脳筋令嬢と暴走系少女たち(1)


 ヘレナが後宮に入り、一週間が経った。

 最初こそ慣れないことが多かったが、最近では毎日のように鍛練し、昼から剣を振るという日々を送り、何気に満足していた。夜もファルマスがやって来て色々と話をし、少しばかり翻弄されることもあるが、問題なく過ごせている。

 だから今日も、ヘレナはいつも通りに午前の日課である腕立て伏せをしていた。当然、アレクシアを背中に乗せて。

 ふん、ふん、と心の中だけで言いながら、延々と体を動かす。まだ鍛練を始めて間もないため、いい汗には程遠い。


「ヘレナ様、もうそろそろ良いのでは……」


「まだ動き足りん」


「左様ですか……」


 アレクシアが、ヘレナの言葉に対して諦めたようにそう呟く。

 その瞬間に――こんこん、と部屋の扉が叩かれた。

 瞬時に、アレクシアと目配せをする。

 それだけで互いに無言で悟り、ヘレナはソファに腰掛け、アレクシアが急いでカップへと紅茶を注ぐ。ちなみに淹れてから結構経っているので、もう冷えている。そしてヘレナがそのカップを持ち上げ、これで紅茶を楽しむ令嬢の姿が完成だ。

 もう中庭での鍛練は見られているため、このような演技は必要ないのかもしれないけれど。


「どちら様でしょうか」


「『陽天姫』様、女官長イザベルでございます」


「お入りください」


 なんだ、イザベルだったのか――そう、ヘレナから力が抜ける。

 イザベルならヘレナが普段どのような鍛練をしているか知っているし、このように演技をする必要はなかった。

 とはいえ、アレクシアとの連携を確認できただけでも上々か。


「失礼いたします、『陽天姫』様」


「何か用か? イザベル」


「はい。突然の訪室、申し訳ありませんが……『陽天姫』様にお客様です」


「……客?」


 どういうことだろう。

 後宮に入った側室は、基本的に外部との接触を遮断される。手紙ですら検閲を受けるほどなのだから、そう簡単に面会などできるはずがないだろう。

 だというのに、客だと言う。


「私が、後宮の外にいる者と接触をしてもよいのか?」


「肉親であれ男性と会うことは皇帝陛下に対する不義となります。しかし、肉親の女性であるならば面会は可能となっております。もっとも、我々の立会いのもと、ですが」


「そうなのか」


 ヘレナの母――アントン・レイルノートの妻であったレイラ・レイルノートは既に他界してしまっているため、肉親である女性は妹二人だけだ。

 そこで、ああ、とその理由を思い出す。

 今日は、年に一度、隣国に嫁いだ妹が帰ってくる日だ。


「……構わないのか?」


「あまり、推奨はしていないのですが……先々代の陛下が決めたことでして。外と完全に遮断するのではなく、せめて肉親の女性とくらいは会えるように、と」


「ふむ」


 別段寂しいわけではないが、やはり家族と会えるのは嬉しいものだ。

 だからこそ、先々代の皇帝はそのように許したのだろう。


「では向かうか」


「お召し物はよろしいですか?」


「会う相手は恐らく妹だ。別段、飾る必要はない」


「承知いたしました」


 アレクシアがそう言って下がる。

 相手が『星天姫』の際には色々と助力をしてくれたが、会う相手は妹だ。

 アレクシアに協力をしてもらう必要はない。

 ヘレナはそんな動きやすい恰好のままで、ファルマスから贈られた剣を右手に持つ。


「……あの、『陽天姫』様」


「ん?」


「何故、剣を?」


 まるで戦場に赴くかのように剣を下げる姿に、思わずそうイザベルが言ってくる。

 何かおかしいだろうかとヘレナは首を傾げ、ああ、と納得した。

 確かに、妹に会うにあたって帯剣するのはおかしな話だろう。


「いや、自慢してやろうと思って」


「……自慢、ですか?」


「これは素晴らしい剣だ。こんな素晴らしい剣を賜ったのだ、と自慢しようかと」


「……左様ですか」


 イザベルも諦めたのだろう、それ以上は言ってこない。

 そして、右手に剣を持ったヘレナを伴い、後宮を歩く。

 未だに方向音痴のヘレナに向かうことができるのは、中庭くらいだ。恐らく『芍薬しゃくやくの間』にならば行けるだろうけれど、『星天姫』の集いがあるその場所へ、ヘレナが行く理由は無い。

