7. 獣の人情に異端は涙する
デリアの剣術指南は終わり、馬車に乗ったレン達はゲムゼワルドに続く街道をゆったりと進む。
(体中が痛い)
差し棒を構え振ったことにより、日本での生活ではあまり使っていなかった筋肉に大きな負担が掛かったらしい。
少し動くだけで、レンの体全身に稲妻が駆け巡ったかのような刺激が走る。
それとは別にレンの足は、少し動かすだけで軋むような痛みを発する。
足を中心に発現した思いつきの雷源技は、想像以上にレンに負担をかけた。
だが、そうでもしなければデリアの剣に間違いなく貫かれていた。
(マジでやばかったな、、、)
あの時。
デリアが突きの構えをした後に、急速にエメラルド色の源子がデリアを包み込むように集積し始めたのを、レンは視た。
静止の声を掛ける間もなく突進してきたデリアに対し、通常の回避では間に合わないと即座に判断したレンは、これまでの道中でぼんやりと頭の中に描いていた雷源技を、瞬間的に発現させた。
速度を瞬間的に上昇させる源技。
雷源技により電気信号を筋線維に強制的に流し込むことで、反応速度と移動速度を飛躍的に向上させた。
剣の打ち合いに対して体を安定させるために、足腰に源子を溜めていたのも運が良かった。
そのおかげで源技の発現までの時間が大幅に短縮された。
(移動速度とそれに応じた反動のバランスをもうちょっと精査しないと駄目だな――次は発現を4分の1ぐらいに抑えて様子を見よう)
そういえば、とレンは考える。
一歩間違えばデリアの剣で死んでいたのかもしれないのに、あまり恐怖を覚えていない自分に違和感を覚える。
(いろいろありすぎて感覚が麻痺しているのかもしれないな)
レンはそう結論付けた。
場所の隅で座り込んでいたレンにダリウスが近付いてきた。
デリアへの説教が終了したようだ。
「本当にすまなかった。」
ダリウスは静かにそう言うとレンに深々と頭を下げた。
その姿を見て、レンは慌てる。
「いやいやいや!気にしないでください!結果として大事には至ってないんですから!」
レンは手を広げバタバタと振る。
「だがデリアがおまえを殺しかけたのは事実だ。そして、娘の不始末は親であるオレの責任だ」
「そうかもしれないですけど!とりあえず頭を上げてください!本人が問題ないって言ってるんですから!」
壮年のヒトの本気の謝罪の姿というのは想像以上に見ていられない。
「デリア!おまえももう一度誠心誠意謝罪するんだ!」
ダリウスが咆哮すると、顔を伏せ明らかに憂鬱になっているデリアがこちらにやってくる。
「申し訳ありませんでした――――ですが、レン!素晴らしかったですわ!まさか初めての打合いであそこまで成長するなんて!あなたには剣の才能があります!――わたくしあなたに指南できて嬉しいですわ!」
デリアが顔をほころばせ、嬉しそうに声をかけてくる。
打合い直後からダリウスに叱られ、この世の終わりみたいに意気消沈していたデリアだが、気を持ち直したようだ。
「次の機会では打合いでなく是非試合をお願いしますわ!わたくしも2度とあのようなことが無いよう、もっともっと修練します!」
(それは勘弁してほしい)
お互いに配慮し合い、テンポを乱さず攻撃と防御を尊重する打合いだったから、まだ何とか形にはなった。
だが、実戦形式の試合ではあっという間にデリアにボコボコにされてしまうだろう。
レンは強くそう思った。
レンの返答を聞くことなくワゴンの後方へと移動したデリアは、打合いで使用した木剣の手入れを始めた。気分良さそうに鼻歌を口ずさんでいる。
「えっと、なんというか、デリアさん逞しいですね」
レンとしては、別に皮肉というよりは純粋な感想のつもりではあったが、受け取ったダリウスはそうは思わなかったらしい。
「――すまない」
大きな体躯を小さくしながら、ポツリとダリウスは呟いた。
レンはそんなデリアやダリウスの姿を見て微笑ましさを感じた。
しかし。
「いっ!!っっ。」
近くにいたディルクがわざとらしく、レンの足を突いたり叩いたりしてくる。
その度にレンは飛び上がりそうな鋭い痛みを感じた。
ディルクはレンの耳元に口を寄せ、
「おい、自分がどれだけ危険なことをしたのかわかってんだろうな。宿に着いたら説教だ。」
と、子どもが聞いたら確実に泣き出しそうな、低く恐ろしい声で呟いた。
【レン、あなたは自分の自らの幸運と行為の危険性を理解する必要があります】
ヴぃーの機械声もどこか棘があるように、レンには聞こえた。
