脳筋令嬢と暴走系少女たち(2)
「ではな、リリス」
「またね、姉さん」
「壮健で。次の機会には、きっちり手合わせをしよう」
「ええ。そのときを楽しみにしてるわ」
後宮の出口で、そのように帰るリリスを見送る。
このように後宮を出られるリリスを羨ましく思うけれど、それは立場の違いだ。ヘレナが後宮にいることで、ヘレナにはよく分からない何か謎の力が働いてアントンの益になるらしいし。
何がどうなってアントンの役に立つのかはさっぱり分からないけれど、きっとヘレナが知る必要はないのだろう。知ったところで多分理解できない。
さて鍛練の続きをやるか――そうアレクシアと共に踵を返し、自分の部屋に戻ろうとしたその時。
「……あ」
「……ちっ」
特に何もしていないのに、いきなり舌打ちをされた。
まぁそれも、仕方ない行動なのかもしれない。目の前にいるのはシャルロッテ・エインズワース――ヘレナの父である宰相アントン・レイルノートの政敵であるアブラハム・ノルドルンドの縁者であり、後宮における最高位の一つである『月天姫』を
シャルロッテや、もう一人の最高位『星天姫』マリエル・リヴィエールあたりからすれば同じ地位にいて、かつ皇帝ファルマスから寵愛されるヘレナは、憎悪の対象にすらなりうるのだ。
「おはようございます、『月天姫』様」
「……会えてとても気分が悪いですの、『陽天姫』様」
「それはそれは……」
そう言われても、どうすればいいのだろう。
まさかこんな朝一番から会うとは思っていなかったし、会った瞬間からこんな風に
別段ヘレナにしても会いたかったわけではないのだ。
「どちらかにお出かけですか?」
だが、かといってこのまま去るというのもなんとなく気が引ける。
アレクシアには全否定され、マリエルとの茶会を経て半ば諦めてはいるけれど、ヘレナとしては他の側室たちと良い関係を築きたいのだ。少なくとも、良き隣人くらいの仲になってくれるといいな、くらいだけれど。
だからこそ、そのように話しかけたヘレナに。
シャルロッテが返してきたのは、
「あら、わたくしがどこに行くか気になりますの?」
「……」
別に。
というか、全く気にならない。ただの話しかける口実の一環として使っただけであり、シャルロッテが朝からどこに行こうとシャルロッテの勝手である。
ふふん、とシャルロッテはそんなヘレナに向けて嘲笑を続けながら。
「あなたには関係ありませんの。おどきなさいな」
「はぁ、そうですか」
「さぁ、行きますの。では失礼」
ふん、と変わらぬ高飛車な態度で、そのままヘレナの横を抜けてゆくシャルロッテ。その先にあるのは、先程までヘレナがいた面会室だ。
つまり、シャルロッテにも誰かが面会に来たということだろうか。まだまだ若いし、母親あたりが気にかけてやってきたのかもしれない。
ひとまず、シャルロッテの態度に溜息しか出てこない。
ヘレナとしては仲良くしたいのだけれど、シャルロッテはそんな気持ちなど欠片もないのだろう。完全にこちらを見下す態度を崩そうとしないのだ。
シャルロッテはヘレナよりも年下で、最高位である三天姫の同格であり、かつ実家は伯爵家とヘレナよりも劣る。見下される要素が一つもないというのに、どうしてそれほど自信過剰に生きていけるのだろうか。
「ふーむ……」
「ヘレナ様?」
「ああ、いや、何でもない」
ぽりぽりと頬を掻きながら、ひとまずシャルロッテのことは忘れて部屋に戻ることにする。
頭の痛いことばかりだ。もうあまり考えたくない。
そんなとき、どうするか。
決まっている。
「よし、鍛練をしよう」
「……ですよね」
面倒なことは、ひとまず鍛練をして忘れるのである。
◇◇◇
「よ、っと」
ふぅ、と大きく息を吐いて、ヘレナは剣を持ち上げた。
ここ二日ほどファルマスの来訪はなく、その理由としてどうやら隣国からの使者が来て、宴を開いているのだとか。別段寂しいという感情はなく、むしろ一人で夜を過ごせるので大助かりである。使者ずっといてくれればいいのに、とさえ思うヘレナは、きっと側室失格だろう。
