第4話 八日目 天王山

 深夜。丑三つ刻。妖怪と勝負するにはもってこいの時間である。

 河中公園の一角には土俵が設けられている。

 年に数回、アマチュア相撲大会などが催される土俵である。

 今夜はそこで、一人の少年が四股を踏んでいた。少年とは言ってもえらい大男である。

するとそこに湖から飛び出て、静かに降り立った者がいた。こちらもまた、尋常ならざる気配の持ち主だった。体調は160センチメートルそこそこ。だが研ぎ澄まされた動きをしている。

 土俵上の少年の気が充実しているのを見て、それは言った。

「今晩は100%みたいだカパ」

「はい、100%中の100%です。河右衛門殿」

 カルトは笑いながら答えた。

「それは良かったカパ」

 河右衛門は笑わなかった。

 何度か四股を踏むと、彼は仕切り線へと進んだ。

 応じてカルトも仕切り線へ腰を落とす。

「確認するカパ。今度も勝てないようなら、燃崎殿はヌタリヌタリの退治を諦めるカパ」

「承知しました。そして俺が勝ったら、河右衛門殿は一緒に戦ってもらいます」

「うむ、二言はないカパ」

 そして二人は押し黙った。

 お互いの息を合わせるための沈黙。

 そして二人は同時に拳を落とし始めた。まるで7日前のように。

 だが一つだけ違う点があった。

 拳を落としきる直前になり、カルトはさらに大きく身を沈めていた。

 河右衛門はその意図を見て取る。

 前回以上の速攻。前回以上のぶちかましが来る。

 そして立会いの瞬間、カルトは動いた。

 それは7日前とは比較にならないほど、早く、鋭く、重い一撃。

 もはや芸術的なまでに磨き抜かれたぶちかましであった。

 一方で河右衛門は動かなかった。

 仕切り線でわずかに腰を浮かすと、胸を張ったのであった。

 カルトのぶちかましを、正面から胸で受け止める。

 結果、カルトの珠玉の一撃は


 河右衛門をわずかに2センチ後退させた。


 背骨、腰、股関節、膝関節、足関節、足趾関節。

 その強靭な関節を全て完璧に連動させることで、河右衛門はカルトの力を全て受け殺していた。

 その作業の間に必要な距離が、2センチだった。

「(やはり、全然カパ……)」

 前回よりはるか上達しているのは分かる。

 だが河右衛門とカルトの差から言えば、それは誤差の範囲でしかない。

 力の差を見せるため、さっさと押し出すカパ。

 そう考えた河右衛門は、受け止めた体勢のままグイグイとカルトを押し始める。

 カルトは嫌がって離れようとするが、容赦はしない。

 そのまま土俵の端、徳俵まで一直線に押し進み。

 そしてそのまま――


 ――押せなくなった。


「え……」

 河右衛門から間抜けな声が漏れた。

 カルトの後ろ足はもう俵にかかっている。

 あともう一押し、あとほんの少しで土俵を割りそうなのに、それ以上ピクリとも動かない。

どんなに力を込めても、カルトは下がらない。むしろ気を抜けば河右衛門の方が足を滑らせ下がってしまいそうな予感を覚える。

「(ど、どうなってるカパ……)」

 あまりの出来事に困惑すら覚える。

 ただの人間に、押し勝てないなんてあるはず無い。

 一方でカルトは、河右衛門の胸の下でうなり声をあげていた。

「ん、ぎ、ぎ、ぎ、ぎーー」

 歯を食いしばって、腹の底から唸っていた。

 腕の、背中の、足の筋肉が猛烈に隆起し、玉のような汗を浮かべている。

 彼は全身全霊必死の力をもって、だが見事に河右衛門の押しを封じていた。



       ●        ●



 燃崎カルトは考えた。

 果たして相撲において、力持ちとはどれほど有利なのだろうか。

 単純に考えれば、相撲は力よりも体重の方がずっと重要に思える。体重が重い者と軽い者が押し合ったら、力学的には重い者が勝つに決まっているのだ。

 だが実際の相撲ではそうはならない。体重が軽い方が押し勝つことはざらに見られる。

 それはなぜか。

