舞台は箱庭へ


 文面を追っていた筈の視界は、いつの間にか雲一つない大空へ。

 突如襲った浮遊感。

 そして遠くなっていく太陽。


 愁が自分が落下している事に気付いたのは次の瞬間だった。


「………っ!? はあ!?」


 突然の急展開に混乱する愁だが、直ぐさま高速落下する体を反転させて下を見た。

 そこに広がる壮大な景色を前にして、愁はまた驚愕するのだった。


「なっ!? 何処だよここ!? 絶対に日本じゃないだろう!?」


 腹の底から湧き出す疑問を叫ぶも、その声は風の圧力に掻き消される。

 目下にある地平線は、世界の果てを彷彿とさせる断崖絶壁。

 落下地点にある湖を中心に広がる圧倒的大森林。

 尺度を見間違う程の巨大な天幕に覆われた未知の都市。


「………、すげぇ……」


 全てが全て、見た事もない世界。

 見惚れる程に、生命の息吹に満ちた素晴らしい世界に、愁は高速落下しながらも心から感動を覚えた。


 だが、愁は己の状況を思い出す。

 高度約4000m上空からのスカイダイビング。パラシュートなどある訳がない。

 目の前の湖がどれだけ深いのかは知らないが、それでも一つだけ分かる事はある。

 このままのスピードで湖に飛び込めば、軽くて水面と水底に強打して全身骨折。下手すれば内臓破裂もセットでついて来る。


 ―――つまるところ、愁は現在進行形で死への階段を上っているのである。


「やばっ……!? っ、手鞠は何処だ!?」


 恐らく一緒にこの世界に迷い込んだ筈の相棒の名を叫びながら、愁は直ぐさま行動を起こした。

 手鞠が高度4000mから湖に飛び込もうと、それについての怪我の心配を愁はまったくしていない。

 だが、何を隠そう手鞠はなのだ。加えて着ている服も着物。まず間違いなく溺れる。


 愁は己の首に掛けられた指輪の鎖を引き千切り、中石を覆うマモンチェーンを外して右手の中指に嵌めた。

 そして上着の胸ポケットから取り出した白いボックスを取り出して左手に持つと、愁は右手に力を込める。

 刹那、指輪の宝石に集約する眩い白い光。

 宝石から勢い良く白透明の炎が灯った。


「よし……開匣!」


 愁はその炎を迷う事なく、ボックスの小さな穴へと注ぎ込む。

 刹那、開いたボックスから射出されたそれは、愁の足へと装着された。


 と、そこへ愁の体に何かが触れた。

 愁はそれを手鞠だと思い、強引に腕の中に抱き寄せる。

「きゃっ」という普段の彼女より若干幼いような声が聞こえた気がしたが、物凄い速さで迫ってくる湖を前にそれを確認している暇はない。


 足を下にして体勢を整え、愁は再度指輪から炎を灯すと、それに連動して足のブースターから白い炎が噴き出した。

 最大出力での炎の逆噴射。だが、直ぐには止まれない。


「止まれ………っ!!」


 推定距離は後500m。着水まで10秒も無い。腕に力が入る。

 間に合わないかと思った愁だったが、用意されていたかのような緩衝材らしき水膜を何度も通過していき、段々と速度が落ち始め―――。


 そして愁は水面スレスレで、漸く止まる事が出来たのだった。


「ふぅ………肝が冷えたな」

「あの……」

「ああ、済まん手鞠。少し力が………え?」


 愁は自分が咄嗟に抱き寄せたものをそこで確認した。

 それは手鞠ではなく、同じ日本人らしき顔立ちに、上品で艶やかな黒髪。制服の様なブラウスと黒いスカートを身に纏った見知らぬ少女。

 予想外の事に呆ける愁。無理もない。

 そんな愁の様子に困惑しつつも、抱えられた少女――久遠飛鳥は口を開いた。


「えっと………助けてくれてありがとう、かしら?」

「………え? あ、ああ………」


 飛鳥からの礼の言葉に我に帰った愁だが、彼女を助けたのは完全なる人違いのため、歯切れの悪い返事になった。

 じゃあ手鞠は一体何処へ………?

