49. 歪んだ手段を師弟は共有していた
「レンっ。お前、何を言っているんだっ?」
ディルクがレンの発言に喰い付いてくる。
「お前に―――老師を殺させる?それをダリウスに?」
レンの先ほどの台詞の中身を再度繰り返すディルクは、どうやら理解が出来ていないようだった。
レンは、ちらりとレイの顔を横目に見る。怪訝そうに眉を顰めた表情を浮かべたレイと、目があった。
こちらも、おそらくレンの発言の意味を完全には掴めていないのだろう。
「突拍子も無いことを言っている自覚はあるよ。自分自身も―――論理に従って出した解答じゃないからね。だけど、ほぼ確信してはいる」
「本当に―――そなたは―――」
老師が諦めた様子でレンに近づいてくる。
その老師の姿は、言葉は無くとも、レンの言ったことが真実であることを雄弁に語っていた。
「確信したのは、老師の口から、エーベルさん達を“焼却”した、と聞いた時です」
レンは老師の真っ赤な瞳に視線を合わせ、ゆっくりと述べる。
「なぜわざわざ燃やすなんて面倒なことをしたのか―――――怪異化の痕跡を消すためだ。そうですよね、老師」
発言内容の残酷さとは対照的に、淡々と言葉が発せられる。まるで、レン自身もその事実を耳にすることを恐れたかのように。
「再度言いますけど、論理的な道筋なんて、存在しません。合理的に考えても決して届かない。だけど老師にとって、ダリウスさんが大事な存在だと信じたから、直感的に、結論に行き付きました」
「―――ベーベ」
老師が狼狽した様子でレンをよぶ。
無理もない。レンは率直にそう思った。
明確な理由もなく、感覚的に、自らの思考を補足されれば、誰しもが疑問を抱くだろう。老師の様な研究者畑のヒトは、特に、だ。
「そもそも自分がここに来たのは―――怪異化していたヒト達を対処するためです」
レンのその小さな一言は、静まり返った場に響き渡った。
ディルクとレイが驚愕の眼差しをレンに向けてくる。
そして、老師は震えながらレンの両肩に手を置いた。
「対処って、もし、アルマさんたちが怪異化していたら、あなたが、彼女たちを、その、っ殺していたってこと?」
レイが言いづらそうに、言葉に詰まりながらレンに問いかけてきた。
レンはそれに、無言の頷きを返す。
「自分が殺すのが一番犠牲が少なく合理的だった。仮にダリウスさんがこの場にいたらその責任感ゆえ、“家族”を殺していただろう。アヒムさんの時と同じように」
ダリウスと怪異化したアヒムが切り合っている光景が、レンの瞼の裏に浮かぶ。
そして、次の瞬間には血塗れになって大地に伏したアヒムと、傍で、悔しさで涙を流すダリウスの姿が。
つい先ほどのことだ。
レンは言い様も無い悲しさと、そして、胸の芯でグツグツと煮えたぎる怒りを覚える。
「でも、アヒムさんの遺体の傍で、後悔しながら号泣しているダリウスさんの姿を思い返して、怖くなったんだ。もし、エーベルさん達も手に掛けることになったら、ダリウスさんが、ダリウスさんが精神的に、壊れてしまうんじゃないかって」
他のヒトが同じ状況に陥ったら、そこまでの懸念はしなかったかもしれない。いや、しなかっただろう。レンはそう考えた。
だが、先ほどのダリウスの光景に加え、属性怪異との戦闘後の様子、さらにはディ-ゴから聞いたダリウスの過去等を合わせて考えると、とてもではないが、その仮説は大袈裟であるとレンは判断できなかった。
「それに加えて、アルテカンフ領守護騎士であるダリウスさんの親族が怪異化したと、世間に広まれば、下手したら責任問題にまで発展することも考えられた」
「あなた、だから、あの時、ダリウス達にあんな別れの挨拶みたいな言葉を、ダリウスの代わりに、自分で、全てを、終わらせるために」
「!!っそうなのか!レン?!」
レイの言葉を聞いたディルクが、レンへと大声を投げかける。
レンはそれには返答せずにさらに話を続けた。
「―――さらに、邸へと向かう最中、老師すらも怪異化している可能性に行き付いた時、自分のその懸念はほぼ、確信へと変わった」
レンが老師に視線を向けると、レンの両肩に手を置いたまま、目を細めながらじっとレンを見つめてくる。
レンはその老師の瞳に、後悔と安堵、哀愁の念を感じ取った。
「ダリウスさんは、老師を敬愛している。いや、偶像崇拝と言ってもいい。老師の今の姿を見て、仮にダリウスさんが、最も敬っているヒトを手に掛けた時、自責の念で自害してもおかしくは無い―――だからそれを避ける方法を、考えた」
「そして、さっきの老師との会話で、自分の考えと、老師の狙いがほぼ同じだと、悟った」
レンはそこまで言うと大きく息を吐いた。
「私には、理解できない。あなたの考えが。理解したくも、ない」
「お前がダリウスに替わって、片を付けようとした。そこまではいい。いや、納得はしてはないが、理解は出来た。だが!何故それをダリウスに見せる必要がある?!」
「それは―――」
ディルクの疑問は根本的なものだ。そして最も大事な質問である。
だが、レンはそれを答えることに躊躇いを覚える。
「憎しみは、ときに生きる糧となる」
それまで、レンの話を、沈黙を保ちながら聞いていた老師が、唐突に呟いた。
(言うのか―――)
レンもそれを切っ掛けに、口を再度開く。
「そう、この方法を成す肝は二つある。一つは、ダリウスさんに身内が怪異化したということを絶対に悟られないようにして、そのヒトたちを処分すること。もう一つは、その処分したという事実に対して、別の筋道を用意することだ。自分が老師を殺したなら、ダリウスさんの憎しみは必ず自分へと向かう。その結果、ダリウスさんは敵討ちを果たそうとするかもしれない。少なくとも、真実を知るために自分を追うのは、間違いない。そうすれば、ダリウスさんは前へと進む。生きることができる」
