第14話 異世界から帰りたくないわけじゃない

 お疲れ様です。アニゲーブックスイケオウル店、小田です。

 え? どうしたんですか、突然。え? ああー……そう、ですね。まぁ、少しは元気がなかったかもしれません。いやいや、もう原稿修羅場は終わっていますよ。バイトも山田以外は全員通常シフトに戻っています。俺は……はは、ちょっと仕事で居残りしてたんで寝不足ですけど。

 ああ、山田ですか? ……山田は今、コミウォ対策の追い込みをやっています。こればかりは、俺も他のバイトも、手伝えることがあまりなくてですね。はい? ああ、ハイ。ブクロでゴスロリ着ながら働いていたあのバイトです。さすがにゴスロリはやめてくれって言ったら、ギリギリ動ける感じのフリル服で攻めてくるようになりましたけど。

 はい。……はい。コミウォのことなら、順調ですよ。やだな、何かすごい、いつも以上に気を使ってくれてません? 俺、なんかしました? あー、いや、したな。異世界同人誘致のこと、ほぼ俺の独断専行ですね、ホントすみません。

 いやー、いやいや。ああ、そうですね。俺も部長もバイトからのたたき上げ組でしたね。部長が店長だった頃に、俺はバイトだったんでした。懐かしいですねー。まぁ、付き合い長いと電話口でもバレるもんなんですね。

 俺、そんなテンション低いです? あー、じゃあラブピュアについて語ってもいいですか? 秒でテンション上げられる自信ありますよ。え? ダメ? そこをなんとか。

 あー。はい。はい……。ええと、その、実はですね。昨晩、荷物がいつくらいにこの店に来るのか、確認したんですよ。もしかしたら、帰るための手がかりにならないかなー……と。

 はい。そうです。それで、夜中の二時くらいに、突然事務所のドアが真っ黒い穴になってですね。いや、マジです。部長が店長だった頃に、アイドル声優のポスターでかでか貼ってたあの裏口ですよ。

 一瞬、ここに飛び込んだらワンチャン帰れるんじゃないかって思ったんですよ。……思ったんですけど……まぁ、その……半端に投げ出すの、良くないですよね。

 はは……ははは。この件については、不確かなことなんで、上には言わないでおいてくれますか?

 バイトにですか? そうですね……自己責任になってしまいますし、結局安全確認はできていないわけですから、やってみろとは軽々しく言えないですよ。俺が責任者なわけですし。山田以外は全員成人していますけど、一応俺が保護者みたいな立場なわけでしょう?

 はい。……はい。話すだけは、話してみようかと思います。ありがとうございます。ちょっとスッキリしました。

 もし自由に行き来できるようになったら、こちらの世界ご案内しますよ。アキハーヴァラ、行ってみたくないです? ケモミミレストラン行きましょう。

 ええ。はい。それでは、また連絡します。お疲れ様です。



 本社への連絡、完了。

 午前二時半まで起きていて、例の黒い穴が閉じると同時に何だか気が抜けてダンボール布団で眠りこけ、朝の七時に荷物を取りに来たメロディにたたき起こされた。

 そのままきしむ身体に鞭打って新刊のシュリンク。既刊は営業中にやっても良かったが、ついでなので平台の補充分の本は先にシュリンクしておく。

 あんたまは同人誌の新刊を検品、品出し。少し遅れてセージもやってきた。

 入荷が多い日なので、午前からバイトが三人もいる。姫様はシフトが入ってる日以外はミシェルの家で衣装づくりに専念しているが、アパートに帰る前には一度店に顔を出す。

 ――だから、バイト全員に報告をするなら、今日の閉店後だ。

 俺はできるだけ平静に過ごすために、細かい裏方作業に没頭した。

 気が付いたらたまりにたまっているダンボールや紙ゴミは、店の前に出すとニポーンの魔法システムで回収されていく。このシステムが日本にもあれば、清掃員の人もだいぶ助かるだろうになぁ。

「よーし、事務作業系はできるところまで片付けるか」

 気合をいれて、パソコン前に座る。

 店にバイトが多くいる時は、基本事務所で発注作業と伝票処理。書店は地味な事務作業も意外に多いのである。

 肉体労働に加えて事務作業も多く、社員ともなれば面倒な客の対応にも追われることになる。そして、薄利多売の業態ゆえか、おおむね給料は安い。

 漫画が好き、アニメが好き、ラノベが好き。好きなジャンルは多種多様ではあるが、アルバイトは大体「好きならできる」と思って申し込んでくる。オタクだからオタク趣味の仕事につきたいわけである。

 しかし、書店には恐ろしく地味な仕事が多い。レジ、ひたすらレジ。新刊のシュリンク、既刊のシュリンク。品出し、返本、売り場整理。本が満載になった箱は非常に重たいし、レジも素早く捌けないと混みあう時間はすぐ行列になる。

