脳筋令嬢と暴走系少女たち(3)


「……」


「……」


 ヘレナは何と返して良いか分からず、黙り込む。

 男だらけの赤虎せきこ騎士団で戦場を駆けてばかりだったヘレナは、そもそも色恋のどうこうを知らないのだ。物語などで読んだことはあるけれど、実際のところそういった経験は皆無である。

 だからフランソワのそんな淡い想いなど全く分からないのだが、それ以前に。

 まさか、その名前が出てくるなんて。


 バルトロメイ・ベルガルザード。

 熊と豚と猪と鬼を足して人間で割れば、こんな顔になるだろう、と思われる男だ。長身のヘレナよりも更に頭一つ分は高く、横幅に至っては倍もあろうかという巨躯。恐らく夜道で出会ったら、ヘレナは叫ぶか斬りかかるかどちらかだろう。

 だが、その実は真面目で実直な軍人であり、しかし堅すぎるわけでもなく諧謔かいぎゃくに富んでいる。部下への気遣いはしっかり行えるが、しかし厳しく締めるべきところは締めている、という将軍だ。

 そして何よりも特筆すべきは、その異常なまでの強さ。

 模擬戦で木剣同士の戦いを行い、ヘレナとヴィクトル二人で挑んで、完封されたというほどの強さを誇っている。まさに戦場においては先頭に立ち、あらゆる敵兵の首を取るという最強の男。

 軍にいる者の憧れ。

 まさに将軍としてあるべき姿。

 だが、決して。

 女子に好かれる見た目をしていない。


「あ……あの、わたし、変なことを、言ったでしょうか!?」


「い、いや……」


 思いっきり心中では引いている。

 フランソワは可愛らしい。それこそ庇護ひご欲をかき立てるであろう、可憐かれんな令嬢だ。やや幼い部分はあるけれど、それも含めての愛らしさと言って良いだろう。

 だが、よりによって何故バルトロメイなのか。


「す、すまないな。思わぬ言葉に驚いて」


「い、いえっ! わ、わたしがいきなり変なことを申し上げたみたいですし! そ、その!」


「いや、いいんだ。その……ベルガルザード将軍に、恋人がいるのか、という質問だが……」


 いるわけがない、あんな化け物。

 顔も化け物のそれで、体格も化け物に相応しく、強さも化け物。これはもはや、化け物と呼ぶ以外にあるまい。隣にその妹がいるわけだから、大きい声では言えないけれど。

 そして、そんな腹違いの妹は、未だに放心している。


「な、何故、それを聞きたいのかな?」


「申し訳ありません! わ、わたし、その……ベルガルザード子爵様の、パーティに一度参加をさせていただきまして!」


「ほう」


「そ、その際に、バルトロメイ様とお会いしたのですけれど! わ、わたし、エインズワース伯爵家の三男であるピーター様と、お話しさせていただいたのです!」


「……ほう」


 エインズワース伯爵といえば、確か『月天姫げつてんき』シャルロッテの実家だったか。

 相国そうこくノルドルンド侯爵の縁戚えんせきということで、権力を持っている家だとのことだったが、ヘレナに詳しいことは分からない。


「ですが、その、わたしは……その際に、後宮に入ることが、決まっていました!」


「ふむ」


 前帝の崩御が、今から一年弱前のこと。

 その後、ファルマスが皇帝として即位したわけだから、今から一年以内の出来事か。

 さすがに、その前から後宮入りが決まっていたならば、レーヴン伯爵家が前帝の暗殺に携わった、とさえ思える。

 確か、まだ崩御から一月ほどは、アルメダも三国連合も動いていなかったはずだ。むしろ、前帝の崩御の際には弔問の使者が訪れたほどである。

 ヘレナも前線にいたわけではなく、当時は治安維持のための盗賊退治を行っていたはずだ。


「す、すると! ピーター様が! わたしに言ってきたのです!」


「ほう」


「後宮へ入るならば! 経験くらいはしておけ、と! わたしは、後宮へ入る側室は、純潔を陛下にささげるべきだと思っていました! それなのに!」


「……」


「裏庭に、無理やりに連れていかれました! わたしが嫌だと何度言っても! 聞いてくれなかったのです!」


 む、とヘレナは眉を寄せる。

 そこからの流れは、大体分かる。そしてレーヴン家も伯爵家だが、ノルドルンド侯爵の後ろ盾があるエインズワース家は、レーヴン家よりも権力があると考えて良いだろう。

 きっと権力を盾に、フランソワに迫ったのだ。

 反吐へどが出そうなほどに、下種げすな男だ。


「ですけど……そこで、バルトロメイ様に助けていただいたのです!」


「ほう」


 あの化け物親父がパーティに参加とは珍しい、と心の中だけで思う。

 実際、バルトロメイがパーティになどいたら、悪い意味で人目を引くだろう。あれほどの凶相は、他にない。


「バルトロメイ様は、裏庭で鍛練をなさっていたとのことだったのですけど!」


「……参加していなかったのか」


「わたしの悲鳴に、駆けつけてくださいました! バルトロメイ様がピーター様の顔をぶたれて、わたしを助けてくれたのです!」


「あー……」


 顔も見たことのないピーターに、わずかな憐憫れんびんを寄せる。

 バルトロメイの豪腕で殴られれば、恐らく顔面の形が変わっているだろう。下手をすれば、頭蓋骨ずがいこつを骨折しているかもしれない。最悪は、首の骨が折れている可能性もある。