 暫し歩いて、ようやく到着したそこ――面会室。


「こちらでございます」


「ふむ。割と遠いな」


「後宮の出入り口の近くに作られているものですから。三天姫さんてんきのお部屋は全て、後宮の最奥となっております」


 そうだったのか、知らなかった。

 だが最奥である分、中庭が近いのは良いだろう。ヘレナ自身、特に後宮を出たいなどと思っているわけではないのだ。

 こんこん、とイザベルが面会室の扉を叩き、その向こうから「はーい」と昔よく聞いた声がした。

 扉を開く。

 その、瞬間に。


「――っ!?」


 ヘレナの目の前に、拳が繰り出された。

 瞬間的にそれを判断し、同時に叩き落とす。軽く、ろくに体重も乗っていない牽制の一撃は、ヘレナが軽く横に弾いただけでその力を失った。

 ちっ、と舌を打つ。

 こうなることは、予想できていたはずなのに。


「姉さん、久しぶり」


「……リリスか」


 ヘレナへと拳を突き出したのは、レイルノート家の三女リリス。

 若くして隣国の要人へと嫁ぎ、現在は国籍も隣国になっているはずだ。ヘレナもその結婚式に出席したために、色々と違った風習に驚いたこともある。

 そんなリリスは、ヘレナとは異なり可愛らしい顔立ちをしている。ヘレナとは結構年齢が離れており、確か今二十二歳だったか。長身であるヘレナと異なり、女性相応の細さと小ささを持っている。恐らく、年齢よりも幼く見られるだろう。

 もっとも――可憐な見た目とは程遠いほどの戦闘狂であり、徒手格闘の達人と言っても良い腕を持っているのだけれど。


「久しぶりだな」


「そうね。久しぶりに実家に帰ってきたけど、まさか姉さんが後宮に入ってるなんて思わなかったわ」


「私も入るなんて思わなかったよ」


 ヘレナは肩をすくめる。

 そもそもアントンが勝手に進めた話であり、ヘレナの意思などそこにはない。


「後宮暮らしで腕が落ちてるんじゃないかって心配してたけど、大丈夫みたいね」


「お前に心配されるほど、私は弱くないぞ。リリス」


「ええ、安心したわ」


 そして、ヘレナは目を細める。


「すまないな、リリス」


「いいわよ、姉さん」


 恐らく、ヘレナとリリス以外には誰にも分からない会話だ。

 実際に、イザベルとアレクシアは理解できないのだろう、少し眉根を寄せている。


「ちゃんと、やるべきことはやっておいたから」


「私は、去年も行けてなかったのだがな……」


「後宮にいる限り、行けないわね。ここって外出とかできないの?」


「できない。そこまでの自由は与えてくれないな」


 今日は。

 ヘレナとリリスの母、レイラの命日なのだ。


「まぁ、座って。姉さん」


「ああ」


 ひとまず、ヘレナは面会室の中央――対面したソファの二つ並んだそこへと座る。

 同様に、リリスもまたヘレナの正面へと座った。


「あれ? 姉さん……それって」


「ああ、そうだ。お前にも見せてやろうと思ってな」


「まぁ……素敵ね。見ただけで一級品だと分かるわ」


「だろう? 私も気に入っている」


「ええ。この細工の一つ一つに、職人の技術の粋が集まっているわ。こんな素晴らしい品……一体どうしたの?」


 まるで上等な細工品を見ながら話しているかのような二人の間に置かれているのは。

 剣である。

 ヘレナの身の丈ほどもある、細かく丁寧な細工のされた大剣。それはヘレナのみならず、リリスのように見る目がある者からすれば、宝石の塊よりも美しいものだ。だからこそ、ヘレナもこうして自慢しているのだが。


「実は、陛下からいただいたものなのだ」


「陛下から!?」


 驚きに、リリスが目を見開く。

 それも当然か。皇帝から何かを賜るなど、普通はありえないのだから。

 そして、このように腕のいい職人によって作られた、芸術品にも値するであろう大剣。そんなものを皇帝から賜ったということは、その帰結は一つ。


「姉さんは、陛下に気に入られているのね。こんな素敵なものを下賜されるなんて」


「まぁ……そうだな」


 さすがに、父アントンにも隠しているファルマスの真意を、妹に話すわけにはいかない。だからこそ、ヘレナはそう肯定する。

 気に入られているのは間違いないのだろうけれど、きっとリリスの考えている気に入られ方とは、違うだろう。後宮という存在自体が、男女であれやこれやをする場だ。そしてそんな場所にいて一週間、ファルマスと夜を共にしながら、未だにしてくるのは朝の口付けくらいのものである。

