10

 たいようの園の玄関を出ると、既に日は落ちきっていた。民家は外から見れば硬い箱。しかし、中からは外の景色が見渡せる。都会に似合わない星空と、そこに浮かぶ街灯ドローンの姿まで。

 魁人は振り返り、頭を下げる。

「それじゃあ、これで失礼します。すみません……その、不躾ぶしつけなことばかり」

「いえ……こちらこそ、なんとお詫びすればいいやら……ほら、謝んなさい」

 謝るダイタに背中をたたかれ、幼い男児がバツ悪そうに目を逸らす。少年は魁人をちらちら上目遣いで眺めると、蚊の鳴くような声を出した。

「……ごめんなさい」

「ん。いいブローだったよ」

 スーツの腹を押さえて魁人は苦笑。ダイタが泣き崩れたすぐあと、突撃してきた様子見していた少年達に攻撃を受けた。率先して打ち込まれた彼の拳は、改造無しの魁人の腹を深くえぐった。すぐにダイタが止めてくれたが。

 うつむく少年に笑いかけ、魁人は硬い顔でダイタに向き合う。 

「それよりダイタさん、お話してくれたことはありがたく思います。けど、良かったんですか? 話ならインターホンで越しでも……」

 ダイタは泣きらした目を丸くし、ついで優しげに相好そうごうを崩した。

「ああ……私ったら、すっかり抜けてました」

 半ば諦念めいて首を振る。

「でも、いいんです。もう疲れました……うちの施設も、そろそろたたむつもりでしたし」

 返す言葉もなく、魁人は黙った。体験の凄惨せいさんさは、当初の錯乱ぶりと顔面の医療パッチが示す通りなのだろう。加えて、預かる児童の差し押さえ。少年がダイタを悲しげに見上げる。

「先生……」

「大丈夫よ。せめて、あなた達だけは守るから」

 ダイタに微笑みかけられ、少年はくちびるを噛む。すがるような眼差しを向けてきた。

「ねえ兄ちゃん。悪い人じゃないんでしょ? カメ、タイホしてくれよ!」

「……亀?」

 片眉を動かす魁人に、少年は早口でまくし立て出す。

「うち、でっかいカメがいるんだ。うちに来る悪いやつら、いっつもそいつ見てなんか言ってる。金がどうとか、ウチノシャインとか。あのカメ、悪いやつの仲間なんだよ!」

「ちょっと……!」

 ダイタが屈み、少年の肩をつかんで無理矢理向き合う。両肩をつかまれたまま、少年は強く出た。

「大丈夫だって! あいつ朝から寝てるし、兄ちゃんもいんだよ!? 今なら……」

「駄目」

 真剣な声が熱弁を止めた。少年の澄んだ瞳を真っ直ぐ見つめ、ダイタは言い聞かせるように言う。

「駄目よ。あの亀さんいじめて怪我したのを忘れたの?」

 少年が言葉を詰まらせ、ズボンを握る。その顔が徐々に歪み、赤くなっていく。

「だって……」

 小さくうめき、しゃくり出した。両の腕で目をこすり、押し殺すように泣き始める。

「だって、オレもうやだよ……先生ぶたれんの見てらんないよ……みんな、みんな連れてかれて、もう戻ってこないんでしょ? それに、先生まで……オレ、やだよぉ……」

 言葉を失い、目を泳がせるダイタ。それらを一部始終に耳を傾け、沈黙していた魁人は、おもむろに言う。

「ダイタさん。彼と話しても?」

「え? えぇ……ほら。しゃんとしなさい」

 背を叩かれた少年の前に屈みこむ。涙で歪んだ幼い顔に、魁人はゆっくり問いかけた。

「なあ君。その亀のこと、詳しく教えてくれるかい」

 少年は手の間から、れぼったい目をのぞかせる。

「……言ったら、タイホしてくれる?」

 すがるような問いに、首を振る。

「悪いけど、動物は逮捕できない。でも、君の言う、悪い奴らを捕まえられれば、その亀はもう動かなくなる。みんなが危ない目に遭うこともない」

「……本当に?」

「本当」

 しばし見つめ合った後、少年は手で大きく楕円形だえんけいを描く。涙でれた声ながら、落ち着いてきた語調で語り出した。

「あいつ……こんなでっかいカメなんだけど、背中に四角い板があるんだ。難しい字とゼロがいっぱい書いてあって。そんで、目ん玉とか変なんだ。えっと……あと、変形すんの。横から銃でて、バキュンって。悪いやつの声も出んだよ」

 話を聞きつつダイタに目配せ。沈痛な面持ちでうなずく彼女に目で謝礼し、少年の頭をでる。

「わかった。ありがとうな」

「うん。……兄ちゃん、つかまえてくれんだよね?」

「約束だ」

 ぐしぐしと髪をかき混ぜて立ち上がり、ダイタの方へ向き直る。

「ダイタさん。そのカメが来てから、何か使えなくなったものってありますか?」

「それなら、電話が。あれが来てからどこにもつながらなくて……それに、外に出ようとすると、門が勝手に閉じるんです。いつもはインターホンも鳴らないんですが、今日に限っては、なぜか……」

 話の途中で視界端をちらりと確認。くっきり浮いたマイクアイコンの下、カウントアップする録音時間に余裕があるのを確かめてから、ポケットに手を突っ込んだ。

「ありがとうございます。最後にひとつ」

 手早くお辞儀し、四つ折りにした紙を差し出す。魁人宛ての、あの赤い折り紙を。直後、ダイタと少年の目が大きく見開く。

「……! あの……もしかしてこれ、折り鶴でしたか」

「はい。何か、ご存知ですか」

 魁人が問うと、ダイタは手を空中に滑らせる。間もなく受信した画像データをセキリュティチェック抜きでオープン。すぐに開かれたそれは、少女のバストアップ写真であった。

「その子がよく、作っていたんです。赤い折り紙で、折り鶴をたくさん。他のも作っていましたけど、一番多いのが折り鶴で……ヴァムフィムの子で、ヒルビスと言います。うちでは、年長のほうでした」

「ヒルビス……」

 復唱し、画像を注視。紫の髪をシニヨンにまとめた、謎めいた瞳の少女に覚えはない。知人に似ているわけでもない。当然、名前にもだ。

 画像を二回タップ、右フリックしてデータバンクに格納すると、ダイタの複雑な表情が飛び込んだ。

「失礼ですが、その子は?」

 ダイタはもごもごと口を動かし、足に目を落とす。隣の少年も、気まずそうにズボンをつまむ。数秒そうしたのち、ダイタは言い辛そうにつぶやいた。

「昨日の夜、連れていかれました。あの男……潮流ファイナンスに……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る