第3話

 そんなユーリをアルファザード夫妻は咎めるわけでもなく、むしろ喜んでいた。


 今思えば、いずれ彼らはトキをのこして先に逝くことを案じていたのかもしれない。

 トキが屋敷に引き取られてから二年後、アルファザード家当主の妻、イリスが亡くなった際、ユーリは初めて小さなあるじの嘆きを耳にした。

「去りゆく者を、いつもおれは見ていることしかできないのだな」

 

 それは、囁くような誰にともない呟きではあった。

 だが、一人が好きだという言葉も、付きまとうユーリに対し迷惑そうな顔を見せていたのも、すべてがいつまた大切な者を失うかわからぬと恐れるトキの、身を守る術であったと気づいた。

 その時からユーリにとって、トキこそが守りたいものであり、ただ友として傍らにあり続けようと思うようになった。

 そしてトキの叔父、館の主であるシルヴァ・アルファザードが、その一年後に病で息を引き取った頃には、トキの隣にユーリの姿があることは当たり前となっていた。


 あれから数年が過ぎ、オルガに出会った。

 彼女と歩いて行きたい、だが、トキの側を離れたくない。ユーリの中に二つの矛盾する思いが生まれた。

 この一年余り、ユーリが時折どこかへと出かけてゆくようになったのを、トキも両親も気づいていたはずだが、何を言われることもなかった。

 トキの側を離れるつもりはない。

 だが、オルガと暮らすことになれば、少なくとも今のようにいつでも傍らにあることなどできない。

 どうすればいいのか…狭間で揺れていたユーリが、オルガの存在を打ち明けようと思ったのは、たとえ家族の誰が反対したとしても、トキにだけは彼女を認めてもらいたかったがゆえだった。

「…トキ。紹介したい人がいるんだ。明日の祭りの後、連れてきてもいいだろうか」

「なんだお前、ようやく話す気になったのか」

「え?」

「どうせおれの側を離れるのは嫌だなどと、つまらんことを案じていたのだろう。いい加減つつこうかと、アレンとシーラに話していたところだったんだが、手間が省けたな」

 噂をしていたことまで持ち出し、ユーリを大いに慌てさせたものだった。


「どこにいたって、何をしていたって今更おれとお前は変わらん。それともユーリ、これを機にお役御免と逃げ出すつもりだったか?」

 ユーリの葛藤かっとうなど物ともせずにあっさりとそう言い、聡明な主は笑った。

 幼いながらも、誰より強く聡明なユーリのマスター。

 こんな時、彼がここにいてくれたなら…

「ユーリ!!」

 オルガの声に我に返る。

ほうけている場合じゃないぞ。できることはないのか一緒に考えろ!」

 時折、同じ状況にあったならば、トキならばそう言うだろうそのままの言葉が、オルガの口から出るのを聞いて驚くことがある。

「…ごめん」

 そうだ。今は思い出に浸っている場合ではない。

 ユーリは再び宙に浮かぶものへと思いを凝らした。

 はっきりと伝わる、暗い意思。

 この町にいた人々は紙や挿画へと姿を変え、あの中に閉じ込められていった。


 ああ、やはりこれは…ブックなのだな。

 今この町で起こっていることを理解すると同時に、かつてトキがブックマスターとなった日に話していたことを思い出していた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る