第12話 異世界腐女子も新刊を出したい

 はい、アニゲーブックスイケオウル店、店長小田です。

 あれ? 社内電話じゃないところからです? あ、スマホからかけているんですね。スマホからも繋がるんですね、ここの電話。謎がまたひとつ増えましたよ。

 はい。無事入稿しまして、今は印刷待ちですね。店に届けてもらって、コミウォには手搬入です。はい。……はい、そうです。どれくらい売れるかわからないですし、一応全搬入ですね。残部をアニゲで専売させていただく形になります。

 装丁もこだわったんですよ。箔押しにハートホログラム加工です。フルカラー口絵付きで、本文単色カラー刷りです。六十ページで割と厚めの本になるので、展開もダイナミックにできますよ!

 ポスター送ってくれたんですね。ありがとうございます。いやいや、マジでこの店の命運かかってる大勝負なんですから。この世界の同人作家に、たくさん委託してもらいたいでしょう? 記念すべき第一号が大きく展開されていたら、次に繋がりやすくなりますって!

 この世界の同人事情ですか? うーん、それはコミウォに出てからじゃないと何とも言えませんね。こちらの魔法製本、安いのは週刊誌みたいな質感だし、高いのは重厚なハードカバーって感じなんですよね。両極端過ぎて……。

 ジャンルですか? ああ、ふたなりエロになったのはたまたまですよ。たまたま。いわゆる腐女子の方もいますし、ゆるふわ癒し系四コマが好きなオークさんもいますし。

 ええ。はい。性癖はウソをつかないので……。仕方がないですよ。魂がそう言ってるんだから、従いましょう。

 俺だってラブピュアに出会うまでは、まさか女児向けアニメに対してこんな情緒をぐちゃぐちゃにされるとは思わなかったですからね。ラブピュア第三期十五話、マジで神回なので、そこだけでもいいから見てください。あれは全人類見るべきやつなので。お願いします。お願いしますって。何でですか。たった三十分で人生変わるんですよ。

 え? やだなぁ、ヤバい宗教みたいに言わないでくださいよ。ラブピュアは確かに宗教なところありますけど。あくまで女児向けアニメとして素晴らしく出来がいいという前提で、大人が見ても神、信仰せざるをえないってやつなんですよ。

 あ、はい、すみません。仕事はちゃんとしています。

 荷物は無事に届いていますよ。商業誌も、発注できなかった期間の分、新刊が止まってしまいますけれど……あ? いいんです? じゃあ、返本期限までに売れなかったら返送しますので、入れ替えになった雑誌をうちに送ってもらえます?

 ああ、雑誌、意外と売れますよ。作品集みたいなものだと思われていますね。こちらの本の質感的にも、雑誌の方が親近感わくのかもしれないです。

 コミウォまであと少しなので、はい。ふたなりプリンセス様には大感謝ですね。よろしく言っておきます。

 当日の展開予定については、書類作ってメールでお送りしますね。

 はい、それでは失礼します。お疲れ様です。



 印刷所関連の諸作業、ポスターの発注は完了。当日展開の計画はバイトが三人売り場にいる日にやる。となると、コミウォ準備でできることなどほとんど残っていない。

「コーナー組み換えやるか……」

 ミシェルの原稿にかかっている間、人手が足りなかったこともあって、売り場が壊滅的に酷くなっている。 

 今は衣装づくりで姫様が不在がち。本日のレジ担当はセージで、売り場に出ているのがメロディだ。メロディはPOP制作が得意だから、女性向けの売り上げ上位作品を選んで売り場づくりを任せよう。

 表計算ソフトで売れ筋作品リストを作成。印刷。

「おーい、メロディ。売り場づくりやってほしいところがあ……お?」

 語尾が消失したのは、メロディが見知った顔の客と何やら話し込んでいたからだ。

「あ、てんちょ」

 メロディが気づいて振り向いた。一方、話していた客の方はあからさまに動揺していた。

 多分、俺には見られたくなかったんだろうなぁ。

「いらっしゃいませ。お探しの商品がございましたら、いつでもお声がけください」

「ふ、ふん、いい心がけですわね!」

 今日も青い縦ロールが美しいですね、腐女子開眼悪役令嬢アイリーン。強がらなくても、店にまた来たことを馬鹿にしたりとかしませんよ。むしろありがとうございます。

「てんちょ、お知り合いです?」

「先日ご来店いただいたお客様。お前向きだと思うので、ご案内してあげてくれ。……BLの棚を重点的に」

「それを早く言ってくださいよ。腐女子! 大歓迎! 私は同担歓迎なんで! 何を読みます? 甘々ラブコメ系? 切ない系? それともえちえちなやつですか?」

 こらこら、早口でまくしたてない。姫様といいメロディといい、どうして自分の得意な話になると早口になるのだ。……あ、さっき自分も部長に早口でラブピュアの話をしていたわ。反省。

「わ、私は別に、BLに興味があるわけでは……こ、これは敵情視察です! ミシェルが、このお店に関わって新しいジャンルの本を作るというので!」

「はいはい~、今売れているBLはこれ! 『俺たちは何度でも恋ができる』ですよ! 切ない両片思いから、後半怒涛の展開で甘々のラブラブに! 当て馬キャラもいなくて読後もスッキリ!」

 アイリーンのツンデレじみたセリフを軽く聞き流して、メロディが平台面陳されている単行本を手に取った。BLは商品としての知識しかない俺でも、そのタイトルは聞いただけで表紙がすぐに思いだせる。それくらいには売れている。俺が出した売上リストの上位五位以内に入っているタイトルだ。

