51. ヴぃー
老師ヴァルデマールにとって、ダリウス・デュフナーは唯一の観察対象であると同時に、己の刑の執行者でもあった。
数十年前のあの頃。
“勲者”という、生命の営みからの孤独を実感していた頃。
最も信頼していた唯一の友に裏切られたあの頃。
両方の瞳から光を失ったあの頃。
ヴァルデマールは、幼少期のダリウス・デュフナーと出会った。
《爺さん、辛気臭い顔をしてんなー》
ダリウスと初めて会った時、今と変わらない底抜けに明るい声で、笑顔を浮かべながら、開口一番そう言ってきたことを、ヴァルデマールは今でも容易に思い出せる。
ヴァルデマールがまだ、王立源技能研究所で研究室を持ち、部下を率いながら源技能の研究を行なっていた時。
ヴァルデマールがまだ、友の裏切りから立ち直れておらず、接するすべてのヒトに対して過度の警戒と拒絶をしていた時。
いや。ヴァルデマールは未だ、完全にはその裏切りを消化できてはいない。
今後の自身の世界において、他人を受け入れるか否かは、すべてダリウスの“選択”に委ねている。
委ねていた。
《そんなんで、人生楽しめてんの?》
ヴァルデマールは、他者全てに対する強い不信感に日々苛まれつつも、その瞬間、無知で無遠慮な只の子供ダリウスと、会話するという選択をしたのだ。
ヴァルデマールにとって、それは些細な気まぐれであった。
次に、同じ状況に再度立った時、全く逆の行動をとっても不思議ではない程に。
《オレって、他のヒトとは違う力を持っているらしい。父さんがそう言ってた》
ダリウスは、王領の下級騎士の家に生まれた次男坊だ。
生まれたころから当たり前のように、剣技や源技の修練を積んでいた。
幸か不幸か、ダリウスのそれらに対する才能は、平均よりも格段に上であった。
そして、当時から他のヒトとは異なる力、今となっては破属性だと理解できるが、を認識しており、それが原因で周りの集団から孤立していた。
後になって判ったことだったが、初めて会った時、ダリウスは体中に切り傷や打撲などの傷を負っていた。
それは、ダリウスの才能や、特異な力に対する羨望の終着点である妬みから生じた、周りの友達―少なくともダリウスはそう述べていた―や、親族からの暴行によるものだった。
ヴァルデマールは一度、ダリウスに訪ねたことがある。
そのように理不尽に虐げられて、周りの友を、家族を、憎んだことは無いのかと。
《オレはオレらしくしてるだけだ。それで周りの奴からやっかみを受けても、たまたまその瞬間は合わなかっただけ。次の時には、良い関係になってるかもしれない。だから、オレが変わる必要はない》
ダリウスのその返答は、ヴァルデマールの記憶に強く残っている。
未だ、このダリウスの発言の意味を、意図を、完全には理解できていない。
だが、一つだけ、ヴァルデマールは確信していることがあった。
ダリウスは、誰しもが有している―――他人への期待が著しく欠如している。
ダリウスの言葉には、表面上、未来に対する希望に満ち溢れているように受け取ることができる。
だが、一方で、他人からの干渉を自分が受けることも、その必要もない、という諦めにも似た感情も含んでいる。
そして、ヴァルデマールがダリウスのその屈折した感情を理解した時、ダリウスを自身の懐に置き、筆頭騎士に育て上げ、彼の生き様を観察することを、決めた。
ヴァルデマールにとって、それは最後の審判だった。
決して自らの立ち位置を変えることのないダリウスが、ヴァルデマールに対してどう接するのか。
薄っぺらい希望を纏った絶望を持ち続けるのか。
自分を殺してまでも、自分の益を求めるのか。
完全な拒絶により、自身の世界から消すのか。
ダリウスの、それを見ることにより、今後ヴァルデマールの世界に、他人を介入させる意義があるのか否かを、判断する。
その、はずだった。
――――――――――――――
山彦庵、応接室の机の上には、長方形の札が並べられている。それらは、淡い光を放ちながら、柔らかくその存在を主張していた。
老師の目の前にある机を挟み、小柄なヒトが座っている。
