65. 源者に対する期待値の相違

東京メトロ霞が関駅。

日本の行政を担う機関が一極集中しているこの区域から徒歩圏内に、雄々しく聳え立つ13階建てのビルがある。


妙な懐かしさを匂わせるレンガ色の外壁と、一方で中心を縦に両断するように主張するガラス張りのその庁舎が、独立行政法人国立特異開発機構、通称“特異庁”である。


その7階にある保全部局長室で消失事件の報告をしていた悠斗の母である川北弥生は、上司から告げられたその一言に耳を疑った。


「―――局長。申し訳ありません。今、なんと―――」

不敬であることを理解しながら、弥生は震える声で目の前に悠然と座っている上司に、聞き返す。


「2度も言わせるな。――――消失事件の捜査を、打ち切る。――――これは決定事項だ」


傲慢不遜を隠すつもりもないその声を発した人物は、鋭い目を弥生に向けていた。


「なぜですかっ!?」


捜査打ち切り。

衝撃的なその言葉に、弥生は声を上げられずにはいられなかった。


「何故?我々はイタズラに付き合っていられる程、暇ではない。それぐらい君も理解できるだろう」


「―――イタズラ?」

震える声でその言葉を反芻する。

全身に力が入り、ギュッと手を握りしめた。


「昨日の君から上がってきた報告。君の息子が電話で話したという、藤堂麗の言葉。“エルデクエーレという異世界”にいる?馬鹿馬鹿しいっ。大方、突拍子も無いことを言って注目を浴びようとしただけのことだろう」


局長は机に肘を突き手の甲に顎を乗せながら、吐き捨てるようにその言葉を発する。


「っ!!ではっ、管制部が感知した源技反応に関してはどのようにお考えでしょうかっ?」


「―――藤堂麗が只の妄言だけでは大した騒ぎにはならないと考えたのだろう。態々源技反応まで起こして、手の込んだことだ」


「私の息子はっ!!空間に吸い込まれる藤堂麗の姿を目撃しています!!」


「親である、君の前で言うのは気が引けるが―――君の息子もグルだった。そう考えれば辻褄は合う。高等生の男と女だ。馬鹿をやっても不思議ではない」


内容とは裏腹に嘲笑を浮かべながら局長はそう言った。


局長の言葉とその態度に、弥生の頭に瞬間的に血が上る。


「っ!!同質の未知の反応を、同じ時間帯に4つも感知してっ!4人がもう2週間以上行方不明なんですよっ!?」


「ネットか何かで知り合った4人が示し合わせて行動しただけだ。――――もしかしたら、集団自殺かもしれんな。報告書を読んだが、4人とも事情持ち。親族に恵まれない者、家庭環境が複雑な者、犯罪歴のある者、社会から逃げ出した者。今回の様な事態を起こしても何も不思議ではないだろう?人々の注目を集め、最期に自己顕示欲を満たし、そして現実から逃げ出す。よくある話じゃないか」


「本気で言っているんですかっ!!私は麗ちゃんを知っていますっ!このようなイタズラをする子でも、自殺する子でも絶対にありませんっ!」


「君が見ていたものは、その子の一部でしかなかった。君は責任を感じているのかもしれないが気にする必要はない。今回の件は君の査定に響かないから安心しろ。そもそも精神異常者を理解できなくても、仕方がない」


「―――もう一度だけ、言う。消失事件はイタズラと判断し捜査を打ち切る。捜査本部の皆にもそう伝え、通常業務に戻してくれたまえ。―――わかったな。川北課長補佐」


(おかしい。局長が言ったことには根拠も証拠も何もない。只の妄想だわ。常識的に考えて、この決定はありえない!)


