第13話

 カイルの背がざわりと粟立つ。

「…聞いたことがある。ケルベロスに属する者はそのランクに応じ、それぞれの位を示す色をかんした腕環を与えられるって。〝レス〟の一本から〝マスターオブマスター〟までの七連。一見すると普通の腕環と変わりないけれど、精霊の光に当てると影にケルベロスの紋章が現れるって…」

「悪趣味な趣向だ」

 トキは薄く笑う。

 その手首に見えたもの。

「マスターオブマスターの中でもただ一人、何も描かれてないブックのページから精霊を呼び出せる人がいるって。その称号は」

 ブランク・マスター。

 カイルはブックを手にしているトキの左腕を摑んだ。

 そこにあったのは、に連なる腕環。

「八連の、腕輪…」

 腕を強く摑まれたトキは、わずかに眉をしかめたものの、カイルの手を振り払うことはなかった。

「持つのは、おれだけだ」

 その声は自慢でも不遜ふそんでもなく、どこか寂しげで、カイルは思わず腕を離した。

 机に置いた明かりが、部屋の壁にケルベロスの影を映し出し、ゆらりと揺れる。


 まさかワットも、これほどまでの大物を釣り上げたとは思ってもいなかっただろう。

 スカウトとは違うという彼の勘はある意味当たっていたが、別の意味では大ハズレだ。

「…ブランク・マスターなんて、嘘っぱちだと思っていた」

「おれにとっては残念ながら、現実だ」

 淡々とトキは言う。

「残念…?いやそれよりも、どうしてそんな奴が俺のところに来たんだよ」

 頭の奥で警鐘が鳴る。

「お前、ケルベロスに頼まれて来たのか!?絵師のスカウトなら、誰であろうとお断りだぞ。俺はブックには関わらないと決めている!」

 カイルの激しい口調にも、トキは気にする様子なく続ける。

「絵師はブックに携わる者にとって財産だ。スカウターの動きは組織や版元の内でも秘密裏に進められるもので個人とはまったく関係ないし、おれがお前を見つけられたのもほんの偶然だ。…と言ったところで信じられないだろうな。とりあえず、一度として名を耳にしたことのないお前が、絵師になるのを断っているくらいは予想していた。だがおれは、お前こそがおれの力になると、あのサラマンダーに遭って確信した」


「…俺には関係ない話だ」

 カイルには絶対に手がけられない理由があった。

 それを知るのは、世界にただ一人だけだ。

「俺より絵が上手い奴なんて、絵師の中にはたくさんいるだろう。第一、白紙じゃなくなったらお前のブランク・マスターの称号はどうするんだ」

「別に。利用できるからこそ甘んじているが、本当のところ称号などどうでもいい」

「どうでもいい?」

 トキは小さく笑う。

 この少年は、ブックマスターの頂点に立つ栄誉を受けておきながら、それさえ無意味だとでも言うのだろうか。

「おれにとっては、精霊を描くのが上手いだけでは他と同じだ。おれの心や絵師自身の心を映し、さらけ出し、新たに世界を築き上げられるような奴でなければ意味がない」

 心を、さらけ出す?

 己の魂を写し込むように、創造と想像の翼をぎりぎりまで広げ、絵師たちがえがいてきたもの、それこそがブックマスターを支える力になる精霊だ。

 ブランク・マスターの称号を得ている彼はそれらのものさえ必要とせず、白紙のブックを用いているのだろうに…なぜ自分に絵を描けなどと望むのか。

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