異世界から召喚されたニンゲン、レンだ。
レンは、目を細めながら、口を細かく動かし、なにかしらの音を発している。
老師の耳には、断片的にしか聞き取れなかったが、どうやら小さく歌っているようだった。
軽快な旋律を紡いではいるものの、それとは裏腹に、レンの顔からは表情というものが抜け落ちていた。
これまでの札遊戯の勝敗は、老師の六戦六勝。
すべてにおいて老師は、勝利を手にしては来たものの、戦いを経るごとに、レンは目を見張る成長を見せている。
老師は感覚的に確信を得ていた。
この札遊戯でレンに敗北を一度でも味あわされたら、以降二度と、レンに勝つことは、出来ないことを。
(―――否。勝つにしろ負けるにしろ、この戦いが最期だ)
レンが、自身の札に手を付け、老師に見られぬように土地札の下に配置していた演者札を、別の土地札へと移動させる。
「どうぞ。老師」
そして、レンは自分の順番の終了を老師に告げる。
戦況は思わしくない。レンの札の配置の仕方も、質問も、そして言動にも、これまでの勝負とは異なり、一片の隙も無かった。
老師側も、別段悪手と思われる手を打ったわけではないものの、レンの身を切った、危険覚悟の上での攻撃と比べると、若干の温さがある。
(これが、ベーベの―――本当の力)
老師の背中にヒヤリとしたものが流れる。
これまで長い年月、数多のヒトビトを見てきた老師から見ても、レンという存在は、明らかに“異端”だ。
それこそ、ダリウスや、老師と同じように。
それは召喚されたニンゲンだから、という要因には起因しない。
確かに、レンの源技能を修めていく速度は凄まじいものがある。
だが、それはあくまで、現時点では、見慣れた発展途上のものに過ぎない。
破属性が発現できることも、老師はそこまで目新しさを感じない。
老師は、ゆっくりと手を伸ばすと水色に淡く光っていた札、湖の札の下にある怪異札を、小屋の札の下へと移動させた。
老師から見た、レンの真に異端なところ、
それは“洞察力”だ。
観察力、論理力、思考力、想像力、行動力。
それら全てを包括した、レンの“洞察力”は、老師が今までみてきたヒトの中でも群を抜いている。
レンは違和感を見逃さない。
違和感を状況へと昇華させ、仮定を構築する。
仮定を、作業仮説へと研磨し、実際に行動に移すのだ。
(そうだ。我も、ベーベの、観察と想像に気が付かされた。)
遠征中に、蚯蚓の属性怪異を倒した後、レン達が山彦庵に訪れた時。
《老師にとってダリウスさんは大事なヒトなんですね》
レンにそう言われたとき、老師の頭は一瞬思考が停止した。
(大事?否。ダリウスは必要なのだ。我がヒトという存在を見定めるために…………だからこそダリウスには生き抜いてもらわねばならぬ。ただそれだけの筈だ)
そして、次の瞬間にはそう、思考が巡っていた。
頭の何処かの部分で、言い訳がましいと判断しつつも、老師の中でのダリウスの位置づけはそう納まっていたはずだ。
《―――無論》
しかしながら。
レンの言葉に対して、そう返答した瞬間に、老師は悟ってしまった。
(他の誰に言われても、心に響かなかっただろう。我に似ているレンが指摘したからこそ、我の心に響いたのだ。自分自身と向き合うことを強制され、気が付かされた)
肯定の言葉を発した時の、高揚としつつ、どこか気恥ずかしく、そして嬉しい、という感情に。
(ダリウスを懐に置いたのは、審判の為。そう考えていた。そう、考えたかったのだ)
認めたくなかった。認めてしまえば、これまでの自身の人生を否定することにも繋がる。
だが自身の単純化した感情は、認めざるを得なかった。
(失意の底にいたあの時。ダリウスと出会ったあの時。我は嬉しかったのだ。我とふれあってくれたダリウスに。他人からの理不尽な暴力にも負けず、希望に満ち溢れたダリウスという存在に)
(―――ダリウスなら我と共に歩んでくれるという期待。そして、怖かったのだ。他人に、ダリウスに、期待を持つことが)
ダリウスが大事だと認めた今となって、老師は初めて認識した。
