【09】 炎からの脱出劇 ― Escape from the Nightmare ―
決意
休憩所は、すぐさま燃え上がる火の手に包まれた。
そうなる前に、ボクたちは、あの状況でも、すやすやと寝息を立てて眠っていたマキトを叩き起こして、意識を失っているココナはボクが背負い、すぐにそこを出て、そこから一番離れた病室へと駆け込んだ。
「よく分かんねーけど、とりあえずここから脱出しないとやばいんだよな」
マキトが、まだ寝ぼけ
「何か手はあんのか?」
「さっき、神薙さんたちが悪霊対策をしていた時に、一つだけ案を考えついていたんだ」
とボク。
「でも、この脱出方法はかなり危険だから、できればもっと良い方法を見つけたかったんだけど、こうなった以上、この手を使うしかない」
ボクの考えたその脱出方法というのは、こういうものだ。
神薙が手にしているボウガンの矢に、大河内がデイパックの中に収めていた
後は、もう一方の先端がこちらにある
ただそうするには、ヒロタが持つ
とその時、室外から、小さくだけど、キュッ、キュッとシューズを踏みならす音が聞こえてきた。
いったい誰が――と怪訝にするボクたちの前に、程なく、開かれた扉から姿を見せたのは、顔を赤々と血で染めたヒロタだった。
「ゾ、ゾンビ……?」
とマキトが、のけぞりながら、顔をひくつかせる。
「俺だ、ヒロタだよ」
ヒロタは、心外だというように血塗れの顔に苦笑を浮かべつつ、
「ゴーストハンターがゾンビ何かになったら、ミイラとりがミイラになるの典型ではないか」
と血塗れの顔でにじり寄って来るヒロタから、マキトは、ずりずりと後ずさりながら、
「お前も、死んだんじゃなかったのか……?」
「勝手に殺さないでほしいな。サキ君に、いきなり、ボウガンを貸してくれって頼まれたから、もしかして何か企んでるんじゃないかって、それを拒んだら、強引に奪おうとしてくるから、思わず身を引いたら、傍に転げてた空き缶で足を滑らせてしまってね。頭を強く打って気を失ってしまっていたみたいなんだ。ゴーストハンター歴は長い俺だが、とんだドジを踏んでしまったものだよ。一生の不覚――」
「とにかく、無事でよかったよ」
長くなりそうなので、言葉を被せてやめさせた。彼のことを今の今まで忘れていたことには触れない。
「ゴーストハンターは、不死身さ。不死鳥のごとく、な」
とヒロタが、血塗れの顔に、にかっと白い歯を浮きだたせる。
「……ここに来て一番驚かせられたよ、お前に……」
血塗れで現れたことか、その脳天気とも言えるポジティブさにか――おそらく、後者だろう。とりあえず、ゾンビヒロタのおかげで、マキトの眠気も一気に覚めたようだ。
ボクは、そのゾンビヒロタに、考えていた脱出方法を話すと、
「どうだ、いけそうだろ?」
「ふむふむ、なかなかの名案じゃないか。さすがに俺の愛弟子なだけはある」
愛弟子になった覚えはないし、友達だと思ったことさえない。だけど、いちいちとそんなくだらないことに突っ込んでいる暇はない。こうしている内にも、火の手はこちらへと向かってきている。煙もだいぶ立ちこめてきているみたいだ。
「だけど、ココナ君はどうするんだ? 彼女は傷つけられて意識を喪失している状態なんだろ?」
とゾンビヒロタが、床に横たえられて瞼を閉じているココナに目を向ける。
「調理場に転げてた木箱をゴンドラ代わりにしようかとも考えたけど、意識のないココナをそれに乗せて降ろすのは、衝突のショックもあるから、ちょっと危険すぎる。誰かが身体にココナをロープで縛って、抱えたまま一緒に下りるしかないだろうな」
「そうだな、そうするしかないか」
マキトは頷いてから、
「でも、それ以外にもっと大きな問題があるんじゃないか? ボウガンの矢を木の幹に命中させるって言っても、こっからその木の幹までって、どれくらいあるんだよ。なるだけ地面の近くじゃないと、降りるのにも一苦労だぜ?」
