第7話_ある彼女の時間_4

 もしあったら参加するのはやめて後ろに控えていようと思っていたけれど、ブーケトスそのものがなかった。

 なければないで、未婚の私たちに配慮されたのだろうか、などと考えてしまい、勝手に一人で心のなかに重たいものを抱えた。


 新郎の赴任先、九州で執り行われた結婚式は、さすがに同期の大部分が参加すらできなかった。多くはすでに結婚し、子を育てている。一人の式のためだけに飛行機に乗って遠くまで行くことは難しい。

 だから必然、式の参加者のうち、大学の同期は男性か、もしくは私のように今も独身のままの女性陣が多かった。

 新婦は綺麗だった。大学のサークルの同期、私と同い年。一度は別れた彼氏を追いかけ、取りもどした末にゴールインした彼女は、吹っ切れたみたいで、とびきりさわやかな笑顔だった。


 夕方に式と披露宴は終わり、翌日に出勤を控えているという新郎に配慮して二次会は行われなかった。私たち女性陣はそのまま駅近くの居酒屋で自主的な二次会を開催した。少し意外だったのは、そこに新婦も同席していたことだった。


「彼とはこれから毎日嫌でも一緒に居るんだから、普段会えないあんたたちを優先するのが当然でしょ」


 そう言った新婦は早々にドレスを脱いで、式場の前で私たちを待っていた。礼装の私たちに対して、新婦は早くもジーンズにブラウスのラフな姿に戻っていた。そんなところが新婦らしい、変わらないなと私は思った。


 気心の知れた女同士なら話にも遠慮はない。今までどんな男と付き合ってきたのかから、どんな方法で性生活を充実させているかにいたるまで、ヘアメイクにドレス姿でおしゃべりに華を咲かせた。


 誰かの男遍歴の話をしているあいだ、私の耳はふと店内を流れる有線放送へと傾いた。女性アイドルグループの曲で、いつだかのトップセールスの曲だった。

 片耳で友人の出会いの話を聞きながら、もう片方の耳でアイドルの歌詞を捕まえる。十代二十代のアイドルたちは、別れの哀しさの向こうに希望と成長を見出していた。


 ――私は。

 私は成長できるのだろうか。――否、まだ成長するために時間を費やさなくてはいけないのか。

 もう時間なんて、そんなに残されていないのが真実なんじゃないのか。

 集まった女たちの中で、いまだ「過程」の話を繰り返しながら、この先のことを考えてそら恐ろしくなった。


「ねえ、で、あんたはどうなの!」

「えっ」


 新婦から突然話を振られて、私は意識のフォーカスを友人たちのところへ戻す。


「もう。だから最近どうなのって話。就職して彼と別れて、いろいろあって不倫を清算して、そのあと」

「そのあとは……」


 頭の中にあの「駅」の出来事が蘇る。


「なにかあったわね」


 新婦が射貫くような目でこちらを見て、それに追従するように残りの友人たちも興味津々といった目でこちらを見た。

 ああ、この魔女め――

 自然にそう思ってから、思い出す。そう、新婦はその洞察力の異常な鋭さから、同期に魔女と呼ばれて恐れられていたのだった。

 そうして、私は洗いざらいを話すことを余儀なくされた。


「会いなさいよ!」

「そうだよ! さっき式にもいたじゃない!」


 話が終わった直後の友人たちの第一声がそれだった。


「でも」

「今更元サヤを恥ずかしがってられるような年齢でもないでしょ! 聞いたら別れたのだってフェードアウトみたいなものだって言ってたじゃない。べつに性格が合わなかったとかそういうことじゃないでしょ? 彼だってまだ一人なんだし、住んでる場所だって近くになったんだから」


 新婦のマシンガントークは続く。彼女はこの場では強者だ。もともとの性格に加えて、いまは既婚者という肩書も手に入れている。怖いものなし。


「よし」新婦は決意に満ちた表情で言う。「あんた彼と今から会いなさい。そんで一戦やってこい」

「ちょっと!」


 話が飛躍して、私は思わず大きな声をあげた。新婦はすでに恐るべき速さでなにかをフリック入力している。画面のデザインから、SNSだと思われた。


「ホテルだって予約しちゃってるんだし」

「会って泊まることになったらもともと予約してたホテルのキャンセル料はあたし持つ」


 ぴしゃりと言われて私は口ごもる。


「それに」新婦はひとつタップして、そしてスマートフォンの操作をやめた。なにかが送信されてしまったらしい。「別に、体の相性が悪かったってわけじゃないんでしょ?」

「っ……」

「大事なことよ? とっかえの利かないパーツなんだから。そこからはじめなおせばいいじゃない。潔癖な女子中学生でもあるまいに」


 新婦の言葉に周りの友人たちが追従する。全員容赦がない。

 容赦がないから、ざくざく刺さる。友人たちが、多少強引にでも私の背中を押そうとしてくれていることが。

 感謝なんかさせないで、退路を塞ごうとしてくれていることが。


「ちょうどこの辺には神田って名前の駅があるの。東京の神田とは似ても似つかないけどねー、シャレがきいてていいでしょ? いま男たちの二次会面子の一人に計画のメッセージ送ったから、あんたが今から神田に行って彼と再会できたら、あとは行くところまで行け。いなかったらそのまま元のホテルに泊まればいい。それでどう?」

「……それ、誰もいなかったらみじめね」

「まだここで呑んでるから、フられたら戻ってきなさいな。ほら!」

「魔女め!」


 精一杯悪態をついてやる。強引に押し出すように席から追い出されて、私は仕方なく荷物をまとめて、抵抗のつもりで千円札を三枚テーブルにたたきつけると、同期たちの声に背中を押されて居酒屋を出た。

 店内にはまた同じ曲が繰り返し流れていて、私とは一回りも歳の離れた少女たちが、別れは過程であると歌い続けていた。



 そうして、私は新婦に指示された通りに市電に乗り込んだ。

 レールの上を走る市電の窓から外を眺める。

 私自身のいまの状況も、なんだかレールの上を走っているみたいだと、アルコールですこしだけぼやけた頭で考えた。


 市電を降りると。

 そこには。

 ああ。

 困惑した表情の彼が、立ち尽くしていた。


 披露宴のあいだもずっと意識しないように努めていた彼の顔を見て、私は思う。

 こんな、偶然でも周到に用意された悪戯でもない、杜撰なお膳立てが許されるだろうか。


 私は自分の中に生まれた感情が諦めなのか喜びなのか悲しみなのかぜんぜん判別がつかないまま、顔だけなんとか笑顔を作ろうと努力しながら、市電の駅のサインを指さした。


 私は考える。

 現実の人間関係は、一対一じゃない。かならず誰かの意図の介入がある。

 無数の電車のダイヤが、緻密に組み合わされて、スムーズな乗り換えが成立するように。

 運命も人の意図の介入を受けて、偶然は必然に組み替えられていく。

 そのくらいの歴史と人間関係を、連ねてきてしまっている。

 私も。

 彼も。


 彼は緊張をほどいて、片手をあげて、私に笑顔を見せた。

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