 本の扱いも雑にはできない。よく見ないとわからない微かな凹み、配送の段階で避けられない微かな擦れでも、クレームを入れてくる客はいる。

 そういった忍耐を要求される地味で過酷な作業をこなせるようになって初めて、オタク趣味を活かせるコミック担当や同人担当になれる。それだって、自分の好みだけで仕事をできるわけではない。売れる本を売らないといけない。売れていない本は売り方を考えなければいけない。

 多くのオタク店員たちは、この「地味で大変」「やりたいことができない」「自分の活躍できる場がない」の三段活用に心が折れて辞めていく。

 それを越えて生き残ったアルバイトは、貴重な人材だ。財産だ。ゆくゆくは社員になるかもしれない、生え抜きの有望株だ。

 ――だから、俺は彼らを裏切るようなことはしたくない。

 書店員の仕事は本当に大変だし、給料は安いし、好きなことばかりできるわけではないけれども、『好きだからこそやれる』仕事だと思うから。

 午前は黙々と事務作業をやって、昼は近所の店で買った何だか硬いパンにチーズとレタスっぽい野菜を挟んだサンドイッチを牛乳で流し込み、夕方までまた事務作業を延々とこなして――閉店間際、十七時五〇分。

 閉店作業をやっている最中に、姫様がミシェルと連れ立ってやってきた。

「店長さん、お疲れ様です」

「てんちょ、閉める前にちょっとだけいいですかぁ? ミシェルちゃん、探している本あるっていうからぁ」

 閉店間際であんまり客にねばられると困るわけだは、ミシェルなら恐らく探したい本のタイトルやサークル名などをすぐに伝えてくれるので、問題ないだろう。

「何の本をお探しです?」

「本の再入荷があったと聞いたので……サークル『百年めの崩壊』の既刊イラスト集を」

「ああ、それなら……はい、これですね」

 大手サークルで一般向けの本だったので、平台に置いているのをすぐに取ってくることができた。話が早くてありがたい。

 でも、どうしよう。姫様は多分、あんたまやメロディと一緒に帰りたがって店に来るだろうと思っていたが、ミシェルまで来るのは予定外だった。

「今日はお父様お母様から、お泊りの許可をいただいたんです」

 ミシェルの言葉に、俺は思わず首をかしげる。

「え? 女子たちのアパート、四人だと狭くないです?」

 女子たちのアパートは日本風に言えば1Kで、寝室には三人分のベッドがみっしりと並び、Kに当たる場所に申し訳程度に長椅子がある。ちなみにセージと俺が住んでいる部屋は、ベッドが二つ並んでいるだけで、洗面所の仕切りはついたてになっている実質ワンルーム。

 要するに、ご令嬢が泊まるにはいささかアレ。

「大丈夫です。原稿のおかげで、ちょっと硬い場所で眠るのには慣れました!」

 ミシェルが輝く笑顔でそう答えた。そこで輝いていいんですか、ふたなりプリンセス。

「……まぁ、本人がいいならいいですけど」

「はい。買ってきますね」

 ミシェルがあんたまが入っているレジに本を持って行くのを見て、俺はぼんやりと考えた。

 ミシェルは、今のところ唯一、この店の素性を知る人間だ。なら、彼女にも知ってもらうべきではないだろうか。

「……ミシェルさん、ちょっと閉店後にお話があるんですけど、お時間大丈夫ですか?」

「え? はい……大丈夫です」

 特に不審に思った様子もなく、彼女は頷いた。

 ちょうど閉店の時刻になって、他に客もいないので、そのまま閉店した。この世界のいいところは、明らかに閉店作業をしている時は、素直に諦めて帰る客が多いことだ。そもそも、閉店間際に滑り込もうという客がほとんどいない。ミシェルだって、姫様と一緒じゃなければ滑り込んでこなかっただろう。

 蛍の光が流れているのに延々と立ち読みを続ける客とか、閉店作業中に店員が呼びとめているのに無視して入ってくる客とか、閉店後にシャッターをどかどか叩きまくる客とか、全員この世界の客を見習ってほしい。

