剣聖、最後の“仕事” 2


「こんばんは、サトル……」


 娼婦の挨拶は白々しく、そして短かった。


「よォ……」


 応じる悟の端正な顔には余裕が見られる。


「交渉が決裂した以上、こちらは切り札を出す。当然のことだと思わんかね?」


 医師の高笑いが手術室に響いた。


「土壇場のカードが、ハートのクイーンだったとは驚きだ」


 それにこたえる悟の苦笑……


「あたしと寝てれば、死なずにすんだのに……」


 色っぽい目をする娼婦。


「なんなら、今からでも?」


 と、悟。


「遅い!」


「あ、やっぱり?」


 ふたりのやりとりは、これから死闘を繰り広げる者同士とは思えないほどに軽い。通常人とは違う“力”を持つ彼らにとって、危険は常に隣り合わせに位置する存在である。いや、その先にある“死”すらも……


「私は高飛びするよ。受け入れてくれる国など、いくらでもある」


 医師は言った。彼の前に娼婦が立つ。


「名前、教えてくれよ?」


 悟は彼女に訊いた。


「ジェニファー」


「覚えとくよ」


 そう、悟が答えた直後、ジェニファーはタンクトップを脱ぎはじめた。その下にある素肌は日系らしく、こまやかで綺麗なものである。不特定多数の男共の手垢がついた身体とは思えないほどに……


「ねェ、サトル……」


 上半身裸の彼女は目前に立つと、悟の背中に手をまわし、しなだれかかった。医師はすでにいない。裏から逃げたのであろう。


「もう一度きくわ……仕事抜きで、あたしと寝ない? 好きなタイプよ」


 ジェニファーの声は甘く媚びていた。形の良い胸を押しつけ、熱い息を吐いた。


「答えは……“NO”だ」


 悟は拒絶した。


「そう……」


 一瞬のことだった。彼女のスカートが左右に引き裂かれると、体色がどす黒く変質したのだ。背中から伸びた二本の“蔓”が悟の両手首を絡めとり、宙に吊るす。


『残……念ダわ……あナ……タ……を……殺ス……コト二ナル……』


 すでに人の姿ではなくなっているジェニファーは、手術室の天井まで届くほどの一本の“大樹”と化していた。それは黒い樹……身体のほうぼうから生えた枝に漆黒の葉が無数にしげり、いつの間にか床に巨大な根をはっている。一瞬の出来事だった。


「植物性の“人外”か」


 手を縛られ、自由を奪われても、悟の表情は変わらない。いや、ほんの少しくらいはジェニファーという名の娼婦に対し憐憫の目を向けたであろうか?


 人外の存在……


 そう呼ばれる。こことは異なる世界から現れ、心に闇を抱える人間に取り憑く。あの医師は人外を“飼って”いたのだ。この国の法律では、確実に終身刑がくだされる。


『Grrrrrrrrrrrrrrrr……』


 唸りは、幹のあたりから聴こえる。そこが、この樹の顔にあたるのか? 人の声すら失った“彼女”は、蔓で拘束した悟の体を近づけた。


『Gaaar……!』


 おぞましいことに幹から大きな“口”が現れた。牙がある。喰おうというのだ。この、美しい“獲物”を……


 だが、そのとき、悟はスニーカーを履いた右足を蹴りあげた。頭の高さまで到達した爪先から真空の刃が発生し、両手を絡めとっていた蔓を切断した。異能者の力の源である“気”を放出したのだ。


 “本体”を離れた蔓の破片は、飛散し塵へと変わった。蹴りの反動を利用し、後方へとトンボを切った悟は“大樹”から数メートル離れた位置に着地すると、Tシャツの裾に隠していた右腰のホルスターから黒い筒状の“なにか”を取り出した。長さは三十センチほどだろうか? セレクターが付いている。


 その先端から紅い光線が伸びると、直線的な刃と化した。世界的なスーパースターであるこの男の愛刀として有名な真紅の光剣“オーバーテイク”である。

 

  


 

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る