02

 東京都千代田区北の丸公園。皇居にほど近い場所に広がるこの空間には、国立の美術館と公文書館、科学技術館。そして皇宮警察こうぐうけいさつの宿舎と警視庁第一機動隊の隊舎たいしゃす。青々とした緑によってカモフラされた建物の一室で、魁人はデスクについた男と向き合っていた。

 機械化なしの老いた顔に、かざらないグレーの頭髪。豊齢線ほうれいせんきざんだ目元は優しげだが、どこか剣呑さを内包ないほうしている。名を葉木吹アジバム。警視庁捜査一課の警部補けいぶほである。……表向きは。

「んで、結局主犯は見つからなかった、と」

「はい」

 魁人より早く、隣に立つヒグロが返す。けわしい無表情を張りつけた顔で、デスクうえのメモリスティックを凝視する。

「カーナビのデータを辿たどって取引現場に向かいましたが、もぬけのからでした。仕掛しかけられた爆弾によって倉庫は全焼ぜんしょう。足取りを逃しました。……申し訳ありません」

 流れるように報告し、ヒグロはすっと頭を下げた。られて背中を曲げながら、魁人は数時間前のことを思い出す。

 チンピラ達から拉致らち被害者ひがいしゃを救出した後、データに残された目的地、東京湾に面する工場に足を踏み入れた。数年前のオーナー企業倒産にともなって放棄ほうきされたはずの家電生産工場。空きっぱなしのゲートをくぐり、廃棄はいき機械きかいあふれた工場内に入って数秒後、工場中央部で大爆発が引き起こされた。状況判断で取って返したから無事ではあったが、工場は丸ごと爆壊ばくかい。証拠は隠滅いんめつされてしまった。その後、誘拐犯のワゴン車に、出自不明の盗聴器が仕込しこまれていたのが判明している。

 それらの事情を報告書で確認した葉木吹は、優しげに苦笑しつつ片手を挙げた。

「なに謝ってんだ。お前らの判断は正しい。単に誘拐チームがバカで、取引相手連中とりひきあいてれんちゅうが一枚上手だった、ってだけだ。だからほれ、顔上げろ」

 さとすような口調におもてを上げる二人の前で、メモリースティックを手にした葉木吹は席を立つ。

「例のチンピラ共も、ナジームのやつがいまめ上げてる。相手さんのこともそのうちわかるさ」

「先輩がですか?」

 出たの持ち主を思い浮かべた魁人が、オウム返しに問い返す。普段の性格と言動、せまく殺風景な取調室とりしらべしつを想像して小さくつぶやく。

「……暴力沙汰ぼうりょくざたになってそうですね」

「ハハハハハハ! なら、そうならんうちに戻るとするか。報告書はマガラダ刑事に送っておいた。メモリの方は俺から渡す。おつかれさん」

 椅子いすに掛けたコートを羽織はおり、ハンチングぼうを頭にせる。昔風味むかしふうみのドラマに出そうな格好が、不思議と葉木吹には似合う。

 彼が出ていき、部屋のとびらが閉まるのを合図に、ヒグロは深い溜め息を吐いた。

「はぁー……やっちゃった」

「いや、大丈夫ですって。ハギさんも言ってたじゃないですか。俺もあれでよかったって思ってますし」

 がっくりと項垂うなだれる上司に、すかさずフォローを挟む。ヒグロは時に過激な手段もさないが、そのたびあとで後悔している。翌日よくじつ落ち込むまでがワンセットだ。

 ヒグロはバツが悪そうに赤髪をく。

「まぁそうなんだけど……なんていうかね。怒られないのがキツいっていうか。真っ向から怒鳴ってくれたら反論できるんだけど、なぐさめられちゃうとどうしても、ね。マガラダ刑事にも色々言っちゃったし、後で謝んないと」

「そうですね。それがいいと思います」

 険の抜けた表情に、魁人は相槌あいづちを打った。仕事中こそ冷たく刺々とげとげしいが、普段の彼女は律儀りちぎで真面目だ。

 一度深く息を吐き、背筋とスーツのしわを正す。調子を取り戻したヒグロは手をひらりと振り、ドアに向かって歩き出した。

「じゃ、私アイグラティカ取って帰るから。またね」

「お疲れ様です」

 バタンと閉じるドアを他所に、魁人は竹刀ケースを持って左目を閉じる。いつもの時刻表示の下に縦並たてならぶ予定を確認。最初は三限目、機甲技術きこうぎじゅつ解剖学かいぼうがくの授業。昼食を挟んでも間に合う時間だ。

 早めに行って学食で食べるか、あるいは適当な店で腹を満たすか。財布にはまだまだ余裕がある。多少たしょう奮発ふんぱつするのもありだろう。

 左手に周辺マップを呼び出し飲食店を検索、しようとしたところで、魁人は視界端で明滅めいめつするマーカーに気づく。三限目授業名の隣に輝くそれをまじまじと見つめる魁人の脳裏のうりに、ある重要事項がひらめいた。

