6. 沈黙の小竜と異端と血気盛んな少女

ワゴンの中は外と比べて想像以上に涼しかった。

隅に多数ある大小の合切袋が置かれている。その他にも日避け用と思われる帽子や、大きな布が横に掛けられていた。


「軽く換気でもするか」


ダリウスがそう言うと、人差し指を立てながらくるくると腕を軽く回し始めた。


すると、不自然な風の流れが生じる。

それは、滞留していた大気を流すように、ワゴンの中に染み渡った。


(これが生活で使う風源技か、洗濯物を乾かすのに便利そうだな)

レンがそんな感想を抱く。


ダリウスは一番手前にある合切袋を漁ると大きなパンをレンに手渡してきた。

日本の小麦粉主体のパンと比べると固く重い。向こうのライ麦パンに似ていた。


レンはダリウスに礼を言いそれに齧り付く。予想通り固くモソモソとした触感を感じる。口の中の水分が咀嚼するたびに失われていった。


素朴な味だがじんわりとした旨みが空腹なレンに沁み渡る。

レンは小さな幸福感も噛み締めた。


ダリウスはさらにガラスのコップを2つ取り出すと、デリアに渡した。


「デリア、水を頼む」「はい、お父様」


デリアがそれを受け取るとワゴンの床に並べ、それぞれに手を翳す。


水色の粒子がデリアの手に集まり始め、やがてコップの中に水が満ちた。


(流石に超純粋な水じゃないよね。少しはカルシウムとかナトリウムみたいな電解質が入ってないと、おなか壊しちゃうはずだし)


レンはそう考えつつ、デリアからそれを受け取ると口の中にパンが残っているのも構わず、ごくごくと水とパンを飲み干した。


そして息を深く吸い一息ついた。




――――――――――――――――



(これは完全に誤解されてるな)

ディルクはそう判断した。


休憩を終えて、ディーゴは馬へと戻り馬車を引き始めた。

車輪の軋む音が鳴り始める。馬車はゆっくりと動き始めた。ディーゴが自重したのか、馬車の速度は先ほどよりは落ち着いている。


ワゴンの中ではレンとダリウスとデリアが向かい合いながら腰を下ろしていた。

ディルクは胡坐をかいたレンの足に座っている。


食事後レンは、ダリウスやデリアからいろいろと質問をされた。


ゲムゼワルドのヒトなのかや、1人でいたのか、何故あそこに居たのか、荷物はそれだけなのか、などだ。


それに対しレンは、えっと、違います、やら、ディルクと一緒です、えっと気が付いたら、そうですけど、とのらりくらりと躱していたが、会話が進むにつれて、ダリウスとデリアのレンを見る目がどんどんと憐れみを帯びていく。