 その答えは、相撲が相手の体重も利用できる競技だからである。

 相手の重心と体重をいかにコントロールするかを争う競技。

 それが力学的に見た相撲の真髄なのである。

 体重体格ではるかに勝るカルトが、河右衛門に勝てない理由もそれ。カルトの体重を軽々と持ち上げる程の腕力があるから、初日に河右衛門はああも簡単にぶん投げたのだ。

 そこまで検討したカルトがたどり着いた、河右衛門と戦うための絶対最低条件。

 それが今の姿であった。


 ――双差し(もろざし)。


 相撲で相手のまわしを取り合う際、お互いの腕はクロスする。

 その際外側をとった腕を「上手(うわて)」、内側になってしまった腕を「下手(したて)」という。基本的に動かしにくい「下手」が不利とされる。よって得意な方の腕で上手を取ろうとする「差し手争い」がしばしば発生する。

 しかしこの「上手有利」の原則には例外が存在する。

 左右両方同時に「下手」を取られてはいけないのである。

 両方とも相手に「下手」を取られた場合、懐に潜り込まれて持ち上げられる形で容易に体重をコントロールされてしまうからだ。

 その両下手をとった体勢こそ「双差し」という。

 まさに今の燃崎カルトの形であった。

「(しまったカパ……)」

 河右衛門はやっと己の失着に気付く。

 さっさと押し出そうなどと河右衛門が考えている間、カルトがどれほど真剣だったのか。

 いや、そもそもこの勝負以前からカルトは必死だったのだ。

 今回の相撲は、絶対に勝たなくてはならないのだから。

 だからこそカルトは取り組み前から知恵を絞り、1ミリでも距離を稼ぐために死ぬ気でぶちかましを磨き、そして河右衛門が雑な押しをしている間、その稼いだ土俵際までの距離全てを使って「差し手争い」したのである。

 彼は持てる力全てを振り絞った。

 そして対河右衛門戦の絶対最低条件『双差し』を達成したのである。


 今宵のカルトは100%全力である。



        ●     ●



「(思ったより厄介カパ……)」

 双差しの返し技「閂(かんぬき)」は封じられていた。閂は相手の両肘に腕を絡ませ、肘関節を極めながら振り回す関節技。しかしカルトは肘を完全に河右衛門の体に押し付けていた。明らかに閂対策を意識している。

「(びっくりするぐらい組み方が抜群カパ……それなら……)」

 上手を取っていることを利用し、強引に上手投げを仕掛ける。上手投げもまた、カッパの怪力を生かせる投げ技の一つだ。

 だが仕掛けた瞬間、河右衛門の背に寒気が走った。

「うおぉっ……」

 一瞬、己の右足からフワリと体重が消えたのを感じた。

 上手投げを察知され、逆にカルトに下手投げを決められかけたのだ。

 すんでのところで回避したが、ヒヤリとした。

「(ど、どうなってるカパ……)」

 なぜ河右衛門の方が焦らねばならないのか。

 ただの人間相手に。

 その答えはすぐそばにあった。

 上手投げの攻防で位置が入れ替わり、今まで背を向けていた風景が目に入った。

「(あれ……)」

 見慣れたはずの河中公園に、妙な違和感。

 飾られているはずの、カッパ像が無かったのである。

 いや、無いわけではない。

 石畳の上で、突っ張りのポーズをしていたはずのカッパ像。その両膝から下だけが、地面の上に残っている。膝から上はその横に転がっていた。そして『申し訳ございません。後日弁償いたします』と張り紙がされている。

 さらに妖怪である河右衛門の目は、闇の中でそれを捉えていた。

「(あれはっ!?)」

 カッパ像前方の石畳がすり減り、ひび割れ、無数の足跡が刻まれているのだ。

 その足跡の大きさ。見ればまさにカルトの足の大きさである。

 そしてさらに見えた。

 転がっているカッパ像、その甲羅の縁が一部分すり減っている。

 ちょうど手の形をしている。

 今まさに、河右衛門が掴まれている位置である。

 彼は気づいた。

「ま、まさか――」


 ――これが秘密の特訓か!


