ありがとう

 サバイバルナイフでココナを傷つけたシュンは、ふうと息を一つ吐きつつ、開き直ったように、

「まあ、いいや。そうだよ、ボクがやったんだ」

「やっぱり、そうだったのね」

 とサキが、向ける視線をさらに鋭くしつつ。

「ボクは一度、あの女に、告白したことがあるんだ。愛の告白をね」

 罪を認めたシュンは、もう『レイナさん』とは言わなかった。

「目立たない大人しい男子なボクが、なけなしの勇気を振り絞ってさ。だけど、あの女は、『あんたみたいなウジ虫と、私が付き合うわけないじゃない』って言って断ったんだ。それだけじゃない。その後、同級生のファンの中にいた取り巻き二人にボクを虐めさせたんだ」

「姉さんは関与してない。それは、そいつらが勝手にやっただけ。姉さんはそう言ってる」

 とサキが、誰もいないはずの中空に、その耳を傾けるようにして。

「それは、罪を逃れるための方便さ」

 とシュンが一笑にふす。

「違う。姉さんは、他では色々と悪い噂が立ったりもしていたみたいだけど、たまに私と会った時には、前と変わらない優しい姉さんのままだった。そんな姉さんが、仕事のストレスから、人当たりがちょっと悪くなっていたのは事実だとしても、そんな酷い虐めを仕向けるようなこと、するはずがない」

「どっちであっても同じことだよ」

 シュンは、ふんと鼻を鳴らすと、

「だからボクは、あの女とその二人に復讐を誓ったんだ。そして、あの肝試しツアーが開催されることになった。幸運だったよ。まさか、その三人と同じ最終組でこの廃病院を回ることになるなんてね。

 そしてその肝試しの最中に、ボクは、前々から立てていた計画を実行した。あいつらから、『お前は一人で行けよ』って別行動をとるように言われていたボクは、この最上階に先回りして隠れていて、あいつらが来た時に、ふいをついて、隠し持っていたスタンガンであいつらを背後から襲って、動けなくさせた後、事前に隠しておいた手錠で、全員を拘束したんだ。そして、まず最初に、恐怖に怯える沖本レイナの前で、一人を刺し殺して、もう一人は、返り血をたくさん浴びることがないように、全身の血をあらかた抜き取った後、ノコギリで細切れにしてやったんだ」

 ひひ、とさも愉快そうに、先程までのシュンと同一人物とは思えないような、下卑た笑いをもらしながら、

「その細切れにしたやつの肉片だけど、面白いことに使ってあげたんだ。どうしたんだと思う?」

「……もしかして……沖本レイナたちに、食わせやがったのか……?」

 思わず、過去に雑誌で読んだことのある、似たような類いの猟奇殺人が思い浮かぶ。

「そうだよ」

 シュンは、こともなげに答えた。悪びれる様子もない。寧ろ、当然の仕打ち――そう言わんばかりに。

「他の二人に虐められた時、あいつらはボクに、死んだ犬の肉を食わせたんだ。死ぬほど惨めで、辛かったよ。復讐を誓わなければ、ボクは自殺していただろうね」

「だからって……」

 上手く、言葉が出てこない。その虐めも、卑劣で陰惨極まりないものだ。でも、だからって――。

「あの女は、ボクに脅されて死肉を食わせられながら、何度も吐きまくってたよ。胃酸しかこみ上がることがなくなるくらいにね。そうさせた後、今から殺してやろうって時、あの高慢な沖本レイナが、ウジ虫なんて呼んでたボクの前で、涙ながらにすがって命乞いしたんだ。できることなら、あの憐れな姿を撮影しておいて、ウェブ上に流してやりたかったんだけどね」

 シュンは言いながら、こみあげる笑いを抑えきれなくなったようにして、「ひゃはははははは」と腹を抱えながら、呵々と笑い始めた。

 サキが、その端正な容貌をさらに歪め、ぎりりと歯ぎしりするのが聞こえてきた。

「お前、最低だな……」

 あまりに残虐な行為。人間とは思えない。これまで散々、凶悪な事件に雑誌などで触れてきたボクだけど、さすがに、胸のあたりが悪くなるのを感じた。

「酷い虐めを受けたのは分かる。だけど、それじゃあ、お前もそいつらと同類だろ」

 ひとしきり笑って、ふうと息を吐いて落ち着くと、シュンは、それには答えず、続きを語り始めた。

「断っておくけど、あの女に関しては、死肉を食わせたり殺したのは、ここじゃなくて別の場所だよ。あの女から出たきったない色々がここに残ってたら、せっかく罪を着せて殺したのがばれちゃう可能性もあったからね」