あの時。ダリウスを傍に置いたのは、ダリウスを見ていたかったから。
老師にとっての希望の子の行く先を、傍で見届けたいと、願ったからだ。
そして、レンも同様の存在だ。
“あの草原”で初めてレンと話した時、
老師はレンのことを異端な力を与えられた普通のニンゲンだと判断した。
当初はダリウスを生かす為に使う、駒でしかなかった。
源技能のことやこの世界のことについて教えを授けた。
レンが“ゲムゼワルド”で悩んでいるときは助言をした。
レンを使うために言葉巧みにレンからの信頼を稼いだ。
レンがアルテカンフに来てからも同様だった。
普段の講義に加え、老師として今現在もしている札遊戯や、源技能や源技陣の講義を通してレンとの交流を深めていった。
順調にレンは使える駒へと成長していった。
だが、レンもまた、ダリウスと同じだった。
ディルクが監視のためにレンと行動を共にしていると察しても、
アルテカンフで傭兵に馬鹿にされても、
属性怪異との戦いの後で、ヒトビトに恐怖に満ちた目で見られても、
理不尽な召喚や記憶操作という逆境を自覚しても、
ヒトとしてどこかが破綻しているように、レンは前だけを見ている。
その姿を見て老師は、レンに対して羨望と未来を覚えた。
昔の自分が捨てた、いや捨てたことさえ気が付けなかった、その姿に。
(有難う。ダリウス。我に希望と愛情を教えてくれて)
老師は、焦点がずれていた視線を、机の上の札へと合わせる。
既に盤面は終局へと向かっている。
もう、老師に打つ手はない。
次のレンの順番で勝負は終わる。
(そして、有難う――――レン。この世を去る前に、我に、本当の自分と向き合わせてくれて)
―――――――――――
(―――詰み、だ)
完全集中を維持するフロー状態を解除したレンは、机の上に並べられた多数の札及び、これまでの遊戯の流れの二つを考慮してそう結論付けた。
盤面ではレンの勝利は揺るぎないものとなっている。
老師のある土地札に怪異札が潜んでいることは間違いない。
其処に対して、“使徒”が調査と撃破の指示を出せば、この遊戯は終わる。
そして、この遊戯の次に“最期のイベント”の幕が開かれるのだ。
覚悟は決めている。
老師を殺すことも、ダリウスに憎まれることも、業を背負って生きることも。
それでも。
それでも。
この遊戯の終了の合図に等しい言葉を口にすることに、レンは躊躇いを覚えた。
レンと老師自体の時間は、レンがアルテカンフに来て以降の約七日程度しかない。
しかも、一日に数時間程度。
その中身は、雑談や札遊戯、源技能や源技陣の講義の受講といったものでしかない。
だが、老師との時間はそれだけではないことを、レンは理解している。
老師にとってみれば、自分の計画に必要な存在であるレンの監視と、信頼稼ぎのための時間だったのかもしれない、とレンは推測する。
だが、日本での他者との記憶が欠落しているレンにとって、老師との交流という時は、高い価値があった。
(そうか。老師は自分と似ているんだ―――思考も行動も)
本音を漏らせるなら。駄々を捏ねられるなら。現実から逃げられるなら。
老師を殺したくはない。
(楽しかった。尊敬していた。もっと教えを乞いたかった)
レンの心に中に、幼稚だがシンプルな感情が駆け巡る。
熱いナニカが体全体に点在し、レンの体を内側から引っ張る。
激しい頭痛と震えがレンを揺さぶる。顔中に熱が激しく拡散していく。
両手を血管が浮かび上がるほどにギュッと握りしめ、膝の上へと置く。
今、言葉を発しようとする動作を、レンの本能が体を通して全身全霊で拒否してくる。
(言わなきゃいけない。前に進むと決めたんだ)
レンはゆっくりと深呼吸をすると、口を開くために、体に力を入れた。
「もう、よい。この盤面。我の活路は存在しない。我の負けであり、そなたの勝ちだ。―――レン」
その瞬間に、老師が降参の意を示してくる。
レンが口を開くために集めていたエネルギーは、行き場を無くし、レンの体へと戻っていった。
「だから。レン……そのように、泣くでない」
泣く?
