天女と侍(1)

 聖獣ナバルの言葉に従い、二人は昂ぶる気持ちを抑えながらオルナの溢れる滝つぼに向かう。

オルナの幻光の中、滝つぼには泥だらけの男がうつぶせで倒れていた。

シルメリアは男を仰向けし、口元に耳を近づけると呼吸音が聞こえる。

一瞬だけ考えたシルメリアは泥だらけの男を水際から少し引き上げ、短杖を取り出すと洗浄魔法を男に向ける。傷があれば泥をかぶったままではいけないと判断したのだった。


男から泥が綺麗に除去される。黒い髪・・・そして引き締まった鍛えられた体。何より妙な衣服と女性のように後ろで結ばれた髪。


全てが異質な男であった。涼しげな目元と長い睫が特徴的な健康的な若者・・・・と思われた。


シルメリアは男の所持品が落ちていないかをレインドに頼み、浮遊の術を使い男の体を建物まで運んだ。

濡れた衣服に乾燥術を施し、体に異常はないかを探らせたとき、シルメリアはその反応に驚愕した。

「ま、魔法力が??? ない!??」

動揺しつつも傷を有無を調べるが、大小打ち身や擦り傷切り傷があるだけで特に命に関わるような怪我がないのでほっと一息つく。


レインドの様子を見に戻ると、何やら男が背負っていたと思われる杖が数本見つかったようで二人して建物まで運ぶことにしたがやたら重く、妙な形状の杖にこれ以上触れないようにした。


ナバルの言葉を信じれば、この男を助けることで何か活路が開けるかもしれない・・・だが魔法力のない男が杖を持っていてもどうにもならないだろう・・・


どのみち今日は男の看病を含め、ここでの野営は必須であるためテントの設置と水の補給などに二人は慌しく動いた。

用意していた治療薬や塗り薬があったことも幸いし男の手当ては順調だった。

レインドもてきぱきと手伝い今では自主的に水汲みなどもこなすようになっている。


ナバルの話にあった追っ手の情報も気になるところであったが、同等にナバルが示したこの男の存在もまた二人の今後を左右するであろう。

シルメリアには懸念も大きかった。怪我人であるこの男と行動を共にすれば移動速度はさらに落ち魔力がないため戦力としては計算外になるだろう。そうなると二人を守って戦うというのは想像以上に厳しい戦いになるかもしれない・・・・

