57. 黒い雨に生き物は狂う

「ヤナさん。正直、あなたに付き合うのはもう―――飽きたんだ」



レンが周りを取り囲んでいる怪異を気にすることなく、ゆっくりと前に歩いていく。


「へぇぇ」

そのレンの発言を聞いたヤナは、興味深そうに声を上げた。


ヤナは、現在の自身の絶対的優位を疑っていないのだろう。

レンが不用意に動いたとしても、それに対応する様子はない。

余裕を持ってレンを観察していた。


一方のレンも、自分達の絶望的な状況に気が付いていないように、淡々と言葉を発している。


いや。何時もよりも、レンの言葉に感情は乗っていない。

焦っているのか、怒っているのか、悲しいのか、呆れているのか、、、

レンの言動からは、何も感じ取れない。


「あなたが、自分たちの感情を乱し、搦め手でくるのなら―――――自分は思考と論理で、それを、打ち砕きます」

そうレンは言い放つと、差し棒を一度ヤナへと構え、それを地面に突き刺した。


「あらららっ!格好良い事言っちゃいますねぇ!格好良すぎて、痛くて寒いですよぉ!!」

ヤナが、大袈裟に両手で自分の体を抱き込む。


そのヤナの言葉を聞いたレンが、口元を歪め、フッと笑う。



「―――――ところで、ヤナさんにとって“闇”ってなんですか?…………同じ闇源技能を発現できるヒトとして、興味があるんですよね」



レンの唐突な言葉に、場が一瞬沈黙で包まれる。

ここは学校ではない、明らかに場に相応しくなく、直前までの言動との解離が激しいレンの質問は、ヤナですら言葉を失っていた。


ディルクが凄まじい顔でレンの顔を見ている。


(レンには何か考えがある)


レンが意味無くこのような言動を取るとは思えない。

そう確信できるほどには、レイの中でレンという人物像が固まっていた。


「そうですねぇ。闇は、誰にでも常に寄り添っているものですよぉ!そして、それは気が付かないうちにぃどんどん、ヒトを侵していくんですぅ!――――これで満足ですかぁ!」

ヤナは律儀にも、レンの不思議な質問に答えていた。


もしかしたら、ヤナはペースを乱されることを嫌がったのかもしれない、レイは直感的にそう予測する。


「えぇ。ありがとうございます。なかなか情緒溢れる捉え方ですね」

まるで、生徒が答えた回答を評する教師でありかのように、レンは返答した。


「自分にとっての闇は、闇源技能というものは、二つあります。一つ目は、何も存在できない空間、です。電磁波も光子すら完全に遮断する空間、それが“闇”です。でもこれだと―――ヒトの記憶や感情に働きかける闇源技の説明ができない。だから二つめの闇が必要なんです」


「へぇぇ。それは一体なんなんですかぁ?」


気が付けば、ヤナも、そしてレイもレンの闇源技能に対する考えに聞き入っていた。




(!?なにこの感覚!?)


レイは突如源技能の気配を感じ取り、その感覚に寒気を覚える。


霞のようにぼんやりとしつつ、どこか孤独を感じる切ない感覚。

気持ちの良いものではないそれが、自分たちの遥か上空に存在するのを、レイは感じ取った。


(属性怪異!?いや違う!?)

周りを囲んでいる怪異の群れにも、昨日倒した属性怪異と同じ感覚を持つ怪異は感じ取れない。


そして、空にも属性怪異の姿は無い。


ちょうど真上に、少し灰色が交じった巨大な雲が位置するだけだ。


「契約で相手を制限する、なんて闇源技能もありますよね。つまるところ、記憶、感情。それらに対して働き掛ける源技能が、闇源技の一つですね」

レンが未だ、源技能に関しての持論を述べている。


そのときレイは、柔らかく細かな圧力を肌に感じる。

始めは5秒に一回、どこかにそれを感じる程度だったが、あっという間にその間隔は狭まっていった。


「雨?」

真上には灰色の雲が広がってはいるが、基本的には空には爽やかな青が大部分を占めていた。

太陽の光はギラギラと大地を照り付けている。


狐の嫁入りだろうか。


「さらに、これらの現象を掘り下げるなら、闇源技能の作用部位は、脳、ということになります。そこに作用することで、ヒトの意志を制限するんです」

そう言いながら、レンは人差し指で自身の頭を差す。


雨と思わしき液体が、小雨のように降り注いでいる。

(雨―――ではない。濡れていないから)


