第8話 異世界でも締め切りはヤバいってよ

 はい、アニゲーブックスイケオウル店小田が承ります

 あ、部長じゃないですか。何か久しぶりですね。お変わりないです?

 あっ、はい。それ送ったの、俺です。試しに送ってみたんですけど、届いたんですね。中身は普通に、この世界で買った本ですよ。どうです?

 絵柄も文字も日本っぽいんだけど、なんかこう、インクで印刷されていないし羊皮紙的な紙なので、独特の味があるっていうか。

 はい。ええと、……多分なんですけど、この店の人間が獲得したものを店の中に置いておくと、池袋店跡地に転送されてしまうみたいです。

 この前、池袋店跡地に転送されたもののリストを送ってもらいました。自衛隊や警察が証拠品としてもっていってしまったものもあるみたいなんですけど、現状わかる範囲で調べました。バイトがこちらで買ったりもらったりしたものの中で、事務所に置いておいたものが転送されているみたいです。

 池袋店への配本の荷物も、事務所にとどいていましたし、事務所が元の世界との接点になっているのかもしれません。その本も、本社宛のラベルを貼って置いといたらもしかして、と思って送ったんです。

 ええ、そう思います。もう少し確認する必要はあるかと思います。今のところこっちの世界と日本を行き来できるのは荷物だけなんですが、戻る手がかりになるんじゃないかって期待しています。

 そういえばこの世界には、俺たちのように異世界から来た人間の伝説があるみたいですよ。今度この世界の文献を当たってみようと思います。この世界が日本と似ているのって、もしかすると大昔に日本から来た人がいたからかもしれないですね。

 ……はい。はい。俺もちょっとそこは気になりました。日本の文化がこっちの文化に影響を与えたとすれば、すぐに帰るのは難しいかもしれないですね。文化が浸透するくらいに長くいたか、帰れなかったか、ってことだと思うので。

 いや、バイトにはまだ言っていませんよ。変に希望を持ったり、逆に希望を失っちゃったりするかもしれないですしね。

 あ、そうそう。それですよ。こっちの世界の同人誌委託の件なんですけど、ちょっと、いやだーいぶ雲行きが怪しくなってきまして。いえ、サークル様はやる気いっぱいなんですけど。主に〆切的な意味で。

 ……そこで、ひとつご相談なんですけどね。



 アニゲーブックスイケオウル店の営業時間は、午前十時から十八時。

 日本の池袋店時代の営業時間が十時から二十時だったことを考えれば、かなり時短営業になっている。

 バイトスタッフ四人しかいないこと、十八時以降は客足が極端に鈍ることなどを考慮した結果である。この世界の人々はあまり夜に出歩かないようだ

 ちなみに、一日は地球と変わらず二十四時間。一年も三六五日、十二ヶ月。季節感もほぼ一緒だ。

 先日手に入れたこの世界のカレンダーによれば、ニポーンの暦では現在、六月十日とのことである。つまり、コミウォは八月半ば。こんなところまで日本のコミックでマーケットなアレと一致するとは。