 店内BGMが消えて、一気に静かになる。閉店後の整理に行こうとするバイトたちを呼び止め、レジ前に集合させた。

 正直に言えば、迷いはある。けれど、隠すのはダメだ。信頼関係を損ねる。

「聞いてくれ、みんな。日本に帰る方法があるかもしれない」

 ほとんどみんな、ぽかんとしていた。喜ぶでもなく、疑うでもなく。

 当然の反応かもしれない。今の今まで、とりあえずこの異世界で生きていくことが最優先で、帰る方法を具体的に考えてこなかったのだ。

「池袋店に届いた荷物が、どういう風にやってくるのか、昨日事務所に泊まって確認したんだ」

「え、だから店長昨日帰ってこなかったんすか?」

 一緒に住んでいるセージが、今更のように驚いている。仕事で残ると言っておいたから、たまりにたまった事務作業に追われているとでも思っていたのかもしれない。

「午前二時に、事務所のドアに黒い穴ができた。荷物はそこから出入りしていたんだ」

 池袋店跡地に、大きな黒い穴ができていたらしいことは、バイトたちも全員知っている。だから俺が何を言いたいのかも、大体理解できたようだ。

 黒い穴は、ニポーンと日本を繋いでいる。荷物の行き来ができているのだから、それは確実だと思う。

「穴を通って無事に帰ることができる保証はない。毎回同じ大きさの穴が空くとも限らない。だけど、穴を通って帰ることに賭けてみたいのなら、俺は責任を持ってお前たちを見送る」

 昨日の夜中穴が消えるのを見守りながら、今日黙々と事務作業をこなしながら、ずっと考えていたことの答えだ。

「人身御供になるのも悪くはないかと思ったけれど、俺は店長だから、店のことを投げ出すわけにはいかない。ミシェルさんのコミウォサポートもある。だから、俺は最後までこの店に残る。……というわけで、ミシェルさんは安心してください」

 バイトたちは、しばらく戸惑いに満ちた顔で何やら考え込んでいた。

 帰りたい。俺だってそうだし、バイトたちもそうだろう。ここにいる面々は、たまたま全員が一人暮らしをしているメンバーだけど、家族がいないわけじゃない。友達だってたくさんいるはずだ。

 ネットすら満足にできない状態では、SNSの仲間に無事を知らせることだってできない。俺もオタクだから、それがどれほど大変なのかはよくわかる。

 最初に沈黙を破ったのは、意外にもセージだった。

「確かにネトゲやりに帰りたいっすけど、俺、今度ゴブリンさん家でボドゲやる約束しちゃったんですよねぇ」

「ん? お前いつのまにゴブリンさんと仲良くなった?」

「え、うちの面子、結構こっちで友達作ってますよ。ねぇ?」

 俺は店のこととコミウォのことにかかりきりだったので、店員の交友関係までは把握していなかった。姫様がオークさんに貢がせていることくらいだ。

 考えてみれば、こちらの世界にもうそろそろ二か月半もいるわけで、しかも言語や文化圏が似ているのだから、友達のひとりやふたりできていてもおかしくない。

「あー、私も、アイリーンちゃんとBL推しの話する約束しててぇ」

 メロディが、少し言いにくそうに白状する。いつの間にか悪役令嬢系お嬢様と親密になっていたとは。

「私、ミシェルちゃん家にいたメイドさんと仲良くなって、お互い休みの日にアキハーヴァラの喫茶店行くことになってて……」

 あんたまもおずおずと切り出した。その喫茶店は普通の喫茶店なのか?

「姫はぁ、みしぇるんと姫のコスを完成させるまではぁ、絶対に帰りませんー!」

 姫様は、逆に迷いがなさすぎる。

「お前ら……ホントにいいのか? 帰るチャンスだぞ?」

「いや、荷物の行き来でそのゲート的な穴が開くなら、いつでもワンチャンあるってことですよね。それじゃあ、何らかの方法で安全確認できるまで放置して、今できるクエストやりますよ。ゲームじゃ常識っすよ」

「セージのゲーム脳に諭されるとは……」

「やだなぁ、店長。俺だって現実みてますよ。現実にはセーブポイントがないんで、帰れるって穴に飛び込んでゲームオーバーは嫌だって話っす」

 それは一理ある。危険がないかどうか、確認のための手を尽くしてからでも遅くはない。

「はぁー……俺は一世一代の決意でここにいたんだぞ」

 何せ、バイトたちの人生を預かっているのだ。重い決断だったのに。

「そりゃ帰りたいには帰りたいですけど、私たち、思い切って帰るには色々やりすぎてるっていうか……」

「てんちょは知らないかもしれないけど、私たち、多分てんちょが思っているよりもずっと、この世界のこと好きですよ」

 あんたまとメロディの言葉を聞いて、何となくしっくりときた。

 俺があの穴を前にしてミシェルやコミウォのことを思い出してためらったように、バイトたちにだってこの世界と関わって心惹かれてしまうものが増えたのだ。ミシェルのことだけではなく、様々な面で。

 イケオウル店はもう、この世界で受け入れられている。そしてこの世界のことを、俺たちはもう受け入れている。

「そうだな。せめて帰れるかどうか考えるのは、コミウォが終わってからでもいいよな。ミシェルさんの本、この店で売りたいし」

「……いいんですか?」

 ミシェルは少しだけ申し訳なさそうに尋ねて来たけれど、俺はもう胸のつかえが完全に取れた顔で笑っていた。

 書店員なんて、好きじゃないとつとまらない。

 そして、色々な形の「好き」を守るのが、同人・コミック専門店の仕事なのだ。

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