だから今日もいつも通り、午前は反復運動で体を鍛え、午後から中庭で剣を振っている。
「ふんっ!」
重かった剣も大分手に馴染み、普段通りの動きができるほどになった。かつてのヘレナの愛剣よりも少々重かったために、最初は違和感に苦しんだが、現在では十分愛剣と呼べるほどになってきた。
だからこそ、改めて今日は、ヴィクトルに立ち向かう。
最も強さを知る相手――『赤虎将』ヴィクトル・クリーク。
ヘレナの勝率は、恐らく一割にも満たない。人間としての強さの極みを、まさにその身で体現している男だ。
だが――ヘレナにとっては、最も近い存在。
それゆえに、その剣筋も、癖も、よく分かる。
「は、ぁっ!」
まずは、上段からの振り下ろし。しかし、このような雑な攻撃がヴィクトルに当たるはずがない。
当然だ。この動きは
やや崩れた体勢のままで、ヘレナは今度は足を出す。
剣術の訓練とはいえ、必ずしも剣で戦わなければならないわけではない。むしろ、戦場格闘術と呼ぶべきだろう。場合によっては素手にもなってしまうために、ヘレナは徒手格闘が専門のリリスとも戦えるのだ。
しかし、そんな虚を
それも当然だ。この動きは、何度となく見せたもの。ヴィクトルにしてみればこれは奇襲などとは呼べず、ただのヘレナの一連の動きに過ぎない。
だから――それに加えて、もう一撃。
びきびき、と腕に痛みが走る。だが気にせず、遠心力に逆らい、剣を振り回し、そのままヴィクトルへ――。
想定の中でだけ、ヴィクトルの首が飛んだ。
「はぁっ……」
何度も何度も剣舞の想定をしてきて、ようやく一勝。ここに至るまでに、何度敗北を重ねてきたことか。
疲労感に思わず脱力し、ヘレナは中庭の端――設置された椅子に、腰を下ろす。
「お疲れ様です、ヘレナ様」
「……ああ。ようやく勝てた」
「それはおめでとうございます」
アレクシアも賞賛しながら、一体何がどうなって勝ったのかさっぱり分かっていない。だが、ヘレナが勝ったと言うならば、そうなのだろう。
もうヘレナの武力について、半ば諦めているアレクシアだった。
「だが、少し左腕を痛めたな」
「どうかしたのですか?」
「ああ。ヴィクトルの虚を衝くためには、やはり一連の流れを変える必要があった。だからこそ、上段からの振り下ろしからの前蹴りの直後に、振り下ろしの力をそのまま力任せに横薙ぎに変えたのだ。無理やりに変えたためか、少し筋を痛めたらしい」
「……そうですか」
ヘレナは左腕をさすりながら、舌打ちする。
もっと力があれば、重さに負けることはなかっただろう。やはり、もっともっと己を鍛えることが必要なのだ。
しかし一般的に、ヘレナの持つ大剣のようなそれを振り回せること自体が異常であり、アレクシアには持ち続けることすら困難である、という普通を、残念な頭は未だに理解していない。
「さて、少し休んだら、徒手格闘の訓練をしよう」
「……あの、左腕は」
「左腕を休めるためだ。さすがに、これ以上剣を振ったらもっと痛めるかもしれない。だからこそ、無手の動きも練習しなければ」
ふん、ふん、と左右の腕で突きを繰り出しながら、円を描きつつ動く。
突きを主体としたものではなく、全身を使った格闘術。
戦場においては、あらゆるものが武器となるのだ。それが己の足であっても変わらない。
だが、そんな風に格闘術の動きをしていると。
見たことのない姿が、ヘレナをじっと見つめていた。
「……む?」
中庭が見える、渡り廊下。
その渡り廊下を越えた向こうにあるのは、三天姫の部屋だ。そのため、マリエル、シャルロッテはよくここでヘレナを見て、目が合うと去ってゆく。
そこに、二人以外の人物がいるとは、珍しい。
ヘレナは気にせず訓練を続けるが、しかしその目の端では、しっかりとその謎の少女を捉える。
赤毛に
