53. 異端は独り占めをする

デリアは目の前の光景を、現実として受け止めることが出来なかった。

何もかもが唐突であり、そしてそれはデリアに驚愕を与えた。




デリアとダリウス、ディ-ゴはあの施設の現場検証を終え、この事件の状況を老師へと説明するために、山彦庵へと向かった。


結局、ニコラスという科学者がいたあの施設からは、大した情報は得られてはいない。

殆ど物は残っておらず、生き物を飼うための古びた檻や医療用の機具がいくつか散乱しているだけであった。




そして、老師を訪ね応接室の扉を開けると、衝撃的な光景がデリアの視界を埋めた。


机に倒れ込んだ老師。

その胸からは血が流れ、周りの書類や本を侵食している。


そして。

その傍に座っているレンと、

その右手に握られた、

老師の血で染まった差し棒が、鈍い光を放っていた。



レンが老師の胸を貫いた。


明らかな殺人行為だった。



そして、父であるダリウスがレンに殺意のある攻撃を仕掛けている。

生を刈り取る銀色の刃がレンの頭上に迫っている。獣人化したダリウスの一撃だ。


全身の金色の毛を逆立てて、その瞳や獰猛さを有するマズルは、限界を超えた怒りにより酷く歪んでいた。


デリアですらここまでダリウスが激怒している姿は見たことがない。

自らの父ではあるものの、そのダリウスの姿に、デリアは本能的な恐怖を感じずにはいられなかった。


机の上に倒れ込んだ老師の、すぐそばに座りこんでいるレンは光を失った瞳で茫然とダリウスの剣を見上げている。


いや、空虚をみているのかもしれない。


その右手には老師の体から引き抜かれた差し棒が握られているものの、それを構え防御態勢に移る素ぶりは全く感じられない。

命を失う状況と反してレンは酷く無防備であった。


いや、あのダリウスの剣の速度であれば反応することは不可能なのかもしれない。


どこかぼんやりと麻痺した頭の中で、次の瞬間にはレンの首が飛ぶ光景がデリアには予測できた。




「……ダリ……ウス」

老師の息も絶え絶えでか細い声が聞こえた。


その瞬間、レンに振り下ろされていたダリウスの剣は、ぴたりと制止する。


「……ダリ……ウ……ス……顔………こち……に」

「爺さんっ!!爺さんっ!!!!!!」


ダリウスは老師のその言葉に、剣から手を放すと老師の顔を覗き込み、必死に呼びかけ始める。


レンはその一瞬で我に返ったようで、即座に老師とダリウスの傍から離れると、窓に向けて雷撃を放った。



パリンッ!



雷撃は古びた木の枠で囲まれた硝子に穴をあけ、そこから放射状にヒビが生じた。

そして、レンは窓枠に手と足を掛けると窓ガラスに豪快に体当たりをして外へと逃げて行った。


デリアはその光景で、頭が多少現実へと引き戻ると即座に行動する。


「レンっ!!!お待ちなさい!!!」


ここで、レンを行かせてはならない。

そうデリアは本能的にそう判断すると、レンを追って外へと向かおうと足に力を込めた。


「お嬢様っ!!!!」


ディ-ゴがいつも以上の大声で制止の声を投げかけてくるものの、デリアにそれを受け入れる気は全くない。


「ディ-ゴはお父様と老師をお願い!!わたくしはレンを追いますわ!!」

そう叫ぶと、全身に力を込めデリアはレンを追うべく駆けた。





―――――――――――――




(何をしてるんだっ!しっかりしろ!!)


レンは山彦庵の裏に広がっている雑木林を走りながら、先ほどの己に対して心の中で叱咤した。


極度の緊張状態からの解放の為か、レンの体は重い倦怠感に包まれている。

走った距離は短いものの、既に肩で大きく息をしており、それはすごく乱れている。

鼓動が煩いほどにドクドクとなっていた。


青々とした木々が太陽の光を遮っており、どこか薄暗い。

レンが走っているところは広めの公園であり、木々に囲まれながらも、散歩用の遊歩道が整備されているため、走り易かった。


老師を刺したあの時。

気が付いたらあのヤナと名乗った少女はいなくなっていた。


ヤナはニコラスと同様に、怪異の襲撃やヒトの怪異化の犯人であることは間違いない。


どのような源技能を発現したら、あのように誰にも気が付かれずに出入りできるのかはレンには解らない。


(あいつがっ!!あいつが老師たちをっ!!!)


その少女のことについて考えると、ドロドロとした憎しみと共に、抑えきれない激情がレンの心の中に込み上げてくる。レンがギリィっと口の中で歯を食いしばる。


すぐにでも、ヤナを探し出し、老師たちを怪異化し、ダリウス達の平和な日常を壊したことに対して、報復してやりたいと思う。


だが山彦庵から外へ逃げ出して以降、レンはヤナを完全に見失った。


(っ!今は東通行門でレイさん達に合流する方が先だ!)




公園の開けた場所に辿り着いた時、レンは足を止める。



レンから5メートル程離れたところにヤナが立っていたからだ。



「こんにちはぁ!また、会いましたねぇ!」


ヤナは機嫌が良さそうに、甲高い声を弾ませていた。


真紅のスカートが風に吹かれ、ユラユラと揺れる。

それはレンに、老師の血濡れた姿を思い出させる。


「あのおじさん騎士から、逃げれたんですねぇ!凄いで―――!!」



バチィィ!!



