08

「どうぞ……」

「ああ、すみません」

 置かれた湯呑ゆのみを手に取り、魁人は湯気を立てる中身をすする。昆布茶こぶちゃを一口飲んでテーブルに戻すと、向かい側に座った園長を見た。

 魁人をむかえ入れたのは、ダイタという中年女性であった。小太りで、いかにも包容力のありそうな人物なのだが、顔は頬と鼻のパッチ型ガーゼにほとんど隠されている。ダイタはセルフレームの眼鏡を上げてまなじりこする。

「先ほどはお見苦しいところを……申し訳ありません」

「いえ、そんな。こちらこそ、無理に押しかけてしまったみたいで」

 涙をぬぐうダイタから少し視線をずらす。応接間の扉に、心配そうな顔で張りつく子供達。年齢に多少のばらつきはあるが、全員男児だ。園内に入って短いが、女児を一人も見ていない。

 いきなりきな臭くなってきた。怪しい雲行きを感じる魁人に、ダイタは控えめに切り出した。

「それでその、先のことなんですが……」

「ん、はい。この人ですね」

 逸れかけた意識を引き戻し、羽黒の写真を再び投影。事件の内容をかいつまんで説明する。

 弁護士事務所の殲滅と、配備された防衛機構にも引っかからない殺人犯。現状手がかりが全くないため、顧客のうち何度も相談に訪れている者から当たっていること。要点をまとめて聞かせると、ダイタは沈痛そうな面持ちで謝罪した。

「そう、だったんですか……すみません、急に取り乱したりして」

「いえ。ただ、今は手探りの状態なものですから。何か、心当たりなどがあれば聞かせて下さい」

 真っ直ぐ見据え、問いかける。電子的・対人的にブラックボックスになりつつある現在でも、手がかりは常に人にある。一挙手一投足を逃さない心づもりで向き合うと、園長はうつむき加減でぼそぼそと言う。

「私は何も知りません。ですが……」

「ですが?」

 ダイタの目じりに涙がにじむ。

「殺したい人は、たくさんいると思います……殺されて当然なんです! あんな人……!」

 強く口にするなり、ダイタはしゃくり上げ出した。背を丸め、膝にしずくを落とす姿に、魁人は少し目を泳がせる。胸の奥底に走る、釣り針で引かれるような痛み。昇ってくる感傷を押し込め、首を振る。今は、仕事中だ。

「ダイタさん。辛いことをお聞きすると思います。何があったか、教えて頂けませんか」

 ダイタが震えながら顔を上げた。鼻のパッチガーゼに広がる赤い染み。どうにか平常を取り戻した彼女は、自分の昆布茶を飲んで息を吸う。

「……うちは元々、企業援助を受けて運営していました」

「将来性確保制度、ですね」

 魁人の相槌あいづちにダイタがうなづく。

 将来性確保制度とは、企業が養護施設の援助する代わり、そこの子供を働き手として雇えるという制度のことだ。多額の金が必要になるが、会社は善性の証明や雇用が楽になり、施設の孤児は普通の子供と同じ暮らしができる。

 だが、当然デメリットも存在する。

「お金を出してくれたのはちゃんとした企業だったんです。社長もとてもいい人で……でも、半年ほど前に破産してしまって……首が、回らなくなってしまったんです」

 ビジネススカートのすそが握られた。歯がかちかちと鳴り、再び顔が下を向く。

「市の援助は受けていましたけど、それでは足りなくて……それで、その……」

「羽黒弁護士事務所に、相談に行った」

「ええ……」

 ダイタの表情が歪むのを、気配で察する。

「最初は、いい人だと思ったんです。親身に話を聞いてくれて、具体的な解決策に子供達の将来設計までしてくれました。新しく援助してくれる企業も見つかって、これで大丈夫だって……でも、違ったんです……」

 裾を握りしめる指が魁人の方へスワイプされた。視界に飛んでくる文書のマークをキャッチし、スキャンを実行。ウイルスの類がないのを確認して開いたそれは、名刺のデータだ。

「潮流ファイナンス……?」

「はい。わらにもすがる思いで、その日の内に行きました。そしたら、すぐに援助してくるって。契約書も確かめて……」

 続くデータをウイルス検査スキップで開封。長ったらしい条項の末尾にはダイタの署名と指紋しもん印鑑いんかんしてある。毎月百万の支援金と引き換えに、所属孤児のスカウト権をもらう。内容はおおむねそんなところだ。

 ざっと契約書を読み終えた魁人の前で、ダイタは自分の顔を覆った。腰かけていた椅子からずり落ち、せきを切ったように泣き出した。

「それで、一ヶ月ぐらいした頃に、借金の取り立てだって言って押しかけてきたんです! 抗議したら、サインしたのと違う契約書を出してきて、子供達にも暴力振るって……! あるもの盗って行って、また来るから金を用意しろって……! そんなことがっ……何度も……っ!」

「ダイタさん!」

 さっと寄り、ダイタのそばに屈みこむ。気づいているのかいないのか、涙の告白は止まらない。

「そのことで相談しに行ったら、門前払いされました! 電話しても全然つないでくれなくて、やっとつながったと思ったらあの人! あそこは正当な会社だからあり得ないって……裁判じゃ負けるから払えって、笑いながら言ったんですよ!」

 泣きじゃくる園長の隣で、魁人は奥歯を噛みしめた。

 契約書と署名の偽造は、デジタル媒体が主流になってから度々取りざたされる問題のひとつだ。法規制・対応を日に日に厳しくされていながら、幾度も繰り返し起こる。契約ないし署名は、それだけで膨大な利益を生み出すからだ。

「全部、全部知ってたんです……知ってて私のこと……その後来たとき、警察呼ぶって言ったら、ぞろぞろ警察の人を連れて来て、目の前で、賄賂わいろ渡して……」

「ダイタさん」

 もう一度名を呼び、肩に手を置く。見上げてくるダイタに緩く首を振って湯呑を渡すと、彼女は一口昆布茶をすすり、れた声で呟いた。

「きっと、私の他にもやられた人はいると思います。みんな、きっとあの人のこと恨んでる……恨まれて当然なんです。バチが当たったんですよ……」

 零れ出る暗い言葉に、魁人は黙って目を伏せた。

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