03

 予鈴のチャイムが講師の話に水を差す。黒板モニタに大写しされた図面と居並ぶ生徒を一瞬見比べ、機甲技術解剖学担当の教授は不機嫌そうに手を打った。

「じゃあ今日はここまで。宿題はー……そうだな、エーテルエンジンと水素エンジン、あと核エンジンの共通点を挙げて、どれが二足歩行型ロボットに組み込めるかを三千文字以内で書いて来い。期限は来週の授業チャイムまで。出さなきゃ0点。はい解散ー」

 口早に言ってさっさと出ていってしまう教師。視界スケジュール帳に宿題をまとめる魁人に、近場の男子が不安げに声をかけてくる。

「なぁカイト。宿題、なんつってた?」

「聞いてなかったのか……」

 呆れ半分で魁人が言うと、彼は不満げに口を曲げた。よだれすじがわずかに残る口の端を。

「だってあの先生むっちゃ早口じゃん。聞き取り辛えんだよ!」

「わかるよ。たまに板書追い付かないしね。……けどさ、居眠りしといてそれはなぁー」

「ね、寝てねえって!」

 弁解する男子に、立ちつつ口の端をつついて見せる。口をこする彼のタイムラインに課題内容を送ってやり、魁人は人波に乗って教室を出た。

 殺伐さつばつとした深夜から打って変わっておだやかな午後。詐称年齢さしょうねんれい二十一、実年齢十九の魁人は、東京とうきょう外技術がいぎじゅつ工業大学こうぎょうだいがくの一年生という肩書きも持つ。手元にあの竹刀はない。片目に浮かぶ予定を確かめながら、魁人は窓から空を見上げる。

 西暦2477年。ヴァムフィムなる宇宙人と接触して二世紀、地球の内外で様々なことが起こった。

 急速な技術革新に始まり、小国同士の大戦争、火星や海底への移民、人工太陽の生成と故障によるだいかんばつ。いくつもの国がほろび、人種を問わず多くの人々が死んだ一方で、日本はアメリカとう同盟国と団結してその全てを乗り切り、荒廃したアフリカやヨーロッパの一部を復興。今に至るまで、変わらぬ経済を生きてきた。

 荒廃ゼロ。緑豊かで食糧補給も万全。理想郷と言われるようになった日本だが、その実緻密ちみつ底深そこぶかい犯罪が日夜うごめく。魁人自身、その深淵しんえんめいた闇に捕まり……大事なものと引き換えに、今とあの竹刀を手にした。

「んっ?」

 ぼうっとレポート文をって歩く魁人の脳を、鳩時計はとどけいめいたサウンドがたたいた。左手に浮いた着信通知をタップすると、視界に短い本文と葉木吹の名。

『暇な者は送った住所の場所に来ること』

 添付てんぷされたマップデータには、人型のマークで魁人の現在地が、下矢印で目的地がそれぞれ示されている。指示された場所は荒川区の一角だ。中央区の大学からはそう遠くはないが、この後は四限五限と必修科目が詰め込まれている。魁人はメッセージを閉じ、次の教室へ向かう。

 非常時以外学業優先と言われた以上、サボタージュは基本不可。文面を見るに、せいぜい手が空くなら手伝え程度でそれほど深刻ではないらしい。自分の出る幕はないだろう。

 顛末てんまつは後で聞けばいい。スケジュールに新たな予定を書き加え、魁人は頭を切り替えた。


 一分後。荒川区某所で、葉木吹は物々しい雰囲気に包まれたビルを見上げていた。地上から屋上までを箱状におおうのは、ホログラム製の黄色いテープ。表面を流れる『KEEP OUT』の黒い字が、ありめいてたかる野次馬を威圧的に睥睨へいげいしていた。

「やれやれ。昼間っからコレかよ」

 ぼやきつつ、部下五人にメッセージを飛ばした葉木吹はテープの結界に触れる。野次馬バリアを幻影のようにすり抜けた彼に、機械顎きかいあごの男が一瞥いちべつをくれた。

「よぉハギ。腰折って遠出してご苦労なこったなァ」

「何時間ぶりだな、マガラダ。お前さんこそ、えらくあしばしてんだろう。県またいでなかったか?」

「わかりきったこと聞きやがって……」

 葉木吹が混ぜっ返すように言うと、マガラダは苦虫を噛み潰したような顔をする。

「人足りねえからって呼ばれたんだよ。ここ担当のがドンパチやってオペ中なんだと」

「願ったりだろ。マタ仲間と残業代が増える」

「増えてたまるか」

 軽口を叩きながらも、葉木吹はビルに足を踏み入れる。六階建ての雑居ビルは、フロア全てがひとつの会社のものらしい。入り口のホロスクリーンには『羽黒法律事務所』と表示され、各フロアにある担当部署を案内している。