 少なくとも、社交界に出られない程度に顔の形は変わったはずだ。


「大丈夫か、と気遣っていただきました! そのときに、思ったのです! このお方こそが、わたしの運命のお方なのだと!」


「……何故」


「その後エインズワース伯爵が、何故息子を殴ったのだ、とバルトロメイ様を非難されたのです! わたしが理由を説明しようと前に出たら、バルトロメイ様が大きなお身体で一歩前に出て……堂々と、言われたのです!」


 フランソワは頬に紅を差し、目の端に涙を浮かべながら、語る。

 どこまであの化け物親父を慕っているのだ、と軽くヘレナが引くくらいに、熱心だ。もはや崇拝と言って良いかもしれない。


「この『青熊将あおくましょう』に非があると仰るならば結構。で、この俺を処刑されるおつもりで? ならば、俺も少々暴れましょう。そうですな。一個師団ほど用意できるのであれば、どうぞ……と――! あまりのお言葉に、わたしは胸のときめきが止まらなかったのです!」


「……」


 なんだかヘレナも似たような言葉を言った気がする。

 こちらの場合は一個大隊だから、バルトロメイの化け物ぶりがよく分かるが。


「わたしは思いました! この方こそが、バルトロメイ様こそが、わたしの運命のお方なのだと!」


「……そうか」


「わたしはその後、すぐに後宮に入ることになってしまいました! ですので、陛下のお手つきにならぬよう、日々願いながら過ごしていました! そこで、ヘレナ様のお噂を聞いたのです! 軍の幹部であられたのだと伺いました! ですので、ヘレナ様ならばバルトロメイ様についてご存じではないかと思いまして!」


「いや、まぁ……知らないことはない、が」


 あの化け物親父と、この可愛らしい少女。

 完全に相反している。どう対応しろと。


「私よりも、もっと詳しい者がいるのだが」


「そうなのですか!? どちら様なのでしょうか!」


「……アレクシア」


 紅茶のポットを落としたままで、じっと硬直するアレクシア。

 その心中には、一体どのような想いが渦巻いているのだろうか。


「………………も、申し訳ありません、ヘレナ様。思わぬ言葉に、つい」


「いや、気持ちは分かる。それで、どうなんだ?」


「フランソワ様。確か……三天姫に次ぐ地位である、『九人くにん』のお一人でしたか。『才人さいじん』の地位にあると聞きましたが……本当に、バルトロメイを慕っているのですか?」


「は、はい! わたしになどおそれ多い地位ですけど、そうです! え、えと、あ、あなたは……?」


「失礼しました。ヘレナ様の部屋付き女官、アレクシア・ベルガルザードと申します」


 アレクシアの名乗りに、フランソワは思い切り驚く。

 それは先程まで延々と語っていた、バルトロメイの姓なのだ。

 そして、このような物々しい家名を名乗っているのは、その血縁に他ならない。


「ベ、ベルガルザード、様!?」


「バルトロメイはわたしの兄でございます、フランソワ様」


「そ、そんな!」


 ぎゅっ、と急いでフランソワはヘレナの隣を通り過ぎ、そして、アレクシアの手を握る。

 瞳をきらめかせながら。


「どうか、わたしを姉と呼んでください!」


「いえ……あの。申し訳ないのですが、フランソワ様は……お幾つなのでしょうか?」


 フランソワは、そんなアレクシアの質問に。

 笑顔で、答えた。


「はい! 先日十三歳になりました!」


 ヘレナは、頭を抱えながら思う。

 バルトロメイ、がんばれ。


◇◇◇


 ひとまずフランソワと幾つか話した後、アレクシアと共に部屋へ戻った。どうか! どうか! よろしくお願いします! と最後まで声を張り続けていたフランソワは、それだけ本気なのだろう。


 アレクシアは、理解できないといった様子で頭を抱えていた。

 それも当然――どう考えても、美少女と野獣である。

 そして冷めた夕餉ゆうげを食べて、訪れるのは夜。

 次いで、ファルマスである。


「ふむ……なるほど」


「陛下……ええと、ファルマス様は、後宮を解体されるおつもりはないのですか?」


「余が正妃を得れば、解体するつもりだ。同時に、後宮の側室には、相応しい夫をあてがう。先々代の皇帝は、お気に入りの側室を数名、そのまま残して妾としたらしいが……余には興味がないな」