 そう。鍛錬したのである。石像の河右衛門を相手に。

 石像をすり減らし、石畳を踏み割り。

 そして石像を砕くほどに。

 それほどまでに磨き上げ、カルトはこの勝負に挑んでいる。

 だから河右衛門と戦えているのだ。

「(でも、だからって、石像をぶっ壊すなんて人間じゃないカパ! まるで鬼だカパ!)」

 河右衛門に初めて大きな動揺が走る。

 目の前ではカルトの背筋が大きく隆起し、ブルブルと震えていた。

 息もすでに荒い。滝のように汗が流れている。

 全力を振り絞っている証拠である。

 だがそれでも、なんとか河右衛門の投げに耐え続けている。

 掛け値なしで、人間が河童と五分に相撲をしていた。

「(まさか、こいつ『そう』なのか!)」

 桃太郎。金太郎。

 そんな昔話に残る、それこそ鬼や熊と相撲して勝ってしまう人物達。

 目の前の少年が、そのクラスの人間だというのか。

「(し、信じられないカパ……でも!!)」

 自分のどんな逸話が後世に伝えられるのか。

 その逸話の瞬間にそれを自覚できる者は稀である。

 だが河右衛門は今、不意に確信した。


 河右衛門。この世に顕現してはや300年。


 この少年との相撲こそが。

 今宵の勝負こそが、彼の誇るべき逸話である。



      ●        ●



 河右衛門の過大評価に反して、実は燃崎カルトは凡人である。

 だが正確には、ただならぬ凡人である。

「ジャック・ハンマーじゃなくて、箕輪勢一あるいは金隆山康隆」

 自分のドーピングに関して説明する際、彼はよくその言葉を使う。

「ドーピングの世界は、近い将来転換期を迎えると予想されています」

 カルトが使っているのは、アナボリックステロイドではない。

 キーワードはミオスタチン。筋発達抑制物質である。

 ヒトの筋力はなぜヒトらしいのか。

 ゴリラやトラはなぜトレーニングもせずに強いのか。

 その答えがミオスタチンである

 生物はミオスタチンによって、その生物として適切な範囲に筋発達が『抑制』されているのだ。

「抗ミオスタチン完全阻害ヒト化モノクローナル抗体。名付けてヘラマルズマブ」

 それこそが彼のドーピングである。

 阻害抗体を開発することはそこまで困難ではない。

 カルトの遺伝子から再構成したミオスタチンを、アジュバントと呼ばれる免疫刺激物とともに数十匹のマウスに投与。その後4週間ほどでマウスから採取される数百種類の抗体を、筋細胞実験系で選別すれば良いのである。

 期間約1年。予算約1億円。

 それだけあればミオスタチン阻害薬は作製可能である。

 ならばなぜそれを開発する製薬会社が無いのか。答えは例えばカルトのミオスタチンと筋細胞を使って実験を始めると、カルト以外の人間にほとんど効果が無い薬が出来上がるからである。

 億単位で開発費用を出してドーピングで強くなりたい。しかも前例が無いので副作用が出るかもしれません。それでも構いません。という頭のおかしい人だけに出来る方法である。

 そして燃崎カルトはそういう人である。

 彼はすでに10歳の時点からミオスタチン抑制剤の投与を始めるとともに、成長ホルモンによる身長成長の促進、副甲状腺ホルモンパルスによる骨格強化を並行して取り入れている。