 そこでボクは、一つの疑問が浮かび、

「だけどその時、ここは今みたいに、防火シャッターで閉じられていたはずだ。お前が内側から接着剤で固定していたんだからな。そうされて開かないと分かったのは、午後十一時半頃。刺されて殺されたやつの死亡推定時刻は、次の日の午前三時頃。そいつが死んだのは、その防火シャッターで塞がれた後だったってことになるわけだから、その時、その犯人のお前はその中にいたってことにもなる。そこから外に出ることはできなかったはずだ」

「ヨウ君って、確か、現実に起きた殺人事件なんかを調べるのが趣味だったよね? その点についてだけは、敬意を払っていたんだけど、無能な警察よりも、さらに無能だったんだ。しょせん、根暗オタクでしかないってわけか。警察は、無能なりに、少し時間はかかったみたいだけど、その点に気づいたみたいだったけどね」

「そんな話は、聞いていない」

「まあ、一般には知らせることができない、内々の事情ってやつがあったんだろうね。だけど、そのことに気づいたあいつらも、沖本レイナがそうしたって考えるばかりで、ボクに容疑が向けられることもなかった」

「それで、どうやって外に出たんだ?」

 シュンは、ふふ、と含むように笑ってから、直接的な答えを返そうとはせず、

「その時、防火シャッターを開かなくさせておいたのは、あくまで、探しに来たやつらに、あの女たちを拘束していることとかがばれないようにするため。だけど、僕はその後も、自由にそこを出入りできたんだ。思いこみは、真実を見えなくさせるよ? どこかに、見落としている点はない?」

 言われて、ココナから聞いていた、その当時の状況を思い返す。

 ファンたちが沖本レイナたちを探しに来る以前から、奥にある防火シャッターは閉じていた。

 そして、探しに来た時には、手前側の防火シャッターも閉じていて、手動開閉装置で開けようとしても、そうできなかった。

 もしかすると――。


「お前たちを探しに来たファンたちが、手動開閉装置で開けようとして開かなかったのは、中から接着剤で塞がれていたわけじゃなくて、お前が、なにかつっかえ棒のようなもので固定していたってことか?」

「うーん……」

 シュンは眉根を寄せながら唸ると、

「惜しいね。そのやり方については、僕も一度検討してはいたんだよ。だけど、防火シャッターには、そうできる箇所がなさそうだったし、予想外の力でこじ開けられる心配もあったから、とり下げることになったんだ。他に、もっと簡単なやり方がない?」

 問われて、もう一度、当時の状況を思い浮かべる。

 その後、翌日になってから、救助隊が助けに来た時、通路の両端を塞いでいる防火シャッターは、どちらも、手動開閉装置を使おうとしても開かなかった。それで、防火シャッターが焼き切られることになって――。

 そこまで考えた時、一つ、見落としている点があることに気づいた。

 思いこみによる、錯覚。状況から、そうに違いないと、見逃していた点――。



 そうか、そういうことだったのか――。



「こういうことか。肝試しの前から閉じていた、奥の方の防火シャッターは、捜索隊が駆けつけた時、手動開閉装置が壊れていて開かなかったから、てっきり、それ以前からそうだったんだろうって思いこんでいたけど、実際は、お前が犯行中に一度開けて外に出て、戻って来た後にもう一度閉じた後、手動開閉装置を壊したんだな」

 答えると、シュンは、ぱちぱちぱち、と拍手してみせてから、

「ご名答。片側の防火シャッターは、手動開閉装置を使えば開けられる状態だったわけだけど、他のやつらが、肝試しで指定されたルート通りに上がって来て、非常階段を使わないといけないあっち側から来ることはないって分かってた。それに、あいつらが傍に来たのが分かった時点で、あの女の携帯からメールを打てば、それで納得して帰っていくだろうってこともね。

君みたいに間抜けなやつらは、てっきり防火シャッターが最初から両方とも閉じてると思い込んでいたってわけ。

 その後は、話したような殺し方で、あいつらをじわじわいたぶりながら殺したんだ。別の場所で殺したあの女の死体は、後からの捜査で絶対に見つからないような場所に埋めておいたよ。あの女自身がウジ虫にたかられて、今頃は骨だけになってるだろうね」

 その憐れに惨殺された沖本レイナのことを思い、胸が痛んだ。

「一人だけ普通に刺し殺しておいたのは、君が指摘したみたいに、死亡推定時刻を割り出させて、閉じこめられた中で殺されたって考えられるようにするため。あと、連続殺人鬼インバ―テッド・クロス・キラーの犯行に見せかけるために、逆さ十字に磔にしないといけなくもあったからね」