「で、ガイシャは」

「四十七。頭からケツまで、社長以下全員だよ」

 逐一ちくいち出現する焦げ茶の階段を登り、最上階へ向かっていく。途中、慌ただしく移動する鑑識かんしきや、廊下ろうかに転がる警備ドローンの残骸などを捉えながら登り切ると、靴裏が柔らかい床に沈んだ。をふかふかした赤い絨毯じゅうたんの先に、隙間すきまなく貼り巡らされたホロテープ。

「先言っとくぜ。この階に便所はねえ」

「脅してくれるな」

 レッドカーペットの道を足早に過ぎ、テープの壁をすり抜ける。途端とたん、葉木吹の嗅覚を強烈な血の臭いが刺激した。

 テープの向こうは、アラベスク模様の絨毯を敷き詰めた、瀟洒しょうしゃな広い空間だ。右にファイルで満たした書棚、左は通りを一望できる一面のガラス窓。中央には柔らかな毛皮のソファーが設置され、テーブルの中には金魚が泳ぐ。

 そして、入り口の真反対。入室者を待ち受ける巨大な風景画を背にしたデスクチェアに、死体がもたれかかっていた。

 刀で両肩を貫かれ、口からはおびただしい量の出血。両手指は全てなく、無表情の鑑識たちがひざまずく床にはがされたと思しき爪が散乱している。致命傷は恐らく額、眉間、首、心臓の四か所に穿うがたれた刺し傷だろう。飢えたゾンビめいた壮絶な表情は、生前に受けた恐怖と苦痛を想像させてあまりある。

「……なるほどなぁ。こりゃあ、昼飯吐いても責められん」

「だろ? 下の階は首チョンパで終わってるんだが、ウチの若いのはそれでもダメだ。こんなホトケ、見せられるかよ」

 つぶやく葉木吹に、マガラダがうなずく。若かりし頃の葉木吹自身、初の殺人事件を前に激しく嘔吐おうとしたものだ。

 話し合う二人の声に、鑑識たちが振り返る。死んだ魚めいた目に光を差すと、彼らは素早く立ち上がってお辞儀した。

「ああ、葉木吹警部補。お疲れ様です」

「お疲れさん。……社長がホトケか」

「はい」

 チーフの鑑識が応え、顎下あごしたを指で押す。送られてきた資料が葉木吹の視界に展開。被害者のバストアップと経歴、死亡推定時刻その他が映される。

「まぁ御覧ごらんの通りなんですが、被害者は羽黒はぐろいずる三十三歳。頭刺される前にショック死したようです。おい、続き!」

 部下を叱咤しったするチーフ。合掌がっしょうして死体をあらため始めたマガラダは、羽黒を昆虫標本めいてピン止めする刀に目を凝らす。

「刀は誰のだ?」

「誰のって、そりゃコレのだろ。おらよっと」

 BOFBOF! 部屋に投げ込まれた物体を、柔らかな絨毯が受け止める。続いてテープをすり抜けたのは、浮遊ケースを犬めいて連れた、ガラの悪い青年だった。整えもしないボサボサの金髪に、端の尖ったサングラス。スーツもシャツもだらしなく着崩され、開いた喉元には炎のタトゥーと黄金のペンダント。いかにもチンピラといった風情の彼に、葉木吹は軽く手を挙げた。

「ナジームか。意外と早かったな」

「ちょうど近場フラついてたから来てやったんだよ。感謝しろよな」

 生意気に言い、ナジームは転がった床に放った物体を蹴る。それは一見、泣き別れた人の頭部のようだが、首の切断面からねばっこいゲルのような光を漏らしていた。駆け寄った鑑識の一人が手早く分析。

「……義体筋肉使ったアンドロイド? こんなの、どこから……」

「階段登ってすぐの天井裏だ。大方、怪しいの来たらこいつらが降りてグサッとやるっつーハラだろ。からンなった刀のさや持ってたしな」

 チーフがアイコンタクトし、鑑識は頭を持って部屋を出ていく。マガラダに下へ行くと手振りで伝え、葉木吹は大部屋を横切った。入り口で待つナジームが、近くに来るなり喉を鳴らす。