「なんだ、これは―――黒い、雨か?」


ディルクも、僅かな異常さに気が付いたのか怪訝な顔を浮かべて、空や、自身の掌を見つめる。



「“神経伝達物質”」

レンがポツリと呟く。


「自分はもう一つの闇を、そう――――定義した」




レンがそう言った瞬間、周りを囲んでいた怪異達が、先ほどまでの統率のとれた静けさとは打って変わって落ち着きを無くし、威嚇を始めた。


各々の怪異は唸り声を上げながら、周りの自分以外の、他の怪異に対して敵意をむき出しにしている。


いや、怪異間だけではない。


最も近い熊怪異はレイを標的と見定めているかのように唸り声を上げ、理性を完全に喪失したかのように涎を垂らし、レイに対して構えている。


レイ以外にも、ディルクやレン、さらにはヤナですら怪異に唸り声を上げられていた。


場は途端に異様な緊張感に包まれる。


地面を打ち付ける黒い雨の音を背景とし、数十もの怪異の唸り声が輪唱となって、場に響き渡っていた。



「なんなんですかぁ、一体ぃ!?」

ヤナがイラつきながらレンへと叫ぶ。



「少しばかり、ノルアドレナリンを想像した闇源技能を発現して、彼らに与えただけですよ。“多少”の躁状態になっているようですね」

レンの言葉の意味がわからないのだろう。ディルクは眉を顰めている。


レイも、完全に理解しているわけではない。


だが、レンが闇源技能で黒い雨、ノルアドレナリンという神経伝達物質を模倣し、降らしている。

それによって怪異が極度の興奮状態になっているらしい、ということだけは理解できた。


「端的に説明するならこの雨、一粒一粒が麻薬であり、彼らを興奮状態にしているだけですよ」


目の前にいる熊怪異がじりじりと近づいてきているのがわかる。

既にレイは熊怪異の攻撃範囲に入っていることを理解していた。


(私たちには、この闇源技は作用していない、けれど、ほとんど私たちすら巻き込んでいるようなもの!)


「レイ。後、少ししたら、俺達も混ざった怪異同士の殺し合いが始まる。陣形を崩すな。お互いの背中を守るんだ。それだけで生存率は格段に上がる」


レイの後ろにいたディルクが、耳元で囁いてくる。


「――――レンは?」


「この状況を作った、あいつを、信じるしかない。何か考えがあるんだろう。――――――畜生っ!!あの野郎!終わったら絶対!説教と拳骨をくれてやるっ!」

ディルクが大きな橙色の拳を握りしめながら、そう吐き捨てる。


「私も、それ、乗るわ」

レイはリカーブボウを強く握った。



「そろそろ、始まるみたいですね」

レンはそう言いながら、不用心にもゆっくりとヤナの方へと歩いて行った。


レンの進路に豹怪異が居たものの、レンの喉元へと噛みつくために近付いてきた、その瞬間、レンの差し棒の一突きで昇華される。


それを皮切りにその周りの怪異達が、唸り声を上げながら自分以外のすべての生物に襲い掛かった。


それは、直ぐに伝染していく。



レイにも熊怪異が飛び掛かってきたものの、冷静に光の矢で弾き飛ばす。


地面に倒れ込んだ熊怪異は、即座に、近くにいた別の狼怪異に襲われていた。

その狼怪異にも、また別の怪異が攻撃を仕掛けている。


そんな光景が当たり前のように、あたりに広がっていた。


(――――地獄絵図)

率直にレンはそう感じたものの、自らにもまた別の鹿怪異が襲ってきたためそれの迎撃に意識を集中した。




ガンッッ!



そんな中、レンは脇目もふらずに、ヤナへと攻撃を仕掛けた。

レンの差し棒とヤナの御幣がぶつかり合い、鈍い音を奏でた。


鍔迫り合いの中、レンの右肩に獅子怪異が噛みつきに飛び掛かるも、レンは回避も攻撃もせずそのままそれを受ける。


「ぐっ!」

獅子怪異に噛みつかれた肩からは、レンの血がしたたり落ちた。

特攻同然のレンの攻撃にレイは驚きを隠せなかった。



「化け物っ!あなたぁ狂ってるんですかぁ!?」

ヤナに対しても怪異が攻撃を仕掛けたものの、ヤナはそれを蹴りの一つで薙ぎ払う。



「ヤナさんにそれを言われるとは、ね。あなたは強い。実力の低いものが、上手に勝つ一つの戦略。それは危険を度外視して、戦場を、混戦や乱戦に持ち込むことですから」


そうレンが平坦な声で言った直後、レンは殺気を孕んだ視線で、ヤナを睨み付ける。

激しい憎悪に満ちた顔が、今までで一番人間味を感じさせる。

そんなレンの顔がそこにはある。




「あんたは!絶対にここで!終わらせる!!」



そして、レンの慟哭が、その場に響き渡った。




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