第5話 魔王さまのくせに恋に落ちたかもしれない

「……」


「……」


 彼女の瞳が少し揺らいだような気がフィルにはした。


 ――「フィル様は相変わらず邪悪な顔ですねー」


 脳裏にリナリアの言葉が過る。


 別に彼女が特別毒舌というわけではない。


 フィルの人相の悪さはずっと言われてきたことだった。


 それはもう生まれたときから――。


 特に初対面なんてひどいもので、その気はなくとも昔からこの人相によって因縁やいちゃもんをつけられることは少なくなかった。


 そのためフィルは自分の顔が好きではなかった。


 しまった……。


 フィルに緊張が走る。


 給仕係のように恐れて逃げてしまうかもしれない、そう思ったのだが。


 しかし――。



 にっこり。



 少女が屈託のない笑顔になる。


 そして。



「大丈夫ですか? どこかお怪我とかしていませんか? 私、少しなら薬草持っていますので遠慮なく言ってくださいね。もしかしてさっきの大きな音で驚いて湖に落ちちゃったとかですか? わかりますっ。私もびっくりしちゃいましたもの。あれってもしかして例のドラゴンの仕業だったんですかね。なんでも別大陸から来たみたいなことを村で聞きましたよ。なんだかちょっと怖いですね~」


 すっごい勢いでまくし立ててくる。


「あっ。すみません、気付かずに。立ち上がれますか? 私、力にはちょっと自信あるんですよ。ささ、手を貸してくださいな」


 そう言うと少女は気合を入れたように腕まくりをしてから、なんの躊躇もなくフィルの手を取ってくる。


「え――?」


「んーっ。んーっ」


 懸命に引っ張ってくれるが、長身のフィルはびくともしなかった。


 このままでは切りがなかったので、少女の勢いに圧倒されながらもフィルはそそくさと立ち上がる。


「ふぅ」


 額の汗を拭いながら一息ついている。


 そんな少女がフィルに向き直ったかと思うと、


「まあっ」


 大きく目を見開いた。


「そのご立派な防具もしかして王国でも名のある騎士様なのでは!? なぜ騎士様がこのようなところへ!?」


「いや、俺は……」


「ああ! すみませんっ。お名前を尋ねるときはまず自分が名乗らねばですよね! 私はシャノン・アリウス・オレットと申します。ふもとのロックレイク村で薬師のようなことをしています。と言っても母の見様見真似みたいなもので、まだまだ未熟なんですけどね。えへへ」


 シャノンと名乗った少女が少し照れたように笑う。



「……ノンちゃーん……シャノンちゃーん」



 ふと、遠くで幼い少女の声が聞こえてくる。


「あ――――っ!」


 今度はシャノンが大きな声をあげた。


「いけません! ニアちゃんのことうっかりすっかり忘れてました!」


「に、ニアちゃん?」


「私の妹なんです。おめめがくりくりっとしてて髪の毛はふわふわっとで、とっっっても可愛いんですよ! 大きな音がしたから様子を見てくるって置いてきちゃったんでした! ああ! ニアちゃん泣いてなければいいんだけど。そ、そういうわけなので私はもう戻りますね」


「あの、ちょ――」


 フィルが声をかけようとするが、シャノンは足早に去って行ってしまった。


 先ほどまでまくし立てるように喋っていた少女がいなくなり、まるで水を打ったようにあたりが静まり返る。


「待って……くれ」


 独りごちるように言うが、それは森の静寂に虚しく溶けていった。


 ――「大丈夫ですか?」


 先ほどのシャノンの笑顔が脳裏に蘇る。


 なんだ、これは……。


 フィルは胸の奥が締め付けられるような痛みを覚える。


 しかし、不思議とそれは嫌な気はしなかった。


 ――「ささ、手を貸してくださいな」


 何の躊躇いもなく、握ってくれた彼女のぬくもりが手にはまだ残っていた。


 なんなんだ、これは――。


 フィルは戸惑っていた。


 自分でも持て余してしまう正体不明の感情に。


 何故か早鐘のように打つ胸の高鳴りに。


 しかし。


「あ」


 ひとつだけ確かなことがあった。



「もう一度、あの人に逢いたい」



 ――「ふもとのロックレイク村で薬師のようなことをしています」


 先ほどシャノンの言葉を思い出す。


 ふもとの村、か。


 ……よし、決めたぞ。


 俺は――。


 そのとき。


「あー。いたいたー。探しましたよー」


 今度はフィルの背後から声がかかった。


「いやー。驚きですねー。ここってやっぱりユーフェミニアなんですかねー。本当に別大陸への転移魔法陣を編み上げてしまうなんてフィル様って無駄にすごいですよねー」


「リナリア……」


 振り返った先にはドラグガリアにいるはずのリナリアの姿があった。


「顔こわー。濡れて凶悪さが倍増してますよー。もしかして湖に落ちたんですかー?」


「……」


 早速悪態をついてくるが、今フィルは心ここにあらずだった。


「フィル様?」


 気だるそうにしていたリナリアが少し心配そうに下から覗き込んでくる。


「リナリア」


 そんな彼女にフィルは宣言した。



「俺は村人になる」

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