第10話 異世界では極道入稿ができない

 お疲れ様です、イケオウル店小田です。はい……はい。大丈夫です。すみません、何かご心配をおかけしまして……。

 休憩の時に仮眠をとるようにしたら、多少はマシになりました。さすがに顔色ヤバかったらしくて、浅尾と山田が気をつかってくれまして。バイトに気を使わせるなって話ですね。はい。すみません。体調管理、気を付けます。こっちに病院あるかわからないし……。

 同人誌の制作状況ですか? 今が大詰めって感じですね。ははは……はは、いや、俺はふたなりプリンセスと愉快な仲間たちを信じています。

 入稿まで時間がないので、大野と志度はアニゲにも原稿持ち込んでいますよ……。ええ。ぶっちゃけ今も後ろでやっていますね。ケシ作業です。

 あ、聞こえます? 大野がずっと笑っているんですよ、ランナーズハイで。ええ。ええ、そうですよね。俺も怖いです。SAN値直葬ですよ。

 話は変わりますけど、荷物ありがとうございます。マジでかなり品薄になっていて、毎日問い合わせが多くなっていたので、助かりました。それと、伝票を確認しまして、大体どれくらいのタイムラグ異世界に転送されているのかもわかりました。

 はい。大体、二日遅れくらいですね。北海道や九州と同じくらいの距離感なのかな、こっちの世界。近いような、遠いような……フクザツですけど。

 おかげで、〆切の目安もつきました。一週間くらい伸ばせそうですね。だから大野が壊れたみたいに笑ってるんですけどね……。

 ……そうです。印刷代はミシェルさんのお家が出してくれるみたいですけど、日本円に換金するために店の売り上げとして立てないといけなくて。はい。その辺ややこしいので、あとで書類にして提出しますね。

 とろこで、池袋店跡地の調査、あれから進展ありました? あー、そうですか。はい。簡単に戻る手がかりが見つかるとは思っていなかったので、それは大丈夫です。まぁ、少しはがっかりしましたけど。

 こちらはこちらで、コミウォに向けて全力でやります。そろそろ専売ポスターも作りたいので。表紙できたらスキャンしてデータ送りますので、大判印刷ポスター、印刷してください。

 こっちの世界の紙、羊皮紙とかなんであんまり大判の紙ないんですよ。だから魔法技術の問題じゃなくて、材料的な問題でポスター作れないんです。ポスターあるだけで華やかになりますし。よろしくお願いします。

 はい、……はい。それでは失礼します。お疲れ様です。



「あっはははははは、ははははは……」

 電話を切ったその時も、あんたまはずっと笑っていた。

 荷物到着のタイムラグがどれくらいかわかったことで、締め切りを一週間ほど先延ばしにできたのだが、それでもまだ終わっていない。事務所の片隅で、その辺の家具屋で買ってきた木製の机を囲み、ミシェル、あんたま、メロディが顔を突き合わせて原稿をしている。

 ミシェル宅では快適すぎて原稿が進まない。それがあんたまとメロディの談である。そんなところに限界を極めないでほしい。

 とはいえ、姫様と含めて三人ワンルームなアパートは手狭であるので、原稿合宿に向かないのはわからないでもない。そして、あんたまとメロディのシフトも減らしているとはいえ、店の仕事がないわけではない。今は移動時間すら惜しい。

 というわけで、何故か事務所の一角が原稿合宿場と化してしまった。正直、俺もこの状況は本意ではない。普通に事務作業するのに気まずいし。あんたまはずっと笑っていて怖いし。

「すみません……私の具現化魔法が、もっと早ければよかったのですが……」

 ミシェルが半泣きで、魔法を使って紙に漫画を起こしている。ドレスを着て身なりを整える時間も惜しいのか、部屋着っっぽい素朴なワンピース姿である。

 最初は魔法で漫画が描けるの便利だな、と思っていたのだが、一日に五ページ程度が限界だと聞いて考えを改めた。完成原稿で一日五ページではなく、そこからケシや修正を入れて再出力などもしているので、実際には少し手が早い作家程度のスピードだろう。

「あははははは、だいじょぶ、だいじょぶだって、やればできるよ!!」

 あんたまが笑いながら、性器修正をしている。だから怖いって。

 一方、メロディは真顔で黙々と新しくできた原稿をチェックしていく。ふたなりエロスは彼女の性癖ではないだろうから、完全にお仕事モードなのかもしれない。

 と、思いきや。

「ねぇ、ミシェルちゃん。百合厨的には、ここのメリッサちゃんとダリアちゃんのセリフに、もうちょっとヒキっていうか、エモさ? が欲しいんだよね」

 違う。これはこだわりが強すぎる編集者の顔だ。

 この世界の両性具有がどういうジェンダーで扱われているのかはわからないが、性癖としてのふたなりは基本的に女性である。女性にナニがついている性癖を楽しむものだからだ。当然のように、ミシェルの描いている作品も、ナニがついているだけで女性同士である。

 つまり、百合厨で腐女子のメロディは、三周くらい回って性癖を受け入れてしまった。それどころか、設定の詰めまでやりはじめてしまった。

 もしかして時間がかかっているのは、メロディの指導のせいもあるのでは?