「なぁ、メロディ。その紹介、ネタバレじゃないか?」

 これから買って読んでほしいという人に、ふんわりとはいえ結末やキャラの関係を匂わせていいのだろうか。

 しかし、メロディは「てんちょはわかってないなぁ~」と得意満面で腕を組む。

「BLは、攻めと受けがくっつくことが約束された勝利のジャンルですよぅ。くっつくことがわかっていて、それでいてその過程を楽しむんです。だから、どんなカップリングかは、帯にもでかでか書かれているでしょ? BLじゃこんなのネタバレのうちに入らないっす。むしろ、性癖がわからないと買いにくいっすよ」

「お、おう……」

 俺はメロディの剣幕にたじたじと一歩後ろに下がった。しかし、アイリーンは違ったようだ。持っている扇子をパチンと閉じたかと思うと、そっと左手を差し出した。

「貴方はBLの芸術性をよくご存じのようですわね」

「BLは芸術です。わかります。至高!」

 がっしりと固い握手を交わす二人。置いてきぼりになっている俺。

「この店でBLに出会い、私は真実の愛に目覚めました。約束された運命の恋に身を捧げる殿方の、愛! こんな美しい物語があっただなんて!」

「あっ、はい」

 俺、ますます置いてきぼりになるの巻。

 メロディとアイリーンは、握手どころか抱擁までしだして、もう俺には何をどうしていいかわからん。とりあえず仕事をしてくれ。仕事を。

「アイリーンさん、ミシェルさんと同じ芸術学院の生徒さんですよね。ご自分でBLを描かれないんですか?」

 俺はこの時、自然な流れで話をそらしたつもりだった。このBL愛好家の集いとなった場の空気を、変えるつもりだったのだ。

 血走った目で俺を見つめるアイリーンに、また一歩後ろに下がる。普通に怖い。

「ミシェル・バルフォワは、コミウォ展示作品を決める〆切ギリギリになって、あのふたなりとかいうジャンルに変更したのです。私は……私だって、間に合うならBLに変更いたしました! 私の心は今、完全にBLに囚われていますわ! 予定されていた展示物の制作に身が入りませんの! だから、新たな刺激を求めて再びこの店へ……!」

 いや、それでBL買ってしまったら、逆効果じゃないですかね。余程そう言いたかったが、空気を読んで口に出さなかった俺を褒めて欲しい。禁止すればするほど読みたくなる。そんなことをやっている場合じゃないとわかっていても、やりたくなる。オタクというものは、そう言う風にできているのだ。

 俺だって、そんなことをしている場合じゃないのにラブピュアを三クール分ぶっ通しで見続けたことがあるし、多分それと同じ種類の感情。

「私は……私は、ミシェルのことを私の一番のライバルであると思っていますのよ。彼女の前で、不出来な作品をさらすことなんてできませんの!」

 何だか盛り上がってきてしまった。理由をつけて立ち去りづらい空気に。仕事中なんですけれど! メロディは「クソデカ感情キマシタワァ」とか呟いているし。三次元で百合妄想をするのはやめなさい。ナマモノは繊細なジャンルです。

 幸いにして、この世界の住人はおおむねスルースキルが高いので、アイリーンの演説を気に留めている様子はない。それはそれでどうなんだろう。

「あの、結局、申込みジャンルはどんな?」

「恋愛コミックです」

 思っていたよりも普通だった。女子学生の考えるジャンルに、突飛さを求めるのも変な話か。ミシェルのふたなり本も、広義では恋愛ものだし。

 ん? 待てよ? ということは……。

「BLもくくりとしては恋愛ものですよ。ボーイズのラブですので」

 その時のアイリーンの、衝撃に満ちた表情を俺は当分忘れられそうにない。まさに青天の霹靂、雷に打たれたように震えた後、彼女は売り場に崩れ落ちた。

「あのー、大丈夫ですか、お客様」

「私としたことが、こんなことにも気付かないだなんて! 運命の恋、そうよ、BLは至高の恋愛なのですわ!」

「あっ、はい」

 何か変なスイッチを押してしまった気がする。いいのか? いいのか、これ。

「礼を言います。コミウォまであとひと月を切っていますが、今からでも間に合わせましょう。私の考える至高の愛を、必ず形にしてみせますわ! ミシェル、貴方に私の作品を見せつけて差し上げます!」

 高笑いをしながら、アイリーンはメロディの紹介した本と、他に数冊のBLを手に取ってレジへと去って行った。

 俺はそれを遠い目で見送りながら、メロディに売上リストを渡す。

「…………メロディ、これ、コーナー作りの本リストな」

「はいっす」

「さっき、アイリーンさんに紹介した本の作者、もっとプッシュしたら売れると思うか?」

「BLは作者買いする人も多いんで、いけると思いまーす」

「じゃあ、今ある分だけでもいいから面陳で。発注して欲しい本あったら、後でタイトルと作者俺に教えて」

「らじゃーっす」

「……」

「……途中からは私のせいじゃないっすよ」

「うん、わかってる……」

 盛り上げたのはメロディだが、けしかけてしまったのは俺、俺、俺だよ。

「コミウォでアイリーンさん見かけたら、書店委託営業をしよう」

「あ、そっちの方向に割り切るんですね」

「至高の本ができているといいよな」

 ミシェルといいアイリーンといい、こちらの芸術家は、一度走り出したら止まらない属性の人間が多すぎやしないだろうか。いや、オタクはそんなものか。俺もそんなものか。仕事だから客観的になっているだけで、ラブピュアのことだったら、俺もこれくらいは止まらないかもしれない。

 メロディに後のことを任せてレジに行くと、セージが心なしか青ざめていた。

「なんかすごい青髪縦ロールお姫様が、高笑いしながらBL本買って行ったんすけど」

「あー、うん、何かごめんな」

 オタクの感極まった行動にいちいち理由を求めない方が、平和に仕事ができると思うぞ!

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