズが変わっていない。


 一方で、尻から太ももにかけては肉付きがよい。本人にとっては一種のコンプレックスだが、男から見れば性的な魅力となっていた。抱くときは優しく取り扱いながらも、肉汁が出るまで揉んで吸いつきたくなる。以前、量販店でレギンススタイルのパンツを買おうとしたら、隣にいた母親から似合わないと言われ、止められた。


 ブラジャーとパンティも外し、全裸になった彼女は鏡でシャワーを浴びる直前の自分を見た。肩に触れないショートヘアはブラウンに染めており、かるくパーマをかけている。伸ばそうかと思っていたひとときがあったが、なぜか毎回、切ってしまう。どこか少年めいたルックスであり背が高いほうであるため、高校生のときは女子からラブレターやバレンタインチョコを貰っていた。ボーイッシュな魅力を持つ。


 裸の彼女は、バスルームに入るとシャワーの蛇口を捻った。熱い湯が八月の紫外線に灼かれた肌をほぐしてゆく……


(今日の隊長、変だったな……)


 壁に据え付けられたシャワーを立ったまま頭から浴び、彼女は上司である鵜飼の様子を思い出した。平素から多弁な男ではないが、礼を失するタイプでもない。だが、剣聖スピーディア・リズナーを前にした今日の彼はいつもと違った。いや、“上”から悟の送迎を言い渡された数日前から、どことなくおかしかった。


 “死亡”したはずのスピーディア・リズナーが生きている……そのことは鵜飼と彼が運転手に選んだ茜にしか知らされていない。徹底した守秘を厳命されており、鵜飼が指揮する部隊の他の者にも伝わっていない。


(アウトローな人だから嫌っているのかな?)


 でかい尻を椅子に置き、茜は愛用のシャンプーを両手で泡立てると、髪を洗いはじめた。実のところ、彼女も詳しいことは聞かされていない。ただ、鵜飼本人から運転手に指名されただけである。他にも隊員がいる中、キャリアの浅い自分が選ばれた理由も知らない。


(あたしのこと、“信頼”してくれてるのかな?)


 浴室に充満する湯気と柑橘系の香りの中、茜は期待した。彼女は上司の鵜飼を愛していた。それが“叶わぬ恋”であることも理解しているが……


 明日は非番である。平日が休みであるため友人たちといつも時間が合わない。大学に通っている同級生らは試験期間である。ひとりで服でも買いに行こうかと思っていた。付き合っている男もいない身だ。






 夜。津田雫が悟のためにふるまった料理はトンカツだった。洋間の長いテーブルに和食という組み合わせは少々奇妙な見栄えとなるが、美味しそうに出来ている。


「お口にあえばいいんですけど……」


 高校の制服の上からエプロンをした雫は不安そうにしている。彼女が切り分け、大皿にのせたトンカツは三人前ほどある。添えつけられたキャベツは山盛りで、ご飯はてんこ盛り。味噌汁の具はシンプルに豆腐とネギだけだ。


(真知子のやつ、俺が大食いだと知らせやがったな)


 内心で笑い、悟はトンカツにソースをかけた。箸でとって大皿のすみにのっているカラシをつけて食べてみた。


「美味い」


 悟は率直に感想を述べた。絶妙の火加減で芳ばしく揚がった衣。その中の肉は甘味すらある。ご飯がすすむ逸品だった。


「よかったです……」


 ほっとした様子の雫。とりあえず悟はがっついた。トンカツのあとにご飯をかっこみ、味噌汁で流し込むような食べ方である。


「高校生なのに料理上手なんだな」


 からになった茶碗を差し出しながら悟は言った。雫は受け取り、電気釜の蓋を開けた。


「うちは母の帰りが遅いので、わたしが作るんです」


「そうなのか」


「はい」


「親父さんは?」


「いません」


「悪い」


「いいえ……」


「さっきと同じくらいで」


「はい」


 少し笑って雫は、再びてんこ盛りにご飯をついだ。美しい男が豪快に飯を食う姿がおかしいのかもしれない。この夜、悟は四度おかわりをした。






 五日がたった。雫は毎日、家を訪れた。ある日は悟が起きるより早くやって来てゴミを出し、またある日は食事を作りに。掃除は凝りだすと止まらぬようで、ちいさな身体にバケツや箒を持って屋敷内を歩き回り、細い手が届かぬ高いところは台を持ち出して昇る。その働きぶりに、悟も感心せざるを得なかった。