「そうして、そこに沖本レイナだけがいないって状況を作り出して、その沖本レイナに、連続殺人鬼インバ―テッド・クロス・キラーが犯した殺人の容疑も、合わせて着せたってわけか……」

「そう。片側の防火シャッターが開けられる状態のままだったら、犯人にそこから連れ出されたんだろうって考えられて、あの女に罪を着せることができなくなっちゃうかもしれなかったからね。警察には、その犯行トリックがばれちゃったわけだけど、それも計算の内だったんだ。どうせ、そうしたのはあの女だろうってことになって、九死に一生を得た可哀相なボクに容疑が向くことはないことが分かっていたからね」

「俺たちをここに閉じこめたのも、その殺人鬼なんかじゃなくて、お前のしわざなんだろ?」

「そうだよ。今回は、特別な犯行トリックみたいなものは考えてなかったからね。君たちを閉じこめることができさえすれば、それで良かったんだ。だから、隠し持った小型の端末で、遠隔操作で防火シャッターを閉じることができるように細工しておいただけさ。僕はこう見えて、工作が得意でね。携帯がつながらなくなったのも、僕が隠して設置しておいた『携帯ジャマ―』を稼働させたからなんだ。当時ボクが写しておいた写真や逆さ十字のネックレスで、殺人鬼の存在を臭わせたのは、君たちをもっと恐怖に怯えさせるため」

「あのホームレスを殺したのも、お前なんだな?」

「そう。あのホームレスは、一ヶ月くらい前からここをねぐらにしていたんだ。その少し前に、街中の大きな公園にホームレスたちが張っていたテントとかが一斉撤去されたから、そこから流れて来たんじゃないかな」

 そのことが報道されたのが、ボクの記憶にも残っている。

「計画の実行の前に、死人が出てくれたおかげで、くだらない肝試しブームが冷め切ってくれてほっとしていたところだったのにね。かなり苛つかされたよ。それで、いつまでもしつこく居ついていて、ボクの復讐計画の邪魔になりそうだったから、ここで眠ってるところを、ゴルフクラブで殴り殺してやったんだよ。ホームレスだから、いなくなっても誰にもバレないから、その点は楽だったかな」

「お前の狂った復讐には関係ないだろ?」

「まあ、運が悪かったってところだね」

 冷酷に言い放つ。

 ボクは、こみ上げる怒りをなんとか抑えつつ、

「……なんで、その死体を冷蔵庫なんかに入れておいた?」

「それもまた、キミたちを怖がらせるのに使えるって思ったからさ。ただ、それだけ。キミたちが怯える様は、なかなかに見物だったよ。子供だましな肝試しなんかじゃ味わえないスリルと恐怖が味わえたでしょ?」

「……クズ野郎……」

 と唾を床に吐き捨てながら。

「そう……殺人事件オタクなキミは、喜んでくれると思ったんだけどな……」

 シュンが、芝居がかった仕草で、残念そうに零す。

「……あの、俺達を襲おうとした野犬は? あの野犬も、お前が送り込んだのか?」

「知らないよ、あんな汚い犬っころのことなんて。 どっかから勝手に紛れ込んだんだろ? ボクの前で、犬の話なんてしないで欲しいな」

 と嫌悪するように眉根を寄せてから、

「話が逸れちゃったね。前の事件のことに戻ろうか。その後のことは、もう分かってると思うけど、ボクは、閉ざされた防火シャッターの近くにある病室で、人工透析を受けないことで、慢性腎不全の症状が現れるのを待ったんだ」

「だけど、人工透析を受けないことで死の危険が迫るって言っても、その症状がすぐに出るとは限らなかったはずだろ?」

「そうだよ。それに、症状が出て容疑を逃れたとしても、死んでしまう可能性もあった――いや、助かるよりもずっとその危険性が高かっただろうね。だけど、別にそれで死んでも良かったんだ。あの女と取り巻きたちに復讐を終えられれば、ボクはそれで満足だった。どうせ生き残ったところで、病気に苦しめられる毎日を送るだけだからね」

