第5話_ある彼女の時間_3
「うん……うん……」つばを飲んだ。「……わかった。……それじゃあ」
携帯電話を持っていた腕を降ろす。
一緒になんだか体中の力も抜けてしまって、私はカーペットの上に座り込んだ。
きっとこれで良かったのだと思う。
別れを告げられても、思ったより気持ちは動かなかった。
悩んでいたことが、ひとつ終わったんだな、という感覚。
ふぅっと深く息を吐いて、開いたままのノートパソコンをスリープから解除して、操作する。
彼が帰ったとき、いつも再生していた曲があった。
すこし迷ってから、曲名をダブルクリックして、再生をはじめる。
もう何度も何度も繰り返しきいた曲をBGMに、私は部屋の絨毯にクリーナーをかける。チリや埃に混じって、私のではない短い髪の毛がいくつも付着した。
曲の中の女の子は私とは逆で。
彼女のほうが見送られる側で。
メールや電話の回数が減ったことを気にしていて。
会えないことに切ない寂しさを抱いていて。
恋人のことを、好きで好きで仕方なくて、泣いている。
私も泣いていた。
いつのまにか、歌の中のような気持ちを失ってしまったことに。
彼が苦し紛れについた嘘の指摘もしないで、午前の電車で義務的に送って。
メールや電話の回数が減っても、感覚を麻痺させていて。
会えないことに慣れきっていて。
この曲を再生することが単なる習慣になって。
恋人のことを、いつのまにか好きと思えなくなったことに、泣いていた。
どうして。あんなに瑞々しくて、きらきらした気持ちを持っていたはずなのに。
今は、それが消えてしまっている。
その喪失が、どうしてかたまらなく悲しかった。
クリーナーが粘着力を失って、私はクリーナーのフィルムを剥がして、ベッドの脇においたゴミ箱を引きよせた。
ゴミ箱の中には、彼との昨日の行為の残骸が残っていた。
ピンク色の薄い膜に遮られて、どこにもたどり着けない種の袋が三つ。
「……っ」
急に感情の波が押し寄せて、私はカーペットの上にぼろぼろ涙をこぼした。
流していた曲がクライマックスにたどり着く。
私はクリーナーを放り投げて、ゴミ箱の底に手を突っ込む。
「せめてティッシュに包むくらい、しなさいよっ! っこのっ!」
つまみ上げたものを、剥がしたクリーナーのフィルムで乱暴につつんで、もう一度ゴミ箱に叩き込んだ。
「くっつく、じゃないっ」
喉がつまる。
「あ、あぁ、あ、ぁぁぁぁぁぁぁぁ……」
曲が終わっても、まだ声をあげて泣いていた。
彼と別れたことではなく。
もうきっと、歌の中のような恋をすることがないことを確信している自分に。
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