家・1

 虹色に明滅するLEDに気付いて、アプリを開く。いつものように誰とも知らない相手と、メッセージを交換する。慣れた動作。単調な日々の動作。お決まりの文句を並べ立てて、見知らぬ誰かを待つ作業。暇があれば作業に勤しむ。誰かも知らない不特定多数からのメッセージを受信して、画面に通知が埋まっていく。密かに静かに、単調に繰り返される僅かな鳴動。虹色に点滅し続けるLEDライト。軽薄で薄っぺらなことをしているのに、虹色がただただ鮮やかに明滅している。きれいだ。


 学校からの帰り道、コンビニでサンドイッチの棚から一つ選んで紙パックの野菜ジュースを買った。夕方を過ぎて夜が来る少し前。夕焼けと夜の空の合間の時間、赤紫色に染められた空の下、私は家に帰る。


 帰宅すると今日も家族は賑やかだった。何をしているんだか、母親は賑やかな声を上げていて、父親は妹とソファに座って見ているテレビ番組について話しているようだった。「ただいまー」といった私の声に、「おかえり」と返されて、それから「今日は何をしたの」だとか「楽しかった?」だとか質問されたけど、私ははいはいと適当に返事をした。リビングを通り過ぎてキッチンへ足を向ける。


 チリンチリンと鈴を鳴らせて、たしたしと可愛い足音をさせて、背後から近づいて来るのは、愛猫のクロだ。その名前の通り真っ黒な黒猫だ。毛並みは柔らかくビロードのようになめらか…なんてことは特になく、普通の黒猫だ。血統書もない、近所からもらってきた雑種だ。ビニール袋の中身を自分の食事だと勘違いしたのか、そうに違いないと思っているのか、さも当然のように足元にまとわりついて餌をねだってくる。


「うわっ……っと、危ないって……私が転んだらクロが怪我しちゃうんだからね」


 頬を膨らませてそんなことを言いながら、一人プラス一匹はキッチンへたどり着いた。トマトとハムとチーズを挟んだサンドイッチ。数分オーブンで焼いてちょっととろけたチーズとあたたかいトマトとハムの塩気。トマトの果汁が手から滴り落ちそうになり慌てて口で受け止める。うん、おいしい。焼き上がったサンドイッチを手に自室への階段を登る。チーズを求めて、にゃあにゃあと鳴いているクロもついてくる。


 階段を一段登るごとに、リビングの賑やかさから離れられて気が休まる。

階下では賑やかな家族の話し声。いつもの風景。いつもの単調な日常。

 扉一枚隔てた向こう側と、私とクロのいるこちら側とではまるで温度が違っているみたい。

 向こう側は暖かいはずだけれど、私にはなぜだか煩わしく感じて避けている。私が反抗期なのかもしれない。家族のはずなのに他人行儀に「彼ら」と読んで線引きした。同じ部屋にいるのがきつくて、だから私はいつも階を隔てたこちら側にいる。

 こちら側は安全だ。誰も私を害さない。大丈夫。自分に言い聞かせる。クロが皿の上のサンドイッチを前足でちょいちょいと引き寄せようとしている姿を横目で見て、私は笑った。ここは安全な場所だ。



 サンドイッチを口に頬張りつつ、クロとちいさな攻防戦。机には登らないまでも、ジャンプして皿を狙うチャレンジ精神と、猫圧に気圧されて、チーズをほんのひとかけ奪われた。奪われる前にと慌てて口に放り込んだ。

 口がいっぱいだ。うっ…。紙パックの口を開けて、ジュースを流し込む。ふう。のどが詰まるかと思った。


 落ち着いたところで、テレビのスイッチを入れた。一拍おいて27インチのテレビ画面が明るくなった。保険のCMが流れ出した。食事が終わったことでクロはこちらへ興味をなくしたらしく、私のベッドの上を堂々と陣取っている。これがお猫様よ…。

 ああもう可愛いったらないな。手のひらを伸ばすと耳をパタンと畳んでナデナデを享受してくれる。ああかわいい。私の癒やし。あたたかく獣臭い。ブラッシング好きなクロはしきりにブラッシングをねだるので毛並みはいつもサラサラで毛玉もない。かわいいやつめ。生き物の匂いだ。存分に撫でくりまわしてお腹を吸いに行けばクロはおとなしくされるがままでいてくれた。ゴロゴロと喉を鳴らして悠々自適なお猫様だ。


 ひとしきり猫吸いしたあと、スマホを開けば、相変わらず小さな画面が通知が埋まる。アプリを起動して、たくさんひしめくレスから、会った人や選ばなかった人を削除する。指先一つで消される名前。簡単なものである。名前を失った存在は消えて記憶にも残らない。もとから誰とも知り合わなかったように消え失せる。なんだか笑えた。


 TVのニュースが今日も人が死んだと伝えている。賑やかなことだ。元気が良すぎてよくない。繁華街で誰と誰が口論したとか、どこそこの交差点で交通事故が起こったとか、近所トラブルで道路が通行不可能になって役所の職員が出動しただとか、ラブホテルで誰かが死んだとか。


「やーね物騒」


 指先一つボタンを押せばニュースから歌番組に、チャンネルが変わった。流行りの曲が部屋に流れる。便利な世の中だ。携帯やテレビがない時代なんて、私は知らないけど。


 指先一つでアプリを開いてメッセージ交換。今日も私は同じ動作を繰り返す。


 次はもっといい人に当たるといいな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る