望まない召喚


 黒ウサギが十六夜たちに弄られ続けて小一時間が経過し、流石にいつまでも進展が無いのは不毛だなと思った愁は、そこで漸く止めに入った。


 ジンジンと痛む自慢のウサ耳をへにょらせ、打ちひしがれながら恨めしげに睨む黒ウサギは愁に再度自業自得だと窘められ肩を落とす。

 更に十六夜たちに招待状にさの内容について説明しろと命令され、この理不尽の連続に黒ウサギは割と本気で泣きたくなるも、いい加減話を進めたくもあった彼女は気を取り直し、咳払いをして五人と一匹を歓迎した。


「それではいいですか? 定例文で言いますよ? 言いますよ? さあ言います!

 ―――ようこそ、“箱庭の世界”へ!」


 そこからの彼女の話が長いので割愛。

 以下の文が、彼女の説明する“箱庭の世界”についてである。


【“箱庭”とは、様々な修羅神仏から、悪魔から、精霊から、星から与えられた“恩恵ギフト”を持つ者たちだけが集い、その恩恵を用いて競い合う人魔の遊戯、『ギフトゲーム』が生活の基盤なって造られた世界ステージを指す。

主催者ホスト”が主催したゲームにて勝敗を決め、勝者は主催者が提示した商品を敗者から得る事が出来るこの『ギフトゲーム』は、

 ・露天商による商売を兼ねた個人の小規模なミニゲーム。

 ・コミュニティが力の誇示の為に独自に開催するゲーム。

 ・修羅神仏が試練として開催する凶悪かつ難解なゲーム。

 等と幅広く様々な種類が存在し、前者から後者にかけてゲーム難易度は上がり、後者に行くほど掛けるチップの価値や規模、そして命の危険性は跳ね上がる。

 箱庭に生活する者は必ず、どこかのコミュニティに所属する事が義務である】


 質問に答えながらそこまで一通りの説明を終えた黒ウサギは、さて、と話を仕切り直し、懐から一枚の封書を取り出した。


「皆さんの召喚を依頼した黒ウサギには、箱庭における全ての質問に答える義務がございます。が、それら全てを語るには少々お時間がかかるでしょう。いつまでも皆さんを野外に出しておくのは忍びないですし、ここから先は、我らのコミュニティでお話させていただきたいのですが………よろしいです?」

「待てよ、まだ俺が質問してないだろ」


 静聴していた十六夜が威圧的な声を上げて立ち上がり、軽薄な笑顔を消した真剣な表情で、彼は黒ウサギに問うた。


「この世界は………面白いか?」


 その言葉に、飛鳥と耀も立ち上がって無言で黒ウサギの返事を待つ。

 それは元の世界の全てを捨てて来た彼等にとって最も重要な、この世界の価値を問う質問だった。


 黒ウサギはそんな挑戦的な質問をぶつけて来た三人に逞しさに大きな期待を胸に抱きつつ、不敵な笑みを浮かべて問いに応えた。


「―――YES。『ギフトゲーム』は人を超えた者たちだけが参加できる人魔の遊戯。箱庭の世界は外界よりも格段に面白いと、黒ウサギは保証します♪」


 黒ウサギの言葉に三人は満足気に頷き、これからの新しい世界での生活に想いを馳せる。


 では行きましょう!と黒ウサギは踵を返して歩き始め―――


「待ってくれ、黒ウサギ」


 黒ウサギが説明を始めてから今まで、一言も発しなかった愁の突然の待ったの言葉に、黒ウサギはその一歩目を踏み外して見事にずっこけた。


「えっと、九条さん? まだ何かルールやゲームについて質問が……?」

「いや、はどうでもいい」


 俯きながら立ち上がる愁のその声音が、少し怒気を孕んでいる事に黒ウサギは不安を抱く。


「なあ、黒ウサギ。あの封書にはこう書かれていたな。

『悩み多し異才を持つ少年少女に告げる。

 その才能を試すことを望むのならば、

 己の家族を、友人を、財産を、世界の全てを捨て、

 我等の“箱庭”に来られたし』と」

「ええと、はい」


「―――じゃあ、そのも、には、ちゃんとはあるんだろうな?」


 そう告げられた黒ウサギの体が、ピタリと固まった。

 愁は依然として静かな声音だが、その内側は有り余る憤怒が煮えたぎっていた。

 無意識に首元の指輪を強く握りしめ、愁は更に言葉を紡ぐ。


「俺には決して切り捨てられない友や仲間、帰りたいと願った場所、守り抜きたいと誓った世界が俺にはあった。俺自身の持つこの“才能”は、その世界を守る為だけに利用し振うと、俺はに誓ったんだ。けれど、俺と手鞠はあの手紙を読んだ瞬間にこの世界に連れて来られた。