「そのとおりだレン。そして竜属よ。加えて、“自責”の念を、ダリウスに持たせることだけは、避けなければならない。奴らの傀儡にさせないためにも」
ニコラスが怪異化の素材として、ダリウスを狙っていることはほぼ間違いない。
アヒムは、闇源技能で操られていた。おそらく、ニコラスは怪異化したヒトを闇源技能で制御しているのだろう。レンはそう推測する。
闇源技能への抵抗性は個人の素質に大部分が依存することが判っているが、それとは別に、精神状態にも左右されることが報告されている。
精神が不安定な時、特に内向きに、静かに不安定な状態のときは、最も抵抗性が低い。一方で、怒りや悲しみ等、不安定かつ激しい外向きの感情では、闇源技には掛かりづらい。
「どうして!?あなた達おかしいわ!!大事なヒトを生かすために、ヒト殺しをして、その光景を見せつけ憎ませる!?そんな考え!――――狂ってる!!レンっ!!あなた、本気でそれをするつもりなの!?」
レンと老師の、ダリウスを生かすための方法を聞いたレイが、大声を上げてレン達を非難してくる。
(そうだ。客観的に見て、おかしい。全てをダリウスさんに話して、彼らを支える。それが真っ当な対応の仕方であることは間違いない。……でも、それでも)
「レイさん―――」
レンは、レイに返答が出来なかったが、それ自体がレンの取る行動をレイへと伝えたらしい。
「これまでの倫理観を捨ててっ!もし!ヒトを殺したら!あなたは一生その罪を背負って生きてかなきゃならないのよ!その苦しさを本当に理解しているの!?日本に戻っても!本当の意味であなたは元に戻れなくなる!!それでも!!家族や友人に、これまで育ててくれた親に!顔向けできるのっ!?」
(日本――元に戻るっ!?)
レイの言葉を聞いて、頭に急激に血が集まり、血管に圧が掛かったように、レンは錯覚した。
「――――――元の自分ってなんなんだよ!!」
レンの突然の大声に、ディルクやレイが気をされるのが見える。
だが、そんなことを気にしている余裕はレンにはない。
刺々しく、荒々しい感情が鎌鼬のように、レンの心を裂き、全身に駆け巡る。
「日本での家族!友達!誰一人顔すら浮かばないっ!!レンという名前すら自分のものじゃないのかもしれないっ!!日本での本来の自分なんか想像もできないっ!!そんな状況で!!向こうでのことなんか知るかっ!!」
「―――レン」
ディルクが辛そうな声を出す。
「自分にはこっちのヒト達の記憶しかないっ!!!エルデ・クエーレに来て!本当の意味で知り合ったのが!ダリウス、デリア、ディ-ゴなんだっ!!過ごした時間が短くても!!自分にとっては!大事なヒト達なんだよ!!!」
レンはそこまで言い終わると、荒く息継ぎをしながら、冷静さを取り戻す。
(――――言ってしまった)
そして、途端、後悔の念がレンの心を覆い尽くした。
自分自身が精神的に不安定であることは、レンは自覚していた。
それが、記憶の欠落に起因していることも、理解していた。
だが、周りのヒトに弱音を零したところで、解決する問題でもない。
下手に、気を使われると、今後の旅に悪影響を及ぼすことも十分にありえる。
レンはそう、考えたため、その感情を外に億尾にも出さないように気を付けていた。
だが、無理だった。
「ごめんなさい。私の言葉、無神経だった。―――でもっ!!それでもっヒトを殺すことは」
レイが、若干の気まずさを含ませながら、謝罪をし、そしてさらに言い募ってきた。
レンは、その様子を見て、さらに冷静さを取り戻す。
「いや、ごめん。違うんだ。ただ、自分が言いたいのは、この状況に陥ってしまった以上、大事なヒトを少しでも守るために、やれるだけのことはやりたいんだ。たとえ、それが―――――どんな手段だとしても」
「―――――私が何を言っても、無駄のようね」
レンの言葉を聞いた、レイは最早レイを止めることは不可能であることを悟ったのか、そう言ってきた。
「レン。お前を利用しようとした俺が聞くのもなんだが、いいのか?只でさえお前は、強制的に召喚され、この世界を救うという重荷を背負っている。それに加えて、ヒトの生命と、ヒトの憎しみを背負うんだ。生半可な覚悟では、レン、お前自身が持たないぞ」
「うん。大丈夫。安心して、この世界も絶対に救って見せるから」
「っ!!俺が言いたいのはそういうことじゃなくてだなっ!!」
レイの返答に対して、怒鳴ってきたディルクの発言を遮る様に、レンは更に言葉を続ける、
「いや。違うな。ちょっと前までは、“この世界を救いたい”なんていう安っぽい使命感で、動いていたけど。今は―――違う」
「どういうことだ、レン?」
「老師やアヒムさん達、ダリウスさん達にこんな目に合わせた奴を――――――自分は、絶対に、許さない。必ず、全てを白日の下に晒して、そして―――」
「レンっ!」
焦ったようにレンに声を掛けるディルクの呼び声を耳に入れつつ、レンは老師と向き合うと、しっかりと口を開いた。
「――――老師。“憎しみは時に生きる糧となる”。まさしく、その通りです。自分は、絶対に、この世界を奴らの好きにはさせません。必ず世界を元に戻して見せます。――――――奴らに対する、この強い憎しみが、自分を突き動かすでしょう。結果として、世界を良い方向へと動かすのかもしれません」
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