第6話 千秋楽 主の帰還

 戦闘開始4分23秒。

 河右衛門は苦悩していた。

 いったい自分はこのまま地上に居ていいのだろうか。

 状況は芳しくない。

 捕鯨砲が当たり巻き上げが開始されたは良いが、全然ワイヤーが巻き取られない。その上カルト巻き上げ用の装置も全力稼働しているのに上がって来ない。

「つまりこれはヌタリヌタリが機械にパワー勝ちしている上、逃げようとしたカルト殿も襲われて引きずり込まれてるということカパ」

 残念50点。信じがたい話だが、襲っているのはカルトの方である。

 だが河右衛門にそんなこと知る由もない。せめてもの助けにと機械と力を合わせてワイヤーを引っ張り上げているのだが、それでもあまりに遅い。

 もはや自分が湖に潜って、カルトを救出した方が早いのではないか。

 だが5分の緊急離脱措置までは、絶対に陸上で機械を死守してくれと言われている。

 今となってその作戦の違和感が込み上げる。

 もはやカルトの巻き上げ装置は全力稼働しているのだ。今さら自分が5分の緊急離脱スイッチを押すことに何の意味があるのだろうか。

 だが迷っているうちに、運命の5分がやってくる。

 河右衛門はワイヤーから手を離すと、巻き取り装置についた黄色いレバーを引いた。

 その瞬間、それは起きた。

 カッパの割に漫画に詳しい河右衛門は、しかしどれぐらい元ネタを知っていただろうか。

 月刊誌連載のそれを知る機会は、おそらく無かったのではないか。

 今回の作戦名。

『とある漁船の捕鯨砲(ホエールガン)』

 それは語呂の良さからだけ付けられたものではない。

 河右衛門にすら隠したその奥の手が。


 電撃(ビリビリ)だからである。


 水面を照らす一瞬の光。爆発音。

 続いて立ち上ってくる泡は分解された酸素と水素である。

 直後からワイヤーが、『絶縁ワイヤー』が急速に巻き取られ始める。

 河右衛門は察した。電気漁という禁漁方法なら、川でも行われていたからだ。

 そしてカルトが頑なに河右衛門を湖に入れなかった理由も分かった。

「カルト殿ぉおおっ!」

 その叫びに答えるようにカルトが、そして少し離れた巻き取り装置の方には巨大な肉塊が釣り上げられ水面から跳ね上がってくる。

 力なく地面に落ちるカルトに、河右衛門は走り寄った。

「カルト殿っ! 大丈夫カパ!?」

「はぁあ……い」

「なんて、なんて 無茶をっ」

「大丈夫……電流の大部分は二本の銛の先端の間を走りますから……」

 ただし空気中と違って放散も多いため、近くにいたカルトも少なからず影響は受けていた。絶縁のダイバースーツだったとはいえ、すぐにはとても動けない。

 だがしかし、それでも。

「アイツを釣り上げましたよ」

 河右衛門を無傷で温存したまま、カルトはそれを成功させていた。

 向こうの装置からは、血まみれの肉塊がぶら下がっていた。痺れたその体から、必死で捕鯨銛を抜こうとしている。

「あ、ありがとう……」

 河右衛門はそう言うのが精一杯だった。

「すみません、嘘をついて。一人で戦わせることになってしまって。でも……」

「分かってる……」

「……妖怪と人間が知恵比べ腕比べするような話が、俺は子供の頃から好きだったんですよ。だから最初に河右衛門殿と相撲して投げられたとき、河童が本当に強くて嬉しかったんです……」

「おう……」

「だから河右衛門殿自身に、立ち向かって欲しかったんです……」

「任せろ……」

「勝つことじゃなくて、立ち向かうことにこそ価値がある……でも、大丈夫。この俺こそが保証しますよーー」


「河右衛門殿は、とても強い大妖怪です」


「おう、任せろっ」

 河右衛門は立ち上がる。

 そして走り始める。


 叫ぶ。


「見てろよカルトおおおおっっ!」



       ●       ●



 ヌタリヌタリは焦っていた。

 こんな事態になるなど、自分が釣り上げられるなど考えてもみなかった。

 もはや一刻の猶予もない。あの狂った人間が何の罠も用意していないわけが無い。随分陸へと引き上げられてしまった。湖まで20メートルはある。すぐに戻らなくては。

 なり振り構わず捕鯨銛を周りの肉ごと引きちぎると、血を吹き出しながら走り始めた。無数の手で蜘蛛かムカデのように走るヌタリは、その巨体に反してとてつもない速度で疾走する。