 それはともかくとして。

 十八時閉店で時間的に余裕がある。ということで、今日はコミウォ特別シフトを発動した。学校を終えた後のミシェルにも来てもらい、レジ前に全員集合させる。

「これより、閉店時間に全員残業を前提にしてシフトを入れた理由について説明します」

「てんちょ、長くなるなら晩御飯食べてきていいっすか」とメロディ。

「残業になるんなら、私、明日の搬入物の伝票整理したいでーす」とあんたま。

「店長、ネット繋がるなら店のパソコン借りてネトゲやらせてください」とセージ。

「今晩、オークさんと待ち合わせしちゃったんですけどぉ……」と姫様。

「お前ら一時間くらいでいいから俺の話に付き合って。残業代ちゃんと出るから」

 わざわざミシェルまで呼んだのに、全員そろいもそろって自由気ままにエスケープしようとしないでほしい。店長の立場がないし、普通にちょっと傷つく。

 しかし、おかげで発見はあった。

「セージ、お前のおかげでネット配信でラブピュア見られることに気がついたわ、ありがとう。でも社用パソコンでゲームはNGです」

「え、そこは俺の発見に免じて、ゲームさせてくれても良くないっすか」

「個人のアカウントを、会社のパソコンで使わせるわけにはいかないんだよ!」

 アニメを見るだけなら、ギリギリ「発注の参考」として考えればOK。しかし、ゲームにログインして遊ぶとなるとさすがに許可は難しい。当たり前だが守秘義務がある。

「てんちょがアニメ見るんだったら、私らにも見る権利ないですか?」

「いやまぁ、ログインいらない無料視聴枠だったら、休日シフトの時には見てもいいぞ。俺が仕事していない時にな」

「「やったー!」」

 メロディとあんたまがはしゃいでハイタッチしているのを、セージが恨めしそうに見ている。そんな目をしていても、ゲームはさすがにやらせるわけにはいかないぞ。

 話がだいぶ脱線した。ミシェルが口を挟んでいいものかどうか、困惑した顔になっている。彼女はアニメなんぞ知らないのであろうから、それも仕方がない。

 というわけで話を戻す。

「ミシェルさんのコミウォ出展を、アニゲーブックスがバックアップする。このイケオウル初の同人誌出版であり、我が店にとっては異世界同人誌委託第一号になる予定だ。その前提で、この店の能力についておさらいしておく」

 問題点の多くは、この店独自のチート能力によって解決した。

 ひとつ、この店でなら両替、入金、送金が可能であること。

 ふたつ、アニゲーブックス池袋店の住所に送られたものは、自動的にイケオウル店に届く。

 みっつ、タイムラグは発生するが、アニゲーブックスイケオウル店が獲得した異世界物資は、日本の池袋店があった場所に転送される。

 特に後者二つは極めて重要だ。

「最初は大穴が空いていたらしい日本の池袋店跡は現在、恐らく元々この場所にあったと思われるファンタジックな小屋になっているそうだ。警察が中を調べて、オークさんの差し入れなどが転送されていることがわかった」

「ええ~、なんかもらったドレスやメイド服がなくなってたの、そのせいですかぁ~」

 こちらで借りたアパートは、基本的に寝食が可能な最低限住居。しかも女子三人で住んでいるので手狭だ。こちらに来てからはオークさんに散々貢がせている姫様は、一人だけ服のストックが多いので、事務所の片隅を使っていた。それがあだとなった。

「俺たちが直接行き来できる方法がわかるまで、オークさんの貢ぎ物は店の外に保管できる場所を作ってくれ、姫様よ。事務所以外に置けば、恐らく転送はされない。」

「はぁ~い」

 姫様は渋々と頷く。こちらとしても、日本の警察に異世界のメイド服を検分させたのが申し訳なくて仕方がないわけだが。

「コミウォまであと一か月半。正直、制作状況はかんばしくない。ミシェルさんの魔法で製本するにしても、魔力の使用回数から考えて量産が難しい」

 これに、ミシェルが解説を加えた。

「一般的な魔法製本では、一日に二冊程度しか複製できません。魔法使い数人がかりでやったとしても一日数冊しか作れないので、締切はかなり早くなってしまいます」

「あ、MPですね! MPの概念ですね!」

 凹んでいたセージが、急に喜びだす。ここは概念をわかりやすく説明してくれた方がありがたいので、ゲーム脳は放置することにする。現に、メロディとあんたまが「ああ」とか「おお」とか言っていることだし。

「まぁ、そういうわけで、魔法製本でコミウォまでに大量の本を刷るのは、時間的にも予算的にも厳しいということだな」

 いくらミシェルの家が裕福だとしても、娘の同人誌のために親が大量の魔法使いを雇い入れしてくれるとは思えない。ミシェル自身も、その方法は考えられないからこそ、コミウォの新刊制作にこの店を頼ったのだ。

 逆に言えば、魔法以外で大量に製本できるなら、この問題はクリアできるということだ。

「幸い、この店はセージの言うところのチート能力によって、何故かインターネットが使える。そして、日本の池袋店に届いた荷物は、自動的にイケオウル店に転送される。わかるか……この意味が。」

 セージは「わからんです」と即答したが、今度はメロディとあんたまが理解したようだった。この二人はサークル参加経験者だ。つまり『同人作家』だったことがある二人だ。

「つまり、データ入稿っすね!」

「原本さえあれば、店の複合機でスキャニングしてデータ化ができる」

「その通り! 大正解だ! 日本の同人印刷所で、ニポーンの同人誌を印刷する!」

 ネットバンクが使用可能になったことで、できることが大幅に広がった。

 インターネットがまともに使えるのなら、そして配送の荷物が届くのなら、現代の日本でできることはこのイケオウルでも大体可能になる。

「この店の謎チートをフル活用すれば、あとは同人誌を入稿するのみだ。もちろん、配送に時間がかかることは考慮しなければならないから、日本にいた頃のような極道入稿は厳禁だけどな」

