三題噺

玖音ほずみ

クッキーは何故なくなった?

「ようするに、先輩は人とのコミュニケーションが取れない人なんですよ」

 夕焼けが美しく見える開けた窓から入ってきた夏風に晒されて、ちりりんと風鈴の音が鳴っていた。

 夏場真っ盛りだというのに、今日は湿気もそれほどキツくないせいか、そこまで暑さは感じられなかった。

 そんな過ごしやすい爽やかな雰囲気の中、彼女はそう言った。

「何がようするに、だ。僕が残しておいたクッキーを一人で全部食べた奴が言う台詞じゃないぞ」

「いえいえ、これは私だからこそ言えるんです。先輩が残しておいたクッキーを食べた私だからこそ、先輩に向かって堂々とこういうことが言えるのです」

「どういう意味だよ、それ……。一体何をどう考えたら、そういう理屈になるんだ?」

 僕は彼女の言ってる意味が本当にさっぱりわからず、肩を竦めてそう言った。

 すると彼女は、ふふんと鼻先で笑い、ドヤ顔でこう返してきた。

「ふっふっふ、この私めの偉大なる考えが読めないから、先輩の大切なクッキーちゃんは私の胃袋の中に収納されてしまったんですよ? 少しは自分で考えてみてください。――あ、でも先輩じゃ自分で考えてもぜぇーったい、わからないですねー……。どうしてもっていうなら、説明してあげてもいいですよ?」

 彼女はいつもこんな感じである。僕を小馬鹿にするようにドヤ顔を決めてくる。

 普通、こんなことをされたらイラッと来るだろう。だが、僕と彼女は同じ部活に所属する先輩と後輩の関係であり、それなりに仲も良い。

 しかも、彼女は容姿も整っており、客観的に見ても美少女と言って過言ではないだろう。

 そんな女の子にこのようなドヤ顔を決めながら軽く罵られても、イライラするどころかご褒美だと喜ぶ人だって多いはずだ。

 まぁ、僕からして見れば、そのどちらでもなく、いつものことだから呆れながら彼女の相手をするのだけれど。

「はあ……。わかったよ、僕じゃ君の考えは読めないから、説明するなら早くしてくれ。……ところで君、自分で気づかないのか、それ」

「はい? なにがです?」

「口の周りにクッキーのカスがついてる」

「あ」

 ドヤ顔から一気にマヌケな顔になった。

 ……気づいてなかったのか。よくもまぁ、そんなマヌケな状態で、僕をおちょくってきたもんだ。

 彼女はスカートのポケットから取り出したハンカチで、ゴシゴシと口周りを拭いた。

「お、お恥ずかしいところをお見せしてしまいましたね……。では、気を取り直して、私がなぜ先輩のことをコミュニケーションが取れない人だと言ったかを、説明いたしましょう」

「……僕としては、どうしてクッキーを全部一人で食べてしまったのかを、説明してほしいところだけどね」

「安心してください。それについても一緒に説明します。その謎も、この事件を紐解くにはとても大切なことなので」

「いや、むしろそっちのほうが大切な事件のほうじゃない?」

「ではでは、解決編のはじまりはじまり~」

「無視か」

 全く。彼女はいつもこうだ。僕の言うことなんて聞いてないかのように(実際、あまりマトモに聞いてないのだろう)、自分のペースで話し始める。

 おとなしく、僕は彼女のプレゼンテーションを聞くことにした。

「先輩、私が先輩のことをコミュ症だと言ったのは、これにはちゃあんと、今までの伏線がキーになっているんですよ」

「そんな伏線あってたまるかよ」

「あるんですよ、これが。そうですね……、どこから話したらいいものか……。うん、まぁ色々ありますが、とりあえず今日のことだけにしておきますか」

「色々あるのか……。まぁ、うん。今日だけのことにしてくれると僕も助かる」 

「まず今朝の出来事からです。先輩、私が朝送ったメッセージを無視して学校に来ましたよね?」

 今朝のメッセージ。確かに、僕は彼女から朝送られてきたメッセージを無視して登校した。でもそれにはちゃんと理由がある。

「ん、ああ……。それは悪かったと思ってるよ。今朝はちょっと寝坊しちゃってさ。急いで出てきたから、確認して返事する暇がなかったんだ。気がついたときにはお昼だったしさ。どうせ部室で会うから、その時に詳しく聞けばいいかなと思ったんだよ」

「ほら、それです、それ! その時点で先輩のコミュ症っぷりが遺憾なく発揮されてます! 人とコミュニケーションがちゃんと取れる人は、どんなに忙しくても頂いたメッセージにはしっかり返事をします! その送り主がこんなに可愛い後輩だったら、なおさらです! それが出来てない時点で、先輩は人間失格です!」

 そこまで言うか?