「立てた計画だと、二階の床くらいの高さの部分で、その木の幹まで、直線距離で二十メートルくらいだから、三角関数を使って――」
「いや、いい。だいたい、倍の四十メートルってところか」
この世で計算をもっとも嫌うマキトが、ざっくりとした数値をはじき出す。
「それって、相当ムズいんじゃないか? アーチェリーやってるやつとかでも、あんな離れたところ、そうそう簡単に狙えやしないぜ?」
「何、心配はいらないさ」
と胸を握り拳でどんと叩くヒロタ。
「俺が改良したボウガンには、高精度スコープをオプションとして装着できるんだ。それに、ゴーストハンターとして、日々の修練も欠かしていない。五十メートル離れたところを飛んでる蚊とんぼだって撃ち殺せるんだ。タイタニックにでも乗ったつもりでいたまえよ」
『大船に乗ったつもりで』――と言いたかったところなんだろうけれど、逆に不安を煽る結果になってしまっている。マキトは、疲れがたまっているのか、はあ、と溜息をもらすだけだ。
何はともあれ、今は、ヒロタの腕を信じるしかないだろう。
「よし、それじゃあ、始めるぞ」
ヒロタは勢いこんで言うと、床においていたデイパックの中から、その高精度だというスコープをとりだして、ボウガンに装着させると、テグスの先端をくくりつけておいた矢を装填し、開かれた窓際に立った。
続けて、そのボウガンをかまえ、高精度だというスコープで、眼下に立つ樫の木の根元付近へと狙いをつけると、
「狙い撃つ!」
どこかで聞いたことがあるような決め台詞を、威勢良く言い放つとともに、
バシュッ!
矢を撃ち出した。
が――。
「ちっ、強風に煽られたか」
とヒロタが悔しげに舌打ちする。
「風なんて、吹いてねーぞ」
マキトからの突っ込みには応じず、ヒロタは、
「次だ、次こそは決める」
と虚しく地面に落ちたボウガンの矢に括りつけていたテグスを急いで手繰り、手許まで引き上げると、再度ボウガンに装填して、構えた。
「狙った獲物は逃がさないっ!」
またしても、聞き覚えのある決め台詞とともに、
バシュッ!
再度、矢を放つ。
が――。
「ちっ、流れ出る血が、俺の視界を曇らせやがった」
と二発目も外したヒロタが、目許を手で拭う。
「出血、止まってるじゃねーか」
とマキトが、律儀に再度の突っ込みを入れてやる。
どこか既視感のあるやり取りだな――そんな風に思いつつ、それから、数回ヒロタが狙い撃つのを見守っていたけれど、木の幹の端を一度かすりはしたものの、その皮をえぐり取っただけに終わり、失敗が繰り返された。
「おい、もう火の手が隣の病室あたりまできてるぞ!」
室外に様子を見に行っていたマキトが、通路に立って開かれた扉からこちらを見ながら叫ぶ。
「そろそろ、本気を出すしかないみたいだな」
とヒロタがTシャツの裾をまくり上げて気合いを入れる。本当にこれまで本気じゃなかったとしたら、殴ってやっているところだ。
と、
「貸してみろ。俺がやる」
それまで、両腕を組みながら、難しい顔で見守るだけしていた神薙が、ヒロタの前に進み出てそう言うと、片手を差し出した。
「し、師匠……不甲斐ない弟子ですいません……後は頼みます」
ヒロタが頭を下げながら、王様に献上するかのように、ボウガンを両手にのせて差し出す。
神薙はそれを受け取ると、片手でボウガンを構えながら、
「樹の幹は円い。狙いが少しでもずれれば、今しがたのように、たとえ当たったとしても、突き刺さらずに弾かれるだけだ。そうするよりも、位置は少し高くなるが、太めの枝にからませた方が、より確実だ」
「そうか、忍者がやるみたいにですね! さすが神薙師匠!」
ヒロタの神薙への憧憬は深まるばかりだ。
神薙はなにも返さず、スコープは使わずに、目視で狙いを定めたまま、
「射止める」
持ち前の低音で厳かに言うと、
バシュッ!
