ブランク・マスター

マサキチ

【零章】ユーリ

第1話

「助けてくれ!!」

「どうして町から出られないの!?」

 いつでも人でにぎわっているエイオスの噴水広場は、三年に一度の祭りのために立てられた色とりどりの店の間を逃げ惑う人々で溢れ返り、明るい町にはそぐわない、阿鼻叫喚の光景が繰り広げられていた。


 はじめは、目の前で起こっていることの意味がわからなかった。

 けれど理解するのに時間がかかっただけで、ユーリには見えていた。

 幾度となく天空より、常人には見えぬ不可視の〝つち〟が振り下ろされ、目の前で人が、次々にひとひらの紙片へと変えられてゆくその様が。

「…ミョルニルの、槌…」

 呻くように漏らす。

 それが一体、どのような力を持つのかまでは知らない。

 だが、かつて一度だけ聞いたことがある。ミョルニルとは禁断の邪法であり、開けてはならぬパンドラの箱であると。


 槌に打たれたある者は象牙色の紙片へと姿を変え、ある者はとりどりの色彩となり、静かに舞い上がる。

「こんなこと…許されない」

 差し伸べる手は誰をも救うことなく空を摑み、祭りに訪れていた者たちはユーリの目の前で次々と消えて行った。

 人々が変じた紙片は宙で集まり、少しずつ紙の、ページの様相を成してゆく。

 ゆるやかにつづられてゆく、二組の紙束。

 ちらりとひるがえった紙片に見えたものは、ユーリの無二の親友が、片時も離さぬ本に描かれている挿画と良く似ていた。

 一つには様々な挿画が添えられている。

 だがもう片方には何も描かれることないまま、挿画を伴ったものよりもはるかに厚みを増して行く。


 あれは、なのか。

 宙に浮かぶまっさらな‶それ″からは、手にした者の生命さえ食らいつくすほどの、凄まじい力が溢れているのがわかった。

 その時、視界に飛び込んできたひとつの影。

「せめて子どもだけでもと思っていたのに…町から出る術など、どこにも見つけられなかった」

 目に涙を浮かべた彼女は、そう言って唇を噛みしめる。


 自治国ランディス宰相のようする、正規軍所属のオルガ。

 そして薬師のユーリ。

「僕も…何もできなかったよ」

 混乱のさなかに怪我を負った者の手当てに奔走していたが、誰もが槌の力に打たれ、消えて行った。

「ユーリ、お前のせいじゃない」

 オルガの腕が伸び、目を伏せたユーリの頭を抱きしめる。背に回した腕に力を込めると、安堵の息が耳に届いた。


 おそらく二人がこうしていられるのは、オルガは軍から授けられた洗礼のおかげであり、ユーリはあの誰よりも強い力を持つ親友からもらった、鉱石『レイジア』の宿るナイフに守られているからだろう。

 だがそれも、どれほど持つものかはわからない。


 しばらく前から、逃げ惑う者たちの声は聞こえなくなっていた。

 多分もう、時間はない。


 見上げる視線の先には、宙に浮かぶ二つの表紙なき紙の束が静かにあった。

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