第10話

「聞いてくれ、金貨四百枚だよ!!」

「…は?」

 とにかく店に寄ってくれ。

 出かけている間に訪れたらしいワットが、家の扉にメッセージを残していたのを読み、画廊に顔を出したカイルは己の耳を疑った。

「値段を聞くわけでも、交渉をするわけでもなく、いきなりその金額を言ってきたんだよ」


 絵師の作ともなると破格な値もつくが、ウィードを冠していてもブックを手掛けることのないカイルの絵は、署名も〝K〟としか記していない。

 どれほど描いたところで、ほとんどが画廊において最低の設定金額である、金貨十から数十枚程度だった。

「そんな大金を置いてくなんて、もしかしてブック関連の人じゃないの?」

 渋い表情を浮かべたカイルの背を、ワットは遠慮なく叩く。

「心配するな、そんな空気はなかった。それよりもその少年な、絵がいくらかを尋ねて来るならともかくも、口を開いた途端にこれでどうだときたんだ!それがまた何とも言えない迫力のある子でねぇ。勿論、お前の絵を評価してくれるなら、私には断る理由もなかったしな」

 ワットから金貨の入った袋を見せられ、カイルは喜びよりも困惑を覚える。

「ええと…確か今、三枚置いてもらってたと思うけど、どの絵がそんな金額で?」

「六日前、母親の誕生日にとカラヴィンカの絵を求めた青年に一枚。五日前に、フィルギアのいる風景を買っていった夫婦で一枚。今回のはあれだよ、夕暮れの断崖で哭くサラマンダー。私が閃いた人間にだけ渡してくれって、お前さんが再三言っていたやつだ」

 カイルは驚きに目を見開いた。

「まさか、あれを…しかも子どもが?」

「せいぜい十二、三歳ってとこだな。あの絵の前に立ってその少年、ずうっとそこから動かなかった」

 興奮気味に話し続けるワットの耳に、まさか気づいたわけはないよな、カイルのぼそりとした呟きは届かなかった。


「そういえば、すぐにでも持ち帰りたいと言うから、絵を包んでいる間がな…、なんか変な感じだったんだよな」

「変って、その子が?」

「いや、そういうわけじゃない。その子がまだ駄目だとかなんとか、よく聞き取れないことを言ったんだが、その時絵の中のサラマンダーが動いたような気がしたんだよ…なぁ」

「それ、いくらなんでも興奮しすぎでしょ」

 本人ですら半信半疑の尻すぼみな言葉にカイルが苦笑すると、ワットはそれもそうだと大口を開けて笑った。

「でも、あの絵をそんなに気に入ってくれた子がいたなんて。俺も直接話してみたかったよ」

「そうだよな。今度来たときは必ず捕まえてやるさ。どこぞの御曹司が、カイルの腕を見初めたのかもしれないだろ!」

 ありゃあ、お前さえ望むならいいパトロンになってくれるぞ。同じ人物にはできる限り売らないでくれ、そう伝えているカイルの意向など忘れ、ワットは嬉しそうに笑った。


 少年は、どんなことを思ってあの絵を見てくれていたのだろう。

 たとえ会えていたとしても、何も問えはしなかったとわかってはいるけれど。

 笑みを浮かべながらも、心には普段のカイルから想像もつかぬ暗い思いを宿していた。


 どれほど絵が好きであっても、許されぬことはある。

 ウィードの名をかんするにふさわしくないと知っているからこそ、こうしてカイルはブックの絵師にもならず、宙ぶらりんな生き方を続けているのだ。

 己の名の呪縛から、少しでも遠ざかるために。



「あんた、カイル・ラスタウィードか?」

いつものように画帳を脇に抱え、町を歩いていた際に呼び留められた。

それが低めでつややかな滅法心地のいい声だったので、こんな音も画面に描き出せたならばいいのになどと、さもしい考えを抱きながら振り向けば、そこには美しい青年の姿…ではなく、予想外にも少年が立っていた。

「ええと、どこかで会ったこと、あったかな?」

尋ねてはみたものの、まったく見覚えのない顔である。

「いいや。会うのは初めてだ」

少年は肩を竦めると、やはりものすごくいい声で、お前からあの絵と同じ匂いがしたと口にした。

「キミ、もしかして…」

数日前に、金貨四百枚を落としたとんでもない子どもか?口をすべらせそうになり、慌てて飲み込む。

「お前の絵に興味があってな。さきほど画廊に、アトリエを見せてもらえないかと頼みに行ったところなんだ。良ければ近々見学させてはもらえないだろうか」

なるほど、ワットの表現はあながち間違いではなかった。

幼さを残した雰囲気には似つかわしくないほど、少年は大人びた笑みを浮かべた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る