46. してやれる事は

(―――アヒムさん)


レンの目の前には、見慣れた蛇属の壮年男性が佇んでいる。


ダリウス邸下働きのアヒムだ。


独特の声高い笑い方と間延びした語尾。

ニヤニヤした笑いを良く浮かべながら会話することがレンの記憶に強く残っている。



だが。



今は、科学者であるニコラスの隣に静かに佇んでいる。


充血した眼は、レン達の方へと向いてはいるものの、アヒムの表情に色は全く浮かばない。

体全身に、黒い粒子を纏っているのがレンには視えた。灰色の粒子とは異なるものだ。


(―――闇源技)


「どうだ!!素晴らしいだろう!!これがヒトの怪異化だ!この研究により、生命の更なる進化を可能にしたのだ!!この、私がっ!!」


ニコラスがさらに興奮したように、こちらに向かって叫ぶ。

その物言いにレイが眉を顰めて露骨に不快な表情を浮かべた。


「こいつは、三つ目の成功例だ!!怪異化調整の工程もほぼ確立した!!あぁっ。だが、惜しむべきは、未だ一般化出来てないところにある」


(べらべら喋ってくれるなら好都合)

レンは目線での合図を、レイやディルク、そしてダリウスに送った。


各々が、それに頷きを返すが、ダリウスだけはその動きが散漫としていた。


ダリウスの体は震えており、顔に強く赤ばんでいる。

剣を握りしめている右手が一番強く震えており、血管が強く浮き上がっていた。


怒りだ。


ダリウスは恐らく本気で憤怒している。


(―――仕方ないか)


ダリウス程ではないにしろ、レイやディルクの表情も、酷く険しい。

明らかにニコラスに強く敵意を抱いている。


「へぇ。誰でも怪異化させられるわけではないんですね」

レンはニコラスに相槌を打った。


「そうだとも!今の工程ではアルテカンフから調達した素材でしか成功していない!ゲムゼワルドの者では駄目だった!!源粒子豊かな、あそこの大地で育った素材ならもしやと思ったんだがな!」


(素材は、ヒトで、ゲムゼワルドのヒトでは怪異化に失敗した?)

レンの脳裏に昨日見た神獣日報の記事が浮かび上がる。


「――――ゲムゼワルドで起きている行方不明事件」

ポツリとレンが零す。


「ほう!察しが良いな!!おまえ!!あれは!馬鹿が怪異を街に出現させた混乱に乗じ、鳥行便で素材をこちらへと運んだものだ!あれのお蔭で老若男女20の素材を楽に得ることが出来た!!」


(こいつは、ゲムゼワルドでの怪異出現に関しても、情報を持っている)

レンは、心の中がどんどん冷えていくのを感じた。



「最後に、一つ。怪異化の研究で失敗したヒトはどうしました?」



「?おかしなことを聞くもんだ!おまえ馬鹿か?勿論、ゴミは“処分”したに決まっているだろう」



(――――やっぱり、か)


「外道がっ」

ディルクが隣で小さく吐き捨てた。



「そう―――ですかっっ!」



レンは、そう相槌を打ち終わる瞬間、“翔雷走”を発現させ、瞬時にニコラスに間合いを詰めると、雷を纏わせた差し棒を振り上げる。


(この殺人鬼は捉えて、もっと情報を引き出す!!)


疑似スタンガン付き警棒だ。

これでニコラスの動きを止める、それがレンの狙いであった。

ニコラスの右側の首の付け根を狙う。


完全に虚をついた行動だった。

ニコラスはおろか、ディルク達ですらレンに反応できていない。



だが。



バチィィィッ!!!!



「――――アヒムさん!?」


レンの一撃は、ニコラスを庇うように押しのけたアヒムへと入る。

アヒムの右腕が焦げ、全身が軽く痙攣をした。


しかしながら、アヒムはうめき声一つ発さない。


(っやばい!)


それを認識すると、レンはすぐさま差し棒への雷源技の発現を止めて、距離を取る。


「アヒム!!どういうことだ!!なぜそいつを庇う!!」


ダリウスが困惑し、叫びながら尋ねはしたが、アヒムから返答はない。

只々、こちらをその充血した眼でボンヤリと見ながら、立っていた。


「はははは!!言っただろう!!闇源技で制御していると!いや、支配と言ったほうが、お前ら凡人には理解しやすいかな!?」


(やっぱり、そうか)


「あなた最低ね」

レイリカーブボウを構え、罵声を浴びせる。


「ダリウス・デュフナー!もう、こいつはお前の僕の蛇属ではない!!私の貴重な研究材料である、怪異化したアヒムだ!!」



場が硬直状態に陥る。


レン達は、迂闊に攻撃は出来なくなってしまった。

ニコラスを狙えば、間違いなくアヒムが庇いに入る。

しかも自らの体を顧みずに、だ。


(皆で同時に攻撃すれば、いけるかもしれないけど―――)




レンが次の一手に関して思考を巡らせていた時だった。


ニコラスが片耳に手をあてながら、急に呟き始めた。


「……なんだ。今忙しいんだが…………うん?…………ほぅ。―――――なるほどな。そういうことなら退いて、そちらに合流しよう。……なるほど、それは面白いな」


(誰かと、連絡を取っている?)