 ミオスタチン抑制による筋増大は、ステロイドによるそれとは別格。

 後者が人間の許容範囲内での筋増大なら、前者はもはや生物種としての設計図の破壊である。

 ドーピング歴6年。

 彼の肉体の性質は、すでに大型肉食獣のそれである。


 なんの才能も持たない凡人が。

 強くなりたいという深い業を持ち。

 およそその後の副作用など歯牙にもかけず。

 現代科学の全てと金を惜しみなくつぎ込み。

 人外との常軌を逸した戦闘経験を積み続けたら。


 その答えが“モンスター凡人”燃崎カルト。

 凡人が持つ可能性の臨界点。


 彼は泥にまみれ地に伏して、なお天上の超人に憧れる。



       ●       ●



 河右衛門が石像を見た瞬間の動揺を、カルトは敏感に察知していた。

 そして彼の反応は早かった。

 その瞬間が訪れたなら、必ずそれを放つと決めていた。

 双差しの体勢から、左腕を下方にスライド。

 相手の右足を左手で抱え上げながら、右手で相手の上半身を押して倒す。

 相撲決まり手四十八手の一つ。


 ――渡し込み。


 マイナーながらも、時に大物喰いの奇襲に使われる技である。

 今回カルトはそれを、石像を壊すレベルまで磨き上げている。

 だが――、

 カルトにとって不幸だったのは二つ。

 一つは河右衛門の背後に余裕がある、土俵中央であったこと。

 そしてさらに計算外がもう一つ。

 河右衛門がその動揺の直後、カルトを最大限評価していたことであった。

「ぐうぅっ!!」

 がむしゃらにカルトにしがみつき、河右衛門は転倒を回避していた。

 どんなブサイクな相撲であろうと、カルト相手にそれをもはや恥とは思わない。

 河右衛門もまたここに至り、全ての驕りを捨て去っていた。

 だが河右衛門の腰は浮いている。

「う、お、お、お、お――っ」

 この機を逃さず、カルトは前に出る。

 渡し込みが不発であろうと、このまま押し出してしまえば勝ちである。

 もしこれが土俵際の出来事であったら、これで勝負は決まっていただろう。

 だが俵に至る直前、それまで浮いていた河右衛門の両足がピタリと土俵についた。

 河右衛門がカルトの左肩越しに、まわしを掴んでいたのだ。


 ――引き付け。


 吊り出し系の技に対する対抗策である。

 相手のまわしを掴んで手前に引き寄せることで、持ち上げられた腰を落とすのだ。

「んぎぎぎぎ……」

「うおおおお……」

 両者うなり声を上げる。

 だがカルトはもう河右衛門を少しも持ち上げられない。

 カルトが全身で放つ技を、河右衛門は右手一本の引き付けで封じていた。

 これが河童の怪力。

 現実の限界点でしかないカルトと、現実を超えた妖怪との差であった。

 己の不利を悟ったカルトは、渡し込みの体勢から双差しに戻ろうとする。

 その瞬間だった。

 カルトの胸部を、爆発したような衝撃が襲った。

 組み直すその瞬間、河右衛門が左手をねじ込みそれを放ったのだ。


 ――鉄砲。


 あるいは突っ張りと呼ばれる突き技である。

 そのたった一撃で、カルトは土俵中央まで吹き飛ばされていた。

「……お、おっそろしい」

 カルトは思わず声に出していた

 鉄砲などとは生易しい。まるで大砲とでも言いたくなる威力。

 当然である。

 突っ張り、張り手などの打撃技も、また河童の怪力を生かせる領域なのだ。

「(ここに至ったか……)」

 カルトの額を汗が伝う。

 押し相撲で拮抗し、組み相撲で奇襲をかけ追い詰めるも勝負を決められなかった。

 そしてこの一週間という時間がカルトに許したのは、そこまでであった。

 そこまでの訓練で精一杯であった。

 突き合い張り合いの相撲になった際の対抗策を、カルトは一切用意していない。

「(腹をくくるしかない……)」

 間を空けず、河右衛門が追撃のために襲いかかってくる。

 彼が来るまでの一瞬を、カルトは贅沢に使った。

 立て直すでもなく、身構えるでもない。

 大きくひと呼吸、息を吸い込んだ。

 もはやこの勝負が終わるまで、息をつく余裕すら無いこと悟っていたからだ。

 これがこの取組中、カルトがする最後の呼吸である。



      ●      ●



 クエスチョン。


 あなたは10年後に魔王を倒さなければならない。

 さあ、どうするのが最善か?


 なかなか良い雑談のテーマではないだろうか。

 1年ではなく10年後というのがキモだ。

 一般の勇者よりも、あなたにはずっと長い準備期間が与えられている。

 人によって随分と戦略の差が出そうだ。


 幼き日のカルト君は考えた。

『魔王を倒せる伝説の武器を探す』

 まずこれは無い。賭けるにはリスキーすぎる。

 フィクションでは一番安易なパターンだが、まずそんな武器があるかも怪しい。

 そしてもしあるとしたら、逆に魔王としてはそんな武器真っ先に押さえる。

 壊すか、壊せないならコンクリートで固めて海に捨てるとか。ともかく最大限工夫して使わせない状況を追求するはずだ。だから伝説の武器は無いという前提で準備すべきだ。準備の過程で、もし偶然手に入ったら儲けもののスタンスが良い。