 ヘレナから仕返しをしたのは一度だけで、それ以降はやっぱりファルマスに振り回されているけれど。


「そういえば、今日はアルベラは?」


「墓参りのときには一緒にいたわよ。姉さんに会いに来たのは私だけ」


「ふむ。顔くらい見せに来てもいいと思うのだがな」


「今、小姉さん、子供がお腹にいるんだって」


「なんだって!?」


 幼い頃からの婚約者と結ばれた、次女のアルベラ。

 ヘレナもここ最近は戦場にばかり行っていたため、二年ほど会っていない。だが、アルベラも現在は二十五になるはずだし、ようやく子供を作ることができたのだろう。

 良かった、と胸を撫で下ろす。二年前は嫁いでからずっと子供ができる気配がなく、落ち込んでいたのだ。ようやく子宝に恵まれたとなれば、それはヘレナにしても嬉しい事実だ。


「だから、姉さんには会いに来れないって言ってたわ」


「……話くらいはしてもいいだろうに」


「姉さんと会ったら、戦いたくなっちゃうからって。実際、私だと小姉さん相手じゃ剣を持ったら勝てないから、そもそも相手できないし。それで姉さんと戦って、お腹の子供に何かあってもいけないからね」


「むぅ……」


 さすがに、そういう理由なら仕方ないだろう。

 アルベラとは、ここ二年会っていない。つまり、ここ二年手合わせをしていないのだ。

 ヘレナも、できれば手合わせをしたい、と思ってしまうだろう。だからこそ、敢えて来なかったアルベラは正しいのかもしれない。


「父さんも心配してたわ」


「父が?」


「うん。私も詳しく話は聞いてないけど、なんか、父さんが無理やり後宮に入れたようなものなんでしょ? さすがに十八歳の陛下を相手に、二十八歳の姉さんが気に入られるなんて思ってなかったみたいだけど……今、後宮で一番寵愛されてる側室って、姉さんなんでしょ?」


「……まぁ、そうなるな」


 むぅ、と少しばかり唇を尖らせる。

 改めて年齢差を他者の口から語られると、どことなく物悲しくなってしまうものだ。


「まぁ、父さんとしては、そのおかげで動きやすくなったとか言ってたけど。でも、あんな年増のどこが良いのだろうな、って首を傾げていたわよ」


「次会ったら殴る」


「手加減しなよ、姉さん。父さんは母さんみたいに強くないんだから」


 リリスの言葉に、思い出す。

 それはヘレナ、アルベラ、リリスの母――レイラ・レイルノート。

 ヘレナが未だに到達できていないと思える、最強の母だった。


「母さんか……私も随分強くなったと思うが、まだ母に勝てる気はしないな」


「私もよ、姉さん。母さんは強すぎたもの」


「私たち三姉妹を同時に相手にして、完封できる女性なんて母さんくらいだろうな」


 現在の八大将軍には、女性が一人いる。『銀狼将』ティファニー・リードという、四十過ぎの女将軍だ。とはいえ卓越した武勇を持ちうるわけではなく、一対一の戦いならばヘレナの方が強い。

 だが、ヘレナが『赤虎将』の副官であり、ティファニーが『銀狼将』となっている最大の理由は、ティファニーのその智謀だ。

 防衛戦に強いと言われるティファニーは、十倍の数の敵軍が砦に攻めてきたとしても、一月は耐えられるとされる。

 そして――。


「元『銀狼将』だからな」


 レイラ・レイルノート。

 旧姓をレイラ・カーリー。

 彼女は、ティファニーの先輩である『銀狼将』であり、歴代の八大将軍の中でも最強と呼ばれていた人物なのだ。

 女性騎士団と呼ばれている銀狼騎士団は、その幹部が女性で構成されている。そして銀狼騎士団の近衛は、皇族に連なる女性の護衛などを行っている。女性ならではの仕事を多く引き受ける『銀狼将』は、騎士団に所属する女性の憧れなのだ。

