44. 襲われた異端と、絶望の初動

(―――気分がわりぃ)


宴会の次の日の早朝、ディルクは目覚めると真っ先にそう感じた。


昨日第9派への連絡を終えた後ディルクは荒れていた。

レン達の扱いに対する第9派への怒りと、何も反論できなかった自分に対する怒りが、ディルクの体を駆け廻った。


宴会に参加する気分には到底ならず、その時間、部屋の中でやりきれない気持ちをゆっくりと昇華していた。


だが、次の日になってもやはりその想いはディルクの心から消えていない。


(こんなことなら、酒を飲めばよかったぜ)


毎日晩酌をするほどにディルクは酒好きではあったが、レンと行動を共にして以来その機会は無く、断酒の状況にある。


(さて、レンにどう説明するかな――いやその前に、ヒルデ様に直接お伺いを立ててみたほうがいいか?)


小竜が一匹で使用するには大きすぎるベッドに、仰向けになりながらディルクは今後のことを考える。




バタン――――




その時、ドアの開く音と布団の擦れる音がディルクの耳に入った。


(レンの奴、便所にでも行ってたのか)


そう判断し、ディルクがレンのベッドに目を向けると、想像もしない光景がディルクの視界に映った。






獅子がいる。


煌びやかな金色の毛を纏った獅子だ。


レンよりも優に大きな獅子が、ベッドの上のレンの足元から枕元へと歩いていた。


ゆっくり、ゆっくりとレンを観察するように顔を向けながら、歩みを進めている。


獅子は口を大きく開きながら、空気を出し入れしている。


その息遣いはディルクに聞こえる程であった。





(っ!!目が赤い?!)


ディルクは茫然とその様子を見ていたが、充血した目に気が付くと瞬時に声を張り上げ、レンの元へと飛んでいった。



「レン!!起きろ!!!」


ディルクの怒声にレンは体を動かした。


「―――ん~。どうしたのー?」

寝ぼけたレンの声が聞こえるが、レン自体は目を薄く開けており指で擦っている。


まだ、状況を把握していない。


(っくそ!!)

レンの元へと飛んでいたディルクは、速度を上げ、そのまま獅子へと体当たりした。



っぐるぅ!!



レンを見ており、ディルクに無警戒だった獅子は、ディルクの体当たりを受けると、部屋の入口の方へと飛ばされた。



「―――っえ!どうしたの!?」

獅子の鳴き声と物音に覚醒したのか、レンは上半身を起こし声を上げた。


「お前の傍に獅子がいたんだよ!!目が充血してやがる!レン!あいつは怪異か?!」

ディルクが短く吠えながら伝える。


怪異の外見的特徴は、目が充血し息が荒いことだ。

それに加えて、理性を失いヒトを襲うことが挙げられる。


レン達のように視覚や感覚だけで怪異か否かを判断することは、ディルクにはできない。

そのため、ディルクはこの獅子がほぼ怪異だと思いつつも、レンに尋ねた。


「うん―――怪異だ。あの灰色の粒子が僅かだけど出てる」

「っっち!!何で!こんなとこにいやがんだよ!!明らかにお前を狙ってたぞ!」

「っ!」


ディルクの発言により、レンが緊張する様子が見えた。


ディルクが飛ばされた獅子怪異を見る。


獅子怪異は既に体制を立て直しており、こちらを窺いじっとその視線を向けてきた。


「“雷閃”!!」

レンが即座に青白い光を指先から発現させると、それは怪異の右前足へと着弾した。


だが、咄嗟の不安定な源技能の発現だったのか、怪異にそれほどの影響は無い。



「レイがこれまでアルテカンフの街中で感知してした怪異の可能性があるな」

「そうだね」

「ここで倒すぞ。逃げられても面倒だ」


「あの怪異はおそらく若い。俺が本気で炎源技を発現すればやれるが、この部屋の中では炎源技を使うのは危険だ」

ディルクはそう判断すると、レンへと促す。


「レン。お前の差し棒でやってくれ」

「わかった」

レンがそう言った瞬間だった。



獅子怪異がドアに自身の鋭い爪で傷をつけ始めた。



ッバキィ!!



そして、ドアを突き破り部屋の外へと駆けていった。



「っな!!逃げやがった?!」

ディルクが驚きで声を上げる。


怪異は通常理性を失っており、ヒトを攻撃することが基本行動となっている。

そのため、警戒することで動きを止めることはあっても、撤退するという行動はしない筈だった。


だが、目の前にいた獅子怪異は迷うことなくディルク達の目の前から逃げていった。


「っくそ!!追うぞ!!」

ディルクがそう言い飛びながら外へと出ると、レンも急いで後から着いてきた。






――――――――――――――







「階段の方向!!」


レンは怪異の感覚を掴み取ると、すぐさまディルクに共有する。


感覚による追跡もできているが。それに加え、獅子怪異が通ったと思われる廊下は、これまでレンが見てきた侵された大地のように、黒い浸食が足跡として残っていた。


点点と続くそれは、一目で怪異の行き先をレンに教えてくれる。


レンとディルクは走りながら、それを追った。


「っでも、っまさかダリウスさんの館で、怪異に襲われると思わなかったっ!」

「これも、あの属性持ちのみみずがお前らだけを狙っていたのと同じなのか?!」

「っわかんないけどっ!――っくそ!追いつけない!」


全速力で走ってはいるものの、中々怪異の姿は視界に入らない。


レンは寝間着とスリッパという格好に苦労しながらも、階段を駆け下りていく。


(頼むから!!誰とも怪異に会わないでくれ!)

