剣聖、最後の“仕事” 3


 異能者たちが力の源とする“気”の流れは、体内で様々な方向に分岐し特性を発揮する。内的循環インサイド・サーキュレーション外的放出アウトサイド・リリースと呼ばれるものも、その一種であり、さきほど悟が発生させた蹴りによる真空波は、後者の発現形態である。


 一方、彼の光剣オーバーテイクは、擬似的な内的循環により斬突部を作り出す。外的放出に比べると消耗が少ないことが利点で、筒状の持ち手部分を経由して、発生した気のほとんどを体内に帰順させる。そうでありながら、レーザー光線にも似た刃は人外の存在を殺傷できるほどの斬れ味を発揮する。


 “大樹”の枝がしなった。無数の黒い葉が鋭い暗器となり、悟を襲う。


 だが、その葉のすべてが手術室の床と壁を損傷するにとどまった。跳躍した美しい人影は空中から間合いを詰めると、着地するまでに数本の枝を斬り捨てた。光剣による神速の剣技である。


『Gyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』


 おぞましいほどの大樹の声……それは、人外の存在の悲鳴なのか? 地上に降りた悟は、さらに敵の胴体部分に斬りつけた。


 だが、その幹は太くて硬い。一刀で両断というわけにはいかず……大樹は残る枝を振り下ろした。ムチのような軌道を描く。


 しかし、空をきる。体勢を低くし、かわした悟が逆水平に薙ぎ払った。ちょうど、一撃目と同じ位置に光の刃が喰い込んだ。


『UGyaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!』


 幹を真ッ二つにされた大樹の耳をつんざくような叫声……枝を持つ上部と根をはる下部が断層し、そして崩れ落ちてゆく……






「あぁ……サトル……」


 ジェニファーは裸のまま、悟の腕の中にいた。敗北し、力を使い果たした結果、人の姿を取り戻したのだ。


「あの医者、逃がしちゃったわね? ダメじゃないの……」


 彼女は力なく笑った。外に警官がはっているため、医師はじきに捕まるだろう。悟は人外の用心棒であるジェニファーへの対策として、FBIに雇われたのだった。


「しっかりしろよ、まだ死んじゃいないぜ?」


 抱きかかえ、悟が言った。


「しっかりもなにも、あたしは“末期”よ……助からないわ……」


 と、ジェニファー。人外の存在に取り憑かれた時間が長ければ長いほど、憑依体とのシンクロ的融合度は増すといわれる。そのような状態を末期と呼ぶ。


「君は、まだ若いだろ? しかるべき施設で、しかるべき治療を受けて、そして生きろ」


 そう言いながら、悟はジェニファーの前髪を指先で分けた。


「あたしね……」


 ジェニファーは悟の手を握り、こう言った。


「子供のころ、日本人の剣聖“スピーディア・リズナー”のファンだったの。彼がのっている記事をスクラップして、彼が特集された雑誌の切り抜きは大事にしてたものよ。あたしたち日系人にとってはスターだったわ……」


 細い声だった。だが、彼女の顔には一抹の光明がさしたようにも見える。幼い頃の憧れを語れば、誰しもがそうなるのかもしれない。


「彼のことを“偶然の剣聖”なんて呼ぶ人もいるけど違うわ。彼は“最後にして”最高の剣聖よ……」


 ジェニファーは弱々しくも、震えるその手で悟の美しい顔に触れた。


「サトル……あなたが、スピーディア・リズナーなんでしょ……?」


 その問いに対する答えを聞く前に、彼女は目を閉じた。表情は安らかなものだった。 






 悟は病院の外に出た。不快な湿気を置き土産に残し、雨はやんでいる。そこに季節外れのコートを着た中年の男が立っていた。


「終わったか?」


 男は訊いた。刑事である。


「そのコートを貸してくれないか?」


 自分の腕で横抱きにしている裸のジェニファーを見ながら悟は言った。刑事は脱いだコートをかけてくれた。


「死んでいるのか?」


「いや、生きてるよ」


「あの医者は既に捕まえたよ。シリアに飛ぶ気だったらしい」


「そうか……」


 とだけ言うと、悟はジェニファーを抱えながら歩き去ろうとした。


「その娘に将来はあるのかね?」


 刑事が訊いた。娼婦に身を堕とし、人外となった女の行く末である。


「あるさ……生きている以上、たとえ茨の道であってもな……」


 悟はジェニファーの顔を見た。


(これが“最後の仕事”だ。俺のほうこそ、身の振りかたを考えなくちゃな……)






 三日後……剣聖スピーディア・リズナーの“死亡”が報じられた。異能業界のスーパースターである彼の突然の悲報は各国のメディアで大きく取り上げられ、世界中の人々を落胆させた。“最後の剣聖”とも“偶然の剣聖”とも呼ばれた男だったが、人気はずば抜けていたのだ。強くなりたいと願う少年たちの憧れでもあった。


 出身地である日本では、すべての放送局がスピーディア・リズナーの特集番組を組み、多くの新聞が一面で報じた。財界、芸能界、スポーツ界などから寄せられた追悼のコメントはどれも悲しみに満ち、ついには国政を司る大臣がカメラの前で落胆の色を見せた。一部で“殺し屋”との批判も受けた男だったにもかかわらず……






 八月一日。霧島きりしま溝辺みぞべにある鹿児島空港の滑走路は強い陽射しと飛行機たちが発する熱の中、ゆがんだ蜃気楼を発生させていた。送迎デッキから見える真夏の光景は自然と人工物が作り出した現代文明の幻想なのかもしれない。そこに立つ子供たちは炎天の下、嬉しそうにはしゃぎ、大人たちは汗をかきながら手持ちの携帯電話のカメラを覗いていた。一眼レフを首にかけている者もいる。


 灼熱の外と違い、空調がきいた建物内。平日の日中でありながら、多くの人で賑わう到着口をひとりの美しい男がくぐった。一条悟である。

 


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