 アントンとの結婚を経て戦場から退くこととなったが、その引退を惜しむ声は多かった。

 病に体を冒されなければ、子供が独立した現在は戦場に復帰していたかもしれない。


「全く、母さんの訓練ほどきつかったものは他にない」


「あら、赤虎騎士団での訓練はどうだったの?」


「生ぬるい。男連中の貧弱なこと極まりないな」


「……まぁ、姉さんならね」


 グレーディアやヴィクトル、バルトロメイなど例外はいるが、ヘレナにとって男は弱い相手だ。

 特にそれが、こちらを女として見下す輩なのだが。

 そして、戦場でヘレナはそんな男連中を、何人も斬ってきた。


「そういえば……こっちも聞きたかったんだけど」


「ん?」


「兄さんは元気?」


「私も風の噂でしか聞かないな。赤虎騎士団は、基本的にアルメダ皇国との最前線にいたんだ。兄上は三国連合との最前線にいる」


「そうなの?」


「ああ。私も詳しくは知らない。だが、そう簡単に決着はつかないだろう。少なくとも一年は、この二正面……いや、三正面か。戦争は続くだろう」


 少なくとも一年。

 ファルマスは一年、宮廷を混乱させると、そう言ったのだ。

 だからこそ、一年は戦争が長引き、そして多くの兵が死ぬことになる。

 隣国に嫁いだリリスは、まだ安全だ。リリスの嫁いだ国――ガルランド王国と、ガングレイヴ帝国は同盟関係にある。

 だが伯爵家に嫁いだアルベラは、もしも帝都まで攻め込まれる事態となれば危険が迫るだろう。

 そうならないために、ヘレナは有事の指揮を行うため、鍛練を怠ってはならないのだ。


「……父さんが嘆いていたわよ。宮中侯の座を継がせる相手がいないって」


「それも……仕方ないだろう。現状で、兄上を帝都に戻すわけにはいかない。八大将軍全てが出張っているのだ。兄上だけを特別扱いはできまい」


「ええ。だから、もし小姉さんの子供が男子なら、レイルノート家の養子になるかもしれないわ」


「この年にして弟ができるのか。面白いな」


 くくっ、とヘレナは笑う。

 レイルノート家の子供は、四人。

 長女のヘレナ、次女のアルベラ、三女のリリス。

 そして――長兄、リクハルド・レイルノート。


「まぁ……思わないわよね。宮中侯の令息が、『黒烏将こくうしょう』だなんて」


「ああ。だからこそ、私が上がれなかったのだがな」


 彼は――『黒烏将』リクハルド・レイルノート。

 ガングレイヴの誇る八大将軍が一人なのである。

 元々、八大将軍が定められたのは、武力を一箇所に集めず分散させるためだという。全体の戦力を統括する者は皇帝のみであり、それぞれ配下の騎士を率いての統率権を与えられているだけだ。

 そして――八大将軍に、同じ家の者が入ることはない。

 ヘレナが八大将軍の半数を凌ぐ力を持ちながらにして副官止まりである、最大の理由だ。


「イザベル」


「はい、『陽天姫』様」


「リリスは、これ以上奥に入ることはできないのか?」


「申し訳ありません。ご面会の方は、面会室より奥にはご案内できないのです」


「ふむ。面会時間の規制は?」


「……いえ、それは特にございませんが」


 にやっ、とヘレナは微笑む。

 それに追随するように、リリスも微笑む。


「テーブルが邪魔だな」


「私が向こうにやっておくわ」


「では、私がソファを動かそう……このくらいでいいか?」


「そうね。調度品はそこまで高そうでもないし、このくらいでいいかしら」

 そして、ヘレナとリリスは向かい合う。

 いつも、姉妹が揃えばやっていた。時間はかかるが、面会時間に規制がないならば、いくらでもできる。


「腕は落ちていないだろうな、リリス」


「姉さんこそ、後宮で鈍っていないでしょうね」


 ヘレナとリリスはそれぞれ腕を前に出し、構え。

 そして、風を切る音と共に肉薄し、互いの拳を突き出した。

 そんな意味の分からない、姉妹の戯れを。


「……何なんですか、この一族」


「しっ!」


 女官二人は、ただ溜息と共に見るだけだった。



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