「返事しなかったのは確かに悪かったけど、この程度で人間失格認定されるのって、流石にちょっと厳しくないかな……」

「いえ、先輩には厳しいぐらいでちょうどいいんです。むしろこれでもまだ甘いです。甘々です。出来立ての焼きトウモロコシぐらい甘々です」

 どのぐらい甘いんだよ。全くわからないぞ。

「……そういうよくわからない例えを持ち出すの、やめないか?」

「やめませーん。それに、話はまだ終わっていません。次の伏線に参りましょう」

「まだあるのか」

「あります。次はお昼休みのことです。……先輩、どうして部室に来なかったんですか?」

「ちょっとした用事を頼まれたんだよ……。それで、昼飯を食べる時間すらほとんど無くなっちゃったんだ。そのせいで部室に行く時間すら取れなかったんだ」

 ちなみに、当たり前だが僕は嘘はついてない。この子に嘘をついても、何故かバレることが多いというのも理由の一つではあるが、こんな程度のことに嘘をついてもメリットどころかデメリットもないだろう。

 実際、昼休みはこの用事でほとんど潰れてしまった。

「……その用事って、どーしても先輩が受けなきゃいけないことだったんですか?」

「ん? んー……、いや、そうでもないかな……。多分、僕が一番近くにいて、一番暇そうで、一番頼みやすかったから頼んだんじゃない?」

「ほーら、それです! お昼休みは部室でご飯を食べるっていう予定が毎日あるのに、そんなちっぽけな頼みを安々と引き受けちゃうのが、先輩のコミュ症具合を加速させてます!」

 すごいこと言うな、この子は……。

「いや、その理屈は流石におかしくない……? むしろ、頼みを引き受けたほうが、コミュニケーション能力が高いと思うんだけど」

「いーえ、違います。先輩はコミュ力というモノを根本的に間違えていますね! いいですか、先輩。先輩の今後のためにもちゃんと聞いてください。コミュ力というのは、ノーと言うべき状況でしっかりノーと言うことも含まれているんです。先輩みたいにイエスと言って、人の頼みを何でもほいほいと引き受けてしまうのは、コミュ力じゃないのです」

「そういうもんなのか?」

「そういうもんです。それに、昼休み部室に来れないなら、せめて私に一言連絡を送るべきです! そのあたりにも、先輩のコミュ症パワーが遺憾なく発揮されてしまっています!」

 コミュ症パワー遺憾なく発揮って……。別に僕自身はそんなつもりは、全くないんだけどなぁ。

「いや、でも昼休み部室に集まるのって、別に約束で決めたわけじゃなくて、なんとなくそうなった感じがするし……」

「だとしても! なんとなく毎日そうなってる時点で! それが遂行できないときは、連絡を入れるべきです!」

 ぐっ、正論だ。ド正論だ。非の打ち所もないほど正論だ。

「わ、悪かったよ……。ごめん、次からはそうするよ……」

「むむん、わかればよろしいです。では最後の伏線です」

 最後の伏線――うーん、なんか、言い方が適当だなこの子。まぁでも、何を伝えたいかはなんとなくわかるからいいのか?

「あ、流石に何を言おうとしてるかわかった。放課後のことだろう」

「正解です。ここまで来たら、察しの悪い先輩でも、わかりますね?」

「ああ、うん……。放課後も、昼休みに手伝ったことの続きで、部室に来るのが遅くなっちゃったんだ。その手伝いがやっと終わって、部室に行って遅くなったことを謝ろうと思ってドアを開けたら、君がクッキーをボリボリ食べてて驚いたんだ」

 そのときの状況を説明すると、やっべー、すごく遅くなっちゃったー、これは謝らないといけないなー、なんて思いながらドアを開けたら、美少女がクッキーを手に持ちながら硬直していたのである。

 そして、そのクッキーをぱくりと口の中に放り込んで、噛み砕いた後に飲み込んだ後、「先輩、遅かったですね」とすました顔でそう言った。

 そして、クッキーが一つも残っていないことを確認した後、どうして隠しておいたクッキーがひとつ残らず無くなっているんだと問い詰めたりしていたら、冒頭のような台詞を言われたのである。

