第16話 異世界のドージンウォーズ②

 コミックウォーズイケオウルは、正確には同人誌即売会ではなく、魔法芸術文献展示会、というらしい。受注生産がほとんどなので、『即売会』ではないのだ。

 一般参加者(このイベントの場合、バイヤーと呼ぶべきなのかもしれないが)がぞろぞろと会場内に入っていく。

 ミシェルのブースの配置は、島中の端寄り、会場奥。決して良い配置とは言えない。この辺りは美術学院の仲間が多いと言っていたから、どちらかというとまだまだ実績のないアマチュアの島、といったところか。

 だが、こちらはイベントのプロ、販促のプロ、オタク書店の最先端だ。池袋といえば、アキバに次ぐほどのオタクの聖地。アニゲーブックスの店員が、その道で負けるはずもない。

 奥にいようが関係ない。こちらは搬入数が違う。見本だけではなく、完成品の本を『即売』できるのだ。しかもあんたまの本もあるので新刊は二種。

 この本気設営は、この世界でも戦える。

 現に、一般参加者の流れは、いわゆる『壁サークル』から、確実にこちらへと向いている。

 そうだろう。こんな展開をしているコミックを、この世界はまだ知らない。確実に興味は引いている。

「ミシェルちゃん、人が来る! 見てるよ!」

 先ほどまで死に顔を晒していたあんたまも、思わず跳ね起きた。

「姫とみしぇるんでぇ、ゆりゆりあぴーるするんだよ」

「え、え? こう、ですか?」

 姫様がミシェルを巻きこんで、描き下ろしポスターの二人のポーズをとって、さらに目線を引きつける。ゆりゆりっていうか、中身はふたなりですけど。何かメロディが満足そうだからつっこまないけど。

 ホログラムPP加工つきで、カラー口絵あり同人誌。

 そこそこの厚みがある六〇ページ。

 三百冊のアニゲ積み。

 そしてコスプレ売り子付き。

 学生どころか、壁サークルだってこんなことはしていない。

 バイヤーたちが、次々に訪れる。そして同人誌の出来の良さと、単価の安さに驚嘆している。

 この値段でこのクオリティが作れるのは、ニポーンから日本の印刷所に発注ができるアニゲーブックスのみ。

 そう、つまりこれは、アニゲーブックスの営業でもあるわけだ。日本の印刷所と取次して、こちらの専売契約を結ぶことができれば、アニゲーブックスの売り上げは安泰だ。

 魔術関連のコネクションが増えれば、日本と自由に行き来ができる日も来るかもしれない。この展示には、そういった狙いもある。あの黒い穴を、人間が行き来できるくらい安全に運用できる人材と出会うことができれば、安心して帰れるし、こちらに戻ってくることだってできるのだ。

「ミシェル……貴方! これはどういうことですの?」

 見知った顔が近づいてきた。そう。ミシェルを何やらライバル認定している、悪役令嬢風プリンセス腐女子アイリーン。

「あ、アイリーンちゃん、久しぶり! BL新刊できた? 後で読ませて! 買うから! めっちゃ買うから!」

 空気を読まずに飛び出したメロディのおかげで、アイリーンは少しばかり出鼻をくじかれたような顔になった。そういえばこの二人、友達になっていたのだった。

「メロディさん、今はミシェルとのお話が先ですわ」

「ええー。かまってよ、アイリーンちゃん! BでLなガールズトークしようよぉ! 百合話でもいいよぉ」

 いや、確かにお前は売り子カウントには入っていないが、店員として仕事中なのだからガールズトークは終わってからにしなさい。アイリーンさん困っているだろうが。

「一体、どれほどの魔術師を雇ったら、こんなに本を用意できるというのですか? 恐ろしい……」

 ああ、なるほど。この世界の基準から考えたら、魔法製本のために鬼のように魔術師をこき使ったように見えるのか。印刷新技術も大々的に告知しておいた方が良かったかもしれない。これではミシェルが魔術師酷使のブラック雇主になってしまう。

「アイリーンさん、こちらはアニゲーブックス店長さんのお知り合いを通して、魔法ではなく『おふせっと印刷』なるもので作ったのです。だから、魔術師さんに負担はおかけしておりませんよ。アニゲーブックスで売っている本は、全てこんな風に作られているそうです」