泣いてなんかいない筈だ。
泣くわけがない。
泣く資格なんて、自分にはない。
いや。
―――違う。
レンは老師に言われ、始めて、自身の瞳から涙が溢れていることを、認識した。
熱い水滴が、止めどなく頬を伝っているのを感じる。
一気に視界が滲み始める。
目の前に座る老犬獣人である、老師の姿は、ぼやけて見える。
老師が纏っている漆黒のローブが、ぼんやりと老師を象っている。
怖い。
悲しい。
悔しい。
憎い。
辛い。
逃げたい。
……でも。
でも。
これらを全て、受け止めて、飲みこんで、消化して、糧にして。
「――――違うよ、“ヴぃー“今、ここでっ、しっかりと泣いて、前に、進むんだ」
レンは途切れ途切れに息切れし、掠れて、不安定な声で、大きく、はっきりと老師に宣言する。
レンは自身の黒いパーカーの袖で、涙を乱暴に拭うと、目の前に座っている老師をはっきりと見た。
老犬獣人の頭から垂れている大きな羊羹色の耳と、雄々しいマズルと、そこから生えた白い髭。
そして、
レンのスマホから発せられていた声を思い出す。
レンは、目の前の老師の姿と、ヴぃーとしての音声、
その二つをしっかりと、脳に記憶させる。
「―――やはり、気づいておったか。もはや、何故わかったかと野暮なことを聞きはしない―――そうだ、我がヴぃーとしてそなたと話しておった。こちらの媒体は本であったがな。獣源技によりそなたのスマホと通じた――この本だ」
老師はそう言うと、机の上にあった源粒子を集める本を手に持つと、パラパラと捲る。
そして万年筆を取り、何かを書き込んでいた。
「ヒトは大人になるにつれ、いつしか泣き方を忘れる。それは、正面から受け止めるだけの心の力を失っていくからであろう。レン、そなたは正しい」
そう言った老師の顔には、贖罪を終えた咎者のように、悟りと慈愛の瞳が浮かべている。
「ヴぃー。もしっ、もしも、自分達が普通に出会うことができたなら、自分は、今と同じように、老師の弟子に、ヴぃーの生徒に、なれたのかな?」
山彦邸の応接室に、一瞬の静寂が訪れる。
「―――否。絶対にありえぬであろうな。穏やかな日々であれば、我は他人を傍らに置かなかっただろう。だが、この状況において、老師としてそなたと過ごした僅かな時、ヴぃーとして接した時間は、我にとって非常に有意義であった」
「そっか――――ヴぃー、短い間だったけど、ご指導ご鞭撻のほど、ありがとうございましたっ」
レンはそう言うと、座りながら、深々と老師に頭を下げる。
「うむ」
老師は目を閉じ、レンの感謝の言葉をゆっくりと咀嚼するように頷いた。
「―――レン、もし、もしもそなたが後一年でも早く、こちらの世界に召喚されダリウスと出会っていたのなら―――我らが、共に過ごす未来が、穏やかな世界が、存在しえたのであろうか?」
その老師の問いにレンは咄嗟に答えることが、出来なかった。
仮定の未来。在りえた未来。
眼前に漂った、空想の未来。
そして、手の平から零れ落ちた未来。
「いや、忘れてくれ―――詮無きことだ」
老師が寂しげにそう言う。
そして老師は身を乗り出し、レンの首下から伸びている銀色の鎖の先に付いた指輪を、手のひらで掬うと握りしめた。
『我ヴァルデマール・ヴィルヘルムは乞う。神獣と原初のヒト。咎に満ちた大地と天に帰属する源技。闇を追い、闇に添い、闇へ還らんことを。』
老師がそう呟くと、金色の粒子が集積し、指輪へと浸透していく様子が、レンには視えた。
「―――これは?」
「我からの、ささやかな贈り物だ」
老師は茶目っ気交じりに笑いながら言うと、身を戻し、一転して真剣な顔でレンに向かう。
「レン。我とそなたが共に過ごした時間は短いが、そなたは、まごうことなき我の唯一の弟子であり、我の教えを受け継ぐ唯一の存在である」
「うん」
老師の言葉を受けて、再度、目の奥がツンと痛むのを、レンは感じた。
「レン。今のこの世界は、未曾有の危機と称されても間違いではない状況に晒されている。これまでの数十年。怪異の増加、大地の汚染といった兆候は確かに観察されていた。だが誰も、これらが人為的に起こされたものだとは、予想もしておらなんだ。―――――容易に想像できるであろう、レン。この事態を引き起こした首謀者達の、計画的かつ、狡猾であり、辛抱強く事を成してきた姿が」
レンは老師の言葉に頷く。
「そして、ゲムゼワルドと、ここアルテカンフで起きた怪異の事件。奴等は一転して“隠すこと”を止めている。むしろ、人為的であることを主張しているかのようだ」
(そうだ。自分は、その二つにしか直接関わっていないけど、これまで自然に生じていた事象だとは信じられないぐらいに、その姿をアピールしてきている)
「ヴぃー、つまり、もう“隠す必要が無くなった”。しかも、狡猾で我慢強いやつがそう判断したってことは、彼らの計画が、次の段階に移行した可能性が高いってことだよね」
レンは、老師の言葉を受け継ぎ、結論を述べる。
「そうだ、レン。―――警戒を浮かべ、感覚を吸着させ、思考を舞わせろ。決して諦めるな」
「わかってるよ」
「そなたには無用な心配だったか。―――なるほど、これが老婆心というものか―――最期にもう一つ忠告をしておこう」
レンは老師の言葉を受け止め留めるべく、視線を前方の老犬獣人にしっかりと合わせ老師の音を拾うことに集中する。
「レン――――信じることを、恐れるな」
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