――――――――――――――――――――――――――
ディルクのドスのある声を聞いてから10分程たった頃だろうか、レンの視界には見上げるような高い木塀が映った。
横幅が顔の長さ程ある長方形の木板が、縦横と網目を作るように組まれた木塀は、街全体を取り囲むように連なっている。
木塀の中央には純白の線が引かれており、その線からレンは微かな煌めく源粒子を視た。
「ようやくゲムゼワルドに着いたな。神獣綬日に間に合ってよかった」
ダリウスが眉を開き安著の溜息をもらした。
馬車での移動中、レンは主にダリウスと話をしていた。
その会話で聞いたことだが、ダリウスたちは北東にあるタージア領から来た旅人であり、今レン達が居るカニンへン領の鉱山都市で、温泉と源鉱石の採掘場を観光してきたらしい。
ダリウスは鉱山都市で買ったいくつかの源鉱石をレンに見せてくれた。
「源鉱石?」
「……ふむ、そうか」
レンがダリウスに質問すると、ダリウスは何かを納得して説明を始めた。
「――源鉱石というのは、源粒子を貯蓄できる鉱石のことだ。源鉱石に属性の源粒子を一定量一定期間流し込み形質転換することで、源技を保存することができる。それを源具と言う。例えば、容量の少ない源鉱石に僅かな火属性の源粒子を保存すると、種火を発現する源具になる」
「源鉱石の形質転換効率や発現許容量によって用途は様々で、王国やそれに付随する領単位の軍事装備、鍛冶屋等の生産職の機具、はたまた手持ち式の光源など幅広く利用されている」
と、ダリウスの大きな掌には収まっている、属性を転換していないくすんだ灰色の源鉱石を見せながらレンに説明してくれた。
ダリウスたちの観光の目的は、この源鉱石を集めることと、今着いた食材都市ゲムゼワルドで、国の祝い日を過ごすことらしい。
その後、彼らが住んでいるタージア領へと帰るようだ。
「わたくしゲムゼワルドで今年の神獣綬日を過ごせると聞いて、とっても楽しみにしていましたの!」
(神獣綬日?そういえば草原でディルクも言っていたような)
何か特別な日なのだろうか。
こちらに来て1日も経っていないレンには神獣綬日が何なのか全く予想もできなかった。
――――――――――――
馬車の目の前には開かれた大きな木の扉が鎮座している。
どうやらここは馬車専用の入口らしい。
遠く離れたところに、徒歩の旅人と思われる人が入っていく扉が見えた。
あそこが徒歩専用の入り口だろうかとレンが考えていると、帯剣をした体格の良い兵士と思われる人物が4人、馬車に近づいてきた。
「へ?」
彼らを見てレンは、思わず息をハッっと吸い込むほどに驚く。
3人はダリウス達と同じように、ヒトの姿に小麦色の犬耳が生えている。
しかし、残りの1人は文字通りの完全な獣人だった。
4足歩行している熊がそのまま立ち上がりヒトの服を着ました、と言われても驚けない風貌だ。
全身が毛で覆われており、顔には獣の鼻口部である大きなマズルがある。
この獣人は地位が高いのかもしれない。
4人とも紫を基調とした制服を着ているが、熊の獣人は他の3人と比べ、その胸元にある兎の勲章らしきものの模様が豪華だった。
レンが茫然と彼らを見ている間に、熊の獣人はダリウスと話し始めた。
「確認させていただきますねー」
その間に残りの兵士が、レン達の顔や馬車の中身を軽く検分する。
乳白色の警棒を荷物の周りに素早く当てていく。
(金属探知機――ではないか。あれも源鉱石なのかな?)
レンの今の服装は黒のパーカーに、紺色のジーンズだ。
ダリウスたちの服装とは明らかに異なっていたため、兵士たちに姿を見られることに僅かな不安感を感じた。
(頼むから職質とかはやめてくれ)
だがレンの懸念をよそに、兵士たちに特に何か言われるようなこともなかった。
むしろ兵士の視線は、レンの頭の上にいるディルクの方に向けられる方が多かった。
(今の格好でも、そんなに気にしなくていいのかもしれない)
問題は何もなかったのか、熊獣人は形式的に街への来訪許可と歓迎の意をレン達に述べた。
門を超えると、開けた空間が広がっていた。
馬車が通れるほどの大きな道が中央にあり、奥へと続いている。
その両脇はさまざまな種類のワゴンや馬が繋がれており、ワゴンの清掃や馬の世話をするヒトが何人かいた。
野菜や麦が詰められている馬車もちらほら見える。
さらに、生きた牛や猪、豚などが詰められた檻を載せている大きな馬車も、レンの視界に入った。
(祝い日らしいから、食料の需要があるのかな?)
