64. 銀の竜の背で繋がる世界
普段よりも近くで浴びる太陽の光は、今のレンにとっては、眩しすぎた。
大気に乗るように滑空する巨大な銀色の竜。
竜化したディルクの首下に横たわりながらレンは縮小していくアルテカンフの街に想いを馳せる。
傭兵都市アルテカンフ。
一時滞在者が溢れるこの街からレン達もそれらの傭兵達と同様に立ち去っている。
レンがこの街に滞在したのは、僅か十日ほどでしかない。
だが以前の日常とは比較にならない程に濃密で激しい日々を過ごしたことは間違いない。
今にも闇へと向かいそうになる意識を細く繋ぎ止めながら、
レンはゆっくりと今までの一連の事象と、
そこから得られた情報を、並べ替えながら脳へと焼き付けていく。
(ダリウスさん―――デリアさん―――老師―――ヴぃー)
召喚されたニンゲンとの合流。
属性怪異との戦闘。
制限された記憶の自覚。
ニンゲンとエルデ・クエーレの関係。
怪異化されたヒトビトと老師の思惑。
首謀者であるヤナとニコラス、仮面の男との邂逅。
傭兵団“狼の牙”改め第7小隊との衝突。
良くも悪くも事態は間違いなくレン達を中心に急激に稼働している。
この数十年、怪異による大地の侵食に関して手掛かりが無かったことを考えれば、この事態の変化には大きな意味が存在する筈だ。
レンはそれを認識すると、首下から垂れ下がっている銀色の指輪に意識を向けた。
老師がレンに渡したこれからは、濃密な闇源子の気配と、神々しい仄かな圧力を感じる。
(我からの、ささやかな贈り物だ)
そう、老師は言っていた。
一体この指輪に何の意味が在るのだろうか。
何故、あの場で具体的な説明をしなかったのだろうか。
いや。違う。
老師の、ヴぃーの振る舞いには必ず、重大な意義が存在する。
この指輪に限らず、今、自身が理解できないのなら、それはまだ時が来ていないだけなのだろう。
レンは錆びついた歯車で動く思考を徐々に抑えていく。
全身が摩擦により摩耗しているかのように、酷く痛み、制御ができない。
肌を打ち付ける突風が、心地よい。
肌に触れる爬虫類の柔らかな鱗が、気持ち良い。
体を包みこむ治癒源技の光が、温かい。
それらを感じながら、レンはゆっくりと意識を沈めていった。
―――――――――――――
レイは眠りについたレンを支えながら、治癒源技を手のひらから発現させていた。
《レンの様子はどうだ?》
竜化したディルクが前を向きながらレイに聞いてくる。
そこにはレンの様子を気に掛ける優しさが感じ取られた。
「とりあえず、表面上の傷は癒したわ。今は、眠ってる。ここまで、彼、肉体的にも――――精神的にもぎりぎりだったはず」
《―――だろうな》
ディルクは同意を示す短い相槌を打ち、そして、会話が途切れた。
次の一手を考えるかのような沈黙が場に訪れる。
《もう少し距離を稼いだら降下して街を探そう。レンの治療に適した場所を探す必要がある。さすがにこれだけ飛べば、奴らも簡単に追ってはこれないだろう―――レイ、お前は大丈夫か?》
ディルクのその言葉を聞いてレイは自身の疲労感を始めて認識した。
体が水中にいるかのごとく、重く、だるい。
「―――えぇ」
精一杯の強がりで肯定の言葉を返したものの、あまりその意味通りに受け止められたようには感じなかった。
先を急ぐかのようにディルクの飛行速度が上昇している。
普段よりも近くに位置する大きな白い雲を追い越すように飛んでいく。
帰りたい。
只々自分の将来のことについて悩むだけで良かったあの日本に。
父親の待つ、古びた2階建てのアパートの一室である、自分の家に。
レイの脳裏にその想いがポツンと、孤独に浮かび上がる。
《俺達にも休息が必要だ。揺れるだろうが速度を上げるぞ。しっかり掴まっていろ》
ディルクのその言葉を聞いてレンは、レンの肩に回した手に力を込めた。
その時だった。
ブッブッブッー!ブッブッブッー!ブッブッブッー!
突然レイの腰あたりから、規則的な拍子を刻んだ小さな音が、振動音のような音が響き渡る。
《何だっ?!》
ディルクが緊張と警戒を滲ませた、鋭い声を放った。
(っ!!これは、スマホのバイブ!?)
レイはその人工的な音とそして腰から伝わる細かな振動を認識すると即座に空いた左手でポケットの中にあるスマフォを掴んだ。
やはり、スマホが震えている。
(レンはこのスマホの震えを頼りに私を見つけ出した!―――ということは、近くに私たち以外のニンゲンがいる!?)
レイの時は、スマホから得られる情報は“振動”しか無かった、とレンは言っていた。
だがレイとレンが出会ってからスマホの機能は、正確にはアプリ“エルデ・クエーレ”の機能は拡張されている。地図機能がそれだった。
(もしかしたら、アプリの地図上に何かしらの―――――他のヒトの位置が載っているんじゃ!?)
レイはその考えに即座に辿り着くと、ポケットから取り出したスマホに目を向け、ロックを解除しようとする。
だがレイの視界に入ったスマホには予想だにしないものが表示されていた。
『川北悠斗』 『応答』 『拒否』
つい2週間ほど前までは毎日見てきた画面が、今、エルデ・クエーレでスマホに映っている。
着信だ。
圏外を示しているスマホが、何故か着信画面を映している。
レイの幼馴染である“川北悠斗”から、レイに電話が来ている。
それを認識した途端に、一瞬にしてレイは混乱に陥った。
周りを流れていく雲のごとく、情報が感情が頭の中を駆け抜けていく。
(どういうこと!?何故、何度試しても機能しなかった通話が今生きているの!?悠斗もこっちに来ている!?)