レンが心の中で祈った。


仮に、下働きの誰かが見つけようものなら、一気に館は混乱に陥り、恐怖で包まれるだろう。


「っレン!!“翔雷走”を使え!!」


「っ!駄目だ!!さっきから発現しようとしてるけど!源粒子の集積が何故か制御しきれない!!これじゃ暴発しちゃう!」


ディルクに言われる前から、レンは“翔雷走”の発現は試みていたものの、上手くいかない。


源粒子は足もとに集積するものの、量のコントロールが効かなかった。


(っ!なんでだ!?)


「騎士団や‘狼の牙’の連中はいないのか?!」

「多分、ほとんどが帰ったし!仮にいたとしても、大量にお酒を飲んでいたから期待できないと思う!!」


ディルクの質問に、レンがそう返すと舌打ちが聞こえた。



「っやばい!厨房に向かってる!この時間はアヒムさんが朝食の準備をしてるはずっ!!」

それに気が付いた瞬間に、レンの心に焦燥が膨れ上がる。




っいやぁぁぁぁぁ!!!!!!




厨房の方から、女性の、絹を引き裂いたようなソプラノの金切り声が、館中に響き渡った。



「この声!―――アルマさんだ!!」

レンがそう判断し、厨房への入口がある通路に入った、その時だった。




ガシャァンッ!!!!!




硝子が盛大に割れる音が聞こえた。

そして、それらが落ちる音や、細かく割れる音が小さく聞こえる。


(っやばい!!)


厨房の入口まで、後、ほんの僅かな距離の筈なのに、とても長く感じる。


レンは目的の扉に手を掛けると、直ぐに中へと入った。



「っ大丈夫ですか!?」



部屋の中は凄まじく荒れていた。


中央にある筈の机は倒れており、奥の窓ガラスが割れている。

食器のいくつかは床に転がっており、調理途中と思われる卵を乗せたフライパンも落ちていた。

部屋の中で唯一変化はないものは、入り口の扉ぐらいであった。


そして。



部屋の中央には、床に座り込んだダリウスの妻であるアルマ。


アルマに抱かれるようにして倒れ込んでいる、エーベルの姿が在る。


「っ急に怪異が入ってきて!!エーベルが私を庇って!!エーベル!エーベル!」


アルマが我を忘れたように、エーベルに声を掛けている。


「エーベルさん!!」

レンはすぐさまアルマ達に駆け寄った。


「―――大丈夫。レン君、ったいしたことないよっ。怪異がいきなりきたからびっくりして転んだだけだ」

エーベルは青白い顔で瞳を閉じながら、そう答える。


口から息を吐いており、肩は大きく上下に振れていた。

左手で右腕を抑えており、どうやらそこを怪我したらしい。


レンはその部位をじっと、観察する。


(灰色の粒子は見えない。――良かった。怪異に付けられた傷じゃないみたいだ)


心の中でレンはほっとする。

見たところ、アルマにも外傷は見当たらない。


「おいっ!レン!こっちに来てくれ!!」

ディルクが割れた窓の傍に浮かびながら、レンを呼んだ。


「あの獅子怪異。こっから外へと逃げたみたいだな」

「―――うん。怪異の跡も、そこに続いてる」


窓ガラスは割れており、破片が外へと散らばっていた。

窓は鋭利な割れ後を残しており、澄んだ透明の刃物と化していた。


レンは外の地面へと目を向ける。


丁度、割れたガラスが散らばり始めたところから、怪異に侵された跡が見えた。

割れたガラスすら、僅かに黒い粒子が吸着している。


さらに怪異の跡はもはや足跡ではなく、通過したところを線引きしたかのような、黒いラインが引かれ、近くにある林へと続いていた。




「今の悲鳴はなんだ!!なにがあった?!」




悲鳴を聞きつけたらしいダリウスとディ-ゴが厨房に走り込んできた。

その手にはダリウスの大きな銀の剣が握られている。


そして、そのすぐ後にレイとデリアがやってくる。


ダリウスとデリアは、床に座り込んだアルマと倒れ込んでいるエーベルを見ると直ぐにそこに駆けよっていった。



レイは、レン達の方に近付いてくる。


「―――怪異ね」

レイは確信しているらしく、レンにそう声を掛けてくる。


「レイさんも感知した?」

「えぇ。デリアの部屋にいたら、この館の二階から突然、ね。その後一回消えたりもしたけれど、悲鳴が聞こえて、ここに来た。あなたの部屋だったの?」

「あぁ―――そうだ。レンが寝ている時に、獅子怪異が襲ってきた」


ディルクがレイに答える。


「――――まだ怪異を感知できる。あの林の中にいるわ」

レイがそう言うと、窓から手を伸ばし指差した。


「っ!すぐに追うぞ!」

「えぇ」

「うん」


ディルクはダリウス達の方へと振り返る。


「ダリウス、まだ怪異は近くにいるようだ。俺たちはそいつを追う」


そのディルクの言葉に、ダリウスとデリアは驚愕の表情を浮かべたがすぐさま真剣な表情になった。


「オレ達も行こう。アルテカンフの街で、しかもオレの館で。この街の騎士としてその怪異を見逃すわけにはいかない。―――幸いエーベルの傷も浅いようだ」


「わかった。着いてきて。こっちよ」

レイが勝手口へと歩き、先導し始める。


それに着いていこうとしたレンだが、寝起きの自分の姿に気が付いた。



「ごめん。レイさん、先行ってて。すぐに着替えてくる。場所はスマホで追うから」

そう言うと、レンはすぐさま自室へと向かい始めた。


怪異に侵された廊下に足跡のように灰色の粒子がへばり付いている。


部屋へと急ぎつつも、それを見たレンは思考を始めた。



(どうして、外の地面からは怪異の跡が足跡から線になったんだ?地面のガラスは怪異に侵されていたのに割れ残りの方は綺麗なままだった?それに、なんであの怪異は―――逃げたんだ?)





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