 ミシェルがニコニコと微笑みながら解説する。ミシェルの方は、特にアイリーンに対してライバル意識を持っているわけではないようだ。

「おふせっと……いんさつ? あの店にたくさんあった宝石のような本たちが、その技術で作られているというんですの?」

 アイリーンは、すでに何度もアニゲーブックスに足を運んでいる。実際に本も買っているから、印刷技術の高さを実感しているだろう。

「よろしければ、今度印刷技術の紹介パンフレットをメロディに持たせますよ」

 印刷技術紹介パンフレット、というかぶっちゃけ印刷所のパンフレットだけど。大体の印刷所パンフレットには入稿方法の流れで印刷方法の説明があるし、丁寧なところならオンデマンドとオフセットの違いまで書かれている。

「良いんですの? 敵に塩を送るようなものですわよ」

「うーん、別にミシェルさんも俺たちも、アイリーンさんのことを敵だと思っていませんよ」

 どちらかというと、この世界に『敵に塩を送る』というワードがあったことに驚いたというか。どういう故事が元になっているのか、後でミシェルにきいてみたい。

「俺としては、アニゲーブックスでミシェルさんやアイリーンさんの本を売ることが目標なので、興味がおありでしたら本当に大歓迎なんです。あとで出展ブースにおうかがいしても?」

「……いいでしょう。そこまで言うなら、私の本を貴方たちにお見せしてあげてもよろしくてよ。私の崇高な! BLの世界を見せつけてあげる!」

「あ、新刊間に合ったんですね。おめでとうございます」

 すごいな、腐女子の瞬発力。ハマったが吉日。

 椅子に座ってヘタレ気味になっているあんたまが「私も触手本探したいぃ〜」とうめいているが、聞かなかったことにする。

「てんちょ、私も一緒に見てきていいです?」

「ん? まぁ、ここには今、他に四人もいるしな。いいぞ」

「やったぁ! こっちの発酵したてフレッシュ腐女子の本が読める~!」

 発酵したてって。チーズじゃないんだから。

 メロディと連れだって、アイリーンの展示ブースに向かう。彼女のブースは、他のブースト同様に見本誌のみで、受注販売権利を売る形式となっているようだ。彼女の髪やドレスの色に合わせたかのような青紫色の布地の上に、バラの花が散らされている。小さな木製のイーゼルに飾られた見本誌は――。

「うーん、新鮮なBLだわぁ」

 メロディの謎感想はともかく、見つめ合う男と男の表紙だった。同人誌というよりは、商業BLにありそう。R指定がついていなかったことに、ホッとしてしまった自分がいた。いや、時間があったらR指定だったかもしれないな、これ。

「もっと耽美な感じになるかと思った……」

「てんちょ、アイリーンちゃんが好きなのは、甘々ラブイチャ青春系なので、いかにもお耽美なのはナシっすよ~。というか、今はそういう系統はBLのメインストリームじゃないんで」

「いや、それは俺だって知ってるよ。発注やってるんだから」

 正直に告白すれば、完全に悪役令嬢っぽい見た目のイメージで耽美っぽいのが好きそうと思っていただけで。そういえば、このご令嬢、初手でオメガバース買った猛者だった。

 オメガバースが何なのかについて語りだすと、話がめちゃくちゃ長くなるし、俺も正直把握しきれていないところがある性癖なので、割愛。

「これをミシェルに渡してくださる? 私の今の全力、私がアニゲーブックスのBLに出会って知った芸術の極致を注ぎ込んだ傑作ですわよ」

 アイリーンは勝ち誇った顔で、見本誌とは別に作っていたらしい新刊を、俺に差し出した。俺は素直に、それを受け取る。

 ミシェルの性癖と彼女の性癖は違う。だけど、ミシェルは多分、これを受け取るだろうと思った。アニゲーブックスで買った本を読んで、『萌える』あまりに描かずにいられなくなったこの作品を、ミシェルはきっと読んでみたいと思うだろう、と。