 まあ、つまりはそれも含めて情報収集。そして必要なら研究だ。

 なにぶん我々一般人に対して、超常の存在は秘匿されすぎている。なぜ彼らが存在するのか、どういう存在なのか、そういう基本的な部分すら分からない。

 だが逆にそれを解明出来れば、戦わずしてコールド勝ちの可能性すらある。

 そうでなくても研究過程で得た情報は、他の戦略にも生かせる。

 戦略の基礎として、絶対『情報』は必要である。

 そしてそのためには、カネとヒトの力が必要だろう。

 特にカネの方は、なんならカネの力で勝ってしまうというのも全然アリだ。

 現代的に言えば傭兵。あるいはもっと広く賞金首というのでも良い。広く魔王の首に賞金をかけるとともに、有望な『能力者』は雇い入れ……。

 あ、なるほど。

 ドラクエの王様はそういうことをしていたのか。

 王女を嫁にくれるとかデカイご褒美をぶら下げて、勇者候補が現れたら初期投資の支援をして送り出す。そして無数に送り出した勇者候補のうち、誰かが魔王を倒せればそれで良いのだ。

 やるな、王様。

 おそらくこれは、カネと権力で魔王を倒す際の一つの最適解だ。

 そして他の戦略とも並行して取り入れやすい、優秀な戦略だ。

 これは必ずやらねばならない。

 そしてもう一方、ヒトの力による戦略。

 皆の力を合わせて魔王を倒す。

 これはどうだろうか?