「なあオイ。マジで気づかなかったのかよ、オッサン。もう歳か?」

「そうだなぁ……壁のカメラとマシンガンは気づいたんだが、天井裏はなぁ……」

 後頭部をき、両脇を固めるマホガニーの壁面を走査。ほぼ全てが本物の木だが、ところどころホログラムの場所がある。もっとも、一般人にはわかるまいが。

 そのうち、自分も警備用兵器に殺される日が来るかもしれない。他愛もないことを考えながら、葉木吹は青年を見下ろした。

「それよりナジーム。お前さん、聴取の方はどうなったんだ。終わってこっち来たにしても早すぎねえか?」

「…………」

 無言で葉木吹を見返し、ナジームが嫌そうな表情でタトゥーを突く。意図をんでこめかみに触れると、会話は脳内チャットに移行する。ナジームは率直に告げた。

『逃げられたんだよ』

『……何?』

 意外な一言にいぶかしく問う。虚空をタイピングしてデータを寄越す。

『二人目シメてる真っ最中によ、なんだか言う弁護士が釈放だっつって全員連れていきやがった。で、これだ』

 五秒と経たず、葉木吹の視界に受信のアイコンが点灯。点滅する手紙マークをタップするとともに展開されたデータを見た瞬間、葉木吹は目を見開いた。

『おい……こりゃどういうことだ』

『どうもこうもねえよ。ガキ共連れてったヤツがそれ置いてったんだよ。だからチョクで殴り込みに来たら殺人がどうのってよ』

 チャットで不満げな声をつらねるナジームをよそに、名刺データの名をにらむ。羽黒弁護士事務所所属、羽黒貫。

『羽黒貫なら、あそこで死んでるぞ』

『そうそう、したらあそこで死んで……』

「………なんだ、んぐっ!」

 声を上げかけたナジームの口を素早くふさいだ。怪訝けげんそうな鑑識たちの視線を感じながらこめかみを叩いてみせる。ナジームは手を払って首を振った。

『気づかなかったのか? 玄関に看板あったろ』

『そ、そりゃあ見たけどよ……アタマがこっから取調室まで来るわけねえだろ? 来ても下っ端のパシリだろ普通。だから息子かなんかだと……』

『……まぁ、それもそうか』

 手をコートでぬぐい、改めて名刺と鑑識データを読み取る。

 死亡時刻は午前一時半。負傷から十四秒で活動停止。ナジームが取り調べを始めたのは昼前のはずなので、その頃には既に死んでいるはず。ならば単純に考えて、殺人犯が社長をかたって誘拐チームを釈放させたことになる。

『なんで殺人犯がチンピラ連中を釈放させるんだ……?』

『知らねえよ。本人に聞きゃいいだろ。つーわけで、オレからは以上だ。切るぜ』

 チャットを切り、二人はそろって腕を下ろす。惨殺死体に視線をくれ、葉木吹は低くうなった。沈黙思考を始める横で、ナジームが大きく欠伸あくびした。

「で、どうすんだよ刑事殿。ここに突っ立ってるわけにもいかねーんだろ」

「……そうだな。とりあえず、またチンピラ捕まえるところから始めるか。なんか知ってればいいし、知らなくても誘拐の経緯は吐いてもらう。……吐いたか?」

 にやりと笑い、肩をすくめて首を振る。今後のプランを練るトレンチコートの背を、マガラダの濁声だみごえが呼び止めた。

「ああ、待て葉木吹。うっかり忘れるところだったぜ」

「ん?」

 コートをまさぐり取り出したのは、赤い折り鶴。ツンと尖った尻尾をつかんで渡してきたそれを無造作に受け取る。

「お前ンとこのだろ? 中は見てねえ」

「さっき電話で言ってたやつか。どれどれ」

 電子に埋もれ、とうに消えた知育玩具を様々な角度から見る。頭、首、胴を翼の裏部分を覗き……葉木吹は眉間にしわを寄せた。

「あ? ンだよオッサン。なんかあったか?」

「…………。いや、なんでもない。行くぞ」

 折り鶴をポケットに突っ込み、足早に歩きだす。すぐ前を過ぎた、難しく考える上司の横顔に、ナジームは首を傾げた。

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