ヤナはこちらに話しかけていたが、それに構わずレンは攻撃を仕掛けた。

翔雷走でヤナの横に瞬時に移動すると、雷源技を纏った差し棒で首筋を狙った。


だが、皮膚に到達する直前に見えない壁のようなものに弾かれた。


(結界源技!?)

「いきなり攻撃してくるなんてぇ、吃驚ですぅ。私、美少女ですよぉ。傷でも付いたら世界にとっての損失ですぅ、酷いですねぇ。化け物さん」


ヤナはわざとらしく驚いた様子を浮かべたものの、怪我一つ負っていない。

それを確認すると、レンは即座にヤナから距離を取った。


「悪いんですけど。自分、男女は平等に扱うヒトなんで」

レンはヤナにそう軽口を返す。


「せっかくぅ。あなたの疑問に答えてあげようと思っていたのにぃ。あんまりですねぇ」


(―――疑問?)

「どういう―――」


レンがヤナに発言の意図を聞こうとしたその時だった。



「レンっ!!!!!」



レンの後ろから、聞きなれた、華やかで澄んだ声が聞こえてきた。

振り向かずとも、レンにはそこに誰が居るか即座に理解できる。


(デリアさんっ、このタイミングでっ!)


間の悪いデリアの登場に、思わずレンは心中で唸ってしまう。


レンは体を半分振り返り、ヤナとデリアの両方が視界に入る位置に移動する。


デリアは、あの施設で見た時と変わりなく、革鎧を身に着け、その腰には細い剣を携えていた。


「おやおやぁ、あの狂人の妹じゃないですかぁ。あっ血は繋がっていない偽物の家族だったんでしたっけぇ。でも、もう死んじゃってるから、どうでもいいですねぇ!」


そのヤナの物言いにデリアは憤慨した様子で言い返す。


「あなた!いきなりなんなのですか!お兄様やわたくしの家族のことを馬鹿にしたら許しませんことよ!それに私たちは生きていますわ!」


そのデリアの言葉を受けて、ヤナは極上の玩具を見つけたかのように、目を弧に細めると、厭らしく口を歪めた。


「へぇ、知らないんですか!これはさいっっこうに愉快ですねぇ!!なら、教えてあげますよぉ!」


(こいつまさか!エーベルさんやアルマさん達のことを話すつもりか!!)


「老師ヴァルデマール・ヴィルヘルムも、あなたの兄と母も使用人も、死にましたよぉ。殺されたんですぅ。――――そこのレンという化け物に」


「っ!?」

デリアの金色の瞳が最大限に開かれる。


(こいつっ!!)


「レンっ…………あなた……そんな……本……当にっ?お母様も!お兄様も!殺したというのですかっ!!」


デリアが口元に手に寄せながら、全身を震わせ、レンに聞いてくる。


デリアにとっては、衝撃が過ぎる事実だろう。

家族が殺されたと、目の前で言われたのだ。通常であれば、信じず笑い飛ばすほどに現実味の無い話だ。


だが、つい先ほど、老師を殺したレンの姿を見たデリアにとっては、信じたくなくても、信じてしまったのだろう。


(くっそっ!!どうするっ)

レンが手に掛けたのは老師のみだ。


怪異化したエーベル達は老師によって殺され、その遺体は、死体から怪異化の情報が漏れるのを防ぐために、既に焼かれている。


だが、それを説明してしまえば、老師とレンの“ダリウス親族及び老師の怪異化を隠し、処分する”という計画がデリアに露呈することを意味する。


(―――毒を食らわば皿まで、か)


どちらにせよ、老師に対する殺人現場を見られている。


それと同時期にダリウスの縁者が三人も行方不明となってしまえば、レンが容疑者の最有力候補になることは間違いない。


レンは腹をくくると、デリアの方へと向き、口を開いた。


「えぇ、そうです。デリアさん。自分が―――皆を殺しました」



「………なぜ?」

か細い声でデリアが尋ねくる。



「――――――その必要があったから」



そこで、しばらく沈黙が訪れた。


デリアがレンの言葉を受け入れる為の時間であろうか。

レンは僅かな後悔の念と、申し訳なさを感じつつ、じっとデリアの返答を待つ。


そして、デリアは一度ゆっくりと瞳を閉じ、開いた。


先ほどまでの戸惑いと悲しみに染まった瞳とはうって変わって、デリアは決意と覚悟に満ちた、鋭い視線をレンに向けた。


そして、腰に携えた細剣を抜くと、レンに向かって構えた。


「ならば、レン。わたくしは一人の騎士として、貴方を拘束せねばなりませんわ―――覚悟はよろしいですわね」


(やっぱり、こうなるか)

デリアのその姿と言葉を受けて、レンも差し棒を構える。


この剣の構えは、ゲムゼワルドの街道で、デリアに指南してもらったものだ。


デリアに習った剣でデリアと対峙する。なんの因果だろうか。

そう思うとレンは思わず苦笑いを零してしまった。



レンの視界の端に移るヤナは、これ以上ないほどに満面の笑みを浮かべ、一人の観客としてレン達の様子を楽しんでいるようだった。




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