 カルト個人としては、全然アリだと思う。

 そう信じたい。

 いるはずなのだ。

 この現代において超常の被害者となり、だが黙殺されている人々が。

 カルトと同じ苦しみを、無力を、不遇を抱えている被害者や遺族がいるはずなのだ。

 もしそんな人々を探し出し、力を合わせることが出来たら。

 その人々の想いを、例えば10年後のある一点に凝縮したら。

 きっと奇跡だって起こせるはずだ。

 情報提供、資金援助、草の根活動、どんな形でも良い。

 そんな自分達のわずかな力が合わさり、だが超常の王たる存在に報いたのだと知れば。

 きっとそれは彼らにとって生涯の救いになるだろう。

 カルトと同じ苦しみを抱えているのだから。

 だから協力者を探し出して募る。これも必須戦略だ。

 むしろカルトの心情としては、これを積極的に進めたい。


 では最後に個の力はどうであろう。

 つまりカルト自身が強くなることだ。

 ……これは無い。

 自分を鍛えるのは効率が悪すぎる。

 自分のような凡人に投資するぐらいなら、勇者候補に投資した方がずっと効率的だ。

 その時間があれば一円でも多く稼ぎ、一人でも多く協力者を見つけた方がずっと勝率が上がる。

 だからその方針はナイ。


 そもそも『個としての強さ』はおそらく彼女が極める。

 あれはモノが違う。

 カルトと同じく異能の才は持たないが、それは些細なこと。

 彼女は精神力の怪物だ。

 ただ一人、魔の海から自力で生還した少女なのだ。

 カルト自身を含めた残りの乗客665名は、彼女の『おこぼれ』をいただいたにすぎない。

 彼女は10年後、おそらく超人を含めた全人類頂点の強さを得て魔王に挑むはずだ。

 むしろ彼女こそ、もっとも有望な勇者候補である。


 だが山頂に至る道は一つではない。

 あの少女は他人を巻き込むような戦略を立てないだろう。

 だから彼女の通らない道を通り、カルトは山に登る。

 それがベストだ。


 ……。


 …………。


 だが……でも……しかし……。


 それでもカルトは強くなりたかった。

 例え勝てなくても、自分が戦いたかった。

 自分が立ち向かいたいのだ。

 勇者をプロデュースして、それで魔王を倒せたとして。

 肝心の戦いを丸投げして、それで後悔を取り戻せるだろうか。

 とてもそんな気がしない。

「おめおめと」生きるぐらいなら死んだ方が全然マシだ。

 勝つとか、一矢報いるとかそんな高望みはしない。

 せめて「立ち向かえる」人間であると自分に証明したいのだ。

 それが出来たらもう死んでも良い。


「(……ああ、最悪だ)」

 幼き日のカルトは涙した。

 魔王を倒したいなどと、口先ばかり。

 本当は『自分が魔王に立ち向かって自己満足』したいだけなのだ。

 なんという我欲。なんという欺瞞。

 彼女の高潔な魂に触れて、なお自分はこれほど醜い。

 自分は肉体もそうなら、精神もまた凡人。

 彼女の足元にも及ばない。


 だがそれが分かって、なお諦めることも出来ない。

 もはや救い難い。


 だから凡庸なるカルトは、ただ許しを乞うた。


 申し訳ありません、神様、ほたる様。

 一生懸命努力します。

 協力者集めも、資金集めも、勇者探しも、何もかも一生懸命努力します。

 魔王を倒すために出来ること、思いつく限り全て努力します。

 だから、申し訳ありません。

 それと同時に強くなろうとすることを。

 自分であの黒龍に立ち向かおうとする我欲を。

 どうかどうかお許しください。


 こう彼は懺悔した。


 強くなることは。

 燃崎カルトが自分に許した、唯一無二の罪である。


 故にその強さには、一点の妥協も無い。



        ●     ●



 突っ張りと突っ張りが、張り手と張り手が。

 火花を散らしていた。

 一撃一撃の威力は、河右衛門のが上だ。

 スピードも回転数も、河右衛門が優っていた。

 河右衛門が2回打つ間、カルトはせいぜい1回しか打てていない。

 客観的には、全てにおいて河右衛門の鉄砲が優れている。

 当然、蓄積されるダメージもカルトの方が上だ。

 カルトは見る間にボロボロになっていく。

 全身が内出血と打撲で腫れ始めている。

 口腔も相当切れているのか、血を吹き出している。

 カルトが闘える時間は残り僅かだ。

 だが相撲はそこを競う競技ではない。

 前に出ることを争う競技である。

 そして前に出ているのはカルトだった。

 はたから見れば、なぜカルトが押しているか分からないだろう。

 だが打たれている河右衛門には、理解出来た。出来てしまった。

 カルトの一撃一撃はそれほど雄弁であった。

 一撃に込められた想いの丈が違うのだ。気迫が違うのだ。

 突き合い張り合いの勝負は、実のところカルトの経験が最も生かせる領域であった。

 つまりカルトが無策であったのは。

 そこで勝てなければ話にならないという自負の結果あった。

 カルトの方が打つ回数は少ない。

 だが打たれる前に自分から前に出て当たり、河右衛門にベストの位置で打たせない。

 河右衛門の連打に怯むことなく、一発一発針の穴を通すような精度で丁寧に打ち返す。

 そして数は少ないが、その一撃に込められた激情たるや。

 当てれば必ず河右衛門を崩す一撃。

 狂気の激情と機械の冷徹で、結果的に河右衛門を圧倒していた。

 河右衛門は痛感する。

 この少年は本気なのだと。

 この少年は本気でドラゴンを倒すつもりなのだ。

 だから彼の一撃は重い。

 もっと平たく言えば。

 彼は河右衛門よりもずっとずっと強い相手と闘ったことがあるのだ。

 だから河右衛門をここまで圧倒出来るのだ。

 自分より強いものに挑んできた。

 それが河右衛門との最大の違いなのだ。

「お、お、お、お、おっーー!」

 カルトは吼える。血を吹きながら河右衛門に挑んでくる。

 その必死の形相を見て、河右衛門は思う。

 恥ずかしい。

 こんな自分と闘うために、彼はどれほどの想いを込めてくれたのか。

 せめて、せめて――。

 せめて命懸けで立ち向かわねば――。

「うお、お、お、おうっーー」

 河右衛門も気がつけば叫んでいた。

 咆哮する獣が二匹、土俵の上で死合っていた。

 そして最期の一撃。

 カルトの鉄砲が、今までで最も美しい軌跡を描いて叩き込まれ、


 そして力を使い果たした少年は、そのまま崩れ落ちていた。


 河右衛門はゼイゼイと息を切らせながら、倒れたカルトを見下ろす。

 凄まじい男であった。

 本当に恐ろしい男であった。

「あ、あ、あ……」

 勝負が終わった今になって、赤子のような声が漏れる。

 ブルブルと両足が震えていた。

 だが恐怖によるものではない。

 河右衛門は感涙していた。

 カルトは気づいていないだろうが、河右衛門はそれに気づいている。

「カルト殿、おい、カルト殿っ! 顔を上げて見るカパ!」

「ん……」

 カルトはブクブクに腫れた顔を、ズルリとあげる。

 それを見る。


 河右衛門の右足が、すでに土俵から出ていた。


「カルト殿の……勝ちカパ……」

「くははははっ……大金星!」

 ごろりと仰向けになったカルトは、拳を突き上げた。

 そしてこう言った。

「これで一緒に闘えますね!」

 そして満面の笑みを浮かべた。


 勝っても負けても、実に良い笑顔をする男だった。


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