 ……あ。レポートのこと忘れてた。

 次の瞬間、魁人はドアを蹴破るように機動隊舎を飛び出した。


「はァン!? 納品が出来ないィ!?」

 ふんぞり返ったソファから跳ね起き、剛流は頓狂とんきょうな声を上げた。驚く部下を追い払って腰かけると、通話を再開。取引相手の声が脳内に響く。

『ええ、ブルージェットとかいう下っ端のクズがヘマぁやらかしましてねえ……市場はひとつ潰さなきゃなんなくなるし、情報操作で忙しいしでてんてこいなんですよ。なんで、後日改めて取引させてもらいたいンですがねえ』

『い、いやいやいや。ちょっと困りますよ……おたくにおろしてんのナマモノなんスよ? 後日っつっても日付次第じゃこっちが赤字だ。お願いしますよぉ。そちらさんも新鮮なの欲しいでしょ?』

 冷や汗を流しながら食い下がる。剛流ごうるひきいる潮流ファイナンスの社訓は『早く多く正確に』。仕入れから売り、準備から実行、紹介から破産までを速やかにこなし、より多くの金を得る。裏に仕切られる世の中で、大金はより安全なビッグディールを運んでくれる。

 ただ、一方でまれにあるのだ。こうした予想だにしない不慮ふりょの事故が。

『あのですね、剛流さん。こっちも悪いと思っちゃいるンです。剛流さんに注文したのもこっちなら、バカの教育きょういくおこたって迷惑かけてんのもこっちだ。ですからね、今幹部と情報部総出でコトに当たってるんです。早く商売再開できるようにね?』

 相手の声は至って冷静。しかし、そこに含まれる誠意と謝罪の意を、剛流の裏でまれた聴覚はしっかりキャッチしていた。

『それで、もしこっちの復旧が遅れて潮流ファイナンスさんに赤字が出るようなことがあったら、ウチで責任もって弁償させて頂きますんで。手の届く範囲で顔も利くようにしますから……』

『ああ、はい。そういうことなら了解しました。こっちこそすいません、お忙しい中責めるようなこと言っちまって』

『気にしないで下さい。元はっちゃーこっちの所為せいですから』

 謝罪といくつか言葉を交わし、剛流は通話を切断。立場を理解し礼節を重んじる。裏社会では、しくも日本古来の美徳びとくが物を言うのだ。

 汗をき、ソファにもたれる。快適な出張用マンションの部屋で焦燥しょうそう薄めながら、剛流はわきに置いた冊子を手に取る。表紙に毛筆で『嶽斬がくざん武装ぶそう大全たいぜん』と書かれたそれをパラパラめくる。

「いつまでもおかみに頼っちゃいられねーよなァ……ウチもこんなの欲しいなァ……」

 ぼやきながら眺めるのは、写真付きで紹介された武器の数々。刀、鉄扇てっせん、槍に銃……幾年いくとせも死線を歩いたようなオーラを持つそれらは、どこかに無機的な眼球が埋め込まれている。

 この冊子にるのは普通の武器ではない。非合法の代名詞にして裏社会にとどろく伝説の兵器……『ルヴァード』のカタログだ。

「どれがいいかなァ。つかこれいくらぐらいすんだ? 金なら一応あるけどよ……」

 値段のないカタログを見て皮算用を続ける剛流。闇金やみきんいとなむ彼の金庫は汚れた金でまっている。総額は実に五十億超。これで買えないものはまずあるまい。

 にらめっこする剛流の耳に、ドカドカと乱暴なノックの音が飛び込んだ。次いで、やけに慌てた部下の声が。

「社長、社長! 大変です!」

「あァー!? 今度はなに!」

「失礼します!」

 返答前に部下はドアを跳ね開け転がり入る。そして剛流の手にあるカタログに目をつけると、さっと駆け寄り奪い取った。

「すんません、これ借りますッ!」

「あ、おい!」

 剛流を無視して冊子をめくり、最終ページに辿り着く。部下はサングラスを上げると、興奮した目で穴が開くほど凝視する。

「……やっぱこれだ。間違いない!」

「だからなんだってんだよ! 返せオラァ!」

 怒鳴って立つ剛流の前に、部下はページを突きつける。二ページ丸々使って掲載された五つのルヴァード。それらはカタログの主、嶽斬がくざん全左衛門ぜんざえもんの最高傑作と名高い伝説中の伝説武器だ。部下はそのうちひとつ、月に伸びるすすきかたどったかんざしを指し示した。

「こ、これだ。これで間違いないッ! かっぱらってきたガキの一人が、これを持っていやがったんだッ!」

「は……」

 剛流の思考回路が止まる。電池切れの機械めいて阿保面あほづらさらして硬直したのち、剛流は近所迷惑も忘れてさけんだ。

「んぬぁぁぁぁぁぁにィィィィィイイイイイイイッ!?」

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