矢を放った。
「やったあ!」
ヒロタがその円い身体を飛び跳ねさせながら、快哉を叫ぶ。
ボウガンから放たれた矢は、狙いをつけた樫の木の、丁度良いくらいの高さで、その幹に突き刺さっていた。
「造作もない」
と神薙が、額に落ちた前髪を、さらりと手で払う。
「さすがっす、神薙師匠!」
「いや、枝にからませるとか言ってただろ……」
後ろからマキトが、ぼそりと呟く。
ボクもマキトと同じ思いだけれど、この際、そんなことはどうでもいい。結果オーライだ。
ボクは、
収納棚を介してそうしたのは、ロープウェイとして滑り降りる際に、出発点がある程度高い位置にあったほうがやりやすいからだ。
そのたわみだけれど、たわみを深くしすぎてもだめだし、浅くしすぎてもだめだ。深くしすぎると、それだけ抵抗がない分、ゴンドラの落下スピードがそれだけ増し、幹に突き刺さっている矢にも、それだけの負担がかかる。浅くしすぎると、今度は、スピードは抑えられるが、上りの部分のブレーキが弱くなり、勢いあまって幹に激突してしまいかねない。実験したことがあるわけでもないので、ボクは丁度良い具合になるように頭の中でイメージしながら、そのたわみを調整した。
そうした後は、窓に一つだけかかったままでいたカーテンをはぎ取り、それを、ヒロタが持っていた十徳ナイフのはさみで、ボクとココナを縛りつけるように長めにとり、他は、滑り降りる時の滑車代わりに使うものとして、人数分に切り分けた。
これで、脱出の手はずはととのった。
後は、ボクたち全員が、それを使って、火の手の迫るここから、外へと脱出するだけだ。
「よし、ココナをつれて下りるのは俺に任せろ」
とマキトがその役に名乗り出た。
「ここまで良いとこなしだったからな。少しは目立たせてくれ」
「いや、ボクがやる」
とボクがそれを制して前に出る。
「お前、運動音痴だろ? 体力がある俺の方が良い」
痛いところを突かれつつも、
「大丈夫。上手くやるから」
マキトは、いつになく真剣なまなざしでボクを見ながら、
「……そうだな。だったら、お前に任せるよ」
とその役を譲った。
「それは彼に任せるとして、最初にそうするのはやめておいた方が良い」
と神薙が注意を促す。
「矢はそうそう簡単に抜けないくらいに深く突き刺さっているようだが、滑り落ちる勢いがどれくらいのものか分からないでいるわけだからな」
「それじゃあ、その役目を俺がやるよ」
とマキト。
「大丈夫か?」
とボク。
「ああ、任せとけよ」
マキトは意気揚々と返すと、窓際に事前に切り取っておいたカーテンの切れ端を手に取ると、それを収納棚の天板近くのロープウェイに引っかけて、その両端をぐるぐると両手に巻くと、
「それじゃあ、行くぜ」
スカイダイビングで飛行機から飛び降りる時のように、ボクたちにサムズアップした。
ボクが、こくりと頷きを返すと、マキトは顔前を向き、一呼吸置いてから、
「よっ」
とその身体を浮かせて、ロープウェイに預けた。
シュルルルルルルルルル……。
カーテンの切れ端と、テグスが擦れ合う音を立てながら、マキトが、たわませたロープウェイの上を軽快に滑り降りて行く。
程なくマキトは、ロープウェイの一番深くたわんだところから、木の幹までの短い上りでスピードが緩まった後、手に巻いていたカーテンの切れ端を放し、とん、とアスファルト敷きの地面に着地した。
「どーよ!」
無事、閉ざされた廃病院の最上階からの脱出を果たしたマキトが、こちらを見上げながら、ドヤ顔をして叫ぶ。
たわみの調整はばっちりだ。これならいける。
ただ、ボクが下りる際は、ココナを一緒に縛り付けてそうしないといけない分、重力加速度が増して、スピードがやや速められることになるはずだし、滑車の代わりになるカーテンの切れ端を握る両手にも、それだけの負荷がかかることにだけは、注意を払っておかないといけない。
ボクは、それらを念頭に入れつつ、ヒロタに、抱き起こして抱えたココナを、カーテンを切断したものをロープ代わりにして、ぐるぐる巻きにボクの身体にしっかりと縛り付けてもらうと、マキトがしたように、カーテンの切れ端を滑車代わりにロープウェイに引っかけると、
「それじゃあ、行くぞ」
とココナを片手で抱えながら、窓際に立った。
地上三十メートル程の高さに、思わず、足が竦む。
もし、途中で、支えるのに耐えきれずに落下してしまえば、ココナとボクは、固いアスファルトの地面に――。
