第2話_ある彼女の時間_1
愛想笑いするみたいに、身体を揺らしている。
退室まではあと二十数分。エンディングテーマの代わりに、と彼が最後にカラオケの機械に入れた曲は、九分以上ある、ポップスとしてはかなり長い曲だった。
歌詞の中で歌われる時代は、私が生きてきた時代とは十年以上時代がずれている。どちらかといえば、私の両親や、もしくはテレビでたまにやっている過去を懐かしむような企画、そういうところで知った知識ばっかりだ。
彼は、それをさぞ楽しそうに歌っていた。
私ほどではないとはいえ、彼にとってもすこし離れた時代を歌った歌だと思うのだけれど。
同じ男性だから、思うところがあるのかもしれないと私は想像する。
彼は歌い続ける。
私は複雑な気分でそれを見ていた。
私はこの歌を知っていた。私が大学生から社会人になりたてのころに大好きだったバラエティ番組の企画で出たCDで、この曲がカバーされていたから。
あのころはピンとこなかったけれど、CDは全体をなんども繰り返して聞いたから、この曲は私の新入社員時代の思い出のメロディのひとつでもある。
まだ汚れていない、一生懸命でまっすぐだったあの頃の。
生きていれば人は汚れる。綺麗なままの人間なんて、きっといやしない。後ろ暗いことのないまま生きるなんてことは、ありえない。もし、たとえば一生を箱入り娘のように生き、綺麗なままで人生を終えたとして、そんなのが人間の人生だなんてことは、私は認めたくない。
認めたくない、そう思う心こそが、私がもう汚れていることの証でもあり、でもそれを飲み込んで、お腹の中に溜めたまま生きて行けることが、歌で言えば歌詞の行間に閉じ込めてしまうことが、大人になるってことなのだと思う。
彼の歌う歌の物語はどんどん進んでいく。私の人生は、前に進めているだろうか?
歌詞に釣られて、気持ちが過去へと飛ぶ。大学生のころに付き合っていた人がいた。長い時間を過ごした。映画を観たり、音楽を聞いたり、寝食を共にしたり。彼が私の終着点だと思っていた時期も、確かにあった。
でも、それは違った。
では、いま私の目のまえにいる彼は、私の終着点だろうか?
考えてすぐ、自嘲気味に笑う。
終着点だなんてこと、あり得ない。この関係は行間の関係だ。
顔は微笑みを保ちながら、私は彼の横顔をじっと見つめる。
ねえ、覚えてる?
その歌詞の続き。その歌の主人公には妻子があることを。
――あなたと、おなじに。
心の底がうずく。
退室の前に髪を直したかったけれど、私はその場にとどまった。
悟られないように小さく深呼吸して、私はひとつの決心をする。
この関係はもう終えなくちゃならない。
そして、私は行間じゃない、私の歌詞を紡ごう。
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※この章については 陽野ひまわり様の”駅(ひまわりver.)”の設定を参考にさせていただきました。
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