 午後三時。昼前に起き、雫が用意したブランチを食ったあと、ベッドの上で寝っ転がりながらテレビのワイドショーを見ていた悟が部屋から出たとき、家の中は静まり返っていた。


「おーい、津田さん」


 呼んでみたが、返事はない。


(帰ったかな……?)


 そう思ったが、何も言わずに帰るのはおかしい。廊下を歩き、端っこの部屋の扉を開けた。


「あっ……!」


 そこにいた下着姿の雫が、控えめな悲鳴をあげた。慌てて服を取り前を隠すも、悟は女子高生の初々しく華奢な肌を見てしまった。


「悪りィ」


 と、悟。


「す、すみません……!」


 とは、服を抱くようにして座り込んだ雫。


「なぜ、君が謝る?」


「わ、わたし、庭の草むしりをしていて……汗をかいたので、着替えようかと思ったんです……」


「そりゃあ、ありがたいな」


「ごめんなさい……男の人の家で勝手に着替えるなんて、失礼ですよね」


「いやいや、勝手に開けた俺のほうがデリカシーに欠けていたらしい」


「いいえ、わたしが悪いんです」


「物を投げつけられても文句言えないのが、今の俺の立場だと思うぜ?」


「あ、あの……一条さん……」


「ん?」


「ふ、服を着たいので……その……出てって……」


 雫は涙目になりながら、そう言った。






「では、また明日来ます」


 夕食を作り置いた雫が、敷地の下にあるバス停で悟に言った。今の彼女はピンク色のノースリーブTシャツの下にロールアップしたスキニーデニムを穿いている。白いブランドスニーカーは使い古した物だった。


「別に、毎日来なくてもいいんだぜ、津田さん」


「“組織”に、そうするよう言われてるんです」


 雫が言う“組織”とは薩国警備……つまり、超常能力実行局鹿児島支局のことである。所属する者たちの間では、そう呼ばれることが多い。


「バス停から近いですし、通う負担はありません」


「ま、学業がおろそかにならないならいいけどな」


「それは大丈夫です」


 現在、高校二年生の雫。成績は学年トップである、と真知子から聞いている。今、細い肩に抱えているトートバッグの中には着替えだけでなく参考書も詰め込まれていた。ここでの“家事”の合間に勉強することをすすめたのは悟である。


「一条さんこそ、毎日送ってくださらなくても大丈夫です」


「まァ、この辺は人気がなくて寂しいからな」


 なんらかの異能を持つ彼女ならば、大概の危険は乗り越えられるはずだ。だが、それでも悟は毎日送ることにした。夏のこの時間はまだ日が高いが、山と木に囲まれているここら一帯は車の通りがあってもどこか薄暗い。話しているうちにバスがやって来た。その車体には“藤代交通”と書かれている。


「じゃあな、津田さん」


「あ、あの、一条さん……」


「ん?」


「その……もしよかったら“雫”って呼んでください」


「あ、ああ……いいけど」


「おつかれさまでした」


 すこし赤くなった雫は丁寧に頭を下げ、停まったバスに乗り込んだ。排気ガスの匂いの中、悟は走り出したテールランプがコーナーの向こうに消えるまで見送った。






 徒歩で家に帰り着くと、玄関のポストの中に郵便物が入っていた。薩国警備のロゴがうたれた封筒である。その場で開けた。


「あの“野郎”……」


 目を通し、そして苦笑する悟。それは薩国警備の鵜飼丈雄からの“果たし状”だった。

 

 


 

 

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