レンは注意深くニコラスの様子を観察する。


そして、ニコラスが耳から手を放すとこちらを向いた。その顔には狂気の笑顔が浮かんでいる。

「そういうことだったのか!!まさかっ!お前たちが“そう”だったとはな!!!」


(なんだ!?急に!誰と!何を話したんだ!?)

レンの脳裏に疑問が浮かぶ。

(お前たち―――自分とレイさんのことか!?)


ニコラスはゆっくりと手を上げる。その掌からキラキラ光る粒子がゆっくりと地面に落ちるのが、レンには視えた。


次の瞬間、一度は退いた怪異の群れが、レン達の目の前に現れこちらに敵意を向けてくる。


「さぁ!アヒム!そいつらを殺せ!!」

ニコラスの言葉を受けアヒムは腰に携えていた剣を抜くと、しっかりとこちらに向かって構えてくる。


レンの一撃で軽くは無い怪我をしているはずだが、その影響を全く見せずに、こちらに歩いてくる。


「アヒムさんっ!!」

「アヒム!!」

レンとダリウスが声を上げる。


「ははは!!これは見ものだ!!“怪異殺し”のデュフナー!自分の僕が怪異化し、襲ってくる今!お前は一体どうするのか!称号通り、その刃で切り捨てるのかっ!」


そう言うと、ニコラスは近くにいた大型の鳥怪異の背に乗りはじめる。


「残念だよ!!これ程の喜劇を終幕まで鑑賞できないとはね!!次に会う時は、貴重な実験動物として扱わせて頂こう!私の超越した研究の為にねぇ!!」


(っこいつ!アヒムさんが自分たちを殺せるなんて全然思っていない!!只々、嫌がらせのように卑劣な状況を作っているだけだ!!)


そして、鳥怪異が羽ばたき始めると、空へと飛び立つ。


「っ逃がさない!」

レイは即座に光の矢を放つが、躱される。


レンも差し棒から雷閃を発現させるが、届かなかった。


「待て!!怪異化したアヒムは、どう治すんだ?!」

ダリウスが空を見上げながら、大きな声で怒鳴った。


一縷の希望を託した質問なのだろう。


(―――ダリウスさん……おそらく……もう)

レンはそんなダリウスの姿を見て顔を歪める。


「ははは!!そんなものあるわけ無いだろう!!貴様は混ざった液体を再度分離することが出来るのか!?これだから凡人は!!一度怪異化したのだ!ヒトとしての理性など持ち合わせていない!!それに、そいつも何時まで体が持つかもわからん!」


そう、ニコラスは吐き捨てると、笑いながら空へと消えていく。



「っっくそっ!!!」

ダリウスが怒りと絶望で剣を地面へ突き刺した。


「―――そんな」

レイが茫然としながら、呟く。



その隙を狙って、アヒムがダリウスへと剣を突き刺そうとするのが、レンには見えた。


「ダリウスさんっ!!避けて!!」


「っっち!!」

ディルクが間に入ると、アヒムの剣をいなして、腹に掌底の一撃を叩きこんだ。

灰色の屈強な腕と拳が、アヒムの胴体にめり込む。


(アヒムさん、腕と脚に古傷が在るって話だったけど、そんな風には全く見えない。怪異化して、あの灰色の粒子が体内に結合することで、再生でもしたのか?)

レンの脳裏に属性持ち蚯蚓怪異の再生能力が浮かんだ。


そして、ディルクは構えながらレン達に叫ぶ。


「こいつは!俺がやる!!お前たちは周りの怪異の露払いを頼む!!」



配置としては悪くない。


ダリウス邸の下働きであるアヒムと、ダリウスを戦わせるのはあまりに酷である。

レンやレイには、ヒトとの命を懸けた戦いの経験が無い。


現在、アヒムを殺さなければならない状況の可能性が高いのだ。


レンは必死に考える。


「闇源技の制御を外せばっいや駄目だ!怪異化は理性が失われてる、闇源技を解除したところで、見境無しに襲うだけだ。じゃぁ、どこかに監禁する?無理だ。自分の怪我すら顧みていないし、怪異化した体が持つかわからないってあいつも言っていた―――イヴァンさんを治したときみたいに、銀色の粒子で、怪異の粒子を無理やり体から剥がせば、いや、そんなことしたら体全身の源子の状態が狂って―――」