「いいですか、先輩。私がクッキーを食べていたのには理由があります。その理由も全て、先輩が作り出したことなんですよ?」

 何もかも僕のせいみたいな言い方である。

「まず朝のことです。先輩からの連絡を待っていたせいで、私は朝食を食べ損ねました」

「連絡待たずに食べておけばよかったのに……」

「次に昼です。朝、先輩が連絡くれなかったせいでお弁当もちゃんと作れなかった私は、先輩が来たら先輩のお昼ご飯をごうだ……おすそ分けしてもらおうと思っていたのに、先輩が来なかったせいで、それも出来ずにお腹が減ったまま昼休みを終えることになりました」

「君、今さっき強奪って言おうとしたよな?」

「そして、放課後。いつも通り部室に来て、いつものように先輩を待っていたのですが、先輩はなかなか部室にやって来ません。朝も昼も、まともにご飯を食べていなかった私はお腹が減りました……。意識が朦朧としてきます……。もう眠いよパトラッシュと、天に召されそうになったそのときです! この間、先輩がクッキーを部室に持ってきていたことを思い出しました! まさに渡りに船です、怪我の功名です。私はそのクッキーケースを何とか探し出し、お腹の足しにしたのでした」

 完全にことわざの使い方を間違っている上に、ネロとパトラッシュに謝ったほうがいいレベルで、どうでもいい空腹の表現の仕方だった。

「お腹が減りに減っていた私は、食欲を止められませんでした……。気がつけばクッキーは最後の一枚。せめてこの一枚ぐらいは先輩に残しておいてあげようと思ったのですが、ここまで来てしまったらもう無理です。先輩への戒めとして、最後の一枚も食べました……。と、そこにちょうど先輩が部室にやって来たんです。もう少し早ければ、クッキーもいくつか残っていたものの、こうなっては時既に遅し、後の祭りです」

 何で今度はちゃんとことわざを正しく使えたのに、さっきは適当な使い方をしたんだ。

「つまり! 先輩がちゃんと私とコミュニケーションを取っていたら、クッキーがなくなることはなかったのです!」

「いや、そのりくつはおかしい」

 僕は彼女にびしっとツッコミをいれた。

「おかしくないですー、先輩が悪いんですー」

「はぁ、わかったよ……。これからはちゃんと連絡を入れる」

「それだけじゃ、ダメですよ、先輩」

 そう言って彼女は、ぐいっと僕に顔を近づけてきた。

 僕はびっくりして目を見開いたが、彼女は真面目な顔で、僕を見上げて、僕の目をしっかり見て、こう言った。

「ちゃんと、対話してください。私と向き合って、たくさんたくさん、対話してください」

 風が、開いた窓からさぁっと流れこむ。

 風鈴が、ちりんちりんと鳴り響く。

 彼女の髪が、夏風に揺られて舞い、整髪剤の匂いが僕の鼻に優しくかかってきた。

「……わかったよ」

 僕は、彼女の目を見るのに耐え切れず、目を少し逸らして、肩を竦めてそう返した。

「……わかればいいんです、わかれば!」

 彼女は、にっと笑って、僕の前から少し離れて、スカートを軽く舞わすようにクルッと回転した。

「さて、ちょっとメール確認したいから、パソコン使うよ」

 僕はそう言って、彼女の近くにあるパソコンの目の前に行って、パソコンを立ち上げ――

「あ、先輩、それ――」

「なんだァこれはァー!?」

 パソコンの画面には、一昔前のブラクラのようなダイアログボックスが大量に表示されていた。

 しかも、な、なんだこれ? いや本当になんだこれ!?

「パソコンいじってたら、なんか出てきちゃいました☆ てへっ☆」

「てへっ、じゃないよ! なにこのダイアログ!? 見たことない! 何したの!?」

「なにもしてないのに、こうなりました」

「そんなパソコン初心者みたいな言い訳はいいから! どうしてこんなになるまで弄くったの!?」

「いやー、先輩がなかなか来ないから暇で暇でー」

 暇でパソコンを弄っても普通はこんなことにはならないよね!?

 いやほんと、なにしたのこの子!?

「ああ、くそ、こんなことならさっさと部室に来るべきだった……。どうするかな、これ……」

 くっ、こういうときはどうすればいいんだ……? 情報の先生でも呼び出すか? いや、でもこの時間まで残ってるかな……。

「私は何もできないので、先輩を応援しておきますね。がんばれ♡ がんばれ♡」

「うるせぇ!」

「えへへー」

 そんなやりとりをしている間も、風が部室に吹き抜ける。

 風鈴が、夕闇に照らされながら、小さく鳴っていた。

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三題噺 玖音ほずみ @juvenilia

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