レンは回答に焦って気が付く様子はない。



ディルクはそんなレンを横目に見ながら、大きな欠伸をした。


おそらくダリウス達の目には、レンは世間知らずの金持ちの坊ちゃんで、一人で街の外を彷徨っているように見えたのだろう。


街の外は怪異に会う危険性も加え、普通のケモノも存在している。旅人であれば水や食料、寝具、武器といった必要な装備を持っているはずだ。


レンの風貌はとてもそうには見えない。

服装自体は見慣れないものだが、材質は悪くない。

少なくとも平民の格好には見えないだろう。


最悪、邪魔になった貴族の隠し子であるレンが、当人には悟られないように捨てられたぐらいの状況には思われているかもしれない。


と、ディルクは思いつつ彼らの会話に耳を傾ける。


話し方や立ち振る舞い、個人で馬車を使う財力、お付きの馬属。


それらから考えて、ダリウスたちは貴族もしくは大商人といった社会的地位の高い身分だろう。




そして話の内容は意外な方向に進み始めた。




「レンは武芸の経験はありますの?」

デリアは今までとは違い、声を弾ませながらレンに尋ねた。


「いや、無いです」

「そう、、、ですか。よく今まで無事でしたわね」


デリアの期待した答えではなかったのか、若干声が落胆していた。

が、レンの見た目からその可能性が高いとわかっていたのか、すぐに気を取り直したようだった。


「えっと、運が良かったみたいです。デリアさんは武芸を何かやってるんですか?」

妙齢の、しかも育ちの良さそうな女性に聞くこととしてはありえない。

女性によっては怒るだろう。

しかしながら、デリアの反応は違っていた。


「ええ!6歳のころから10年間、源獣流の剣を嗜んでいますわ!それに戦闘用の源技も少しばかり!父上に教えて頂いているのです!!」

嬉しそうにレンに話す。


虎属なら風源技だろうか、とディルクは考える。


どうやらこのデリアという少女は一般女性とは異なり、武芸やら戦闘源技やらが好きらしい。


「はー凄いですね。」

「ありがとうございます!………そうですわ!!折角ですからわたくしが剣の基礎の基礎を指南して差し上げます!この御時勢、自分の身を守る術は必要ですから!」


デリアが天啓でも授かったかのように顔を綻ばせ両手を合わせる。

そのデリアの喜びに呼応するかのように、頭の上にある虎耳がピコピコと動いた。


「え”」

レンは明らかに戸惑っている。

そして何とか断るための言葉を探してあー、えーと言っている。


だが、ディルクにとっては渡りに船だった。

少なくともレンには自分の身を守れるだけの力が必要だ。

ディルクはそう考え、デリアの後押しをすべく行動を起こした。


レンの足の上から身動ぎ、レンのズボンから差し棒を取り出す。そしてレンの手へとそれを押し付けた。


草原で鞄から食べ物を漁っていたときも感じたが、やはりこの差し棒には力を感じる。源鉱石に似たものだ。レンが狼怪異を一撃で殺したのも、もしかしたらこの差し棒の力なのかもしれない。


ディルクはそう思い、レンがこれを武器として扱うようにさりげなく誘導した。



「あら、それがあなたの武器なのですか?なかなか珍しいですわね」

そう言うと、デリアは馬車の前に移動した。


「ディーゴ!開けた場所にでたら、街道からずれて止まりなさい!」

「畏まりました!!お嬢様!!」

デリアはレンの明確な返答を聞く前に指示を出した。

馬車を引いているディーゴは胴間声を張り上げる。


「――――ダリウスさん」

レンがまるで迷子になった子供のような声をあげながら、ダリウスに声を掛けた。


「他者に教えることはデリアにとっても良い経験になる。オレが反対する理由は無いな」


しかしながらレンの言葉は、無情にも一刀両断された。




――――――――――――――




「えぇ、そうですわ。そのように両手で握り体の中心で構えるのです。この構えからなら攻撃、防御共に最小限の動きで対応できますわ。これを全の構えといいます。」


雑木林に挟まれていた街道を超え、今では周りに畑が広がっている。時折物置小屋と思われる木造の建物も見える。


現在馬車は、街道に交差した農道の脇に止められていた。


ディルクはダリウスと共に馬車に腰かけながら、前にある開けた場所で行われている剣技指南を見ていた。


デリアは宣言通り剣の基礎、持ち方から通常時の構え、上中下の防御の構え、攻撃時の剣の振り方をレンに教えていた。



(ほぉ、あの娘なかなかやるじゃないか)


デリアの説明や見本はディルクの想像以上に熟練したものだった。新兵と比べても見劣りはしないだろう。 


隣に座っているダリウスも娘のその様子を満足そうに見ている。


既に幾刻が過ぎ、赤銅色の光が空や木の家、畑をぼんやりと彩っている。


ゲムゼワルドにはほぼ着いていると言ってもいい場所ではあるが、完全に日が落ちる前に街の宿に入った方が良い。


ダリウスも同じことを考えたのか声を張り上げ、下段への素振り中のレンを監督しているデリアを呼んだ。

「デリア!そろそろ終わりにしろ!」


その声を聞き、デリアはレンに素振りの終了を告げた。


「そうですわね。じゃあ最後に軽く打ち合いましょう。」


「え、打ち合うって戦い合うってことですか?!」


レンが驚愕の声をあげている。まったく予想していなかったらしい。


「えぇ。今教えたことは戦闘で使えなければ意味がありません。さぁ!構えなさい!」


そう高らかに声をあげると、レンから数メートル離れて訓練用の木剣を構えた。

茜色を背負い金色の髪を垂らして構えをとるデリアは、一介の女性騎士を思わせる清廉さを醸し出していた。


今日異世界に来て、狼怪異に襲われ、林の中を歩き、剣の訓練を半強制的にしているレンが、ディルクには若干気の毒に思えたが、助けることはしない。


レンも覚悟を決めたのか手に持つ差し棒を構える。


それを見たデリアはレンに向かって駆けだし、剣を振り上げ切りつけた。

レンは上段防御の構えをとり、しっかりと受け止める。木剣と差し棒がかち合う音が鳴り響いた。


ディルクから見て、デリアの動きは明らかに手加減をしたものだった。

素人のレンが最大限学べるように配慮したものだろう。



デリアはその後様々な方向から攻撃を仕掛けていった。

レンも動じることなくそれぞれの剣にむかって的確な防御の構えをとる。


幾度かそれを繰り返すとデリアの攻撃の合間を見て、レンの方からも差し棒を振り、攻撃に転じ始めた。


デリアの動きも段々と速くなっていく。攻撃にフェイントが混じり始める。

それに遅れを取ることなくレンもしっかりと防御をとり、反撃をおこなう。


「ほう。全く剣を握ったことがないにしては、あの短い時間でデリアに言われたことをしっかり身に着けているな。やるな、お前のご主人。これは今後が楽しみだ。――――もし捨てられたのなら、オレが拾うかな」