だが、レンは打開策を思いつくことが出来ない。


「っくそ!!」


自分の無力さに、怒りが沸々と湧いてくるのをレンは感じた。



そんな中ダリウスが散漫な動きでゆっくりレンたちの前へと進んでいった。




「―――オレがアヒムを―――やる。それが、“家族”であるオレに―――出来ることだ」




ダリウスはそう言うと、麒麟が描かれた大剣を構え、アヒムへと向かって行った。

しっかりと、顔は前を見据えている。


覚悟を決めた男の顔だった。


レンは、そのダリウスの表情に何も言葉を掛けることが出来ない。


黙って見送ると、周りの怪異を屠るためにレンは差し棒を煌めかせた。






――――――――――――




特殊な能力を持った怪異は存在しなかったため、あまり時間を掛けずに周りの怪異を屠ることは出来た。


レンやレイは元より、スマホの力で獣化したディルクも対怪異に関しては十分に戦力になっている。


二十を超える怪異達の群れも、レン達によって、全て源粒子へと返した。


(アヒムさん以外のヒト怪異はいないか)



そして、ダリウスとアヒムの悲しい戦いも終幕を迎えていた。



ダリウスの剣が、アヒムの腹を切り裂く。


大きな傷ではあるが、怪異化したアヒムにとってその一撃は見た目以上にダメージがあったのだろう。


その体が、大地へと倒れた。

アヒムの手に握りしめられていた剣は、飛ばされており、近くには無い。


レンの目に、倒れ込んだアヒムの体から灰色の粒子が宙に拡散していく様子が、視えた。




「………旦那ぁ……申し訳……ないですぜぇ」



(意識が戻ったっ!?)

ダリウスとレン達は即座に、倒れ込んだアヒムの元へと駆け寄る。


「すまない―――すまないっ!!アヒムっ!!――オレは、家族であるお前を守って、やれなかった」

ダリウスがアヒムの上半身を抱え上げながら、声を震わせ、ひたすらに謝る。


「その……言葉だけで…………十分でさぁ……」

アヒムはほんの少しばかり、口角を上げ、弱弱しく言った。


レイが治癒源技能を発現するが、明らかに手遅れだった。


源粒子がアヒムの体に吸着していない。

もう、治癒源技を受け入れるだけの生命力が無いのだろう。


「……旦那ぁ」

アヒムが必死に最後の力を振り絞り、声を発する。


「――なんだ?」

ダリウスはその言葉を受け取ることだけに全てを集中しているように、レンには見えた。


「…………生きて……く……せぇ。俺……ち…の分も……」

もう、声を出す体力すら残されていない。


「―――あぁ」

ダリウスは、ゆっくりと、深く頷いた。


そして、アヒムは、覗き込んでいるレンへと視線だけを動かした。

「……レン。す……ねぇ。………撒き込ん…まって。」


レンは黙って強く首を横に振る。


「お前と……楽し……たぜぃ。」


そう、最後にアヒムが言うと、ゆっくりと目を閉じ、


そして、アヒムの体全身の力が、抜けた。




(――――亡くなったんだ)



レンはぼんやりとそう認識するものの、頭の何処かに霧がかかっているかのように、どこか遠くで思う。



「―――くっそ!くそ!!くそぉぉぉぉ!!!!」



ダリウスが目から大粒の涙を零しながら、何度も、拳を地面へと叩きつける。


「っこんなことってっ」

レイも悔しそうに、目に涙を浮かべていた。


ディルクは深くゆっくりと瞳を閉じると、左手の拳を自身の右胸に置き、礼を捧げていた。




遠くから、馬の足音やヒトビトの掛け声が、急速に近づいてくるのが、レンの耳には聞こえた。


(デリアさんたちが、騎士団を連れてきたのか―――)




ニコラスという科学者によって、アヒムが怪異化しており、レン達の傍にいた。


ここ最近、抱いていた違和感は、これだったのだろうか?


レンは心の中で自問する。


だとしたら、もう、全てが終わったはずだ。



怪異を自在に制御でき、ヒトを怪異化する研究をおこなっているヒトビトがいる。そして、レン達と、ダリウスが狙われている。


世にこの話が漏れたら、一気に世界は緊迫した状態になるだろう。


現に、レン達はアヒムが怪異化し操られていたことに全く気が付かなかった。


もし、エルデ・クエーレの要人が同じ状況にでも陥ったら、国の機密情報は洩れ、重大な被害は免れない。



(――――おかしい)



レンは考えることを止め、自分の感覚に向き合う。


じっとりと汗ばんだような気持ち悪さが、レンの体内を駆け巡る。


(もう、この件は終わったはずなのに)


どうして。


どうして?


まだ、何かあるというのだろうか。


レンは周りから入る情報を極力制限すると、



自身への思考へと深く侵入していった。




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