クロ

 慣れた動作でアプリを起動して、灯りに集まる羽虫よろしく集まった人間たちを捌いて選んで、一晩限りの逢瀬。探しては会い、立てては消しの繰り返し。私も羽虫たちもよくもまあ飽きないものだ。中には同じ名前を何度も見ることもある。懲りずによく応募してくるものだ。私も懲りずに募集してるけど。そんなこんなで、今日も私は誰かを探してる。



 「ただいま」と言うだけ言ってみても、家族の団欒は扉の向こう。わざわざ顔を見せて一言二言会話するのは一種の義務だ。私と愛猫のクロは、少し滑るフローリングを歩いて、いつもどおり自室に引きこもった。いつもどおりコンビニ弁当を争い、奪い奪われの攻防戦を繰り広げるのだ。食事を終えたあとで、今日は遊んで欲しいのかクロが足にまとわりついて低い声でなにか訴えている。靴下越しだがクロの引っ掛けた爪が痛い。


「こーら…あんたも、たまには外へ出かけてみたら?」

 

 クロは室内飼いの家猫だった。なんて冗談を言ってはみたものの、外でこのお猫様がやっていけるとは到底思えない。外には危険がいっぱいだし家の中でのんびり過ごしていて欲しい。家では横柄な態度で振舞っているけど、過去にうっかりドアを開けたままにした玄関にクロが来ちゃったことがあった時はクロは外にビビって自分から出ようとはしなかった。私のうっかりで事故だけど、あの時クロが外に出ちゃわなくて本当に良かった。

 そんな無茶をお言いでないよ飼い主よ、とか言ってるのかな、いや、なんかもっとアレだ。これは見下されている。フンと鼻で笑われたようなそんな顔してる。


 ふてぶてしい態度でかわいい。ふてぶてしくて、お猫様だもの。あらゆる食事は自分のもの!といった態度でふんぞり返って当然の可愛い生き物。たまに喉をゴロゴロ鳴らして撫でてもいいのよとおなかを見せる。撫でている最中に急に怒ったりもする。棚の上に置いていたインテリアも、棚がクロの通り道になってからは置いてない。気分がコロコロ変わる、厄介でとても可愛い生き物だ。お猫様だもの。仕方ない。かわいいから、大好きだから、お猫様でいいの。私には、懐いていると勘違いでもいいから思っていたい。私はクロが大好きなの。


 クロは私をどう思っていたかわからない。もしかしたら世話の焼ける大きな猫とでも思われているのかな。それともクロ自身が自分のこと人間だと思っているのかな。

 他の家族が出かける時は体を横たえて微動だにしないくせに、私が出かける時は起き上がって近寄ってきて、お見送りをしてくれた。私が帰宅すれば廊下の奥から走って駆けてきて、別に待っていたわけじゃないんだからね、ご飯が欲しいだけなんだからねと言わんばかりに餌を強請るのだ。


 私はそんなクロが大好きだ。


 夜は私のベッドの上で当然のように眠った。ベッドのいい場所を空けろ、そのでかい図体をどけろとグイグイ頭突きをする。痛い。私のベッドのはずなのに。

 普段のクロは、家の中を見回り、窓辺から外を警戒しては観察し小鳥の羽音に興奮してカカカと口を鳴らす。たまに入ってくる虫に興奮して意気揚々と捕らえたりする。

 遊ぶ時は全力だ、私は腕がもっとあったらよかったなと思うこともあった。もっと腕があったらクロの全力に疲れずに応じることができたかもしれないからだ。


 餌は私が学校へ行く前と、置き餌のカリカリと、私が帰宅してからの3回。私じゃない他の家族が居る時にはキッチンでねだることはないらしく、ねだるのはいつも私の食事だった。あまり高い声では鳴かず、おねだりの時だけの高い鳴き声。普段はなーうと低い声で私を誘う。帰宅した私の足音や物音を察知して、窓辺から降りて玄関へ私を迎えてくれる。


「なーう」 


 低い声でいつものように鳴いて足元へ擦り寄ってくる。階段を上がるには邪魔くさくて危なっかしい。けれど幸せの重みだ。

 部屋に入れば食事をねだり、それが終われば私のベッドでくつろいだ。クロはお風呂が嫌いだったけれど、私がシャワーを浴びていると浴室のガラス越しにクロの姿が見えていた。小さな前足で扉を叩き、体全体で体当たりをしてくる困ったやつなんだ。濡れた姿で出て行くといつもよりひときわうるさく鳴いていた。

 それは日常の一コマで、クロが寿命を迎えるまでの日々を繰り返し繰り返し大切に過ごしていくのだ。

 クロがいれば私は幸せ。他の何がなくても幸せだ。だからずっと一緒にいてね、クロ。大好きだよ。


***


 ある日、帰宅するとクロが玄関で眠っていた。クロの毛皮には見覚えのある黒い水と黒い線。おかしいな、どこで見たんだっけ。たしか…あれは夢だったはず。夢で見た黒い水と黒い線がクロの体に絡みついている。これはなんだっけ。

 クロは黒猫なんだから黒い線が絡みついていても不思議じゃない、そうでしょう?

 そうだよね。


 母親から「後でゴミ捨てに行ってきてね」と袋を渡された。私は「わかった」と了承してガチガチに固まった黒い何かを何重にもしたゴミ袋に入れた。それはとても重かった。ゴミ捨て場にそれを持っていって返ってくるそれだけのことなのになんだかすごく辛くて涙がぼろぼろこぼれた。私は何をしているんだろう。私は何をさせられているんだろう。これはなんだろう。これは、この重さは一体なんだろう。

 私がいない間に何があったのだろう───



 ───なーう



 足元からクロの声がした。私は帰ってきたんだった。クロはいつもどおり私の足元で鳴いている。ああ、よかった。そこにいたんだね。クロ。



「こんなとこで寝てたらダメよ、上においで」


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