 ―――俺の大切な世界は、に奪われた事になるんだが?」


 最後の言葉と共に辺り一帯に飛ぶ愁の殺気に、大気や湖、森林が震える。

 女性陣はその殺気に畏怖して震え上がり、十六夜は対照的に愁から感じ取った只ならぬ強者の空気に全身を粟立て、口角を釣り上げて構えた。

 手鞠は愁の一歩後ろに立ち、愁の『あの人』という言葉だけに一瞬ピクリと反応を見せた以外、全く表情を変えることなく事の進展を見守っていた。


「『ギフトゲームは互いの合意と正当性によって初めて成立する』とも言ってたな。じゃあ召喚はその限りじゃないのか? 事後承諾でどうにでもなると考えたのか?」


 今まで数々の死戦を潜り抜けてきた愁が培い身に付けた殺気をモロに受けている黒ウサギは、蛇に睨まれた蛙の如く、涙目になって動けないでいる。


 彼女にはまさか召喚者から『帰りたい』と言われるなんて考えはなく、愁の言う通り召喚後に如何に自身のコミュニティに引き込むかの考えしかなかった。

 黒ウサギは彼等の召喚を依頼した主催者から、その召喚者達は“人類最高クラスの恩恵保持者たちだ”と教えられていた。

 彼女の思惑にとっても、最高峰の恩恵を持っていると言われた人間はどうしても一人でも多く欲しい。帰られては困るのだ。


 だが、それらは表面上の理由でしかない。

 黒ウサギが焦る理由はもっと根本的なものだ。


 召喚者を元の世界の元の時間軸に還す方法を、依頼者であって召喚者ではない彼女は知らないのだ。


 それを告げたのなら、愁がどんな反応をするのかは想像に難くない。想像したくもない。

 意志のなかった者が無理矢理異世界に召喚されてしまい、更に還す方法も分からないなど、最早拉致や誘拐と変わらない。それを知らないで片付けるのは無責任にも程がある。

 黒ウサギは、自分のしてしまった事の責任の重さに恐怖する。


 緊張で急速に乾いていく喉と、波打つ様に速くなる心拍数。彼女の顔色は可哀想な程に真っ青だ。

 けれど、それでも彼女は勇気を振り絞り、せめてもの誠実さを以って彼にその事実を告げようと口を開こうとした。


 が、先に折れたのは愁だった。

 殺気を消し、深い溜息を吐いたのだ。

 黒ウサギは自身を縛っていた緊張が解け、力が抜けて膝をつく。


「なんて、怒りを黒ウサギにぶつけた所で、その様子じゃ依頼者でしかない君は還す方法を知らないんだろうな。………当たり散らして悪かった」


 まさかあれだけの憤怒と殺気を見せながら先に謝られるとは思いもせず、黒ウサギはすぐに返事をすることが出来なかった。

 気不味さ故の苦笑を浮かべて歩み寄って来た九条に、黒ウサギは差し出された手を取って立ち上がる。

 十六夜たちも、九条のその変わり様に目を見張って驚いた。付け加えるなら、その精神の自制力に驚かされていた。


 人間は良くも悪くも自身の感情に左右されやすい生き物だ。特に愁はまだ17歳で思春期真っ盛りの年代。感情が不安定で当たり前である。

 だが理不尽な目に合わされた筈の彼は反論の余地がない程の正論を並べた上で、知らないのなら仕方がないと割り切って怒りを消し、謝罪した。それが諦めからきた妥協ではない事は確かだ。