 そう思い、愁は空を見上げた。


 直後、激しい音ともに上がった四つの水柱。

 その中心にいた愁と飛鳥は、着水を免れたにも拘らず、その水飛沫を盛大に浴びる事になるのだった。



 *



 結局ずぶ濡れになってしまった愁は、一先ず飛鳥を岸辺に下ろして肩にかけていたポーチからハンカチを渡した後、ポーチと上着を飛鳥に預けて再度水柱の上がった地点へと戻り、ぶくぶくと泡が出るだけで人影が水面に上がって来る気配のない場所を見つけて湖に潜ると、眼を回しながら沈んでいた手鞠を発見して救出した。

 手鞠を抱えて湖畔へ戻ると、飛鳥以外の見知らぬ少年と少女、そして猫一匹が湖畔に増えており、飛鳥を交えてこの状況に陥れた何某かに対する罵詈雑言を吐き捨てていた。

 愁が三人と一匹の下へ降り立つと、三人は三者三様に愁へと注目する。


 愁に対して、好奇心と興味が剥き出しの視線を送る少年――逆廻十六夜は、抱えていた手鞠を下ろして寝かせている愁に不敵な笑みを浮かべて話しかけた。


「このお嬢様に聞いて眉つばだと思ったが……本当に飛んでるとはな。なあおいアンタ、その炎は一体何なんだ?」

「いきなりだな。まずは自己紹介からにしないか?」

「ああ、それもそうだな。俺は逆廻十六夜。粗野で凶暴で快楽主義の三拍子が特徴の駄目人間だ。よろしくな」

「随分愉快な自己紹介だなぁ……。俺は九条愁。生憎と逆廻の様なユーモア溢れた自己紹介文は持ち合わせていない、至って普通の高校生だよ」


 そう言いながら指輪に灯る炎を消し、足に装着していたブースターをボックスへと戻す。

 十六夜はその見たこともない技術と力に益々興味を引かれながら、ハッと笑いを吐き捨てた。


「見た感じは俺と同い年ぐらいか? にしては、随分と背伸びに気取った上質そうなスーツを着てるじゃねぇか。それに、普通の高校生が足と手から白い炎を出して空を飛ぶかよ。それが普通だったら俺は元の世界で退屈せずに楽しく愉快な人間生活を送れたもんだぜ」