 しかし、ミシェルはパッと顔を輝かせた。

「わかりますか? メロディさん! 私もそのシーン、一味足りないと思っていて……! メロディさんのおかげで、かなり良くなってきてます! その調子でご指摘お願いします!」

 いやこれは、ミシェルもかなりの凝り性なやつだな。

「あひゃひゃひゃ! ここから更に変える! 攻めるね、ミシェルちゃん! ひひひ!」

 むしろ壊れているのはあんたまだった。やめてさしあげろ。

「ミシェルさん、お忙しいところ申し訳ないのだけど、表紙を先に描いてもらってもいいかな。ポスターを作るんで」

「ポスター、ですか?」

「ええと、大きな紙に表紙のイラストを印刷するんです。ニポーンではあまりなじみがないかもしれないですけど」

 こちらの世界のポスターは、せいぜい張り紙レベル。大きくてもA3サイズくらいまでだ。それよりも大判となると、紙ではなく布地になるようだ。こんなところで、地味に日本との違いを感じるとは。

「メリッサたんとダリアたんが、A1版で飾られるんです? ええー、他人事ながらワクワクしちゃうなぁ」

「メロディ、お前は元気だな……あんたまは壊れかけてるのに」

「あんたまさんが壊れてるの、自分の原稿もやってるからですよ」

「なんだって?」

「あひゃひゃひゃ、だって、異世界で自分の本売ってみたいじゃないですか! ミシェルちゃんの許可は取ってるし、なんならミシェルちゃんの作品二次創作なんで、へへへへ」

「いやいやいや!」

 店長の俺が許可した覚えはないのだが。

 ――しかし、正直考えていなかった。

 異世界の同人誌を委託販売すること、日本の同人誌を異世界で販売することは考えていたのに、異世界で同人誌を作成することまで考えがいかなかった。個人のパソコンがないので小説同人誌は難しいだろうが、アナログ漫画が描けるなら本を作ることはできる。

「ミシェルさん、コミウォって、ブースに当人以外の作品が置かれるのって大丈夫なんですか?」

「あんたまさんが描かれているのは、私の作品をベースにしていらっしゃるので、コラボ番外編という扱いでいけると思います。学生では少ないですけど、何年も連続で出展されている方には、他の作家とのコラボ作品を出している方もいらっしゃいます」

 なるほど。出展ブースの主が作った作品に関係していれば、他作家の二次創作が混ざっていても許されるということか。

「まぁ、描き始めているんだろうから出すな、とは言わないが。さっきからSAN値チェックが入るような笑い声が響き渡っているんだ。日本の印刷所を使うのも試験的なものだし、予算も店から出すわけにはいかないし……だから、店の備品でコピー本を作るので妥協しなさい」

「え? マジです? じゃあギリギリまで粘りますね!?」

「いや、そうは言ってないぞ、あんたま。どちらかというと極道入稿するくらいなら、店のコピー機で済ませろって話だからな?」

 何せ、異世界から日本の同人印刷所に入稿するなんて、前代未聞なのだ。本社から荷物を送ってもらって、着荷日を何度確認しても「本当に届くのか」という根本的な不安はぬぐいきれない。

 そして、本社からの荷物が届くようになったことで、止まっていた配本が再開している。つまり、新入荷があるのだ。さすがに、あんたまとメロディの二人が戦力として使えないのは、店の経営上無理がありすぎる。

「ところで、ミシェルさんの本って、結局何ページくらいになりそうなんだ? ポスターを発注する時に、ページ数と頒価も一緒に提出するから、決まっているなら教えてくれ」

「今のところ、六十ページです」

「なんて?」

 初めての同人誌、ふたなりエロ本で六十ページ?

「ミシェルちゃんすごいんですよ、主役の二人が出会って、お互いひた隠しにしていた半陰陽に気が付いてから、惹かれあい、時にはケンカして、何度も熱い夜を過ごして結ばれるまでの過程をダイナミックかつ繊細に描いていて!」

「はぁ」

 メロディがヒートアップするのを、俺は戸惑いに満ちた眼差しで見つめる。いや、どういう反応すればいいんだよ、これ。

「ふたなり萌え性癖はない私でも、百合厨的にアリよりのアリだなってなったくらいですもん。これは売れますって! 異世界同人ってキャッチじゃなくても、じゅうぶんいけます。初同人誌でこれは、正直神ですよ。ふたなりジャンルの神降臨です!」

「ふたなりジャンルの神……」

 正直、ついていけていない。だが、情熱のある同人誌ができることはよいことだ。

 よいことだが、ふたなりジャンルの神、初同人誌六十ページとは? もしかすると、ここから更に増える可能性ある?

「頼むから〆切には間に合わせてくれ。あと、明日は入荷多いので、午前だけでも店の方に出てくれ」

 俺にはそれくらいしか言えることがなかった。

 通常〆切を一日でも越えたら、印刷所の皆さんに残業が発生すると思え。割増料金イズ残業詫び代。

 個人でやる分には印刷所さんのご厚意に甘えるも甘えないも自由であるが、今回はアニゲーブックスが入稿に関わる。企業が関わっている以上、極道入稿は許されない。極道入稿、ダメ絶対。

 それと、いい加減あんたまとメロディには書店の方メインで働いていただきたい。アシスタントとして送り出したのは俺だけど、その分の人手不足を俺が頑張って残業でカバーしているわけで。

 入荷が多い日は、全員シフトを入れたいくらいだ。今まで入荷が少ないからなんとかなっていた。入荷が再開して新作が増えれば、コミック部分に割いていた割合を同人誌に戻さなければならない。棚移動が必要だ。

 アニゲーブックスの棚や平台は頑丈な金属製でできており、非常に重い。俺とセージが頑張っても、移動にはそれなりの時間がかかる。検品と品出し要員がいなければ、正直店の開店も危ぶまれる。

「俺だって気合の入った作品を売りたいけど、締切は待ってくれないんだよぉ!」

 俺の嘆きを、原稿修羅場中の三人が果たしてどう受け止めたのか。

 事務所にはただただ、あんたまの笑い声が響いていた。やめてくれ。ほんとうに正気を失いそうだ。

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