07

「ねえ、倉島さん。やっぱり帰っちゃだめ?」

「駄目だと思う」

 周囲を不安げに見まわすはるに、魁人は嫌な汗をいて答える。

 地下鉄を降りて三十分。ARナビを頼ってやって来たのは、夕日に暮れる住宅街。なのだが、防犯目的の高い壁が並んでいる家々をすっぽり隠しているせいで、かなり迷路じみている。しかも、壁が夕日まで隠すせいでかなり暗い。

 安心できないのか、華が魁人のスーツをつかむ。

「……ほんとの、ほんとに大丈夫? 絶対おかしいって」

「変な事にはならない、と思いたい」

 都会より狭い空を見上げ、溜め息を吐く。

 犯罪が急激な凶悪化・ハイテク化に触発されたことにより、一般住宅のセキュリティは極限まで高まった。具体的には、外壁を立て、天井にフタをしたのだ。

 二人の両サイドに詰められた、目のないサイコロじみた形の建築物には継ぎ目も隙間も見当たらない。辛うじてインターホンのあるあたりが玄関だろうと予想は着くが、ダミーの可能性がある以上やはりはっきりとはしない。足元を照らす街灯ドローンを現実逃避めいて数えながら、魁人は首を振った。

「むしろ、ここの方が怖い。住宅街巡回が罰ゲーム扱いされる理由、身に染みてわかるよ」

「何言ってるの! そうじゃないでしょ!」

 華は苛立ったように首を振る。うなじに触れ、空中をせわしなくタップし魁人にフリック。視界の端に点滅する文書データを開くと、文字列が上から下へ流れ始めた。展開したのは、データの表だ。

「倉島さんが呼ばれたところ、死んだ弁護士さんのお客さんなんでしょ? それで、そこに向かってて、ええっと……」

「偶然にしては出来過ぎてるって?」

「そう!」

 地下鉄の駅を出て十五分ほどした頃のこと。二人の元に、ヒグロのメールが送られてきた。件名は追加の顧客情報。ここ二ヶ月以内に三回以上金の相談に来た客の情報をピックアップしたものを、表にまとめてくれたのだと言う。

 無駄にするなとの追記をもらいつつ黙読するうち、表に見覚えのある名前を見つけた。養護施設たいようの園……折り紙に記されていた、養護施設の名前であった。

「絶対おかしいって! なんで今のタイミングで……」

「華。言いたいことはわかるけど、落ち着いてくれ」

 早口の幼女をなだめ、情報を整理する。

「おかしいってのは重々承知だ。でも普通、折り紙で手紙を渡したりしないし、ましてここは無駄セキュリティの住宅街。何か仕掛けるのは無理だ。あと、一応簡単に調べたけど、施設はまだ運営中。責任者の顔写真もあった」

「……嘘じゃないの?」

「ない。昨日きのう、収容児童の登録更新が申請されてて、別の養護施設に受け入れが申請されてた。ただ、金の相談しに行ってるから……まぁ、たたむつもりではあるんだろうけど」

 すらすら言うと、華は疑わしげな顔で小首をかしげた。

「なんで閉める前に人呼ぶの? 倉島さん、呼ばれる覚えないんでしょ?」

「それは……送り主に聞かないと、なんとも。他にも俺の名前とか、どうやって送ったとか、色々聞きたいことあるし」

「そもそも、なんで倉島さんなのか、とかね」

 ものにもよるが、匿名とくめいのメッセージは高確率で逆探知される。

 名を伏せるということは、名を知られると不都合だということで、そういう人は大概たいがい犯罪の渦中かちゅうにいると言っていい。

 そういう意味で、折り紙の件はかなり異質だ。アナログで、人伝ひとづてに、用件もなしに、国家機密レベルで守られた機動隊員を名指しで呼び出す。しかも指定の養護施設は惨殺ざんさつされた弁護士と三度に渡って金の相談。……偶然だろうか。