 彼と同じ事を、一体どれだけの数の大人が行えるだろうか。


 そんな彼を見て、黒ウサギを含めた一同は彼のその精神の強さを感じながら、彼の単純な本質を垣間見て思った。


 九条愁は、根本的に優しい、優し過ぎる人間なのだと。


 愁は十六夜達にも視線を向けると、頭を下げて謝罪する。

 怒らせたら怖いが、優しい性格なのだと知った飛鳥と耀はもう彼に怯えることなく、愁と同じく苦笑いを浮かべて首を振った。


「九条君が謝ることじゃないわ。話を聞けば、九条君の怒りは当然の事だもの」

「うん。悪いのは全部黒ウサギ」

「えええっ!? ちょ、ちょっとお待ちを!? 確かに召喚を依頼したのは黒ウサギですので責任があるのは認めますが、決して全ての責任が黒ウサギだけにある訳では―――」

「ああそっか。やっぱり全部黒ウサギが悪い気がしてきたから取り敢えず償いとしてその耳を俺にも触らせてくれ」

「って何でそうなるんですかぁあああああぅあんっ!」

「おっ、凄い触り心地いいなこの耳。十六夜達が小一時間も時間を無駄にして触り続けてた気持ちがよく分かるな」

「おい、どさくさに紛れてディスってんじゃねぇよ」


 さっきまでの重く殺伐とした空気はどこへやら、愁は元の笑顔を取り戻していた。

 愁のウサ耳を触る手は時に赤子を優しくあやすように撫で、時に力を入れて揉んだりと、絶妙な力加減で黒ウサギのウサ耳を弄っていく。

 それに堪らず黒ウサギは愁の手を拒絶しようにも、全身を電流のように駆け巡る快感に嬌声を上げて抵抗できず、その魔性の手から逃れられない。


「あっ! 待ってくだ……ぁふあっ! 」

「黒ウサギ、随分気持ち良さそうにしてんな。声が中々にエロいぞ」

「そ、そうね。ちょっと色っぽ過ぎてこっちが恥ずかしくなってくるわ」

『うむむむ、小僧のあの手つき。あれはできるわ……!』

「九条さんは動物の扱いが上手いんだね」

「私はペット扱いですか!?」

「愛玩動物の類なのは間違いねぇな」


 顔を真っ赤にしながら抗議するも、弄りに弄り倒されている今の黒ウサギにはまるで説得力がない。


 険呑な雰囲気は完全に消失し、少ししてから彼ら一行は、黒ウサギの案内で巨大な天幕が覆う未知の都市へと歩き始める。


 それまで静観を貫き続けた手鞠のその瞳は、まるで母の様に暖かい慈愛を宿して愁を見守り続けていたのだった。



 *



 湖から歩いて森林を抜け、都市周りを囲う高い外壁の門に続くペリベット通りの噴水広場で愁たちは、その少年と出会った。


「コミュニティのリーダーをしているジン=ラッセルです。齢十一になったばかりの若輩ですがよろしくお願いします」


(黒ウサギのコミュニティのリーダーがこんな少年……? ……俺たちを召喚させたのと、あのどこか余裕の無い様子は、つまりそういう事か?)


 愁は、目の前のサイズの合わないダボダボのローブを着た少年を見て、そして彼の持つ肩書きを聞いた瞬間に、ある程度彼らの状況を察した。


 道中に問題児筆頭の十六夜が「世界の果てを見に行ってくる」と言って黒ウサギに黙って駆け出して行ったというハプニングがあり、黒ウサギは愁たちをジンに任せ、怒りのオーラ全開で十六夜を探しに一瞬で跳んで行ってしまった。

 黒ウサギの見た目と性格から想像出来ないその身体能力に感心していた愁は、明らかに実力的には黒ウサギの方がリーダーに向いていると思ったのもあり、何か訳があるのかと悟ったのだ。


 ジンの年齢に似合わない礼儀正しい自己紹介に倣い、愁たちも順に自己紹介をしていく。


「久遠飛鳥よ。それから猫を抱えているのは」

「春日部耀」

「九条愁だ。よろしくな、ジン」

「手鞠と申します」

「さ、それじゃあ箱庭に入りましょう。まずはそうね。軽い食事でもしながら話を聞かせてくれると嬉しいわ」


 飛鳥の言葉に一同は賛同して頷き、箱庭の外門を潜った。

 箱庭の幕下、石畳みの通路を歩く一行は、あのスカイダイビングの際に都市の中が全く見えなかったにも拘らず、幕下にいる今現在も太陽の光が降り注いで来る不思議な天幕と遠くに見える巨大な建造物の造形、都市に住む種族などについて話しながら、適当に選んだ“六本傷”の旗が掲げられたカフェテラスに座った。

 飛鳥と春日部は異世界のカフェに興味津々で、知らない料理や飲み物を見るたびに楽しそうに話している。

 愁はカフェの外観やメニューなどを見て、不思議そうに言葉を零した。


「異世界でも、俺たちの世界のカフェとあまり変わらないんだな」

『確かに、もっと奇抜なのを想像していましたが案外普通ですよね』

「そりゃそうですよ。ここは貴方達の世界外界の修羅神仏が集う世界なんですから。宗教や民族的な文化が神格や霊格と密接に関わる存在も多いので、文化的に似通ったものが多いのは当然です」

