69. 怪異専門傭兵団-異邦の銀翼-
鉄筋で建てられた家々にヒトの気配は感じられない。
居住や店、教会等30棟程しかない片田舎の小さな町にはヒトっこ一人影も形も存在していなかった。
日常がこの町に生きていれば、労働者の細やかな喧騒や足音、主婦同士の穏やかなお喋り、店主の賑やかな声、庭を弄る老人たちののんびりとした生活音が響き渡っていたのかもしれない。
そんなことを考えつつ、レンは視界右上に映る教会の扉へと目を向けた。
不用心に開けられた木製の扉。
年季を匂わせるその扉は獣の鉤爪で傷つけられボロボロになっていた。
擦り硝子の窓もいくつかはひびがありバラバラに割れているものもある。むしろ原型を留めている窓は殆ど存在していない。
[神獣教エルデ派タージア州アップコップ領第五支部]
教会へと続く石畳の階段には、そう書かれた看板が打ち捨てられている。
そして看板からは“灰色の粒子”が吹き上がっている。
看板だけではない。教会などの建物や地面、町のありとあらゆるところに“怪異の痕跡”が残っていた。
「レイさん。近くに怪異の存在は感じる?」
レンが僅かな警戒を浮かべながら、レイへと聞く。
「―――ないわ。情報通り、怪異はこの町にもういないのかもしれない」
「依頼書によると、この町が怪異に襲撃されたのは一週間前らしい―――すべてを喰らい尽くして、また別の地に移動したんだろうな」
レンの頭の上にいたディルクが沈痛な面持ちで言った。
その小さな手には依頼書が数枚握られている。
現在レン達は傭兵団の任務の為、タージア州最北端に位置するアップコップ領の廃町に来ていた。
もっとも廃村になったのは一週間前というごく最近のことなのだが。
依頼内容は「怪異に襲われた町からの貴重品回収」である。
達成困難度を示す依頼色は、上から三番目に位置する“赤銅”色だ。
通常であれば怪異に関係する依頼は“白銀”以上の高難易度依頼となるのだが、この町にはもう怪異がいないという情報がすでに得られていたため、その下の赤銅色に落ち着いた、
とアップコップ中央街の傭兵連合受付担当が言っていたのをレンは思い出す。
「最優先品は町の守護源技能を担っていた源具か。まぁ、妥当だな」
ディルクが依頼書を見ながら伝えてくる。
「他には、各建物の生活用源具と町長宅の応接室にある剣と引き出しの中の手紙か――――」
ディルクがつらつらと回収依頼品を読み上げていくのを聞きながら、レンは地面に落ちている骨に気が付いた。
レンの視線に釣られ、レイもそれに目を向けたのがわかった。
二階建ての小さな家の片隅に20センチ程のくすんだ骨の一部がひっそりと。
「あれって……ヒトの骨なのかしら?怪異に襲われて町のヒト達が逃げ出すときに、何人も犠牲者も出たって言っていたけど」
レイが眉を顰め気持ち悪そうに呟く。
「……どうだろう。パッと見は大腿骨に見えるけど。欠けてるからわかんないや」
仮にヒトの骨だとしたら、遺体は怪異に貪り尽くされ原型を留めていないのだろう。
少しばかりの重たい空気が場を支配した。
「―――よしっ!まずは教会の源鉱石から回収だ。レン。俺を獣化してくれ!」
皆の気持ちを切り替える為か、ディルクが低く大きな声を張り上げる。
それを受けレンはスマホを手に取ると、それをディルクへと向け意識を集中させた。
――――――
廃町での貴重品回収は、途中夥しい量の血痕と人骨を見たレイが動揺することを除けば何事もなく進んだ。
怪異による侵食は広がっていたものの怪異自体に遭遇することは無かった。
各建物から源鉱石や源具を回収しつつ、レンとレイで破源子を発現し大地を浄化していく。
傭兵団を結成してから約一月。怪異関係の依頼をこなしつつも、源技能の訓練は欠かさずおこなっていた。
特に破源子の扱い方に関しては注意を払い進めている。
つい先日世に出た老師の遺著である論文が破源子に関する唯一の情報源ではあった。
だが、論文は基礎源子学を中心とした理学的内容が主であり、実践的に発現しているレン達にとって有用な情報はあまり無かった。
そのため、怪異の“灰源子”によって侵された大地の浄化や怪異自体を屠るのに必要な破源子の発現量に関しては実地で計っていき、効率の良い源技能の使い方を訓練してきた。
「大分この作業も効率よくやれるようになってきたわね」
弓を振るいながらレイがそう言ってきた。
初めのころと比べて今ではレンもレイも消耗少なく効率良く源技能を発現することが出来るようになっている。
(…………こんなもんか)
町長宅の応接室に掲げられた剣を取り外しているディルクを横目に、レンは真っ赤な絨毯に染みのように広がっている濃灰色に対して差し棒を向け、おこなっていた浄化を終えた。
「ねぇ、レン」
応接室の引き裂かれた長椅子の背もたれに腰かけているレイが、空気の抜けた風船のように萎んだ声で呼んできた。
憂いを帯びたその表情は一般的には美人と呼ばれるものなのだろう。
(さっきの血と人骨がショックだったのかな?)