そもそも未知の源技反応という不可解さを有した事件だとしても、このように、一事件に関して局長が課長補佐を呼び出すことはほとんどない。


それこそ、“何かしらの意図”が存在しない限り。


弥生はそう考えると、冷静さを取り戻した。


「行方不明者の中には経理頭の親族もいます。何と説明するおつもりですか」


特異庁には、治安を司る保全部や教育を担う教練部などそれぞれ担当するいくつかの部がある。


予算や人員といった資源の差により曖昧な力関係が存在するが、経理部は特異庁の財布を握っており、そのプレゼンスは特異庁内でも群を抜いて高い。


必然的に経理部のトップである経理頭も相当の権力を有していた。



「心配することは無い。経理頭も捜査打ち切りには“快く”賛成してくださったよ。身内の恥で周りに迷惑をかけていることに、心を痛めておられたからな」


「―――わかりました」


経理頭と局長の間でこの件に関してどのような遣り取りがなされたのか、弥生には解らない。

だが、局長の荒唐無稽な妄言を、経理頭は受け入れたことになる。


「以上だ。下がっていい。川北課長補佐」


上司である局長にそう言われては、退席するしかない。

弥生は、納得など全く持ってしてはいなかったが組織の一員である以上もはや退席するしかなかった。


「わかりました。失礼いたします」

深々と頭を下げ、弥生は後ろにある扉へと体を向ける。


「あぁ。川北課長補佐。大事なことを言い忘れていた。消失事件もとい悪戯事件“5人目”の一般人に関してだが、そいつに関してだけは捜索及び、身元の特定をしてくれ。なるべく早急にな。見つかったら即座に保全部内事課に“連行”したまえ」


弥生の背に、局長の指令が投げかけられた。


(局長の言葉から考えると、今回の事件、上層部はそもそも無かったことにしたいと見て、間違いない。そしてそれは、その違う世界に行ったという一般人も、含めて。――――やっぱりおかしい。この事件、“何か”ある。私達の知らない何かが)


弥生はそう推測しつつ、保全部局長室を後にした。






―――――――――





「なるほど。さっきの音とお前の声は、お前たちの世界ニホンとの通信のものだったのか」


小さな町の古びた宿の一室でベッドの隅に腰かけた子竜、ディルクは納得した声を発する。


スマホによる通話が終わった後、ディルク達は目立たないように地上へと降り近くの田舎町に向かった。


ディルクがレンを背負いながら半刻程歩いた後、タージア州の片田舎であるこの街に辿り着き、宿へと入り部屋を取るとレンをベッドに寝かせた。


未だ、レンが目覚める様子は無い。


「えぇ。最低限ではあるけれど、これで特異庁、日本の源技能を司る機関に、こちらの事態を伝えることができた。ユート、私の幼馴染なんだけどその母親が動いてくれているみたい」


「―――そうか」

レイの僅かに高揚した声を聞きながら、ディルクはポツリと相槌をうった。


「源技能に関しては、エルデ・クエーレの方が発展していると思うわ。特に生活に関する源技や戦闘用の源技、源技陣による守護源技みたいな源技能の応用は、正直日本とは比べ物にならない程進んでいる。でも、科学技術は逆ね」


「レンが以前、スマホの説明の時に言っていたが、源具に似たキカイと呼ばれるもののことか?」

ゲムゼワルドでのレンの説明を思い出しながら、ディルクはそう聞く。


「人々の営みに対する利用のされ方という意味ではその認識であっているわ。日本では近年になって、源技能と科学技術を組み合わせた可能性に注目している。もしかしたら、それによってエルデ・クエーレと日本を繋ぐ技術も産み出されるかもしれない」


そう強く言ったレイの瞳には、きらきらと輝く希望を携えているように、ディルクは感じた。

そのレイとは対照的に、ディルクの心に不安と懸念が染みわたる。


「なぁ。もし、今すぐにでもニホン、お前たちの世界に帰ることができるってなったら―――その、お前たちは」


「―――侮らないで。この世界を放っておくつもりは無い。山彦庵で私も、レンもそういったでしょう?正直、この件に対してあなた鬱々しいわ。そんな風に申し訳なさそうにされるとこちらとしても、やりづらい」


「…………」


「もう、選んだの。レンも―――私も」


そのレイの声から硬い揺るぎようのない強い意志が感じ取れた。




(―――全く。俺としたことが、らしくなかったな)


「俺も、覚悟を決める、か」


誰に放つわけでもなく、そうポツリと呟いたディルクの中に一つのある決意が固められる。


「ディルク?」


不思議そうな顔をディルクに向けながら、呼んできたレイに対して、不敵な笑みを返す。


「やはり中途半端は、良くないよな。―――レイ。先に謝っておくぜ。これからお前は十中八九、誹謗中傷に晒されるだろう。だが、どうか耐えてくれ」


「どういうこと?話が見えない」

ディルクの唐突な宣言に対して困惑した表情をレイは浮かべた。



「今から俺が属している第9派と、通信源技を繋げる。―――勲者である第九勲“女帝”に直接、話を聞くぞ」




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