レンは頭の片隅でそんなことを考えていた。
ダリウスやデリアがそれぞれ荷物を手に持ち馬車を降りたのを見て、レンもリュックサックを背負い外へと出た。
足を動かす度に鋭い痛みが走る。
陽はほとんど沈みかけており、もう間もなくあたりは闇に包まれていくだろう。
「閣下!!馬車屋にこれを返して参りますゆえ、しばしお待ちを!!」
相も変わらず頭に叩きつけるような大声を上げつつ、馬車を引きながらディーゴは脇の小屋へと向かった。
「もうそろそろ陽も落ちそうだ。とりあえず宿を取るか」
ダリウスがこちらへと顔を向けそう言ってくる。
(そっか、ここでお別れか)
ダリウスの言葉を聞いて、レンはそう悟る。
彼らとの旅もここで終わるという事実を、レンは急に思い出した。
彼らと過ごした時間はほんのわずかな時間ではあったが、ディーゴに轢かれそうになったことや、パンや水を恵んでもらったこと、剣術の指導をしてもらったことを鮮明に思い起こした。
ディルクはいるが獣の姿である。
スマホにはヴぃーもいるが、姿は見えない。
人は、レンだけになる。
こちらに来た当初は、現状把握で一杯一杯だった。
狼怪異に襲われ、どこか達観してしまったのかもしれない。
第三者的に目前の事態だけを考え、行動していたようにも感じる。
でも、こうして獣人達が営む街を見て、ダリウス達のような現地のヒトと触れ合ったことにより、レンは急速に自分の現状を強く実感した。
視界に入るものすべてが鮮明に移り始める。
(この世界でニンゲンは自分だけ、か)
そして今後はこの獣人達が営む世界で過ごしながら、元の世界へと帰る方法を探さなければならないのだ。
レンはそれを想像すると言い様もない孤独感に襲われた。
どうやって元の世界への戻り方を探せばよいのだろうか。
そもそもこの獣人世界で生きていけるのだろうか。
不安ばかりがレンの心の中に浮かび上がる。
(自分ってこんなに弱いニンゲンだったのか)
レンは鼻の奥がツンとするのを感じた。
しかしながら、気が付いたのなら早く別れを告げる方が良い。
ずるずると引きずってしまうと、ダリウスたちにも迷惑がかかる。
レンはそう思い覚悟を決めた。
頭の上にいるディルクを腕に抱える。
「ダリウスさん、デリアさん、短い間でしたが、ここまで、いろいろ、ありがとうございました」
声が震えないか心配だったが、レンは礼を言い切ると、頭が腰のところまで来るほど深々とお辞儀をした。
数秒ほど経ったがダリウスやデリアからの返答はない。
そこにドタドタと走ってくる音が聞こえてくる。
ディーゴが戻ってきたみたいだ。
「閣下?!―――こやつは何をしているのでありますか?」
礼をしたままのレンを不思議に思ったらしい。ディ-ゴがダリウスに問いかける。
「いや、なに。俺が宿を取るといったのに、さよならの礼をされているだけだ。あぁ、悲しいなあ。なぁ、デリア」
「えぇ、そうですわね」
どこか楽しむような、からかう声でダリウスとデリアは話す。
レンはダリウスの言った言葉の内容が瞬時には理解できず固まってしまう。
「なに、貴様!!!閣下が宿を取ると言っているのだ。勝手な行動は許さんぞ!!!」
予想だにしない内容でディ-ゴに怒られてしまい、レンはさらに混乱した。
「えぇ!?ちょっと何言っているんですか!?」
レンが勢いよく上体を起こし、ダリウスに抗議の意を唱えた。
「そんな不安そうな顔をした迷子を放置するほど、俺はヒトの心を捨てていないからな。――――疲れているんだろう。とりあえず今日は宿でゆっくりと休め。また明日詳しい話をしよう」
ダリウスはその荒れて乾燥している大きな手で、レンの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でた。
もう頭を撫でられて喜ぶような年齢ではない。
だが、ダリウスのその言葉と行動にレンは耐えきれなかった。
目からあふれた涙が頬を伝い地面に染みを作る。
慌てて腕で目をぬぐった、目の周りがとても熱く感じる。
ポケットの中のヴぃーが何かを訴えるように小刻みに震える。
そして、
「はい……わかりました」
と、レンは震えたか細い声で呟いた。
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