 なるほど、とヘレナは頷く。

 確かに後宮に入っていたと言われると、貴族の娘として必要な純潔が存在しない、と思われる。だからこそ、皇帝であるファルマスの方から相応しい夫をあてがうということか。

 ヘレナとしては、解体したらそのまま放っておいてほしい。自分が夫を迎えるという未来が想像できないし、多分戦場に復帰するだろうからだ。


「しかし、レーヴン伯の娘か……」


「ご存じでしたか?」


「側室のことは、書面上は全員把握しておる。会ったことのない者が大勢だがな。しかしまさか、余の側室でありながら、余の寵愛がいらぬという者がいるとは思わなんだ」


 ここにもいる。

 だが、それは言わない。


「そういうことならば、事の次第が済み、後宮を解体した折にでも余が手配しようではないか。バルトロメイ・ベルガルザードは未婚であろう?」


「そうですね。少なくとも、女子に好かれる見た目ではありませんので」


「ならば、余が仲人なこうどとして引き合わせよう。皇帝の命には逆らえまい」


「……ですね」


 ヘレナからすれば他人事だが、バルトロメイの胃痛が想像できる。

 少なくとも一年とファルマスは言っていたが、仮に一年後に後宮が解体されたとして、フランソワは未だ十四。子供と言って良い年齢だ。

 そんな可愛らしい少女を、あの野獣が嫁に貰うなどと発表すれば、それこそバルトロメイに向く視線は胃に痛いものとなるだろう。


「しかし、随分と剣は馴染んだようだな」


「あ、はい。毎日振らせていただいております」


 ヘレナの側に置いてあった、帝家の紋章が入った大剣。

 滑り止めの布は、もう随分と汚れてしまっている。そろそろ洗わなければならないだろう。

 それだけ、ヘレナはこの剣を振ってきたのだ。


「ファルマス様には、非常に素晴らしいものを賜り……」


「そのような謝辞は良い。倉庫に放り込んであっただけのものだ。余は刃を潰すよう指示し、そなたへと持っていかせただけだ。そこまでの感謝を受けるようなことはしていない」


「ですが、私の望みを叶えていただきました。ファルマス様も、何かお望みとあらば、このヘレナにお伝えください」


 ファルマスから貰ったこの剣は、相当な価値を持つ美術品とさえ言える。

 恐らくヘレナの貯金を崩せば買えるかもしれないが、その八割は消えてしまうだろう。


「ふむ……そうだな。では、一つ頼まれてほしい」


「何なりと。この身は『陽天姫』、ファルマス様の正妃に等しい存在にございます」


「うむ。一週間後に、前帝の一周忌が行われる。その際には余も一人ではなく、正妃を連れてゆかねばならぬ。そして、余が未だに正妃をめとっておらぬ以上、それは三天姫のいずれかだ」


 なんだか嫌な予感がする。

 だが、その言葉を阻むことはできない。


「ゆえにヘレナよ、そなた、余と共に一周忌の式典へ出席せよ」


「……」


 えぇー……と心の中では思い切り顔を歪ませる。

 しかし表情は取り繕ったままで、ファルマスに相対し。


「……承知いたしました」


「うむ。式典の後には夜会も開かれる。他国の重鎮も多々いるが、まぁ気にするな」


「それは……」


 なんだか、警鐘が鳴る。

 戦場で、なんとなく危ない、と思うときは、大抵罠があったり伏兵がいたりした。これはヘレナの第六感であり、その第六感に逆らい、とんでもない事態が引き起こされたことも何度かあるのだ。

 だが、かといってそれを頼りに、ファルマスからの要請を断ることなどできない。

 何故断るのかと聞かれ、勘です! と堂々と答えられるほどにヘレナの面の皮は厚くないのだ。


「……私はこれまで社交の場に出たことのない素人ですので、どうかご教授ください」


「いいだろう。社交界に出る令嬢と、正妃としての立ち回りは異なる。そのあたりは……明日か明後日にでも、礼節の教師を遣ろう。その者の言葉に従い、正妃として振る舞えるようにな」


「承知いたしました」


 ヘレナに詳しいことは分からないが、とりあえず教えてくれるのだと言うならば問題はないだろう。

 明日か明後日のどちらかということなので、そのあたりには鍛練を入れないようにしなければなるまい。


「ああ、そうだ。そなたに報告することがある」


「はい?」


「以前、余は言ったな。後宮の警備を見直すと。この天井裏に不埒ふらち者が潜み、そなたに凶刃を振るう可能性がある以上、早急に見直す必要があった」


「はい。仰られました」


 別段、警備を強化された気はしない。

 侵入口の方を強化したのかもしれないが、警邏けいらの者などは見ないため、内部の警備は強化されていないのだろうか。


「ようやく、明日から実施できるのだ」


「そうなのですか?」


「ああ。やっと『銀狼将ぎんろうしょう』ティファニー・リードが承諾してくれた。銀狼騎士団の女騎士を一個中隊、後宮の警備に派遣してくれる」


「まぁ!」


「うむ。これでヘレナも安心できるだろう」


「はい、ありがとうございます!」


 そう、ファルマスは頷いて、喜ぶヘレナを見る。

 だが、残念なことに。

 ファルマスの目の前にいるヘレナは、暗殺者が来たところで己の裁量で判断して逆襲できるほどに強い女であり、恐らく帝都においても並ぶ者のない強者である。

 そんな彼女が喜ぶ最大の理由は。

 銀狼騎士団の女騎士と、模擬戦ができることなのだから。

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