「………ああ、まあ。少なくとも俺を取り巻く環境は普通じゃなかったからな。それを言われるとちょっと反論が思いつかないな」


 十六夜の皮肉に、愁は遠い目をしながら苦笑いで返す。

 そんな愁に疑問の表情を浮かべた十六夜は、次に愁の傍らで横になっている手鞠へと視線を向けた。


「んで、そっちの銀髪着物美女は九条の連れか?」

「ん? ああ、そうだ。彼女の名は手鞠。気を失ってるだけだから少しすれば起きるだろ」

「ふぅん、そうかい」


 そこで二人の会話は途切れる。

 それを見計らって飛鳥は愁へと歩み寄ると、借りたハンカチと預かっていたポーチとスーツの上着を差し出して笑みを浮かべた。


「ハンカチをどうもありがとう。さっきのも含めて改めてお礼を言うわ。それから私は久遠飛鳥。よろしくね、九条君」

「荷物を預かってくれてありがとう。といっても、君を助けたのは実は人違いなんだ。それに結局濡れたことには変わりないし」

「それでも溺れて死にかけるなんて思いはしなくて済んだもの。助かった事に変わりはないじゃない?」

「そう。じゃあ素直に礼は受け取っておくよ」


 ハンカチとポーチ、上着を受け取った愁は、少し離れた場所でこちらを見ている猫を抱えた少女へと視線を向けた。


「で、君が最後かな」

「うん。私は春日部耀。こっちは三毛猫」

『お娘共々よろしくな、坊主』

「へぇ、の三毛猫なんて珍しいな。九条愁だ。よろしくな」

「……? よろしく。……ところで、そっちの人は本当に大丈夫?」

「ああ、大丈夫だ。その内起きるから」

『う、う~ん……』


 丁度全員との自己紹介が済んだところで、気絶していた手鞠は唸り声を上げながら意識を取り戻し、体を起こした。

 そして周りを見渡して愁を視界に入れるや否や、その金色の瞳に憤怒を宿して愁を糾弾した。


『愁ッッ!!! ど・う・し・て、私を助けてくれなかったんですか!!? 死ぬかと思いました! 死ぬかと思いました!!』

「悪かったって。てっきりお前を抱えたと思ったんだよ。俺たち以外にもスカイダイビングしてる人がいたなんて思いもしなかったし、俺も余裕が無かったから確認なんてしてられなかったんだ」


 2回も言う辺り、本人的には本気で死に掛けたらしい。

 『お前は溺れるぐらいで死にはしないだろう』という思いを抱いた愁だったが、今それを言うのは彼女の怒りの炎に油を注ぐだけである。

 手鞠の憤慨を受け入れながら、せめてもの気遣いとして手に持ったままのハンカチで彼女の顔を拭く。

 そんな彼女を相手にしつつ、愁は十六夜たちと情報交換をするためにこの状況について話し合い始めた。


「ところで………三人もあの手紙が原因で?」

「ああ。こんな手荒い歓迎を受けたのは生まれて初めてだがな。つか、何で誰もいないんだ? 招待状に書かれていた箱庭とかについての説明をする奴がいるのが礼儀だろ普通は」

「まったくだわ。私たちを呼び出した犯人にはたっぷりとお礼をしなきゃいけないわね」

「以下同文」

「そうですね。ええ、本当に………ふふふふふっ」

「………」


 愁は確信する。

 目から光を消してうわ言を呟く手鞠はともかく、この三人は一癖も二癖もあると。


(………ま、自業自得だよな)


 愁は溜息を吐き、近くの森の茂みを一瞥する。

 この4人に報復を受けるであろう、あの手紙の送り主らしき人物に心の中で合掌をした。



 *



 フギャアアアアアアァァァ………


 湖と森に木霊した、少女の絶叫。

 その声の主である、現在進行形で愁と手鞠以外の三人に自慢のウサ耳を引っ張れている少女――黒ウサギは、傍観を決め込んでいた愁と手鞠に涙ながらに助けを求めた。


「あの、そこの殿方! 見てないで助けて下さいな!」

「いやぁ……正直、俺もあの呼ばれ方は流石に不服だからな。せめてもの償いだと思って、彼らの気が済むまでの辛抱しろ」

『ええまったく。いい君ですね』

「えええええっっ!!? あの召喚は私がしたのではなくて……痛い! 黒ウサギの耳はそんなに伸びないたたたたたたたっっ!!!」


 依然としてウサ耳を弄られる黒ウサギと、黒ウサギに問題児認定をされた十六夜たち三人を眺めながら、愁はどこかその光景に懐かしさを覚え、手鞠だけに聞こえるように小さな声で呟いた。


「ところで、あの光景は何か見覚えがあるな」

『そうですね。かれこれ15年ぐらい前に私が愁にヤられた事ですからね』

「そうか……もう、そんなに経つんだな……」


 じとりとした視線を愁に送りながら皮肉を言う手鞠だが、当の本人は悪びれる事もなく幼い頃の記憶を懐古していた。

 しかし、愁はふと思い出したように手鞠へと顔を向けた。


「あ、そうだ手鞠。湖から拾い上げた時に俺の霧の炎で隠したからまだバレてないけど、今のお前は人化が解けてるからな? お前も黒ウサギみたいになりたくなきゃさっさと耳をしまえ」

『え? あ、ホントですね……ありがとうございます、愁』

「お前はすぐに気を抜くからな………」


 手鞠の周辺が一瞬、ふわりと風が舞ったのを確認して愁は手から指輪を外し、懐から新しくチェーンを取り出して指輪を通して首に掛け、シャツの中にしまう。

 そして二人は近くにあった岩に腰掛け、三人の気が済むのを待ちながら、太陽の光に照らされ輝く湖の景観を楽しむのだった。

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