ニホンで普通に暮らしている分には一生に一度見るか否かの光景だろう。
もっとも色んな意味で稀有な光景など、エルデ・クエーレに召喚されて以来何度も見ているのだが。
(こういう時なんて言葉を掛けたらいいんだろう)
「ん、なに?」
明確な言葉を用意できないままレンは答える。
「“晴信”のことなんだけど――」
予想外の話題が降ってきた。
スマホの中のアプリ、エルデ・クエーレに記された5人のユーザー。そのうちの1人が晴信である。
レンやレイと同じようにニホンから召喚されたニンゲンである可能性が高く、
レイと、そして一月程前にレンのスマホにもその名が記されたことから、既に晴信と接近したことがあることは間違いない。
「晴信もアプリに名前を登録しているってことは、自分以外のニンゲンがこの世界にいることを認識してる筈よね?それどころか、私たちはおそらく何度か晴信に近づいたことがある」
レン達が傭兵団の活動を始めてから、スマホが震えることが何度かあった。レイはそのことを言っているのだろう。
「スマホが振動した時、それが直ぐに止まって、なおかつその時には鳥行便が上空を飛んでいた。だから晴信は鳥行便に乗って移動してる可能性が高いって結論に達した」
「うん、そうだね」
「晴信は一体何をしているのかしら?私には動きが見えない。私達を探すにしても何度も鳥行便を使うのは解せないし、そもそも短期間の間に何度も長距離を移動する理由って何があるのかしら?」
レイの疑問は真っ当なものだった。
しかしながら、それに対する答えどころか仮説すらレンには構築できない。
「――わからない、晴信ってヒトのこと何にも知らないしね。男性だとは思うけど、年齢や職業、性格、趣向。何の情報も無いからなー」
名前が自分で登録できる以上、性別すら確信をもてはしないのだ。
「悠斗はあなた以外の、私を含めた4人の身元は既にわかっているって言っていた。こんなことならそのヒトらの情報を聞いておくべきだった」
レイが少しばかり気落ちしながら零す。
「まぁ、仕方ない。いずれ会うことが出来る筈だよ。スマホの電源が入ってること、そしてスマホを本人が所有していること、その2つが、アプリが機能する最低条件だってことはこないだ確認したよね。だから晴信が無事である可能性が高い。それで今は良しとしよう」
「――そうね。これでUser4を除いた“他のニンゲンが生きていること”が確認できているわね」
そう言うとレイは長椅子から勢いよく立ち上がった。
「晴信に関してわかっていること、一つだけある」
そのレンの言葉に、レイが細い眉を上げ興味深げに顔を向けてくる。
「登録名を“晴信”から、おそらく自分たちに合わせて“シゲ”に変更する。そんなヒト」
「話は終わったか?」
「ディルク」
獣化したディルクの背には町長の大剣が携えられ、さらには回収した源鉱石や源具がパンパンに詰めれた背嚢を背負っている。
顔が厳つく体躯の良いディルクのその姿は、歴戦の傭兵を感じさせた。
手には手紙を握っており、丁寧にそれを仕舞っている。
「これで依頼内容は終わりだ。まぁこういっちゃなんだが、今回の依頼は楽なもんだったな」
ディルクがニヒルな笑いを浮かべながら言う。
「確かに。前回の汚染大地の土壌採取依頼は、依頼者の調査不足で怪異の群れと遭遇。研究員を守りながらの殲滅戦だったもんね」
物憂いを大気へと吐き出すように零した。
「―――気を抜かないで。傭兵連合まで無事に帰って依頼完了の報告をするまで終わりじゃないわ」
(遠足みたいなこと言ってる)
レンはレイの言葉に率直にそう思う。
「いい感じだ。これで俺達“異邦の銀翼”の名声が世に轟き、また一歩一流傭兵団へと近づいたな」
「えぇ。この調子で進めていきましょう……でも、次は―――」
レイがこちらに顔を向けてくる。
「うん。――――“アガタ”さんと合流しよう」
レンはスマホのアプリ、エルデ・クエーレの通知記録[グループ通話-レン-レイ-アガタ-]と表示された画面に目を滑らせながら、アガタから連絡が来た日を、レンは回想した。
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