自然と浮かんでくるネガティブな思考を、頭を振って振り払い、迷いは気を弱くするだけだと、
「はっ!」
気合いの一声とともに、ココナを抱えながら身を投げ出し、ロープウェイを滑り降りた。
シュルルルルルルルル……。
カーテンの切れ端を握った両手を離すまいと、全身全霊の力をこめて握り締めつつ、その痛みに耐える。
多少、マキトの時よりも滑るスピードが速く、短い上りで完全にスピードを殺すことはできなかったが、そこは、両足を前につきだして、幹に触れた瞬間に両膝を曲げて勢いを上手く殺すことができた。
無事、地上へと降り立ち、マキトに、括りつけていたロープを解いてもらい、意識のないココナを、そっと地面に寝かせる。
そうしてから、掌を見てみると、皮が剥がれて、出血していたが、こうやって二人無事に脱出できた喜びや、興奮してドーパミンが溢れ出ているためだろうか、その痛みもさほど感じないでいた。
あとは、ヒロタと神薙の二人を残すのみだ。
それで、長く見させられていたこの悪夢から、やっとで解放される。
安堵を感じつつ、彼らのいる最上階へと目をやった。
が、何やら様子がおかしい。
「何やってんだ、あいつら」
二人のいる最上階を見上げるマキトも、同じように感じているようだ。
窓には、神薙が一人がいて、ロープウェイの根元付近には、滑車として使うはずのカーテンの切れ端が、その先端を輪っかに結んで引っかけられている。
どういうことなんだ……?
不可解さに、二人で眉をひそめていると、神薙は、床から引きずり上げるようにして、両手を後ろ手に別のカーテンの切れ端で縛り付けたヒロタを立ち上がらせた。その縛り付けたカーテンの切れ端の先端は、ロープウェイに繋がれて滑車代わりとなっている方のカーテンの切れ端の先端と結ばれているようだ。
まるで囚われの罪人のように拘束されたヒロタは、泣きじゃくりながら、「やめてください、師匠! やめて!」と喚き続けている。
しかし、神薙はそれにはかまわず、
「降ろすぞ」
こちらに向けて厳かに告げたかと思うと、まるで赤子をそうするかのように、ヒロタの巨体を軽々と両手で抱え上げ、窓の外へと放った。
シュルルルルルルルルル……。
拘束されたヒロタが、言葉にならない悲鳴を上げながら、ロープウェイを滑り落ちてくる。
でも、何かが違う。マキトの時よりも、心なしか滑るスピードが――。
そうか。
一人分で計算していたけれど、よくよく考えてみると、ヒロタは体重百キロを越える巨漢だった。だとすると、ボクと小柄なココナを足したのと同じくらいの重量があるわけで、その分、重力加速度も増すということだ。
だけど、そのことに気づいた時には、時既に遅し――。
「ぎゃふん!」
その巨漢を木の幹へとぶつけたヒロタが、小さく悲鳴を上げていた。
そのまま、これから捌かれようとする豚のように、ロープウェイに宙吊りにぶら下がって目を回しているヒロタを、ボクとマキトで降ろしてやった。
そうしながら、ある懸念が脳裏をよぎっていた。
あの病室に一枚だけあったカーテンは、ボクとココナの身体を縛りつけるのに、その大部分を使ってしまい、他の三人が滑車代わりに使うのに、予備は用意していなかった。
その部屋に、滑車代わりになりそうなものは、他になにもなかったはずだ。
その部屋は、一番端にある病室で、その隣には、カーテンが掛けられたままの病室が並んではいるけれど、既に火の手は、その隣の部屋にまで及んでいて、窓にかけられていたそのカーテンが、赤々と燃え上がっていた。
これでは、神薙は――。
その神薙は、不安げな顔で見上げるボクたちに、さよならをするように片手を挙げると、ゆっくりと背を向け、窓からその姿を消した。
「神薙師匠ーーーーー!」
ヒロタの悲痛な叫びが、炎が爆ぜる音だけが小さく届いていた山奥にこだまする。
ボクたちは、闇夜を怪しげな陰影を描きながら赤々と染め上げて燃えさかる炎を前に、どうすることもできず、ただ歯がみしながら、その様を眺めているしかできなかった。
ウゥゥウウウウウウウウ――。
山裾の方から、救急車のサイレンが鳴り響くのが聞こえてきた。
山頂付近にあるこの廃病院の最上階で火の手が上がっているのを見て、誰かが通報してくれたのかもしれない。
でも、それももう――。
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