「せめて別のくらしまかいと様を呼んでて、俺のとこに来たのは偶然、とかなら嬉しいんだけど」

「そっちの方がないと思う」

「そうだよな……っと、ここだ」

 拡張現実の矢印が、前から左に方向転換。壁の一区画が赤いドットで塗りつぶされた。インターホンと思しきパネルの下に、真鍮色しんちゅういろのプレートが見える。

「さて。じゃ、いつも通り行きますか」

「……はーい。倉島さん、しくじらないでよ?」

「言ってくれるな」

 憎まれ口をたたき、華はうなじに触れた。直後にその矮躯わいくがまたたく間に消失。軽く肩をすくめる魁人は、左手を少し操作し身だしなみを整える。巻かれる発条ぜんまいめいた緊張感を胸に、インターホンに指を伸ばした。

「鬼が出るか蛇が出るか、と」

 おどけるようにつぶやき、『PUSH』表示をタップする。

 PIN‐PONG。呼び出し音が道に反響。意外と大きな音に思わず首を縮めて待つこと数秒、パネルの『PUSH』が『REC』に代わり、くぐもった誰何すいかを発した。

『……はい、どちらさまでしょうか』

「あ、すみません。たいようの園の方でしょうか」

『はい、そうですが』

 答えをもらうと同時に、左掌ひだりてのひらをかざす。電子警察手帳を投影し、やや低い声で口を開いた。

「警察です。夜分やぶんにすみませんが、少しお話をうかがえませんか」

『警察……』

 インターホンが居心地悪く黙り込む。このご時世、珍しく電子加工されない声から察するに、相手は恐らく中年女性。スタッフか、あるいは園長だろうか。心なしか、声が暗い。

 ややあって、押し殺すような震え声が返ってくる。

『……一体、なんの御用でしょうか』

「こちらの養護施設、羽黒弁護士事務所に相談なされていますよね。この方、ご存知ですか」

 電子警察手帳を眼鏡の男の写真に変えた。かっちりしたスーツ姿を着こなした、羽黒はぐろいずるのバストアップだ。刹那せつな漏れ出た息をむ音を、魁人は聞き逃さなかった。

『知りません』

「本当ですか。よく見てください」

 魁人の詰め寄るような言葉に、女性は激情に任せて叫んだ。

『知らないって言ってるじゃないですか! 帰ってください!』

 GANG! 硬いものを叩く音がインターホンを震わせる。少し間を置いて、ガンガンと殴打が続く。だが、通話は途切れない。魁人は、華にハックされたパネルに顔を近づけた。

「そちらがこの人の事務所に、金銭での相談に行ったのはわかってるんです。知っていることを」

『知りません! 知りませんッ!』

 連続の殴打音に、涙声。切れないインターホンに、打ちつけるような悲鳴。

『私からお金を……子供達を奪って、これ以上何をしようって言うんですか! 帰ってくださいっ!』

 魁人は目を見開いた。奪った。お金に、子供達。思考に怪しい単語がしおりめいて差し込まれる。脳に血が巡る感覚を味わう中、ガンと一際大きな音が響く。後を追う、やまびこめいたすすり泣き。

『もう払えるものなんてないのに……どうしろって言うんですか……あぁぁぁぁぁ……!』

 女性の声が遠くなり、年端もいかない子供の声が聞こえてきた。隣でそわそわする気配。

 わかってる。魁人は無言でうなずき、葉木吹の教えを思い出す。

(いいか。もし相手が錯乱したら、疲れるまで待て。静かになったら、ゆっくり、用件だけをはっきり言え。誠意を持って、優しくな)

 初仕事の折り仕込まれた、聞きこみのメソッド。二度深呼吸し、重く、語る。

「落ち着いて。今朝、この人が、死にました。聞き込みを、させてください」

 深く息を吸う。持ちうる誠意を詰めて、吐き出す。

「大丈夫。俺達は、味方です」

『…………』

 静まり返る住宅街。一分過ぎ、二分が過ぎ、耳鳴りが聞こえてきた頃。PPP、と小さな電子音が『REC』表示を『OPEN』に変えた。

 継ぎ目のない壁に四角い切れ込みが入り、開かれる隠し扉。横長の建物と、少し遠い玄関を目に、魁人は改めて気を引き締める。

 今回の仕事は、どうやら相当ハードらしい。

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