第2話

 早くに両親を失い、弟との生活を支えるために軍人になったオルガは、言葉遣いこそ軍仕込みで男勝りだが、りんとした容姿そのままの強く優しい人だった。

 出会いは一年半ほど前、市場で起こった小競こぜり合いの仲裁に入った彼女が腕を負傷し、たまたまその場に居合わせたユーリが、手当をしたことがきっかけだった。

 傷自体はそう深くはなかったものの、治りにくい場所だけに痕が残るかもしれない、そう言ったユーリに礼を言いながら、肩を竦めた彼女はなんでもないことのように笑った。

「気遣いありがとう。だが、傷くらいどうってことはない。皆を守るのが私の仕事だから」

 さばさばと答える彼女の姿に、ユーリの心は揺れた。

「…けれど、万一痕が残るようなことになっては仕事に差しさわる。傷に良く効く薬をお届けします。どこに行けば会えますか?」

 とっさにそんなことを口にしたのは、もう一度彼女に会う口実を作りたかったからだった…と思う。

「今週はいちの見回りを任されている。明日もここに来るよ」

 そう言ってオルガは、はにかんだ笑顔を見せた。


 互いに一目ぼれだった。

 自治国と言えど、ランディスは広い。端から端まで移動するとなると、馬でもかなりの時間がかかる。軍属のオルガは、宰相の警護や国境間の防衛へと派遣されることも多く、共に居られる時間は少なかった。

 それでも、たまの彼女の休日には会う約束を交わすようになるまで、そう時はかからなかった。


 対するユーリは、アレン、シーラの両親と共にアルファザード家で暮らす使用人である。

 とはいえあるじのトキとは親友でもあり、主従関係の縛りは皆無と言っていい。

 両親を亡くし、アルファザードの叔父夫婦に五歳で引き取られたトキは、ユーリよりも遥かに年下であるにもかかわらず、大人びた少年だった。

 幼い子どもならぐずるような身の回り一切をこなし、手をわずらわせることもほとんどなかった。

「おれはひとりがすきなんだ」

 そんな風に舌足らずな言葉でそう言った幼いトキを、ユーリはなぜか放っておけず、トキの行く先々にことごとく付いて回った。

「おまえのしつこさは、どこからくるんだ?」

 義父母に対しては子どもらしさを見せるものの、トキはユーリが傍にいることに対し、いつも迷惑げな顔を見せていた。



 この世界には、ブックマスターと呼ばれる者たちがいる。

 彼らは〝ブック〟と呼ばれる本に描かれた精霊を召喚し、使役する魔術師である。

 実の父親が、ブックマスターたちの使役する本にき込まれている鉱石、レイジアの採掘者であった影響か、トキは幼い頃からブックに親しんでいた。

 本来ならば、アカデミーで正式に学んで会得えとくするはずの様々な精霊たちを、トキは屋敷に引き取られてきた頃には既に召喚することができた。


 絵本が似合う年齢にもかかわらず、小さな体には不釣り合いな大きいブックを抱えたトキが、屋敷の庭に出ては精霊を呼び出す姿をユーリは傍らでいつも見守った。

「もしユーリに弟がいたら、さぞかし弟ばなれができない兄になっていただろうな」

 自ら習いたいと言い出した剣術以外、トキはもっぱら書を好み、屋敷に来て一年足らずで、驚くほど言葉達者になっていた。

 トキからどれほど生意気な口調で揶揄やゆされても、ユーリはただにこにこと笑って離れなかった。

 初めは、子どもである彼を守らなければという気持ちが強かったと思う。

 だが、トキが生み出す美しい精霊の姿を見るうちに、少年がブックに寄せる思いに含まれたものが、人のように脆くは失われぬ存在であることへの、安堵であると気づいた。

 幼くして肉親を亡くしたトキは、容易たやすく失われないものへの憧憬しょうけいを、精霊たちに重ねていたのだ。


 切なくも愛おしい、小さな主の思い。

 以来、アルファザード家への敬愛はそのままに、いつしかユーリはトキを己のただ一人のあるじであると思うようになっていた。

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