繰り返し、繰り返し
───なーう
ざりざりとした感触が手を撫ぜるのを感じて、私は目を覚ました。今日は何日だったっけ。何曜日だったっけ。カレンダーを見てもピンと来なくて、スマホをつけて確認する。
あの日、ゴミ袋をゴミ捨て場に捨てに行ったあの日、私はなんだかすごく疲れてすぐに寝てしまった。起きても、足元はふわふわして、およそ現実感がなく、けれども起きた時にクロが変わらずそこにいて私を見ていたから、「あれはきっと悪い夢だったんだな」と思った。
そうして、記憶が曖昧なまま、日常を繰り返して、季節は夏になっていた。
ベッドからはみ出した私の腕を舌で撫ぜるのは、食事を要求するクロだ。少し寝坊したらしく、食事が遅いぞと怒られているらしかった。あくびをしながら、起床した私は、顔を洗い歯を磨いた。それからキッチンの脇の廊下の行き止まりの場所にある、クロの餌場で水を替え、白い陶器の猫柄の、クロ専用の餌皿にカリカリを入れる。箱から餌皿へ注がれるカリカリの音に、クロは嬉しそうに近寄ってきた。
私は、カリカリを食べるのに忙しいクロの背中を数回撫でて、学校へ行く準備をした。ハンガーにかけた半袖のセーラー服に袖を通す。ゴムと金具で留めるだけのリボンを付け、通学用のカバンを斜めがけして、それから家を出た。
七月になっても、私の生活は変わらなかった。学校と家への往復の中で、暇があればマッチングを繰り返した。家に帰れば、なんだか肌寒く居心地が悪いままだった。
ああ、でも少し変わったことがあったっけ。廊下の奥や影からたまに灰がかった手が伸びている。家の中に蜘蛛の巣みたいに天井を這う黒い線が見えるようになっていた。だけど、それらの影の中で
学校が終わると、制服のまま例のホテル街に足を伸ばした。相手を探してホテル街で待ち合わせする他、私はその周辺を散策することも好きでよく来ている。
ホテル街のある街の、駅を挟んだ反対側の道だ。飲食店(といってもその多くは飲み屋だったけど)が立ち並ぶ道を歩く。ホテル街が近いから、スーツを着た会社員や主婦に混じって、風俗店にいるっぽい女性たちも行き交っている。大抵は、男性と連れ立っている。まだ夕方と呼ぶには明るい時間だったけど、営みに時間は関係ないらしい。
とある飲食店の裏にある小さな公園で休憩しつつ、アプリを開いてメッセージがきていないかと確認する。野良猫がこちらを見つけて餌をねだって鳴きながら近寄ってくる。近所のコンビニで買った猫缶の中身を割り箸で紙皿に開けて置いてやると、野良猫は鳴くのをやめてがふがふ言いながら食べ出した。野良猫に餌付けをするのはよくないと思いつつ、この猫は近隣住民からも餌をもらっているらしくよく人馴れしていた。カラになった空き缶の中に水を入れてやり水を飲ませていると待ち合わせ時間が近づいた。やばい。急いで後片付けをしていると、公園に賑やかにおしゃべりしながらおじさんたちが歩いてやってきた。
私は今日も、繰り返し一夜の相手を探しているが、別に一夜限りの相手を探しているわけではない。本当なら、何回でも会いたいし、何回でも遊びたい。だけど、私の愛を堪えられる相手には出会えず、大抵は「こんなことなら会わなかった」などと言われて、それきりになってしまっていた。
一人、以前からメッセージ交換を続けていたものの、何かと理由をつけて会わないでいた人がいる。珍しく会話が弾んだ相手だ。会って終わりにしてしまうのがなんだかもったいなく思って、会えずにいる。
スマホのメッセージを見つめながら、考え事をしていると、そこへ裏の飲み屋から出てきたおじさん数人が、そぞろ歩いて公園へやってきたようだ。まだ手に缶ビールを持っていて赤ら顔のおじさんたちは、周囲の雑踏にも負けない声で会話をしている。聞こうとしなくとも、聞こえてくる会話に気を散らされて、私はスマホから顔を上げた。
「まーた、ホテルで滅多刺しだってよ」
「例の犯人、またやったのか」
「らしいな…お嬢ちゃんたちが『使えるホテルが減っちゃって困るわー』って」
「気持ち悪い声出すんじゃねえよ」
おじさんたちが話すように、連日、TVのニュースは「今日もラブホテルで人が死んだ」と伝えていた。殺され方が異様で、且つ連続的に起こっていることから、センセーショナルに報道も過激化している。
私が今いる公園の周辺にも報道陣が取材に来ているらしい。それでも立ち並ぶホテルや飲食店が開店を自粛しないのは、誰もが「自分だけは関係ない」と思っているからだろうか。
おじさんたちはその場で飲み直すことにしたようで、どっかりと腰を落ち着けている。
待ち合わせ時間になった私は急いで待ち合わせ場所である駅前へ向かう。
それにしても連続殺人事件とは、この街も物騒である。この街にももちろん学校はあるし、住民もいる。駅から見える範囲には幼稚園や中学校もある。人の暮らしがある。連続殺人事件と人々の暮らしが同じ場所に存在しているなんてぞっとする。
夕焼けで赤く焼けた空は、真っ赤で大きくて世界が青と紫と赤と橙のマーブルに染められていてとても綺麗だ。私は空を見上げてどこか肌寒く感じた。夏なのに変だね。
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