ダリウスがぽつりと物騒なことを呟いたのが、ディルクには聞こえた。



十数分は経っただろうか。

ディルクの目から見ても、剣を振るデリアの速度は本人の持つ本来の力に近づいているのがわかった。


どうやらレンがここまでやれるとはデリアも思わなかったらしい。

デリアの焦燥が目に見えてきた。息が乱れ始め、明らかに剣先がぶれ始める。


レンはとっくに息が切れ始め、肩を大きく揺らしている。



と、ここでデリアは今まで大きく動きを変化させた。

後ろに跳び、レンと距離をとる。そして木剣を突き出すように構えた。


周りの風がデリアの方へと流れこむのをディルクは感じた。


(風源技か!!馬鹿な!なにを考えているんだあの娘は!!)


やばい、とディルクが思う間もなく、デリアは突風と共に物凄い速度でレンへと駆け出し突きを繰り出した。

横にいるダリウスが焦りから身動ぎしているのが見えた。



貫かれるレンの姿がディルクには容易に想像できた。

大けがは免れないだろう。


だが、レンのそのブラウンの瞳はデリアの動きを正確に追っているように見える。



そして。


デリアの木剣がレンに突き刺さるその瞬間、


レンの足元にバリバリっと閃光が生じると、レンの姿は掻き消えた。



デリアはそのまま岩へと剣を突き刺す。刺した場所からヒビが入った。それは放射状にピシピシっと広がっていき、やがて岩は崩れ落ちる。



ディルクは一瞬混乱したが、気配を感じ、視線を馬車のすぐ近くに向けた。


そこには両手を地につけ、座り込んでいるレンの姿が見えた。


肩が大きく上下に揺れており、息を大きく切らせている。




ディルクは心の表面が粟立つ思いに駆られる。


気を抜いていたとしてもディルクは完全にレンを見失った。


剣が刺さる直前の閃光から察するに、レンは雷源技を足に発現したのだろう、

との予測はつくがそんな雷源技のあんなに繊細な発現方法を今まで見たこともない。


雷源技はもっと派手で使いづらいものがほとんどだった。


そもそもレンが源技を知り、発現したのは数時間前である。


思えば源子の制御も常人では成しえない速度で達成した。


あの時は変にレンを動揺させないために、表現を柔らかくしたが。


怪異のことも合わせて考えると、どうやらとんでもない爆弾と出会ったようだ。



ディルクの背にヒヤリとしたものが流れた気がした。




「それまで!!」




ダリウスが叩きつけるように声を張り上げた。その声でデリアは我に返ったのか木剣を下ろす。その顔は苦渋に満ちている。


ダリウスがデリアの方に悠然と歩いていく。その顔は彼の種属を体現したように、虎のように獰猛だった。


「頭に血が上ったな、デリア。後半は明らかに冷静さを欠いていた。剣がぶれていたぞ。しかも、素人相手に風源技での突きを放つとは恥を知れ!!もはやあれは訓練ではなく、暴虐だ!一歩間違えば、レンは死んでいたかもしれないんだぞ!」


初めは静かな物言いだったが、後半はほぼ怒鳴り声に近い。

低い声ではっきりと責めるようにデリアに言う。

デリアは顔を伏せ強く唇を噛み締めていた。少し涙目になっているようだった。



レンが立ち上がるのが見えた。そしてノロノロとデリアの方へと近づいていく。

レンの歩き方にディルクは違和感を覚えた。


おそらくはあの雷源技の反動なのだろう。修練もせずに新しい源技を発現させた代償としては、安いものだ。


(釘を刺しておかないとな)


ダリウスとデリアがレンに気づき顔を向ける。


「指南、ありがとうございました。あの、あまり気にしないでください」

レンはデリアに向かって大きくゆっくりと体を前に倒し、礼をした。


ダリウスはまだ叱り足りなさそうではあったが、レンのその様子に毒気を抜かれたらしい。

言葉を飲み込むと視線をデリアに向けた。


「いえっ!本当に、本当に申し訳ありませんでしたわ!指南する立場のヒトが、我を忘れてしまうなんて、、、ごめんなさい」


デリアが弾かれたように謝罪する。

その時の彼女の声は後悔と恐怖を体現するかのように震えていた。




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