 その肉塊の進路上に、小さな人影が現れた。ヌタリはそれに気付くも無視を決め込む。その程度、自分の巨体の前では弾き飛ばして終わりである。

 そう思っていたヌタリヌタリに、その声が聞こえただろうか。


 はっけ、よい。


 それはわずか1メートルで超加速を完了する、必殺の体当たりである。


 ――ぶちかまし。


 ゴガッ、というまるで岩石同士をぶつけた様な怪音が響いた。

 湖まであと2メートル。

 最高速まで加速したはずの、象ほどもある肉塊を。

 小さな河童が完全に受け止めていた。

“ナニィイッ”

 ヌタリは焦りとともに怒り狂う。

 ふざけやがって。小妖怪だと見逃しておいてやれば、いい気になりやがって。

 地面に爪を立て、草木を掴み、石を握り前へ前へ河童を押し潰そうとする。

 ジリジリと、湖が近づいてくる。

 だが足が湖岸にかかる直前、河童はさらに低く腰を落としヌタリ下へと潜り込んだ。

 ピタリと、ヌタリは前に進めなくなる。

 いや、それどころか。

「お、お、お、おおおおっ」

 河右衛門が雄叫びを上げるとともに、だんだんと湖が離れていく。

 草木を掴んでいた手が、耐えられず外れる。

 途端、凄まじい速度でヌタリは押し戻され始めた。

“ナ、ソンナ、ア、ア、ア、アーー”

「おおおおおおおおおっっっ」

 それこそ飛ぶような速さで、遥か湖が遠ざかる。

 十分に勢いつけた河右衛門は、そのままヌタリヌタリを投げ飛ばす。十数メートルも宙を飛んだ肉塊は、公園の中央に立つ巨木に激突し傷から血を吹き出した。

“ナ、貴様、ヨクモ……”

 もう湖は遥か100メートルは先。

 そして湖との間には河右衛門が立ち塞がっている。

“コ、殺スッ、コノ、ションベンガエルガァアアアアッッ”

 無数の拳が風を切って河右衛門へと殺到する。

「がはっ、あ、あっ……」

 全身余すところなく打撃を受ける。

 しかもそれの一撃一撃が、水中銃の銛を当たる前に掴みとる剛腕である。

 全身からあっという間に腫れ上がり出血し、痛覚が悲鳴をあげる。

 もうすぐにでも失神したい程の苦痛。

 しかし、

「全然だ……カパ……」

 河右衛門は自分にそう言い聞かせ前に進んでいた。

 進むとともに、突っ張りによる迎撃を開始する。

 防御ができなくなった分、さらにボコボコに当てられる。

 だが一発鉄砲を当てるごとに、その腕を吹き飛ばし確実に使用不能にしていく。

 それでもヌタリヌタリの手は、それこそ数えられない程あるのだ。

 ヌタリヌタリへの十メートルが、永遠のように遠い。

 けれど河右衛門はもう知っている。

 今ここで自分を支えてくれる、その言葉を。

「お、お、お、オイラ……は……」

 拳の激流を、無数の突っ張りでかき分けていく。

「たた、た、戦ったことが、あるん……だ……」

 ついに河右衛門の左手がダラリと垂れ下がる。

 骨折を重ねすぎ、もはや意志では補えない程になったのだ。

 だがまだ右手がある。

「お、お、お、ま……オマエ、より……」

 心なしか拳の数が減ってきている。

 あんなに遠かったヌタリヌタリが、もう手が届きそうな程……。

 もう、もう……。


 ――手が、届く!


 その思いが、薄れていた意識を閃光のように覚醒させた。

「お前より、ずっとずっと強い男と!!!」

 叫びとともに、渾身の一撃がヌタリヌタリに叩き込まれる。

その衝撃はその肉塊を叩き潰し、さらに背後の大木すらぶち折る。

“ゴバァアアアッ――”

 ヌタリヌタリは全身から噴水のように血を吹き出し、やがて灰塵となって消えていく。


 残された大木の前に、河右衛門は一人膝をつき。

 だが天を見上げ、その最高の勝ち鬨を挙げた。


「おおおおおっ、勝ったぞおおおおおおおおーー!」


 こうして。


 河中湖のヌシが帰って来たのだった。

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