だとしたら早く合流しなければ。
ヤナ達首謀者やフランカ達王領騎士隊に捕まったら悠斗の身に危険が及ぶ。
レイはパンクしそうな頭の制御を必死に試みながら、着信を受けるために画面上の緑色の応答ボタンを親指で強く押し、スマホを耳に当てた。
「悠斗!!悠斗なの!?あなたもこっちにいるの!?」
レイは必死に、必要以上の声を上げて、電話の向こうにいる悠斗に呼びかける。
『――――っ!―――い!?』
ノイズが酷い。
誰かしらの声は聞こえるものの断片的すぎて聞き取れない。
向こう側もこちらに必死に呼びかけている様子だけがスマホを介して伝わってくる。
「悠斗!」
だが、徐々にそのノイズは空に拡散していったかのように緩やかに消えていく。
《レイっ!どうしたんだ?!》
ディルクの低く激しい声も、今のレイには遠くにしか感じ取れなかった。
やがて、ノイズは完全に収まる。
回線が安定状態に達したようだ。
『麗っ!!麗なのかっ!!』
焦ったような、必死な男の声が聞こえる。
その声を聞いて向こう側にいるヒトが、幼馴染の悠斗であることをレイははっきりと認識した。
「悠斗!」
レイは自身の目に熱が集まるのを感じた。
胸も異様なほどに熱くなり、目に涙が溢れる
エルデ・クエーレに召喚される直前まで聞いた通学路での声。
レイの日本での最後かつ最新の記憶にある声。
『麗!お前!大丈夫なのか!?今何処にいるんだよ!!』
悠斗の必死にこちらの安否を気に掛ける叫び声を聞いて、レイの頭に若干の冷静さが戻ってくる。
腕で涙を拭うと、レイは息を整えるべく大きく一度呼吸をした。
「………大丈夫よ、………ありがとう。―――――悠斗、落ち着いて、聞いて。今から私が言うことは、冗談じゃないから。決して頭がおかしくなったわけでもない、嘘偽りのない紛れもない真実」
『―――麗?』
悠斗が訝しげな声を上げる。
「私は今、エルデ・クエーレという、日本じゃ、いえ地球ではない全く異なる世界にいるわ―――ニンゲンは存在しなくて、獣人達が住む世界」
自らが発した言葉ではあるものの荒唐無稽すぎて乾いた笑いが生じてしまいそうだった。
『何を言っているんだ麗?ふざけている状況じゃないんだぞ!!2週間も連絡も無しに、おじさんも、周りもどれだけ心配したとっ!!』
「お願い!!最後まで聞いてっ!!あなたも私が空間に吸い込まれた時、その場にいたでしょ!!」
『っ!』
レイの叫びに、電話越しの悠斗の息を飲む音が聞こえた。
「その世界エルデ・クエーレは、今未曾有の危機に晒されているの。その危機から脱却するために、私が呼ばれた――――いえ、私達が召喚された」
『召喚?―――麗以外の人もそこにいるのか!?』
「えぇ。今は一人と行動を共にしているわ。他の人はまだ合流できていないけど、同じくこちらの世界にいる筈。今まで、何度もそちらに連絡を取ろうと試みたけど、繋がらなかった。何故か今だけ電話が出来ているの」
『わかった―――麗の話を信じるなら、麗以外の源技反応のあった“3人”もそっちに、、、』
「源技反応?3人?どういうこと?」
悠斗の会話から得られた情報に疑問を覚えたレイが、そこに対して質問を投げかけた。
『麗が空間に吸い込まれた時に、源技反応と思われるものが感知されたんだ。今まで観測したことがない属性らしい。それと似たようなものがほぼ同時刻に3回感知された。保全部係長の自宅、経理頭の自宅、特異庁内だ』
(………レンの予測通り、日本でも事態を認識して動いてくれている。―――でも)
(レンは、特異庁に認知されていない?)
そうだ。そもそも日本でレンは“源者”ではない。
『麗の話を信じるなら、あの源技反応は異世界へ飛ばすための源技能ってことに―――』
「悠斗。こちらの世界に召喚されたニンゲンは恐らく私を含めて5人。」
悠斗が喋っている途中で、被せるようにレイは言った。
『なんだって!?』
「私と一緒にいる人は“源者”じゃないの。あなたの言った源技反応の位置から他の3人は“源者”なのよね?」
『あぁ。全員の身元がわかってる。けど、一般人が混ざっているなんて、、、』
「おばさんは特異庁に勤めているのよね」
『あぁ。母さんが麗たち―件の対――部、現場のトップ―よ』
(またノイズが!!)
この電話も長くは持たないのかもしれない、どんどんとノイズは酷くなっていく。
「なら、今のことを伝えて!!私たちはなんとか集まって、戻れるようにするわ!!」
『わか―た!ノイ――酷―――れ――!!』
(もう、持たないっ!)
「お父さんに伝えて!!無事だって!!必ず戻るって!!!」
『――――っ!―――――』
ブチッ
耳に当てたスマホから、通話の終わりを告げる音が響きわたる。
「っ!!」
こんなにも、この無機質な音が心に突き刺さることは初めてだった。
堪えようのない喪失感が、レイを襲う。
《レイ、今のは―――》
事態が終わったことを悟ったのか、ディルクがレイに尋ねてきた。
「安全な場所に着いてから、話すわ」
ひと時だけ、繋がったスマホ。
(日本とこちらの世界は、ちゃんと――――繋がっているっ)
絶対に、日本に、戻ってみせる。
レイは断固とした、決意を胸に固めた。
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