「……という事は、この世界は俺たちのいた世界と偏在して関わる世界という事か?」

「そうです」

「成る程……飛鳥達、決まったか?」

「ええ。九条君たちはどれにする?」

「俺はコーヒーだけでいいかな」

『私は緑茶と最中を』

「あんのかよ最中」

『はい、ありましたよ!』

「僕も緑茶を」

「はいはーい! お決まりですかー?」


 そうして全員が頼む物を決めた所で、タイミングを見計らった様に、人懐っこい笑顔の猫耳少女が注文を取りに来た。


「紅茶2つにこれとこれを。それから緑茶2つに1つは最中を。後単品でコーヒーを1つ」

『それからネコマンマもな!』

「ティーセット3つに単品で緑茶とコーヒーを1つずつとネコマンマですね! かしこまりましたー!」


 ………ん? とその注文内容に飛鳥とジンは首を傾げた。愁と手鞠は苦笑している。

 耀は信じられないものを見る目で驚いており、店員に問いただした。


「………三毛猫の言葉、分かるの?」

「そりゃ分かりますよ。同じ猫族ですからね。お歳のわりに随分と綺麗な毛並みの旦那さんですし、ここはちょっぴりサービスしますよー」

『姉ちゃんの耳と鉤尻尾も可愛いやないか。今度機会があったら甘噛みしに行くわ』

「やだもう、お客さんったらお上手なんだから♪」


 三毛猫のお世辞に気を良くした猫耳ウェイトレスは、上機嫌に長い鉤尻尾を振って店の奥へと消えていく。

 その後ろ姿を見送った愁は、耀に撫でられてる三毛猫に視線を向けるとずっと思っていた事をつい口に洩らした。それは人には聞き取れない程小さな声だった。


「にしても、随分達者な関西弁だなぁ……」


 飛鳥とジンには聞こえなかったその声を、耀と三毛猫は聞き逃さなかった。

 ギョッとした表情で動揺した耀は、愁に聞き返す。


「え……? 九条さん、三毛猫の言葉が分かるの?」


 その言葉にジンと飛鳥も驚いたように耀と愁を見る。

 愁はしまったと口を抑えたが、すぐに無駄だと諦めて溜息を吐いた。

 手鞠は隣でクスクスと愁を笑っている。


「ちょっ、ちょっと待って。春日部さんと九条君はもしかして猫と会話が出来るの?」

「うん。三毛猫だけじゃなくて、生きているなら誰とでも話は出来る」

「あー……まあ、そうだな」

『ふふふ、実は私も出来ますよ?』

「えっ!?」


 耀は更に驚くと同時に、愁と手鞠に対して一気に親近感を覚えた。

 同じ能力を共有して話せる友人など存在しなかったが故に、耀は同じ能力を持つ人がいる事を嬉しく思ったのだ。

 先程隣の手鞠に笑われた事にムッとしていた愁は、手鞠に気づかれないように首元の指輪を握ると、藍色の炎を小さく灯しながら悪戯な笑みを浮かべて言い放った。


「手鞠はそもそも、じゃないからな」

「えっ!?」

『ちょっ、愁!?』


 突然の曝露に、手鞠は愁に叫ぶ。

 だが、に気付いて瞳を大きく見開いたジンの言葉によって、手鞠はそれどころではなくなった。


「て、手鞠さん、その頭は……!?」

『はえっ!?』


 即座に手鞠は頭を触ると、そこには確かに自分の毛並みと感触に一切疑いようのない、隠していた筈の獣耳が生えており、手鞠は余計に混乱し取り乱す。


『なっ、えっ、どうして!? 私は人化を解いていない筈なのに……!? はっ!? さては愁、貴方ですね!?』

「さあ、何のことだか?」

「じ、人化?」

「その耳……手鞠さんは、狐だったのですか?」


 シラを切り通そうとする愁に問い詰める手鞠だが、彼女はついに自分で自身が人ではない事をバラしてしまい、そしてジンに正体を暴かれた。

 愁は悪びれる素振りもなく、ショックを受けて固まった手鞠を笑って言う。


「この世界なら別にお前の正体バラしても大丈夫だろ。ここは神も仏も悪魔も幻獣も棲まう世界らしいからな」


 愁が指輪から手を離すと、手鞠の頭に生えていた獣耳は霞みの様に霧散していく。

 その現象に飛鳥達は、益々愁の能力に興味を抱く。


 そしてその能力について質問するために飛鳥が口を開こうとした瞬間、


「おんやぁ? 誰かと思えば東区画の最低辺コミュニティ“名無しの権兵衛”のリーダー、ジン君ではないですか」


 背後から突如響いた、皮肉を帯びた品の無い雄雄しい声に遮られた。

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星の守護者の箱庭遊戯録 agNi @you3745

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