 メロディとあんたまが、そろって目をそらした。お前らどっちも極道入稿したことがあるのかよ。印刷所さんに謝りなさい。 

「メロディとあんたまには、ミシェルさんのアシスタントを頼む。お前らは同人経験者だ」

「お願いします! もちろん、お手伝いいただいた分は、お代をお支払いいたしますので」

 ミシェルがぺこりと頭を下げたが、メロディとあんたまは、それぞれ別の理由で真顔になっていた。

「あのぉ、てんちょ、私、百合とBLしか描いたことないっす」

「私、特殊性癖エロしか描いたことないんだよねぇ……」

 そっちか。性癖の不一致で難色を示されたか。あんたまは特殊性癖大好き女なので、そこで難色を示すとは思わなかった。

「今回は賃金の発生するアシスタントなので、ミシェルさんの性癖に従え」

「うっす」

「りょーかいっす」

 バイトの中でも、よく訓練された二人である。理解と切り替えが早い。

 アニゲーブックス池袋店は、場所柄女子向けの同人誌やコミックも多数取り扱ってはいたが、本来は男性向け寄りのコミック専門店チェーンである。

 特殊性癖ワンダーランド女子なあんたまはともかく、メロディなどは地雷原に飛び込んだような顔で販促POPをしたためていることがある。

 しかし、たとえ自分の性癖に合わない本でも、常に全力で褒めて、褒めて、そして売るのがオタク書店の原則。それが委託サークル様への礼節だ。だから、メロディも決して文句は言わない。覚悟が違うのだ。

 それに、うちの女子店員はおおむねミシェルと良好な関係を築いている。友人として、支援したい気持ちは彼女らの中にもあることだろう。

 そして、俺はバイト女性陣のやる気を出させるために、ミシェルに頼んでとっておきの切り札を用意した。

「アシスタント中は、ミシェルさんの邸宅でお風呂が使えるぞ!」

「「やったーーーー!!」」

「てんちょ、私もぉ、お手伝いがしたいでぇす」

「ああ、姫様も手伝えるならぜひとも頼む」

 あんたま、メロディだけではなく、姫様も乗り込んできた。公共浴場ではないプライベートなお風呂は、女子にとって大きな価値がある。

 なんならセージも「いいなぁ」とか言っているが、残念ながら男子にお嬢様の家訪問は事案になるのでダメです。大人しく裏の泉か公衆浴場に行きなさい。

「セージは、俺と一緒に近隣書店の実態調査。早い話が、俺たち同人書店にとってこの世界の書店がどの程度競合するか、この世界における一般的なコミック水準がどれくらいかの調査だな。いざとなったら、俺たちがこちらのコミウォで営業をやるかもしれない」

「あー、俺がやるんですか、あの営業」

 コミケや大型同人イベントでは、名刺を持って委託してくれたサークルへの挨拶周り、新規委託サークルを開拓するために流行ジャンルの同人作家のサークルに打診をしにいくことは珍しくない。基本的には社員が行うが、イケオウルにいる社員は俺だけなので、ここはセージにも頑張ってもらう。

「オタクなんてどうせ大半がコミュ障だ。芸術家だってそんなもんだ。お前、ファンタジー世界と親和性が高いだろう。それと、ゲーム脳だからこそ気付けるところがある。だからこの中ではお前が一番営業向きだ。なんだかんだ言って、男の方がナメられにくいしな」

 実はこの「男の方がナメられにくい」が結構重要なところである。自分が簡単に勝てそうな女子供相手には、とんでもなく粗暴になる人間は一定数いるからだ。

 セージも、そこはかとなく察したようだ。渋々と頷いた。

「うぇー、わかりました。クエストっすね。クエスト」

「休日出勤の分、時給は出す」

 これで、傾向調査、コミウォ営業要員は問題なし。

「ところで、てんちょ。〆切っていつなんです?」

「一か月後だ」

 あんたま、メロディが顔を見合わせる。姫様はピンとこなかったらしく、きょとんとした顔になっている。ミシェルは申し訳なさそうにうつむいた。

「一か月で描くの!? 初同人誌を!?」

「だから女子勢はガンバッテホシイ」

「マジで!?」

 マジである。魔法製本ではできない量産を日本の印刷所に依頼することでショートカットしてこれなのだ。池袋店からイケオウル店への荷物転送のラグが、どれくらいあるのか判明していない。この状況では、むしろ一か月確保した方を褒めていただきたい。

「俺とセージと姫様は、シフト多めになるのでよろしくな!」

「ええー!」

「私もお手伝いの方中心にしたいんですけどぉ……」

 嘆いたところで、〆切は待ってくれない。異世界でも〆切はヤバい。

 ここはテストに出るかもしれないので、よくよく覚えておいてほしい。

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