火は揺らめいて、そして消える

郁崎有空

第1話

 匂いと熱の籠もる狭い室内で、わたしは紫織しおりの柔く細い両の手首に手錠を掛ける。手を離すと、給水管に回した鎖がジャラジャラとやかましく鳴った。

「紫織先輩が悪いんですからね」

 スカートのポケットから百円ライターを取り出す。透けた緑のケースを紫織の前へ掲げると、紫織はガムテープ越しの呻きを上げた。

 無煙タバコの流通した現代でこんなものを持ち歩くのは危険人物くらいのものだけれど、「規範に反してこそ青春だ」と信じるのは別にわたしだけではない。同じ年頃の子はみんな、そう信じて日々を過ごす。

 いや、過ごしていた。

「先輩が告げ口チクろうとしたから悪いんです。日々溜まる鬱憤の捌け口を塞ごうとするから。わたしだって心苦しいんですよ」

 火を灯して紫織の前に見せる。ぐらぐらと揺れる焔におののき、逃げ出そうと浮き上がっていた身体を便座に下ろす。

 艶やかで長い黒髪、着崩しのない制服、ムカつくほどに整った顔立ち。こんな浮いた見た目の紫織がキズモノにならず過ごせたのも、わたしが守ってきたからだ。そんなわたし自身が今、紫織をキズモノにしようとしている。

「やっぱり顔はバレますよねぇ……」

 ライターの火を消して、紫織のセーラー服のファスナーを下ろす。身をよじらせて抵抗させられるも、また紫織の眼前にライターを掲げると、観念したように大人しくなった。

 ファスナーを下ろしきり、下着の前ホックを外し、控えめな乳房が身を晒される。こんな時になんだけど、改めてバストは自分の方が勝っていると少し安堵した。

 半裸に晒された紫織の前で、またライターを点け、白く滑らかな胸元に近づける。炙られた痛みのせいか、また一層強く暴れ出した。わたしはそんな紫織へと膝の上に馬乗りになって押さえつけると、胴の肌身を火でなぞっていく。

 紫織はただ声にならない声を上げ続け、瞳が涙で潤ませていた。焦げ跡が線を引いて痛々しく見える。刺青を入れる時は針を熱してやってたらしいけど、今は付け替え可能な彩色カラーパッチを手枷デバイスに埋め込むだけ。話を聞いてて痛そうだったので、さすがにわたしも本物の刺青に手を出す気にはなれなかったが、紫織は今そんな痛みを感じているのだろうか。

 さすがにいたたまれない気持ちになって炙るのをやめ、口のガムテープを剥がす。

 早々に咳き込んで口端から唾液が垂らしたまま、顔を上げてわたしを見つめる。

 呼吸荒く何か言いたげな紫織の表情に、衝動にかられて唇を重ねた。それだけにとどまらず舌を絡めて、体重を乗せて身を押さえつける。もう戻れないから、身も心も壊さなければ気が済まなかった。

 抵抗して舌を噛まれるかと思ったが、案外すんなりと受け入れてくれたのが意外だった。抵抗する気力もないのか、もしくは——。

 唇を静かに離すと、わたしも紫織も呼吸を整える。その妙に色っぽい呼吸と便座の蓋の軋む音だけが、このひどく狭い空間を支配していた。

 先に沈黙を破ったのは紫織だった。

「気は済んだ……?」

 その不自然なほど優しい声で囁かれ、わたしは未だに握っていたライターを落とす。

 わたしを動かし続けていた、色づきはじめたそんな気持ちに気づいてしまった。

「……うん」

 わたしは紫織の焼き跡だらけの身に預け、その肩で顔を覆い隠した。



 どぎつい色合いに性的な女性のイラストがついたホログラム看板をよそに、わたしは黒葉くろばの手を引っ張り急ぎ足で進む。放課後に黒葉に呼び出されて、帰る頃には日が暮れてしまい、この通りだった。

「馬鹿! 身体はヒリヒリするし、ヤバい店もヤバい人も出てきてるし、もう最っ低!」

「すみません先パ——」

「しおり!」

「ごめん紫織ちゃん!」

 わたしは振り返り、申し訳なさそうな黒葉に笑いかける。少し戸惑いながらも、黒葉も笑い返した。

「先パ……紫織ちゃん!」

「何?」

「……わたし、これからどう過ごしていけばいいかな」

 黒葉はこの荒れ果てた街で、憂さを晴らすようにいろいろなものを燃やしてきた。「規範に反してこそ青春」とわたしたちティーン・エイジャーの中で通じ合う認識で、日夜誰かが誰かに誘われアウトローに身を投じる。黒葉はそれに引き込まれ、わたしはそれに反抗した。

 そして、今日のようなことが起こった。

「そうね、まずはライターに代わるものを探すとか? あー、犯罪絡みはみんなダメだよ」

「それは、もう大丈夫」

「え?」

「大丈夫……で、ありたい。あってほしい」

 黒葉はそう言い、照れくさそうに俯いた。黒葉の言うそれが何であるかの確証はない。それでも、わたしは黒葉のそれでありたい。たとえ、ひどく傷つけられたとしても。

「うん、きっとそれで合ってるよ。わたしが保証する」

「……そっか」

「そんじゃ、行こう!」

「そだね」

 わたしは黒葉の手を引いて、夜が更けて腐りきった商店街の景観を過ぎていく。

 荒れ果てたこの街の、この狭い箱庭の中で、わたしたちは人生を決めていく。幾度と離れたわたしたちはきっと見えない糸で結ばれて、もう離れることはない。そう信じたい。

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火は揺らめいて、そして消える 郁崎有空 @monotan_001

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