着ているドレスも決して上等なものとは言えず、ところどころに繕い痕がある。『星天姫』マリエルの取り巻きであるならば、このような中古のドレスは着ていない。『月天姫』シャルロッテの取り巻きであるならば、このような貧乏臭いドレスは着ていない。
つまり二人の派閥に属していない、中立派の側室なのだろう。
ヘレナは頭は悪いが、記憶力は良い。
だからこそ、この少女が初めて出会った相手なのだと分かる。
「ふぅ」
それを機会とばかりに、少女は渡り廊下から消えてゆく。やはり、あのような少女に、ヘレナの動きは怖いものに映ったのだろうか。
アレクシアから水を貰い、それを口に含んでいると。
「はじめまして! 『陽天姫』様!」
先程の少女が、何故か目の前にいた。
思わず、水を落としそうになる。基本的に他の側室はヘレナに関わって来ようとせず、茶会の誘いなども特にない。
アレクシアの予測では、近々『月天姫』の茶会にでも呼ばれるのではないかとのことだが、現在のところ未定だ。今朝も限りなく冷たい態度だったし、本当に呼ばれるのだろうか。
つまり。
アレクシア、イザベル、マリエル、シャルロッテを除き。
初めて、まともに会話をする相手である。
「あ……ああ、初めまして」
「あ、あの、わたし、フランソワ・レーヴンと申します! 『陽天姫』様のお噂を聞いて、是非一度お会いしたいと思っていました!」
「……あ、ああ」
思わぬ言葉に、戸惑うことしかできない。
恐らく仲良くしたいのではないか、と思うが、アレクシアはヘレナと仲良くしたい側室などいないと言っていた。
だが、少女――フランソワから向けられる視線には、噓偽りない好意が感じられる。
「ヘレナ・レイルノートだ」
「あ、あの、お時間は大丈夫でしょうか? 是非、『陽天姫』様とお話をさせていただきたいのですけど!」
「あ、ああ……それは、構わないが」
「はい! 失礼します! ヘ、ヘレナ様とお呼びしても、よろしいでしょうか!」
「ああ、構わない」
なんだか犬みたいだ。そんな失礼な感想を抱いてしまう。フランソワに尻尾が生えていたならば、今頃ブンブンと振っているに違いない。
フランソワ・レーヴン。
レーヴン家といえば、確か伯爵家だったか。レイルノート家ともそれなりに交流があると思うが、社交界での詳しいことは分からない。
もしかすると、フランソワが幼い頃に会っているのかもしれないけれど、そんなことを覚えているはずがないだろう。
つまり、純粋にこの後宮におけるヘレナの噂を聞いて、会いたいと思ったのだろう。
「あ、あの、ヘレナ様!」
「む?」
「そ、その、お伺いしたいのですけれども! いえ! これはあくまでわたしの勝手な興味でありまして! ヘレナ様にご迷惑をおかけするつもりなど全くないのですけれども! で、ですが、同じ軍に所属しておられたヘレナ様ならご存じかと思いまして!」
「……ええと?」
「そ、その! 現在、ヘレナ様が陛下からのご寵愛を受けているとのことですし! このままなら、ヘレナ様が正妃の座につくのではないか、と評判ですし! こ、このままいけば、わたしも後宮を出られるかもしれないと思いまして! そ、その際に……!」
「……ふむ」
ああ、とそこで気付く。
この少女は――恋心を抱いているのではないだろうか。
後宮にいるという現状はあるけれど、ヘレナを通じて知り合いになりたい男性がいるのかもしれない。現状、ファルマスは他の側室に手を出していないし、もしも純潔を保ったままで後宮から出られれば、という想いなのだろう。
ヴィクトルだろうか。あれは意外と男前だ。
もしかすると、兄リクハルドかもしれない。彼も三十一になるのに、未だ独身だ。
それ以外にも、もしかすると――。
「バ、バルトロメイ・ベルガルザード様には、恋人はいらっしゃるのでしょうか!」
思わぬ質問にヘレナは呆然とし。
アレクシアは用意しようとした紅茶を、ポットごと落とした。
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