 アイリーンは少しだけ改まった様子で、わざとらしくコホンと咳払いをした。

「実は……ミシェルには礼を言わねばなりません」

「ん? どうしたんです?」

「芸術学院は六年まで在籍が可能ですが、コミウォに出展できるのは四年から。しかし、四年になって初めて展示しても、売り手の目に留まることはほとんどありません」

 アイリーンは静かに、淡々と語る。

「四年生のほとんどは、屈辱を感じながらコミウォを終える。その覚悟を決めてきていますが、五年目、六年目に再起を誓う学生は半数ほど。ほとんどはこの四年の展示で心が折れて、芸術家としての夢を諦めるのです。私もそうなっていたかもしれません」

 ――だけど、ミシェルのおかでげその流れが変わった。

 アイリーンが言いたいのは、つまりそういうことだ。

 誰にも作品を見てもらえない屈辱を、通過儀礼として受け入れることが、芸術学院の生徒にとっては当然のことだった。そもそも、見に来る人間がいないのだから、どんなに良いものを作っても意味がない。そうやって芸術家の卵はどんどん消えていく。

 今回のコミウォでは、ミシェルがアニゲーブックスと提携し、前代未聞の大量印刷とプロモーション展開をした。その結果、普段は学生たちの作品には見向きもしない買い手が、ミシェルの展示を見ることで広く展示を見て回るようになった。

「私には描きたいものがある。いえ、描きたいものができたというべきかもしれません。どうすればこの想いを伝えられるのか、足を止めることすらない人々を振り向かせられるのか。そればかり考えてここ数日を過ごしていました。まさか、ミシェルにこんな形で救われるなんて思いませんでしたわ」

 アイリーンの話を聞いて、俺はミシェルがどうしてアニゲーブックスにコミウォの協力を求めて来たのか、ようやく腑に落ちた気がした。

 俺たちにとってミシェルはこの世界の芸術、文化を知るための接点だったが、彼女にとってのアニゲーブックスは『若手芸術家の救世主』だったのだ。

 ニッチな性癖も自由に取扱う、しかも一種類の本を大量に在庫をストックしている本屋。ミシェルからすればアニゲーブックスは、この世界従来の価値観を一新する新しい本屋だった。

 ミシェルにとって、アニゲとのコラボはコミウォを学生たちの挫折の場にしないための挑戦だった。そして、それは見事成功した。

「てんちょ、何かこういうの、嬉しいっすね、へへへ」

「そうだな」

 メロディの言葉に、俺もうなずいた。初めての同人イベントで、一冊も売れないどころか立ち止まる人もいなかったなんて、日本でもよくある話だ。だけど、よくあるから平気なんてことはない。

 誰も見てくれなくてもいいなら、そもそも発表なんてしなくてもいい。ベストを尽くして、作品を見てもらう努力をする。それも創作活動の醍醐味のはずだ。

「本は確かにお預かりしました。ミシェルさんに責任を持ってお渡しします」

「ええ。お願いできるかしら」

「それと、アイリーンさんさえ良ければ、貴方の本をアニゲーブックスでもお取扱いできるように、手続きをすることもできます」

「私の本を? あの店で?」

 アイリーンがきょとんとした顔になった。まさか自分まで、と思ったのだろう。

 アニゲーブックスは同人・コミック専門店だ。たった五冊からでも、委託は可能。こちらの魔法製本でも、十分委託する部数の用意ができる。

「いつでも、ご相談お待ちしております」

「……考えておきますわ」

 口ではそう言いながらも、アイリーンは優雅に――どこか無邪気に、微笑んだ。

 俺とメロディは顔を見合わせて、小さくガッツポーズを決める。彼女はきっと来る。この世界での二件目の委託作品ができそうだ。

「店長!」

 その時、セージが焦った様子で駆けてきた。

「おい、セージ、イベント会場は走るな」

「あっ、すみません! じゃなくて! やべーんですよ! すぐ来てください!」

 普段、飄々としているセージが、慌てて俺の元に飛び込んでいる時のパターンは決まっている。万引きか、クレーマーだ。

 そして、このイベントで、これだけのメンバーを前に万引きをするやつはいないであろうから、消去法でクレーマーと判断する。

「やっぱり来たか……」

 ここからはアニゲーブックス店長、小田九曜の戦いだ。

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