第4話_ある彼の時間_2

 眩しさを感じて、浅い眠りから覚めて、目を開ける。

 陽の光が直接顔にあたっていた。

 日曜日の午前中の新幹線、旅行シーズンでもないので利用者はそう多くなく、自由席にもかなりの余裕があった。

 カーテンを半分ほど閉めて、顔に直接日光が当たらないように調節する。

 窓際に置いていた飲みかけの缶ビールをとると、やや炭酸が抜け、ぬるくなっていた。

 ほかに飲み物を持っているでもなく、ひとくち含む。

 ぬるくなったビールは思った以上に不快だった。



 大変だぞ、できるだけ近くにいろ、と遠距離恋愛経験者の同僚は言っていた。

 大学を出て就職し、仕事に慣れたころに言い渡された辞令で勤務地が変わった。

 学生時代から付き合っていた彼女とは遠距離恋愛になった。

 いまどき、女性だってキャリアを考える。

 引っ越すからついてきて結婚してくれ、なんてむしろ時代に反している。今はネットだってある。遠距離でもどうにでもなる。

 そう思って、経験者のアドバイスは歯牙にもかけなかった。


 結果、彼女との精神的な距離は徐々に開いた。

 物理的な距離の開きを、精神的な距離が遅れて追いかけているかのようだった。

 電話やメールでの些細な口論が増えた。

 反比例するように、電話やメールそのものが減った。

 それでも、決定的な危機を抱えていたわけではないと思っていた。

 そう思うことで、現実から目を背けようと思っていたのかもしれない。

 遠距離恋愛経験者の同僚は先日、職場の後輩とゴールインしていた。



 土曜日の朝イチ、新幹線で彼女のところまで行き、おおよそ三十六時間を過ごして帰宅する。交通費だってバカにならない。ひと月かふた月に一度の逢瀬だった。

 今回、ついに往路で溜息をついている自分に気づいた。

 現地について、改札で出迎えてくれた彼女と手を繋いだ瞬間はそれでも多少は高まったが、出会った当初の情熱を大幅に失っている自分に気づいてしまった。

 とはいえ、起こる欲求は起こる。

 学生時代を含めて何度行ったかわからない店を冷やかし、外で昼食と夕食を済ませて、彼女の家に戻り、シャワーを浴びた後は続けて二回戦。

 翌朝目覚めて、そのまま流れでもう一回。

 おたがいに私服に着替えたあと、彼女は乱れた髪もそのままに、両手をだらりと下げて、ぽつりと言った。

 なんだか、このために逢ったみたいになっちゃったね。

 なにも気の利いた事を返せず、結局、明日の朝が早朝出勤なので休んでおきたいと嘘をついて、午前中のうちに彼女と別れ帰路についた。



 車内販売のワゴンがきたので、アイスコーヒーを注文する。飲みかけのビールは廃棄してもらうことにした。

 アイスコーヒーを煽る。カフェインは睡眠不足の頭に程よく刺さった。


 身体が目的で逢いに行ったわけではない。それは断言できる。でも、それをゼロにしても逢えるかと自分に問いかけたとき、答えは出せなかった。

 仕方ないだろう、精神と肉体は切り離せないのだから。

 長いあいだ満たされなければ、溜まる。溜まれば起こる欲求がある。

 逆に、まったくそういうことがなかったとして、彼女はそれで、一カ月ぶりの逢瀬に、相手からまったく求められなくて、満足か?

 潔癖な女子中学生でもあるまいに。

 つまるところ、彼女からそういう言葉が出て、自分がそれに何も返せなかったことが、そのまま答えなのだ。


 乗降口へ続くドア上部にある液晶表示をぼんやりと眺める。液晶はゆったりとニュースを流していたが、やがてそれが中断された。

 メロディが流れて、降りるべき駅に近づいたことを知らせてくれる。

 国民的男性アイドルユニットの歌う曲のメロディだ。

 ――溜息をついた。

 大志を抱け。

 いま自分が抱くべき志はなんだろうか?

 冒険者、勇者。いいだろう。なろうじゃないか。

 ただし、いまの自分は昨晩から今朝にかけて欲求のすべてを吐きだし終えた賢者だ。

 その賢者に勇気を出せってことだよな。


 下卑た責任転嫁をしている自分を自覚して、顔が醜く歪んだ笑みを作った。硝子に反射した情けない自分の顔を頭に刻み付ける。

 まぁ、と口に出しながら、荷物をまとめる。

 新幹線が停車し、ホームへと降りた。


「きっと、前に進むって、ことだろう」


 ホームの端で、携帯電話を取りだす。

 アドレス帳から彼女の番号を選び、コールする。

 これから切り出す話は、未来に進むためのものだと自分に言い聞かせながら。

 コール音は、四度目の途中で遮られた。

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