 答えると、シュンは、天井を仰ぎながら、

「あいつらを殺したりしてる間にその症状に襲われずに、すべてが終わった後でそうなったのは、神様に見守られていたからなんだろうなあ……」

 命を賭してまで果たそうとした、残虐な復讐。

 何不自由ない、普通の生活を送ってきたボクなんかには想像もつかないような、狂気を孕んだ、どこまでも深い闇――。

 だけど、神様がこいつを見守っていたわけじゃない。

 こいつは、悪魔に憑りつかれていただけだ。


 そして、今もまだ――。



 ついと、シュンはボクに向き直ったかと思うと、それまでにこやかに残虐な犯行を語っていたのが、その童顔を厳しく歪めながら、

「だけど、それで復讐を終えたって思ってたけど、そうじゃなかった」

 と自分をずっと睨めつけているサキの方を向くと、

「同じ顔――同じ声――お前がいる限り、ボクは、沖本レイナから受けた苦しみを忘れることはできない」

 憎らしげに言いながら、手にした血のついたナイフを放ると、ゆったりとしたTシャツの裾で隠されていたジーンズの腰の部分から、黒光りする銃を取り出した。

「こいつで、沖本レイナの亡霊を消してやるよ」

「……どうせ、モデルガンなんだろ? 高校生が、そう簡単に本物の銃なんて手に入れられるはずがない」

「ああ、モデルガンさ。だけど、殺傷力は十分にある。ボクは工作が得意だって言ったろ? それくらいの改造はわけないのさ」

 シュンは自慢げに答えると、

「さようなら、沖本レイナの亡霊さん」

 とその銃口を、サキへと向けた。

 サキは、厳しい顔でシュンを睨んだまま、身動き一つしない。

 そして、シュンが、その引き金に指をかけようとした時、


 バシュッ!


 どこからか、凄まじい勢いでボウガンの矢が飛んできて、シュンの持つ改造モデルガンを、部屋の端まで弾き飛ばした。

 はっと見ると、入口の扉の前に、ヒロタが持っていたはずのボウガンを構えている神薙がいた。

「そこまでだ。観念しろ、悪霊にとりつかれた憐れな傀儡よ」

 神薙が、ボウガンで狙いをつけながら。

「……やめておいた方がいいですよ」

 けれど、凶器を失ったというのに、シュンにさほど動じた様子はなく、ゆっくりと膝を曲げて、床に置いてあった自分のペットボトルを手に取ると、

「この中に入っているのは、水じゃなくて、ガソリンなんですよ?」

 この蒸し暑い中、喉が渇くだろうに、それに手をつけるのを見なかったのは、そういうことだったのか。

 シュンは、そのペットボトルの蓋を開け、背後の床にあった、窓から剥がれ落ちていたカーテンに、その中のガソリンをどぼどぼとと垂らした。

 そうしてから、今度は、祖父の遺品だというジッポライターを取り出すと、

「あなたがボクを傷つけようとした場合、すぐにこれでガソリンに火を点けますからね? この閉ざされた空間でそうされるのは、困るでしょう?」

 と自分をボウガンで狙う神薙に、不敵な笑みを向ける。

「……そうすれば、お前も焼け死ぬことになる」

「別にかまいませんよ」

 さらりと答えると、

「ボクは、あの女への復讐を誓った時点で、命を捨てていますからね」

「もう、やめて……」

 突然、サキのか細い声が届いてきて、そちらを向いた。

 だけど、様子が少しおかしい。先程まで、シュンを憎らしげに睨んでいたのが、悲しみの滲む、今にも泣きそうな顔になっている。

「……苦しかった……あなたに殺された時だけじゃない……その後も、ずっと……」

 嗚咽まじりにたどたどしく言いつつ、ゆっくりとした足どりで、革靴を踏み鳴らしながら、一歩、一歩とシュンの前へと歩み寄る。

「お、お前……臭い芝居はやめろよ!」

 と余裕の態度から一転、激しく狼狽えるシュン。

「……だけど、あなたも同じくらい苦しかったのよね……こうなって、始めて気づいた……」

「く、来るな!」

 叫びながら、シュンは後ずさろうとしたが、先程ガソリンを注いだカーテンに足を取られ、ずるりと腰を床に打ち付けた。その際に、シュンの手から、ジッポライターが床に零れ落ちる。

「サキも、私と一緒に来てくれるって言ってる……あなたも、一緒に行きましょう……すべてを終わらせるために……」

 と床のカーテンの上にへたりこむようにするシュンの前へとにじり寄ったサキは、手にしていた『蜻蛉丸』をそのカーテンの傍らに置くと、代わりに、そこに転がっていたジッポライターを拾い上げた。

「や、やめろ……」

とシュンも涙声になり、怯えきった顔をいやいやと左右に振りながら、片手を前に突き出す。

 サキは、ゆっくりと身を屈めながら、彼の身体を抱きしめるように、その背中に両腕を回した。

「い、いやだ……死にたく、ない……」

 シュンは、涙をぼろぼろと零しながら抵抗しようとするものの、恐怖に身体を震わすばかり。

 サキはそのまま、おもむろに顔を横に向けると、

「……ありがとう」

 と固唾を飲んで見守っていたボクたちに、薄く、儚げな微笑を向けると。ジッポライターに火を点け、それを、ゆっくりと手から離した。


 刹那、重なる二人の身を包み込むように、赤々とした炎が舞い上がった。



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