殿下はお助けする気なのは百も承知であるが、この男を置いていくという選択肢も必要なのではないか。

ただ一つ言えることがあるとすれば、ナバルの導きがなくとも殿下はこの男を助けたであろう。

ならば臣下としてはその御意志を可能な限り尊重しなくてはならない。


辺りに闇が降りはじめたとき、幻光の滝はさらに輝きを放ち虹色の滝が幾重にも重なり荘厳な光の舞が夜の闇を彩っていた。



翌朝、清浄な空気とオルナの影響か、思いのほか疲れもなく目覚めた二人は男の様子を確認しようとテントを出る。

しかし、外にあつらえた寝床に男の姿はなかった。もしやと慌てて短杖を取り出し駆け出したシルメリアだったが、

滝つぼに人影を発見しゆっくりと近づくことにした。


男は滝を見上げ何やら物思いにふけっているようである。が、足音に気づきゆっくりと振り返った。

警戒し杖を構えようとするシルメリアだったが、男の取る行動に機先をそがれることになる。

男は正座し、深く頭を下げると「拙者、巴波藩藩士 緋刈真九郎 と申す。此度の手当てと介抱のご慈悲、まことにありがとうございました。」

固まるシルメリアを他所にレインドは躊躇なく駆け出しシンクロウと名乗る男の下まで行くと

「よかった!無事だったんだね、昨日はどうなるか大変だったんだよ。」

「まことにかたじけない、まだ体の節々は痛むがどうということはない。そなたらのおかげだ、なんとお礼をしたらよいか。」

「そうだ!お腹減ってない? ね、一緒に朝食を食べよう。」

レインド王子には初対面で人の心の警戒を解いてしまうような明るさがある。

あの聖獣ナバルにも物怖じしなかったのだ・・・・

「いやー腹が減って減って、背中とお腹がくっついてしまうかと思うところだったぞ」

「背中とお腹ってくっついちゃうの!!!?」

眼を皿のようにして心配するレインドを見て、真九郎も頬を緩ませる。

「あまりに減りすぎるとくっついちゃうかもしれないぞ。」

「大変、シルメリア!早く食べ物を」


真九郎もまた混乱の極みであった。軽口で冗談を言ってみたが通じないようであり、何よりもヒノモトの民とは異なる人間離れした美しい容姿。

連れの女性もまた、天女のような美しさを放っている。

ここから導き出される結論は・・・・・

「あ~ここが極楽でござったのか・・・・天女様、拙者のような者が極楽に来てしまってよかったのでしょうか?。」

シルメリアにはこの男が言っている意味がまるで理解できなかった。

言葉は通じるようであるが、発言の意味が理解できない。

「あの、とりあえず食事にします、お互い分からないことばかりなのは仕方ないことです。食事をしながら少しずつ話を進めましょう。」

「わかりました天女様。」

何やら私を天使や何かの類と勘違いしているようだ・・・

まあ敵意や悪意を向けられるよりは何倍も良いとしても、困ったものね。




真九郎は初めて見る食事に目を丸くしつつも、不満も言わずありがたがって食べていた。

レインドがあれこれ世話を焼いていたが、そのレインドに対しても子供を馬鹿にするような態度は微塵もなく恩人に礼を尽くしているやりとりを見てシルメリアは警戒を一段階落とすことにする。

見た目や年だけでなく、出自や血統で不条理に相手を罵る大人たちの暴力に晒されてきたシルメリアにとって、真九郎のような振る舞いが取れる人間は貴重であり尊敬の対象でもあった。


真九郎への事情説明はかなりの時間に及んだ。

彼はここを極楽でなければ、エゲレス、ナンバン、と考えていたようであったが、魔法の存在を確認してみると飛び上がって驚きさらに説明に時間を使うはめになった。

レインドは真九郎への説明にコツがあることが分かったようで、二人は滝の周りを歩きながらあれこれと話を続けていた。

あれほど失意に満ちていた殿下が楽しげに話す姿はシルメリアにとっても救いになった。



「ふむ、すると俺はとんでもな遠い異国の地に流されてきてまったということになるのか。してレインド殿、シルメリア殿は追っ手に追われていると・・・・」

「真九郎様・・・・あの追われている理由をお聞きにはならないのですね。」

「そうだなぁ多分聞いてもまだ理解できるような状況ではなかろう。」

そうはにかむ真九郎の笑顔は陽だまりのようだと思った。

レインドのような美しさはないものの、鍛えられた体と涼しげな目元と長い睫。さらに一つ一つの所作が綺麗だと思った。

その誠実そうな顔つきを含め、真九郎という男のことをもっと知りたい。

シルメリアは時を忘れ真九郎との会話を楽しんだのだった。



夕食を取りながら明日以降の予定を真九郎に相談していた時であった。

崖の手前、約3kmほどの位置に設置した探知結界が僅かに反応したことにシルメリアは気づいた。

すぐに短杖を取り出し、レインドに防御用の結界を張り巡らせると真九郎の手を握りシルメリアは搾り出すように言った。

「もし私に何かあったら、殿下のことを頼みます・・・」

「おい、待たれよ!」

真九郎が引きとめようとする間もなくシルメリアは風のように広場から立ち去った。

「レインド殿、追っ手が来たのであるな?」

「うん・・・・」

「相手は多分、複数であろうな・・よし拙者も行こう。」

レインドは真九郎の考えがさっぱり理解できなかった。

魔法の使えぬ身で何が出来るというのか。

正直、的が増える程度のことにしかならないのである。

「待って!魔法が使えなきゃ何もできないよ!!殺されちゃうよ!」

レインドの必死な思いを受け止めつつ真九郎は優しく頭を撫でた。


「レインド殿、 魔法とやらが使えなければ人は何もできぬのか?」


「え???」


「シルメリア殿には命を助けてもらった恩がある。ここで見捨ててはお天道様に顔向けできん。」  


「で、でも!?」

「俺にはこれがある、遅れはとるまいよ。」

真九郎は腰に差した妙な杖をポンと叩いたのが合図であったかのように、広場に黒ずくめの男が1人飛び込んできたのだった。

「第3王子、レインドだな。」

低くこもってはいるが、威圧的な黒い声に背筋が凍る。

「!?」

レインドは男の発する悪意を感じ取り、思わず後ずさりしてしまう。


「手間をかけさせやがって・・・んでその妙な奴は誰だ聞いてないぞ」

黒ずくめの男は真九郎を値踏みするように見ていたが、すぐに卑しい笑みを浮かべあざけ笑う。

「おいおい、こいつも魔法力ねえじゃねえか!傑作だぜまったく!!」


怯えるレインドの頭を優しく撫でると真九郎は落ち着いた足取りで黒ずくめの男に近づいて行った。


2018/7/14 誤字・誤植訂正

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