第6話

 くくくく。私は笑いがおさまらない。

 教科書に半分顔を隠して、山口という突如たけのこのごとくこの教室に出現したイケメンに、そわそわと視線を送る女子たちの様子を盗み見る。

 ちらりちらりと教室を眺めまわしてはさらにほくそ笑む。

 「華蓮、様子が変だけど、変なものでも食べた?」

 「し、失礼ね美咲。今私はやり終えた宿題の完成度の高さに我ながら参っているのだから」

 「何言ってんのか全然わからんわ。ところであれ、山口君、どうしたんだろ急にさすがにびっくりしたわ」

ふふふ。美咲も驚いたか。こりゃ笑いが止まらんね。

 「好きな子でもできたのかな?」

好きな子!そうか!山口なら今まさに向かうところ敵なし!どんな女子がハートを射止めるのか、きっちり見さしてもらいやすぜ。


 にわかに騒々しくなった山口周辺の女子模様を楽しむ生活が始まった。

 なかなか山口の心をとらえる女子は出現しないらしく、誰もかれも振られているらしい。自分が白鳥であると知った元あひるの理想の高さに驚きよ!いやそれにしても、うん。あれだけになったのだから、確かに妥協してほしくない。

 よし!行け!山口!ハイレベルな彼女をゲットするんだ!私は心の中でそう叫んだ。

 ところで。妙に私は最近強い視線に背中を貫かれているような気がするんだ。学校では極力山口との交友を避けているから、女子たちの嫉妬のまなざしにさらされるはずはないのだが、ギリギリと強く睨まれているような感覚が……。

 ぱっとその視線をたどれば、女子はいない。うーむ。なんだろ、お化け?

 いやだなあ。なんか恨まれることしたかなあとぼんやりとお化け路線を考えていると、山口と目が合った。彼はこの夏で覚えた周りの時を止める魔法を駆使した笑顔を私に向けてくる。

 やめれ!今はやめれ!私は目でやめれと念じながら視線を外した。 

 わかってくれ山口。あなたの手には今まさに大物がかかろうとする釣り針があるのよ。ここで失敗したら元も子もないのよー。ギリギリ。

 いてて、なんだろ視線に殺されそうだわ。恐ろしくて私は再びその視線を追うことはしなかった。


 早朝の運動公園。爽やかな朝の空気の中、準備体操をしていると山口がやってくる。

 「おはよう」

 「おはよう、木下さん」

朝に似合わず、というか珍しく山口のご機嫌が少し悪い。どうしたのか。

 「山口君?なんか調子悪い?」

 「別に、悪くない」

 「そう?無理しないでね」

 「……うん」

 「?」

 「木下さんさ」

 固い声が上から降りてきて私は改めて山口を見た。

 なんだかまた背が伸びたのか、さらに目をあげなくてはならない。 

 玉は一度磨けば、自らさらに磨き続けるようで、夏休み前とはほんとに別人のようだ。思わずうっとりと見つめてしまう。まさに掌中の珠を見るような心地だ。そんな私を、山口はため息交じりに見る。

 「なんで学校で俺のこと避けるの?」

 「え」避けてるとわかったなら避けられてくれよ、山口。私は歯噛みした。なぜそれが伝わらないんだ。

 「俺と親しいって他の人にばれるのが嫌?」

 「いやそういうわけじゃなくて」ああ、いったいどう説明すれば……。

 「そうじゃなくて何?俺は学校でも今みたいに、木下さんと一緒にいたい」

 「それは困る!」

即答すると、山口の眼鏡の奥の瞳が鈍く光った。

 「なんで?」声のトーンが著しく下がる。

 「いやなんでと言うとなかなか説明しずらいんだけど」

 「好きな人がいる、とか?」

おおお!それはナイス。そこはひらめかなかった。何しろ私にはテレビの外に好きな人がいないからその発想は浮かばなかったのだ。私は蜘蛛の糸でも見つけたように、はっとし、それにしがみついた。

 「そ、そうなんだよ実は」

 「へえ。夏休み前もその間もそんなそぶり全然なかったのに、新学期入って急に?」

 「ええええ、う、うんまあなんていうのそういうことってあるじゃない」

そうそう!コマーシャルで一度見たきりなのに突然ファンになるとかあるもんね。おかしくないおかしくない。

 「そう。じゃあこうやって俺と走るの迷惑?」

 「いやそんなことないよ」

 「いいよ、気を使わないでも。俺明日から一人で走るから」

 「え、いやなんかそれじゃ」

 「いいんだ。ありがとう、いろいろと木下さん」

そう言うと、山口は一人で公園に消えていった。

 取り残された私は、胸に穴が開いたような寂しさにとらわれる。鳥が巣立ってしまった寂しさとはこんなものなのかもしれない。私は役目を終えたのだ。きっと。

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